武田元繁
【諱】
元繁
【苗字】
武田
【朝臣】
源
【生没】
1467年ー1517年
【通称】
太郎左衛門
【父親】
武田元繁
【母親】
不明
【兄弟】
小河内繁継
【正室】
飛鳥井雅俊の娘
【子息】
武田光和
武田繁清
高杉春時
【解説】
安芸武田氏当主、安芸武田氏とは甲斐武田氏と同族であり。
若狭武田氏.上総武田氏.因幡武田氏などと並ぶ、甲斐源氏の一族である。
この時の元繁は若狭武田氏の安芸国の守護代として国を治めていたが、若狭武田氏と対立し。
上洛後安芸武田一族は若狭武田氏から独立する事になる。
また厳島神社の神主の地位をめぐり大内と尼子が対立していた。
大内氏は元繁を自陣営にとどめるべく養女であった飛鳥井雅俊の娘を元繁に嫁がせている。
しかし、絶縁し尼子陣営に寝返り厳島神主東家の支援に入る。
この隙を突いて己斐城を包囲するが毛利興元・吉川元経に攻められ有田城を失う。
興元が亡くなり幸松丸が跡を継ぐと、有田城の奪回を目指す。
毛利軍が援軍に来ると熊谷元直に迎撃に向かわせるが、後見人元就の作戦により元直が戦死。
激怒した元繁は自ら軍を率いて毛利軍と戦うが川を渡ろうとする時に一斉に矢が発射され軍は混乱。
混乱の中元繁は又打川で落馬して討ち取られた。
討ち取ったのは毛利方の井上光政と言われている。
元繁は印象に残る武将ではないが、実はかなりすごい人であり。
智勇に優れた武将であって、中国の項羽に例えられていた。
息子高杉春時の子孫は幕末時に奇兵隊を率いた高杉晋作である。
【諱】
元繁
【苗字】
武田
【朝臣】
源
【生没】
1467年ー1517年
【通称】
太郎左衛門
【父親】
武田元繁
【母親】
不明
【兄弟】
小河内繁継
【正室】
飛鳥井雅俊の娘
【子息】
武田光和
武田繁清
高杉春時
【解説】
安芸武田氏当主、安芸武田氏とは甲斐武田氏と同族であり。
若狭武田氏.上総武田氏.因幡武田氏などと並ぶ、甲斐源氏の一族である。
この時の元繁は若狭武田氏の安芸国の守護代として国を治めていたが、若狭武田氏と対立し。
上洛後安芸武田一族は若狭武田氏から独立する事になる。
また厳島神社の神主の地位をめぐり大内と尼子が対立していた。
大内氏は元繁を自陣営にとどめるべく養女であった飛鳥井雅俊の娘を元繁に嫁がせている。
しかし、絶縁し尼子陣営に寝返り厳島神主東家の支援に入る。
この隙を突いて己斐城を包囲するが毛利興元・吉川元経に攻められ有田城を失う。
興元が亡くなり幸松丸が跡を継ぐと、有田城の奪回を目指す。
毛利軍が援軍に来ると熊谷元直に迎撃に向かわせるが、後見人元就の作戦により元直が戦死。
激怒した元繁は自ら軍を率いて毛利軍と戦うが川を渡ろうとする時に一斉に矢が発射され軍は混乱。
混乱の中元繁は又打川で落馬して討ち取られた。
討ち取ったのは毛利方の井上光政と言われている。
元繁は印象に残る武将ではないが、実はかなりすごい人であり。
智勇に優れた武将であって、中国の項羽に例えられていた。
息子高杉春時の子孫は幕末時に奇兵隊を率いた高杉晋作である。