TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

旅の記録を整理する【その❷】<40数年来の夢を叶えに… >

2023-08-18 12:33:00 | やりたかったこと
ブログを休んでいた時にまとめた2冊目のアルバムは、2022年秋に登った『剱岳&甲斐駒ヶ岳』でした。

学生だった頃に登る予定だった南アルプスの「甲斐駒ヶ岳」は、40年以上もの間私の心の奥に刺さった棘のように残っていました。

そして、「剱岳」もまた自分の力量では登ってはいけない山としてずっと心に蓋をしてきた山でした。


仕事を退く数年前、2015年の8月1日から連れ合いと2人で2泊3日の信州旅行を計画していました。

ところが、出発の1週間ほど前に連れ合いに大事な仕事が入り、急遽、一番上の娘と行くことになったのです。

娘も仕事に就いていたのですが、その翌年には結婚するというのもあったからでしょうか、連れ合いに代わって私との2人旅に行くことを決めました。



その旅の中で訪れたのが『上高地』でした。

梓川に架かる「河童橋」から穂高の峰々を見上げ、青春時代に仲間とあの稜線の道を歩いた話を娘に話して聞かせました。

『仕事を退いたら、いつか穂高に登ろう… 

と、思ったのはその時からでした。

娘との2人旅は楽しい想い出となっただけでなく、私にとってはその後の人生のスタンスを決める旅でもあったのです。

旅から戻った私は、61歳の誕生日に穂高を訪れることを目標に準備をはじめ、2019年秋に夢を実現させることができたのです。



その後、コロナ禍の中で山岳会に入会し、沢や岩山、そして雪山に臨むにあたって必要な技量や貴重な体験を得る機会が与えられたのです。

ついにその時がやって来ました。

2022年の秋、通過した台風を追いかけるようにして私は愛車を富山に向けて走らせました。



谷を隔てて『剱岳』を正面に観る劔沢キャンプ場でのテント泊…



青空をバックに堂々と立つ “岩の殿堂” の勇姿は私を痺れさせました。



『剱岳』登頂後に雨に打たれずぶ濡れになり急遽山小屋へ宿泊する事態もありましたが、次の日には南アルプスへ移動し40数年前に登頂を断念した『甲斐駒ヶ岳』をめざしました。



