自分を花に例えると「オニユリかなぁ・・・」と答えておられた萩尾望都さん。
わたしも同じ質問をされると同じ答えになるかもしれないし、血液型がO型というのも共通で何となく親しみは湧くが、イヤイヤイヤ、わたしにとって萩尾望都さんというのは親鸞における法然の如く一種の教祖様なのである。
「ポーの一族」や「トーマの心臓」が連載されていた頃は、もう夢中というか狂っていたというか、相当重傷の恋の病状態だったと言っていい。
ン十年前、明石大橋が影も形もない頃、雑誌に三越デパートで萩尾望都さんのサイン会があるという記事を目にして、もう一目その姿を近くで見たい一心で、超田舎者の小娘はそのとき迫り来る嵐(台風)をものともせず、欠航寸前のフェリーに乗り込み初めての東京サ出かけていったのである。
好きな作家は?の質問には「ケストナー、ヘッセ、サリンジャー」と淀みなく答えておられた姿は今も鮮やかにわたしの脳裏に焼き付いている。
絵がいいでしょ。デッサン力豊かな硬質な線で描かれる登場人物たちは、そのセリフ、立ち居振る舞い、説得力のある表情で、まるで容赦のない暴力のごとくわたしをとりこにしてしまったのである。なまじ、自分もお遊びとはいえ「マンガ」を描いたりしてたものだから、その構成力、そのセンス、その技術、その知性に打ちのめされてしまったのだ。
その頃、そうした「快い敗北」の気持ちを文章にして同人誌に載せたところ、それを目に留めたやはり萩尾さんのファンだという見知らぬ人からの知遇を得、現在も繁く交流の続く友人となったというエピソードもある。
萩尾さんのことについては、思いが大きく、このようなブログではとても書き切れないし、ブログの文は出来るだけ短くまとめたいとする自分の方針にも反するので今回はこの辺にするが、少なくとも彼女と同時代に生きられたという幸運には心から感謝するものである。
わたしも同じ質問をされると同じ答えになるかもしれないし、血液型がO型というのも共通で何となく親しみは湧くが、イヤイヤイヤ、わたしにとって萩尾望都さんというのは親鸞における法然の如く一種の教祖様なのである。
「ポーの一族」や「トーマの心臓」が連載されていた頃は、もう夢中というか狂っていたというか、相当重傷の恋の病状態だったと言っていい。
ン十年前、明石大橋が影も形もない頃、雑誌に三越デパートで萩尾望都さんのサイン会があるという記事を目にして、もう一目その姿を近くで見たい一心で、超田舎者の小娘はそのとき迫り来る嵐(台風)をものともせず、欠航寸前のフェリーに乗り込み初めての東京サ出かけていったのである。
好きな作家は?の質問には「ケストナー、ヘッセ、サリンジャー」と淀みなく答えておられた姿は今も鮮やかにわたしの脳裏に焼き付いている。
絵がいいでしょ。デッサン力豊かな硬質な線で描かれる登場人物たちは、そのセリフ、立ち居振る舞い、説得力のある表情で、まるで容赦のない暴力のごとくわたしをとりこにしてしまったのである。なまじ、自分もお遊びとはいえ「マンガ」を描いたりしてたものだから、その構成力、そのセンス、その技術、その知性に打ちのめされてしまったのだ。
その頃、そうした「快い敗北」の気持ちを文章にして同人誌に載せたところ、それを目に留めたやはり萩尾さんのファンだという見知らぬ人からの知遇を得、現在も繁く交流の続く友人となったというエピソードもある。
萩尾さんのことについては、思いが大きく、このようなブログではとても書き切れないし、ブログの文は出来るだけ短くまとめたいとする自分の方針にも反するので今回はこの辺にするが、少なくとも彼女と同時代に生きられたという幸運には心から感謝するものである。