俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『忙しい、忙しい』

2009-12-31 15:21:28 | Weblog


ついに大晦日となってしまいましたねぇ・・・

師走は何でこんなに忙しいのでしょうか?
時間がいくらあっても足りません。

       ☆       ☆       ☆       ☆

木々の剪定、草むしり、畑道具や肥料などの片付け、落ち葉掃きなどの外掃除。
うちの隣は角地で空き地のため、普通のお宅の3倍の長さの歩道の掃除です。
植木鉢の手入れと、家の中への引越し冬支度。
網戸洗いにガラス戸洗い、車の念入りな洗車、自転車の手入れ・・・

棚の整理、買い足した棚の組立て、部屋の掃除。
大工道具の片付け、物置の片付け、デッキの修繕で使った材木の余りの片付け。
空き段ボール箱を潰してひもで縛る、頂いたお歳暮の保管場所の確保。
お歳暮買出しと送り出し、年末挨拶とお歳暮のお届け。

お墓の掃除と花供え。
仏壇の掃除と磨き物。
正月飾り付け。
お寺参り、お墓参り。

年賀状の作成と宛名書き、写真の整理、自分で撮った写真のカレンダー作り。
ブログ作成のために、行った先々で貰ったパンフレットや資料が決済箱に倍以上山積みになったのの整理、そのためのファイルを百円ショップで購入。
PCの掃除、そのためのウェットクリーニングテッシュとホコリ取りブラシの購入。

カレンダーの取替え、手紙や葉書の整理、雑誌の整理片付け、ゴミ出し・・・
壊れたり、不要になった家電の引き取りは有料で困ったものです。
誰が飲んだのか?カラの酒瓶の多いこと。日本酒、ウィスキー、焼酎、ワイン・・・
一升ビン、四合ビン、ワンカップ・・・300CCビンまであります。

       ☆       ☆       ☆       ☆

干し柿の手入れも結構な時間がかかります。と云うのは、ワイフの実家から庄内柿をダンボール2箱も頂戴しましたので、皮をむいて干し柿にしたのです。200個以上も出来たのです。10個づつ白いナイロン製の縄にT字形のへたを差し込んで軒先に吊るしておきました。干し柿の玉簾が出来ました。

表面が乾いて縮み始めたら、数日毎に親指の腹で軽く揉んでやると、干し柿の中はほぐれて柔らかになります。
踏み台に載って目より高いところに吊るした干し柿を1個1個揉んでいると、親指の付け根の筋肉が凝り固まり大変なのです。

最初は赤いあの大きな庄内柿が1ヶ月もすると南高梅の梅干ぐらいの大きさに縮んで、表面に少し白い粉が噴いた真っ黒な干し柿に上手に出来上がりました。
いやー、うまい! そんじょそこらに無い美味しさです。
バーボンのオンザロックのおつまみにももってこいです。

メジロがやって来て突っ突いているので、何個か梅の枝に吊るして分けてあげました。毎朝8時半には、番いでやって来ます。
小さなクチバシでチョンチョン忙しく突っ突いています。
美味しいものは本当に知っているのです。
この頃はヒヨドリも番いで来て、大喰らいで、フンをたれて迷惑しています。

       ☆       ☆       ☆       ☆

他にも忘年会、写真撮り、自転車、ウォーキング、ドライブ・・・
女房殿の買出しに付き合わされたりと・・・
師走は忙しいのです。
とてもブログを書いているヒマが有りません。

と、この頃サボったブログの言い訳をしてみました。


読者の皆様へ
この一年のお付き合いに深く感謝申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎え下さい!
                   ワルポン



