民法715条の使用者責任をヤクザに特化して適用する暴力団対策法以降、ヤクザは見えなくなったようだ。決してなくなったわけではなく、別の形となってしまってヤクザとわからなくなったという。また、海外マフィアとの連携や犯罪の分業化・アウトソーシングなどが行われ、実態の把握は困難となっている。
また、ヤクザは「在日」等の差別された人々の受け皿ともなっていたが、今やその機能も果たしていないようだ。 . . . 本文を読む
久野収さんと鶴見俊輔さんとの対談(1989年10月頃から1990年7月頃か)。
本書からいくつか。
「自分が相手にレッテルをはるんじゃなしに、相手もどこかいいことを言っているのではないか」を探る姿勢が双方にないと、議論が生産的にならない(50頁)。『朝生テレビ』で行われる大声の出し合いで、互いが納得するようなことはないということがこの姿勢の大切さを明らかにしている。
「ぼくら日本人は、自分と他人や . . . 本文を読む
やはり、聖書というものは読みづらいということがわかった。
また、聖書が(キリスト教徒が信じる)神によって人間が創られたということを発していることが改めてわかった。
最後の章の「聖書の読書案内」は比較的わかりやすかった。 . . . 本文を読む