俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『日本アルプス』

2018-02-12 15:00:43 | 観光地

南アルプス、北アルプス、中央アルプスを総称して日本アルプスと呼びます。

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

赤石山脈は南アルプスと呼ばれ、山梨県、長野県、静岡県にまたがっています。
中央高速道の八ヶ岳SAから山梨県側に面した山々がよく見えました。

中でも甲斐駒ヶ岳の迫力には圧倒されました。
麓にはあのサントリーウィスキー白州の蒸留所があります。


鳳凰三山も冬景色を見ると人を寄せ付けない感があります。


富士山に次いで日本で2番目に高い山の北岳(3193m)が白い頭だけ見えました。


       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

木曽山脈は中央アルプスとも呼ばれ、伊那谷と木曽谷の間の南北にまたがる山々で、最高峰の木曽駒ヶ岳(2955m)で知られています。

ちなみに乗鞍岳は北アルプスの南端で北アルプスですが、御嶽山は独立峰なので北にも中央にも入れないらしい。
同様に八ヶ岳も八ヶ岳は八ヶ岳とのこと。

飛騨山脈は岐阜県、富山県、新潟県、長野県にまたがる山々で通称北アルプスと呼ばれています。
山脈の最高峰は日本で3番目に高い奥穂高岳(3190m)ですが、槍ヶ岳や立山連峰などなど・・・

松本城から見える常念岳をはじめ北アルプスの山々が絵になります。


       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

冬山は、青い空の晴れた日に雪をかぶった白い山を眺めているのが一番です。

“くれぐれも冬山には登るな”と、親父によく言われたものです。
それにしても日本アルプスは本当にきれいなところです。

『御神渡り』

2018-02-11 18:07:33 | 観光地
長野県の諏訪湖が全面凍結し、5年ぶりに「御神渡り」が現れたというので行ってみました。

氷点下10度C以下の気温が続くと湖面が全面凍結し、気温の寒暖差で氷が膨張収縮を繰り返すことによって割れた部分の氷がぶつかり合って山脈状にせり上がり「御神渡り」が出来るという。
国内では北海道の屈斜路湖などでもみられるそうです。

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

1月15日に全面凍結したもののその後解氷、1月27日に再び全面凍結し2月に入って八剱(やつるぎ)神社の神主が「御神渡り」と判定して正式に出現が認められたのでした。
「御神渡り」とは諏訪大社上社の男神・「建御名方命(たけみなかたのみこと)」が下社の女神・「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」に逢いに行った“足跡”と云われています。

2月5日朝に神主と氏子たち70名によって湖上で「拝観式」がおこなわれました。
過去の「御神渡り」の記録に照らし合わせて、今年の天候は「前半は不安定なれど、後半は順調」と占われたそうです。

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

8日に諏訪湖を一周して下見をしました。
夕日に輝く「御神渡り」は正に神々しいものがありました。


翌朝、暗いうちにホテルを出て、前日決めていた撮影ポイントへ行きました。
気温はー11度Cの寒い朝です。

居るじゃない! ウジャウジャウロウロ・・・


八ヶ岳の山頂から昇った朝陽に輝く湖面の美しさ・・・


       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

5年ぶりと云われる「御神渡り」に巡り合えて幸運に出会える気持ちになりました。

バレンタインデー宝くじをバラで10枚買いました。

でも、当たったかの報告はしませんので悪しからず。



『渋沢栄一生家』

2018-02-06 14:48:21 | 観光地
先日、「近代日本資本主義経済の父」と呼ばれる渋沢栄一の生家がある深谷市血洗島へ下道を4時間もかかって走り、行ってきました。

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

7歳の頃からいとこの尾高淳忠(じゅんちゅう)に師事し論語をはじめ学問を学んだそうです。20代で惇忠らと倒幕計画したものの中止、京都に逃れ一橋(徳川)慶喜の家臣となり領内の経営面で力を発揮、慶喜の勧めで2年間の渡欧、ヨーロッパの思想、文化、社会に大いなる影響を受けたのです。淳忠の生家であり私塾です。


1868年(明治元年)11月幕府が倒れたため帰国。大隈重信に説得され明治維新政府に仕官しました。

明治初期の日本の最大の輸出品であった生糸の生産をするために官営の富岡製糸工場を建てることになり、栄一が建設の推進者となって、工場長に尾高淳忠、建設資材調達担当に韮塚直次郎(幼馴染で瓦職人、レンガ造りを担当)を決めて、計画通りの2年間で完成させました。