『先取り“今年の10大ニュース”』

2009-12-24 20:42:22 | Weblog
年の瀬も迫り、何かと慌ただしい毎日です。

そんな中で、のんびりと「今年の10大ニュース」を、新聞発表より前に先取りしてみたいと思いま~す。

       ☆       ☆       ☆       ☆

1.“CHANGE!Yes We can!”でオバマさんが黒人で初めてのアメリカ大統領に  就任
2.「おくりびと」がアカデミー賞に選ばれる
3.ワールド・ベースボールで日本が2連覇
4.森光子さんが「放浪記」上演2000回を達成年末も押し迫り、慌ただしい毎  日ですね。
5.裁判員裁判がスタート
6.民主党308議席、自民党119議席で政権交代
7.イチローが9年連続200安打の大リーグ記録達成
8.政権交代し、鳩山民主党首相の誕生
9.ヤンキース松井が日本人初の大リーグMVP獲得
10.石川遼が史上最年少賞金王になる

景気が悪くて暗い世相でしたが、10大ニュースを拾い上げてみると、なかなか明るいニュースが多かったですねえ・・・

来年も良い年でありますように・・・

       ☆       ☆       ☆       ☆

何をのん気な事言ってんだって?
そうそう、外掃除もまだだし、大掃除もやってない、年賀状も書いてない、車も泥とほこりだらけ・・・

で・・・、何かと忙しい暮れなのです・・・



『勝間田の池』

2009-12-20 13:56:26 | Weblog
「佐倉市指定文化財(名勝)」の『勝間田の池』をご紹介いたします。

昭和51年5月20日に指定された『勝間田の池』の所在をご存知無い方は多いと思いますので、道順を親切丁寧にお教え致しましょう。
と云っても、説明不可能の場所にありましたよぉ・・・

       ☆       ☆       ☆       ☆

インターネットを見てみると佐倉市下勝田にあるらしいのですが、詳しい所在地や案内図は有りません。

とりあえず、下勝田へ行って見る事にして家を出ました。
やけに曲がりくねった上り下りの多い道路です。
と、・・・佐倉市を通り過ぎて、八街市になってしまいました。
たまたま通りかかった郵便屋さんに、下勝田までの道順を聞くことが出来ました。

所在地の地図も有りません。カーナビにも出ません。案内標示もありません。
近くには、尋ねようにも交番も、民家もありません。人も居ません。
おまけに、お店は自動販売機です。

広~い畑を行ったり来たりしているトラクターを見つけました。
道路から農道に入って行って、車を降りてトラクターがこっちへ来るのを待っていました。
目の前で方向転回したトラクターに乗った運転手はエンジンを止めて、無言でこっちを見て、「何か用か?」風な顔をしたので『勝間田の池』の所在を尋ねました。

「ん、すぐそこだけど・・・“ん~む”」と云ったきり黙り込んでしまいました。
どう説明したらよいかと、考え込んでいるようでした。
「車で、そこまで行けますか?」といったら、「車は入らない」と云う。

しばらくして、意を決したように、「この先の“佐倉ファミリーゴルフ”の看板が立っているところを入って、突き当りのゴルフ場で聞いてみな。そこへ車を置かして貰って、そこから後は歩きだな」と言った。
「必ず、ゴルフ場に断ってな!」と念を押された。

丁寧に礼を言うと、「ああ・・・」と言って、再びエンジンをかけ、トラクターは次の畝を耕しながら畑の向こう端を目指して真っ直ぐに進んで行った。

小柄で、きゃしゃな、相当に年老いたおじいちゃんです。
小さな背中が、だんだん遠ざかって更に小さくなって行く後姿を見ていると、ちょっぴり淋しさを感じちゃいました。
後継者がいないのかなあ・・・



       ☆       ☆       ☆       ☆

ゴルフ場のクラブハウスのドアを開けると、右手すぐのフロントには女性が一人居ました。
フロントと言うよりは受付カウンターと言うべきか、小さな窓口です。
電話中だったのですが、声をかけると直ぐに切って、「いらっしゃいませ!」と笑顔を向けた。どうやら、客と思ったらしい。

それでも、『勝間田の池』を尋ねると、ハウスの外に出て詳しく教えてくれました。
「車をゴルフ場の駐車場に留めて置いて・・・」とか「下り坂が急なので気を付けて・・・、私も前に行った時、転んじゃったのよ」と親切にご指導を頂きました。

