先日、国営ひたち海浜公園のみはらしの丘を眠くなった長男を背負って下っていた時に、自分が小学生の頃に父と二人で登った山を降りる際に眠くなった自分を父に背負ってもらったことをふと思い出した。
その記憶に自信がなかったので、一緒に海浜公園に行った父に確認すると、そのようなことがあったとの返事があった。不思議なことには、背負ってもらった感覚も僅かに残っていた。
こんな体験は、初めてだった。
だが、記憶は正しいとしても、感覚も正しいとは言えない。父との記憶は父に確認することができるが、感覚は他者には確認できないからだ。
多分、心理分析でもしてもらわないと、その感覚の正体は明らかにならないだろう。
その記憶に自信がなかったので、一緒に海浜公園に行った父に確認すると、そのようなことがあったとの返事があった。不思議なことには、背負ってもらった感覚も僅かに残っていた。
こんな体験は、初めてだった。
だが、記憶は正しいとしても、感覚も正しいとは言えない。父との記憶は父に確認することができるが、感覚は他者には確認できないからだ。
多分、心理分析でもしてもらわないと、その感覚の正体は明らかにならないだろう。