この時も、静岡に接近していた台風が突然消滅し、これ以上ない快晴の中『甲斐駒ヶ岳』と『摩利支天』に登ることができました。



『摩利支天』山頂では、鳳凰三山を従えた富士山を観ながら64歳の誕生日を1人で祝いました。



















旅の記録を整理する【その❶】<リベンジ吉野桜>

2023-08-17 12:36:00 | やりたかったこと
6月下旬から1ヵ月半近くブログの更新をしていませんでした。

その間、何をしていたかと言うと、去年から今年にかけて行った旅や山行で撮った写真を整理していた次第です。

これまでも、家族旅行や私一人で行った旅や山行の写真を「△まうまプリント」のウェブサイトからアルバムに製本し残して来ました。

その1冊目は、2014年の『島根旅行』で連れ合いと娘と私の3人で行ったもので、娘が制作・注文してくれました。


その後も、娘と2人で行った『信州旅行』や、連れ合いと一緒に参加したバスツアー『南紀 御朱印の旅(高野山・熊野大社・伊勢神宮)』等々のアルバムを作ってきました。



15冊近い旅のアルバムがリビングの棚に並んでいます。

今回、ブログを休んでまでも整理したのは4冊です。


どの旅も私のブログの中では綴らせてもらってはいたのですが、写真や文章で綴ったアルバムのかたちでも残しておくべきと考えたのです。

デジタルは手軽で便利だと思いますが、紙媒体は紙媒体でその良さがありますからね。

『吉野桜、リベンジ旅』に載せた写真の中からいくつかピックアップです。









2019年に行った吉野桜が空振りに終わっていただけに、昨年観た満開の吉野桜は格別なモノでした。











我が家のシャインマスカットのその後<続々編>

2023-08-12 08:55:00 | 
娘と2人の孫は2週間ほど我が家で過ごし、



日曜日にお迎えに来たパパの車に乗り自宅へ帰って行きました。


その後の我が家の静けさと言ったら… 、

寂しさ半分、無事 “じぃじ” と “ ばぁば” の役目を果たした安堵感半分でいつもの日常生活に戻りました。

しかし、ホッとする暇もなく台風6号がカクカクと進路を変えながら九州に接近して来たのです。

それも、ノロノロと自転車並みの速さで… 


30数年前、我が家を建てた年に台風が直撃し、軒瓦や屋根瓦も飛ばされて本当に苦い経験をしました。

こんな事を経験すると、台風が接近してくる度に準備せざるを得なくなります。

準備万端で台風接近に備えていると、大概、台風は何事も無く通り過ぎて行ってしまうのです。

ですから、毎回、台風が近づいて来ると、被害が出ないようにと願う ”おまじない" のように、黙々と台風対策をしてしまうのです。

今回も、9日の朝から準備をしました。

葡萄棚にぶら下がっているシャインマスカットの房も、まだ収穫するには少し早いかなぁと思いながらも数房の房にハサミを入れました。

そして、夜にはサーモンの刺身を肴に奈良の酒「風の森」を頂いていたのでした。

収穫したシャインマスカットは、食べる前に仏壇に供えました。



父は葡萄が好きでしたし、母も夏になると葡萄を売りに来る行商の人から新鮮な葡萄を買っていましたから…












我が家のシャインマスカットのその後<続編>

2023-08-11 10:02:00 | 
7月末から2週間ほど、娘が2人の孫を連れて帰省しておりました。

その時期が我が家の庭のシャインマスカットが甘くなってきた頃と重なりました。

私が葡萄を育てようと思ったきっかけは、その孫(初孫)が葡萄好きで、特にシャインマスカットが大好物だったからでした。

シャインマスカットは高価ですので、頻繁に買い与えるほど金銭的な余裕はありません。

そこで、数年計画で『シャインマスカット栽培プロジェクト』に取り組んできたのでした。

3年前、近くの園芸店で苗木を見つけた私は2000円出して “夢” を購入し、その翌年には指にケガをしながら葡萄棚まで拵えました。

『次の年には待望のシャインマスカットがたわわに実るカナ… 』

と言う私の微かな期待は見事に裏切られましたが、葡萄棚は夏の陽射しを遮ってくれました。



そして、やっと今年の夏、葡萄好きの孫に我が家の庭で育ったシャインマスカットを食べさせることができたのです。

晴れた夏の朝に、左利きの孫を抱っこしての葡萄狩りは私にとって至福の時間になりました。



5歳の孫がどう感じたかは分かりません…












我が家のシャインマスカットのその後

2023-08-10 16:25:00 | 
3年目にして初めて花をつけた我が家のシャインマスカットの木ですが、どうなったと思いますか?

花が咲いたのが5月で、要領も得ないままにジベレリン処理(種を無くして粒を大きくする生長ホルモン)を行っていました。

虫の害やブドウにありがちな病気を予防するための農薬は使用しませんでした。

7月中にでも収穫できそうなが勢いでブドウの粒は大きくなっていきましたが、どのタイミングでハサミを入れたらいいのかが分かりません。

『粒の周りが白くなったら収穫』との話も聞いていましたが、ブドウ栽培の初心者にはその白さ具合も判断がつきません。

それで、粒を摘んで硬さを調べては “味見” して行ったのでした。

最初に “味見” したブドウの粒は、今まで味わったことがないくらい酸っぱいものでした。

口の中に強烈な酸っぱさの刺激が広がり、両目を瞑ってしまいました。

その後も “味見” は続き、8月に入った頃に初めてブドウらしい甘みのある粒を口にすることができたのでした。

甘く実ったブドウの粒は弾力があり、粒の表面は粉が吹いたように白くなることが経験を通して分かりました。



『ブドウが実り熟すまではとてつもなく長い日数が必要なんだなぁ… 』