棚田のように並んだミニコースに沿った直ぐ脇の急な山道には落ち葉が沢山降り積もっていて、湿ったところなどは本当に滑りやすい状態になっていました。
一歩一歩用心深く下りました。

うっそうと生い茂った木立に囲まれて『勝間田の池』がありました。
十和田湖みたいに半島が池の真ん中に突き出していて、その先端部の広くなったところに、少し傾いた古い祠が建っていました。 

“みすなしと 聞きてふりにし 勝間田の
           池あらたむる さみだれのころ”
という西行法師(1118~1190年)の歌碑がある。
古来より湧水のため池として、灌漑に利用されてきたと云う。


       ☆       ☆       ☆       ☆

同じ山道を戻る途中のコースには、結構な人数のゴルファーが楽しんでいました。
“ナイスショット”で高く舞い上がったボールが、直接小さなグリーンに落下すると、“コ~ン”と再び高く跳ね上がってラフへ・・・
昼を回っているのにグリーンはカチカチのようでした。

森の中のゴルフ場の前は落花生畑でした。
千葉県は落花生の生産日本一で、全国の76%を占めるそうです。
中でも、八街市から佐倉市にかけてのこの辺りは土壌が適していると云う。
牧歌的な景色に心が和みます。


       ☆       ☆       ☆       ☆

帰りがけに、駐車場に車を置かせて頂いたお礼の挨拶をしました。
「今は枯れ山だけれど、桜のころはきれいよ」と言う。
「ブラックバスが棲んでいて、子供たちの釣りの遊び場にもなっている」らしい。

「9ホール、パー27。平日3000円、土日祝3500円で回り放題。今度、是非どうぞ!」と、しっかりPRを頂きました。

名勝『勝間田の池』への行き方お判り頂けましたでしょうか?
お訪ねの際は是非とも、ゴルフバッグのご用意もして下さいね。



『種(たね)』

2009-12-08 21:26:24 | Weblog
“種”というとナニを連想されますか?

話の種、手品の種の「タネ」は「ネタ」ともいいます。
新聞記事のネタ、寿司のネタは「タネ」とも云います。
逮捕されて取調べで、「“ネタ”は挙がってんだ」と云うせりふは、刑事ドラマでよく聞かされます。この“ネタ”もタネです。

「石川や 浜の真砂が 尽きるとも 世に盗人の “種”は尽きまじ」は、石川五右衛門の辞世です。
この“種”はナニ(盗人のDNA、すなわち精子)でしょうか?

       ☆       ☆       ☆       ☆

「何を云いたいのか、種明かししろ」ってか・・・

いや、失礼致しました・・・
植物の種のことです。

昨晩、うちの窓ガラスに“バチッ”という小石のぶつかる音がしたのです。
「これはプラ弾鉄砲の子供のいたずらだな!」と直感したので、「こら~っ」と怒鳴ってやろうと、すぐに戸を開けて外を見渡したけれど誰もいませんでした。ん?

今朝、庭に出て見ると、縦に割れた藤の莢(さや)の片方が地面にいっぱい落ちていました。
昨夜の犯人は、莢が爆(は)ぜてガラス戸に飛び当たった藤の種でした。

まだ爆ぜていない莢をもぎ取ると、そのまんま短刀にでもなりそうなカチカチの固さです。
その端っこを持って石畳に打ち付けたら、“バチッ”と爆(は)ぜて種が目にも止まらぬ速さでどっかへ飛んで行きました。検証済みです。

すごい勢いです。10mぐらいは飛ぶんじゃなかろうかと思います。
残念ながら、未公認記録です。うちの庭の広さでは確認できません。


       ☆       ☆       ☆       ☆

藤に比べると、たんぽぽの種は優しいですよねェ。
ほんわかした“わたげ”・・・
風に吹かれて舞い上がり、春のそよ風に乗ってふわふわ何処までも飛んで行きます。


モミジの種も優雅です。
プロペラみたいな形です。
風に吹かれてひらひらひらひら・・・舞いながら飛んで行くのです。


       ☆       ☆       ☆       ☆

藤の種が食べられるのをご存知ですか?
香ばしくて美味しいのです。それに精力もつくのです。

昨夜は驚かされたので、仕返しに食べてやるか。

この間のギンナンと一緒に炒って、オンザロックのつまみにしよう・・・

“鼻血ブ~”



