マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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公式ではなく非公式です。

武田元繁

2017-09-15 13:38:35 | 戦国武将・戦国姫図鑑
武田元繁
【諱】
元繁
【苗字】
武田
【朝臣】

【生没】
1467年ー1517年
【通称】
太郎左衛門
【父親】
武田元繁
【母親】
不明
【兄弟】
小河内繁継
【正室】
飛鳥井雅俊の娘
【子息】
武田光和
武田繁清
高杉春時
【解説】
安芸武田氏当主、安芸武田氏とは甲斐武田氏と同族であり。
若狭武田氏.上総武田氏.因幡武田氏などと並ぶ、甲斐源氏の一族である。
この時の元繁は若狭武田氏の安芸国の守護代として国を治めていたが、若狭武田氏と対立し。
上洛後安芸武田一族は若狭武田氏から独立する事になる。

また厳島神社の神主の地位をめぐり大内と尼子が対立していた。
大内氏は元繁を自陣営にとどめるべく養女であった飛鳥井雅俊の娘を元繁に嫁がせている。
しかし、絶縁し尼子陣営に寝返り厳島神主東家の支援に入る。
この隙を突いて己斐城を包囲するが毛利興元・吉川元経に攻められ有田城を失う。
興元が亡くなり幸松丸が跡を継ぐと、有田城の奪回を目指す。
毛利軍が援軍に来ると熊谷元直に迎撃に向かわせるが、後見人元就の作戦により元直が戦死。

激怒した元繁は自ら軍を率いて毛利軍と戦うが川を渡ろうとする時に一斉に矢が発射され軍は混乱。
混乱の中元繁は又打川で落馬して討ち取られた。
討ち取ったのは毛利方の井上光政と言われている。

元繁は印象に残る武将ではないが、実はかなりすごい人であり。
智勇に優れた武将であって、中国の項羽に例えられていた。
息子高杉春時の子孫は幕末時に奇兵隊を率いた高杉晋作である。
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相合元綱

2017-09-15 13:28:58 | 戦国武将・戦国姫図鑑
相合元綱
【諱】
元綱
【苗字】
相合
【朝臣】
大江
【生没】
不明ー1524年
【父親】
毛利弘元
【母親】
相合大方
【兄弟】
毛利興元
毛利元就
北就勝
見付元氏
娘(武田氏室)
八幡上(渋川義正室)
娘(吉川元経室)
【子息】
敷名元綱
【解説】
毛利弘元の子として生まれ、異母兄に興元と元就がいる。
武勇に秀でており「今義経」の異名があり、、次兄の元就と共に武田元繁を討つなどの活躍を見せている。
兄元就と仲が良かったが、毛利幸松丸が亡くなり兄元就が当主に決まると。
この決定に不満的であった坂広秀・渡辺勝らが、元綱の擁立され反乱を起こす。
反乱は尼子氏の陰謀であったとも言う。
しかし、先手を打たれてしまい志道広良に300名の兵を率いさせて元綱居城の船山城を急襲させた。
武勇に優れる元綱は奮戦するも最終的に背中に矢が刺さって戦死する。

幼かった子元範は助命されている。

この事件により元就は子隆元.元春.隆景に三本の矢を教える事になるが。
仲の良かった兄弟同士の対立を避けるためであった。
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敷名元範

2017-09-15 13:03:07 | 戦国武将・戦国姫図鑑
敷名元範
【諱】
元範
【苗字】
敷名
【朝臣】
大江
【生没】
不明
【父親】
相合元綱
【母親】
不明
【正室】
不明
【子息】
敷名元政
馬屋原元詮
【解説】
毛利元就の弟相合元綱の子として生まれる。
父が叔父元就に背き戦死すると、元範は年少であったためその罪を許された。
大笹山城主・敷名民部大輔を討った時、元就から旧領を与えられ敷名姓を名乗る。
生没年は不明であるが子孫は長門の長州藩に移ると長州藩大組と続き子孫は貴族議員になった馬屋原彰、馬屋原二郎。
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