最初の写真は例の「茜さす~」と「紫草の~」の相聞歌、揮毫は「俵万智」さんと「小野寛」と読めるのだけど小野寛氏って何者か私は不勉強で知らないんだ。
次の柿本人麻呂「さざなみの滋賀の辛崎幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ」の「佐佐木信綱」氏も名前を聞いたことがあるという程度だが、Wikipediaで調べると国文学者で苗字は本来「佐々木」と記したが、信綱が訪中の折、中国には「々」の字が存在しないことを知ったため、それ以後は「佐佐木」と改めたと出ている。
次、高市古人の「ささなみの国つ御神の心(うら)さびて荒れたる京見れば悲しも」が右の小さな碑には分かりやすく書かれているのだが、左の大きな石には「樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而荒有京 見者悲毛」と書かれてあり解説がないとさっぱり読めない。
そして揮毫が「藤井五郎」となっていて万葉研究家として有名な方なのだが、実は石山寺以降、この度のツァーの講師を務めていただいた方なのだ。
御年83歳とお伺いしたが、健脚で滑舌もなめらかにいかにもインテリジェンスを感じさせる話ぶり、見習うべき人生の先達を見た思いがしました。
次は柿本人麻呂「淡海の海夕波千鳥が鳴けば情(こころ)ものしに古(いにしへ)思ほゆ」揮毫は万葉学者としてとみに有名な「犬養孝」。琵琶湖を見渡す絶好のロケーション。湖の対岸に京都ホテルがみえます。
最後は額田王「君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」揮毫は「田辺聖子」
やはり女性は女性らしい優しい字を書きますね。もちろん写真に撮った歌碑はもっとたくさんあるんですが、興味のない人にはまったくどうでもいいただの石ころでしょう、ほどほどのところで切り上げておきます。