建設から145年経った富岡製糸工場は、今や世界遺産に登録され、当時のままの姿を見ることが出来ます。

富岡製糸工場が操業した翌年に大蔵省を退官し、「第一国立銀行」をはじめ500余の企業を設立しました。ちなみに第一国立銀行は現在の「みずほ銀行」に引き継がれていますが、日本の銀行には「金融機関コード」という4桁のナンバーが付与されていますが、0001は「みずほ銀行」となっています。

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

渋沢一族の祖先は武田信玄に仕えた武将でしたが、徳川に武田が滅ぼされたため、ここ深谷の血洗島に落ち延び隠れ住んだという。

余談ですが、血洗島とは滅相もない地名ですけれど、一説には平安時代に源義家(八幡太郎)が奥州遠征の途中で合戦となり家臣の一人が切落された片手を洗ったので血洗島の地名が付いたそうです。

武田の残党であったことからか尊王攘夷の思想に感化され、倒幕に加担し高崎城乗っ取り計画等を尾高淳忠らと企てましたが、計らずも徳川慶喜に仕えるようになってからは佐幕派となっていったようです。

渋沢邸のあった集落はすべてが渋沢性のため、集落の真ん中に建っていたので「中の家」(なかんち)が屋号になったそうです。
「中の家」は代々農業を営んで来ましたが、名字帯刀を許され、養蚕や藍玉づくりとその販売、雑貨屋、質屋業も兼ねて大変裕福だったそうです。




       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

埼玉県の北のはずれの町は「上州空っ風」と呼ばれる赤城颪(おろし)が吹いて特別に寒い日でした。

でも、地元ボランティアの方たちから熱心に説明して頂き、明治の国づくりに貢献した熱い思いの偉人たちの物語に触れた一日でした。

『日光・船村徹記念館』

2018-02-05 15:56:12 | 観光地
朝、9時に家を出て2時間半で着きました。高速も空いていたし、日光宇都宮道路などほとんど車を見かけませんでした。

日光の杉並木は路面が凍結していました。一台の車もすれ違いませんでした。
両側の側溝に滑り落ちないようにゆっくりゆるゆる進みました。


でも、大丈夫、車は冬用タイヤを履いていますし、それに雪国育ちですから・・・

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

国道119号線・道の駅・日光「日光街道ニコニコ本陣」内に「船村徹記念館」はありました。
駐車場は満車でしばらく路上に並びました。


作曲家船村徹、昭和の歌謡界をリードした数々の名曲を知らない人はいません。
春日八郎の「別れの一本杉」、美空ひばり「哀愁波止場」、村田英雄「王将」、北島三郎「なみだ船」、鳥羽一郎「兄弟船」、細川たかし「矢切の渡し」・・・
日本人のこころのうたです。

流しなどで暮らした苦節の時代を経て学生時代に知り合った親友・作詞家の高野公男との初の大ヒット曲が「別れの一本杉」、翌年、高野は26歳の若さで他界。
その後は作詞家の星野哲郎と組んで5000曲にも及ぶ数多くの名曲を世に送り出しました。2016年には文化勲章も受賞されましたが、昨年2月16日に84歳で没す。

3階の展望カウンターから日光連山がきれいに見えました。


       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

金谷ホテルのカテッジイン・レストランでカツカレーの遅い昼食後に東照宮へ向かいました。
天台宗日光山輪王寺で御朱印を頂戴して、いよいよ日光東照宮へ・・・
陽明門も化粧直しが済んできれいになったというので期待しました。


切符売り場へ行くと拝観料1300円とありました。
ちと、高くありません!

       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

今まであちこちの神社仏閣で御朱印を頂戴して来ましたが神社仏閣の境内への入場料を払ったことはありませんでした。

伊勢神宮だって、出雲大社だって、明治神宮だって、高野山だって、比叡山だって、身延山だって、浅草寺だって、神田明神だって、成田山だって、総持寺だって、東本願寺だって、誕生寺だって、永平寺だって、湯島天神だって、豊川稲荷だって、王子稲荷だって・・・

夕方になって寒くなって来たので坂道や階段の雪で滑って転んだりして怪我でもしたら大変です。
早々に退散しました。

ということでパスしてしまいましたので、美しすぎると言われる陽明門の写真はまたの機会に・・・