今度の都知事選について、マスメディアは舛添氏が優位だと報道している。過去の例から、そのように報道されて覆ったことはないので、たぶん結果もそうなるのだろう。しかし、問題は舛添氏が投票者の過半数の票を取るか、ということだ。
仮に、報道されている情報から予想して、
舛添 200万票
細川 100万票
宇都宮 80万票
田母神 50万票
その他 20万票
だとすると、勿論舛添が当選ということになる。しかし、過半数には至っていない。この場合、有権者の民意を正確に反映していると言えるか、ということが問題なのだ。有権者のうち、投票に行かない者は、「お任せします」と解釈されてもいたしかたない。しかし、選挙とは、自分の意見に最も近い人物を選ぶと考えていいのであって、舛添がそうだと投票した者が200万人、そうではないと投票した者が250万人いることになる。舛添ではないという意思表示した者の方が多数なのだ。これで、舛添が民意の支持を得たと言えるのか、ということだ。これは、民主主義にとって、大問題ではないのか?
フランスでは、このように過半数に届かない場合、1位と2位の決選投票が行われる。これは、論理的にまったく正しい。相対的に1位の候補者の支持が、2位以下の候補者の支持の合計を超えていないからだ。2位以下の合計の方が多数派だからだ。つまり、多数派は、相対的1位の候補者より2位の候補者の方が自分の意見に近い、あるいは、1位の候補者は絶対にいやだと考えている可能性が排除できないからだ。決選投票により過半数を超えて、初めて多数派の支持を得たことになる。
民意では、原発即時廃止派(再稼働に反対という意見)と原発容認派(すぐに廃止すべきではないという意見)が拮抗しているのに、なぜ、国会では容認派が圧倒的多数派なのか? 理由(多くあると思うが)のひとつは選挙制度が民意を正しく反映してないからだ。小選挙区でフランス型の選挙を行えば、自民党は、これほど圧倒的多数の議席を獲得することはできない。相対的にのみの多数派が絶対的多数派になる。これが民主主義か?
1票の重みについての不公平が問題とされている。確かに、不公平だ。それは、正確な民意の反映が民主主義だという考えなのだと思う。だとしたら、同時に、この問題も避けて通れないはずだ。マスメディアで、こういった主張がまったく報道されないのはなぜだろうか?
こんにち、民主主義が行われているかどうかが問題なのではない。どのような民主主義が、誰のために、どのように行われてるかが問題なのだ!!
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