みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 西の内の子どもたちは

2019-12-02 19:50:00 | 日記
昔、私の親戚の母家の鈴ちゃんが西の内に住んでいた。那賀川奥の電源開発の仕事に来ていた四国電力の社員と結婚したのだが、ご主人の転勤で池田町に来ていた。私が、たまーに行っていたスナックの店のママさんだった。それで私は故郷の木沢の柚子酢をプレゼントしていた。今年になって店を閉めたので、転居された讃岐へ柚酢が運ばれていったのだった。私が居る三好市も過疎化が進み人口減が続いている。寂しい話です。


今朝のカシドマルには虹がかかっていました。
梅やんはデイサービスの迎えの車に乗りました。朝、お尻を洗ったのですが、ズボンには便が着いていてデイのズボンに替えてくれたそうです。


梅やんははもう25年もこの木沢デイサービスにお世話になっております。毎月欠かさずに通いました。ありがたいことです。今日の梅やんは落ち着いていたと、デイサービスの主任さんが言ってくれました。私は、多分には認知症の薬をやめているからでしょう、と言いました。


梅やんがデイサービスから帰ると、和歌山のヤーちゃんから喪中の挨拶状が届いていました。


梅やんが子どもの頃、当時、西の内にはアキ姉が住んでいて、その隣にヤーちゃんが住んで居たので、アキ姉を訪ねた幼い梅やんとヤーちゃんはよく一緒に遊んだそうです。そのあと、ヤーちゃんはカイジャのユタカ姉の納屋に来て、沢谷小学校で梅やんと再会したそうです。ヤーちゃんは頭の良い子でした。今回はヤーちゃんのご主人が亡くなられたのだそうです。91歳、ご冥福を祈ります。去年11月、梅やんは和歌山へ行きヤーちゃんに会って来ました。
梅やんは久しぶりに、私がかけてあげた携帯電話でヤーちゃんと話しておりました。


ご飯を食べながらもヤーちゃんの葉書を見ています。
那賀町西の内は今は過疎の極まった集落です。


夕食後、洗い物をする梅やんです。

明日の梅やんはデイサービスの後、木沢診療所です。それでは今日はこの辺で。