楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

見えない自分

2010-04-17 12:39:11 | 日記
普通の人間は多分自分のことを「いい人間」だと思ってるんじゃないだろうか。
わたしも通常はさような認識である。
しかし時として自分の欠点が他人様に多大な迷惑と不快感を与えてしまうことがある。
もちろん、故意ではないのだが、実はそこがポイントである。
なぜそのような事態に至ったかと検証してみると、たいがいの場合、時間に余裕がなく、とっさの自分の判断がいかにも自分勝手なのである。
後で冷静に判断してみると、そこへは行ってはいけないとわかるポイントに遮二無二突っ込んでいる。
自分でつけたあだ名の「あわてんぼう」がおおよそのわたくしの性格を表しているのだが、(つまりはオッチョコチョイである)なぜ時間にゆとりをなくすのか、すべきことをすぐ行動に移さないで、何でも後回しにしようとするからである。
自分がヘマをして自分が痛い目にあうのは別に構わないが、自分の不用意で人を傷つけてしまうのはやっぱり思慮の浅い人間だからと言わざるを得ない。
どうしたら傷ついた人の気持ちを癒すことができるか、これは誠心誠意心からあやまり、二度と同じ過ちを犯さないようにすることである。
が、これが難しい。
悪いと分かっていてもやめられない癖、なんら悪いと思わない罪悪感の欠如、あるいは感覚の相違。人によって考え方も違えば、感覚も違う、当然反応も違ってくる。
Aに非礼になってもBには一向に差しさわりが無いということもある。
自分の思うところに振舞って誰も傷つけず、誰とも調和してうまくやっていくというのはひとつの夢でしかない。
が、実は、最近根っこはもっと単純なところにあるのじゃないかと考え出している。
普段の自分が怠けてるツケが(無作為な時間帯で)回ってきてるんじゃないかと感じるからだ。
人の欠点はよく見えても自分の欠点は見えてるようで実は見えていない。
上手に隠していれば、人にはわからないだろうとタカをくくっている。
充填作業をさぼっている「しっぺ返し」が意図せずして人を傷つけて、自分も傷ついてしまうという情けない図式を生んでいるのだ。
今朝、朝っぱらからドジッタ、いい年して。
反省だけなら猿でもできる。
神様のプログラムが完璧なら、自分を見る方法はあるはず。がんばってみよう。
コメント
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