『木曽路・馬籠宿』

2009-12-07 18:11:17 | Weblog
木曽路11宿の最南端は馬籠宿で、文豪・島崎藤村の生まれ故郷です。

それでは写真でご覧下さい。

       ☆       ☆       ☆       ☆

妻籠を出て馬込に入ると展望台がありました。
そこから正面に望む恵那山の景色は雄大です。


藤村の「夜明け前」の抜書きがありました。


陽も大分傾いたので、明日、又、来ることにして、今夜の宿のある下呂温泉へ暗くなる前に着くように、出発しました。

途中、通りかかったパトカーのおまわりさんに近道をお訊ねしましたら、親切に教えて頂きました。でも、小一時間はかかると云う。細い山道を急ぎました。
裏木曽街道は谷間の街道です。5時を過ぎるとすっぽりと日が暮れ、真っ暗になって、ようやく宿に到着することが出来ました。

       ☆       ☆       ☆       ☆

翌朝、8時半の出発です。
9時半には再び馬込宿に到着です。

石畳の道


馬籠宿は、なだらかで幅広の尾根なのですが、急斜面になっているため“急坂の宿場町”なのです。


子供が大きな林檎に噛り付いていたので写真を撮ったら、親に言いつけられちゃいました。勿論、英語でですよっ!


息切れする上り坂の石畳が続きます。


街の中程に「藤村記念館」がありました。


「木曽五木」が塀際に植えてありました。向かって左から、ひのき、こうやまき、あすひ、ねずこ、さわらです。
こうやまきだけは他と違うのは判りますが、後は皆同じに見えて区別が付きません。


江戸時代の飛脚姿の郵便屋さんが配達中です。もの珍しがる観光客の記念撮影にも気軽に応じていました。


今、登って来た道を振り返ると、急な坂道だったのが良く判ります。


帰りは下りで楽チンですが、転げ落ちないように気を付けないと・・・


ここから見る恵那山も絶景です。


       ☆       ☆       ☆       ☆

中津川ICから中央高速に乗って、中央アルプスや南アルプス、八ケ岳の真っ白な山並を眺めながら、後は一気に帰って来ました。

駆け足の木曽路観光は、如何でしたか?

五街道を歩いている先輩にお聞きしましたが、「歩かなければ江戸の街道は語れない」と云われました。

木曽路11宿を車で回っただけでも疲れました・・・
五街道を歩いて旅するなど思いもしません・・・  
                      【木曽路シリーズ完】


『木曽路・妻籠宿(つまご)』

2009-12-05 14:00:00 | Weblog
須原宿、野尻宿、三留野宿(みとのじゅく)を国道の上から見下ろして先を急ぎました。
国道19号に別れを告げ、左折して国道256号線に入ると直に妻籠宿である。


       ☆       ☆       ☆       ☆

妻籠宿は奈良井宿とともに国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
馬籠宿まで9kmの道程の中仙道自然遊歩道が整備されていて往時を楽しめます。
格子戸の街並みも見どころではありますが、食べ物も沢山あります。
                      (↓妻籠宿本陣)


五平餅、わらび餅、栃餅、そば羊かん、栗羊かん、栗まんじゅう、栗あんまんじゅう、そばまんじゅう、野沢菜まんじゅう、きんつば、焼き山栗、栗おこわ・・・
街道の旅人も食べたであろう昔懐かしの品々で、贅沢な食べ物など無かった江戸時代の素朴な味が偲ばれます。

腹ごしらえも出来たし、陽も大分傾いたので馬籠宿目指して急ぎました。


       ☆       ☆       ☆       ☆

「名物に旨いもの無し」とは、よく言われますが、中津川の「すや」の栗きんとんは本当に美味しいので是非一度ご賞味あれ!

