楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

フロスト的駄目人間

2011-02-17 13:05:06 | 日記
去年の春(4月)に創元社に勤めている同級生からもらった「クリスマスのフロスト」。
読みかけでうっちゃってたのだが、この度の旅行で読了した。
“フロスト”というのは犯罪捜査部の警部の名前で、これが、誠に泥臭くてかっこ悪い主人公なのである。
しかし、ストーリーの紹介をするつもりはない。
ここは、自分が如何に近年「だめ人間」に対して親和力を持つようになっているかを再認識したので、そのお話をちょっとさせてもらおうと思う。
“フロスト”ってのはしょっちゅう下品な冗談を飛ばし、時間にルーズで、書類の作成、整理も大の苦手という権威や規律から遙かに遠い「だめ人間」で、人間としての魅力もとてもあるとは言いがたい人物なのだが、妙に安心してしまうのだ。
わたくしめ、若い頃は、自分がどのグループに入ってるか、自分で判断する限り、
善か悪か、良識派か非良識派か、真面目か不真面目か、誠意のある人間かそうでないかなどの二択においては、疑うこともなく前者に所属していると信じていたのだが、いつの頃からか、それは自分の希望であって、事実とは違うということに気がついてしまったのである。
年代によって修正が利く場合もあろうが、年を重ねるにつれて、自分の限界、生来のぐうたらさが明らかになってきて、いくらもがいても理想にはたどり着けないと悟った時、ある種の諦念と共に、自分と同じように愚図で要領が悪く不器用で自分勝手な人間に同情と親しみを感じるようになったのである。
許さざるを得ないのだ、その人の駄目さ。そっくりそれは自分自身だという事になれば。
素敵な人を引きずり落とそうとは思わない、しかし、隣にいる私に似た人に冷たい態度はとれない。
そして、昔はアチラと思っていた場所に今普通に自分がいることをさほどの抵抗も無く受け入れてしまってるのだ。
これを堕落と人は呼ぶのかも知れないが、嘘で固めた人間よりは呼吸が楽なことだけは確かだ。
ところで、今朝わたくし宛に、本社から下の袋が届けられた。この間のチョコの残りだ。
(え~っ、また変身させろってこと?)と思ったが、中を覗くとコチラはそれほど見場は悪くない。
おまけにひとつふたつつまむと、・・・「美味しい!」。
チュベ・ド・ショコラってなかなかのものでした。こちら。
コメント
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