「迷文にうまいもの無し」と云う声も聞こえて来ますけど、気にしてません。


『谷津干潟』

2009-12-03 20:49:46 | Weblog


もう、12月だというのに、昨日は風の無い暖かな一日でした。

「谷津干潟」には、冬鳥たちが沢山集まっていることだろうと、カメラを背負って行って来ました。

       ☆       ☆       ☆       ☆

「谷津干潟」に行くには、電車では京成本線谷津駅から徒歩5分です。
車だと「自然観察センター」のある駐車場に入るには国道357号線の下り車線からしか入れません。

ららぽーとTOKYO-BAY(旧・ららぽ-と船橋SC)の交差点の次の花輪ICに曲がる「若松」交差点を曲がらずに、800mほど千葉方面へ進んで左折します。
ちょっと、スピードを上げていると見過ごしそうですからご注意を!

谷津公園の中に入ると、山鳩が迎えてくれました。
オナガも枝から枝へ飛び移り、ギャーギャー騒いでいます。
生い茂る木々の合間に開いた良く晴れた青空を見上げると、上空高くチョウゲンボウが小さめの何かの小鳥を追いかけて舞っているのが見えました。

潮の満ち干きもある干潟には、しらさぎ、ゴイサギ、カワウ、それに多くの種類のカモが羽を休めたり、餌を獲ったりしていました。
ゴカイ、貝、カニ、魚などを食べているらしい。



干潟の周囲は一週3.5kmの観察コースになっていて、のぞき窓のあけられた塀を設けた観察場所も何箇所か設置されていました。潮の満ち干きもある干潟には、しらさぎ、ゴイサギ、カワウ、それに多くの種類のカモが羽を休めたり、餌を獲ったりしていました。ゴカイ、貝、カニ、魚などを食べているらしい。

植えられたそんな大きくもない森があるからとは言え、こんなすぐ近くを高速道路や国道が走り、住宅が密集しているのに、沢山の野鳥が生息しているのでした。
鳥たちも多いのですが、ウォーキングのお年寄りたちの多いこと・・・
銀座通りとは云いませんが、地方都市の何んとか銀座は負けちゃいそうです。

       ☆       ☆       ☆       ☆

隣接して「谷津バラ園」が有りました。
そういえば、ここはその昔、「谷津遊園」のあった所です。今ではマンションや住宅になって、すっかり変わってしまいました。


「谷津遊園」のバラ園の「京成バラ園」は、八千代へ引っ越しちゃったんですが、市営のバラ園として残っていたのです。


ところで、ワルポン君、ついに“初体験”しちゃったのです!
初体験と云ったって、早とちりしないで下さいね。
老人割引のことですよ。

入り口に入園料が書いてあります。
高校生以上180円、小・中学生50円、65歳以上90円。
恐る恐る「65歳以上は半額でいいのですか?」と、窓口に声をかけると、「保険証か免許証!」と、年令の証明を求められたが、出す前に券をくれた。

事務的に求めただけだった。
この人もまた65歳以上と思しき窓口のおじさんだ。いや、おじいさんと云うべきか。

ちょい老けた、ちょい貧乏臭い、ちょいケチくさい、ちょい恥かしい・・・
でも、ちょい儲かった、ちょい嬉しい・・・
一度経験しちゃえば、どうってこと無い、あれと一緒だ・・・んっ?

“半額だ!90円儲かったぞ!”

儲かった気分で、その後、サッポロビールの工場に併設されている「千葉ビール園」に寄って、ジンギスカン丼を食べて精力を付けた。


『木曽路・寝覚の床』

2009-12-01 19:47:37 | Weblog


江戸時代、天下四大関所のあった木曽福島から木曽川を下り、木曽ヒノキの集散地である上松宿を過ぎると、木曽一の景勝地「寝覚の床」です。

「寝覚の床」と「浦島太郎」が関係あるのをご存知でしたか?

“知らざあ言って聞かせやしょう!”

       ☆       ☆       ☆       ☆

その前に、「浦島太郎」の昔話をご存知無い方のために、文部省唱歌を歌いましょう。

  ♪むかしむかし、浦島は~、助けた亀に連れられて~
      龍宮城へ来て見れば~、絵にもかけない美しさ~♪
  ♪乙姫様のご馳走に~、鯛や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)~
      ただ珍しくおもしろく~、月日の経つのも夢の中(うち)~♪
  ♪遊びにあきて気が付いて~、お暇乞(おいとまごい)もそこそこに~
      帰る途中の楽しみは~、土産に貰った玉手箱~♪
  ♪帰って見れば、こは如何に~、元居た家も村も無く~
      路(みち)に行き会う人々は~、顔も知らない者ばかり~♪
  ♪心細さに、蓋取れば~、開けて悔(くや)しき玉手箱~
      中からぱっと白煙~、たちまち太郎はお爺さん~♪

       ☆       ☆       ☆       ☆

「浦島太郎」と「寝覚の床」の関係、「浦島太郎」の“後日談”です。

《 昔、丹後の国竹野郡浦島というところに、水江という領主が住んでいました。この息子に太郎という少年がいました。ある日小舟で沖に出た太郎は、大きな白亀を釣り上げました。お供の者が亀をなぐり殺そうとしたので、太郎はそれを止めて、亀を海へ放してあげました。

太郎が家へ帰ろうとすると、一人の美しい少女がどこからともなく近づいてきて、「私は先ほどの亀です。助けていただいてありがとう」と礼を述べ、太郎を常世の国龍宮城へ案内しました。

たいそうなもてなしを受け、月日の経つのも忘れて遊んでいた太郎は、ある日故郷を思い出し、龍王にいとまごいを申し出ました。龍王は弁財天の尊像と、万宝神書を一巻、そして決して開けてはいけないという玉手箱を渡してくれました。

太郎が故郷へ帰ってみると、見知らぬ人ばかりで、「浦島太郎といえば、三百年ほど昔、沖に出てそれきり帰らぬ人」と近所の人に語られていたのでした。親兄弟はもちろん誰一人知るものが無く、淋しさに耐えかねた太郎は、諸国の旅に出ました。そして、たまたまこの美しい里に足を止め、その景色が気に入り、住みついたのでした。

ある日太郎は、龍宮での生活が忘れられず、「今、一度」と貰ってきた玉手箱を開けてみると、立ちのぼる白煙とともに白髪の翁となりました。「ああ、今までの事は夢だったのか」と目覚めたことからこの地を、「寝覚め」といい、床をしいたような岩を見て、人々は「寝覚の床」と呼ぶようになりました。

その後翁は、天慶年間にどこへともなく立ち去ってしまいました。立ち去った後の床岩の上には弁財天の像一体が残され、これを祠に祀って建立したのが現在の臨川寺といわれています 》
(「レストハウス木曽路」内の説明板・「浦島太郎伝説」から転記させて頂きました)

(注)天慶年間とは、西暦938~947年です

       ☆       ☆       ☆       ☆

レストハウス内のお土産物売り場で、おじいさんたちが漬物を試食していました。
「旨いから食べろっ!」と箸でつまんでワルポンの手に勝手にのせてくれた。
かなり、訛っていたので、「栃木けっ?」と、昔一年ほど住んだことのある栃木弁で訊いたら、「会津だ」と云う。

「この間、会津の大内宿へ行って来たよ」と云うと、「んだ、おらほの方がもっといい」と、宿場の自慢をした。
「塔のへつり」の方がよっぽどいい」と、今度は「寝覚の床」と比較した。
「紅葉だって、会津の方がキレイだ」

「観音沼へ行ったことあっかい?」と聞いてきたが、知らないので何処にあるか聞いたら、「知らねえのか?下郷にあるべよ、観音沼の紅葉は日本一だゾゥ!」
「漬物だって会津には敵わない」、「南山通り(会津西街道)の方がいい」「鶴ヶ城もある、磐梯山だって、猪苗代だって・・・、・・・」と、お国自慢が尽きない。

「ここは木曽路だよっ!」と、言おうと思ったが言わなかった。
だって、あのおじいさんの一団は、会津観光案内の回し者だったに違いない・・・