俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『狸』

2008-04-29 21:59:46 | Weblog
たんたんたぬきの きんたまは~ かぜにふかれて ぶーらぶら♪
それをみていた かみさんは~ とうちゃん いいものもってるね~♪

書き出しから、突然、唐突に、変な歌を披露しちゃってごめんなさい。
この手の話のお嫌いな方は、これより先は読まないで下さい。ばかばかしいですから。

このところ、ワルポンのブログで、きつねの話が続きましたので、「化かす」ことの一方の雄である狸を取り上げないわけにはいきません。
ばかばかしいことを書き連ねるだけですから、馬鹿にされた、化かされたと怒らずに、ご容赦下さいませ。

☆       ☆       ☆       ☆

信楽焼きの狸の置物のおなかも大っきいけど、「きんたま」は、実に立派ですよねェ。
驚くなり、感心するなり、うらやましくなるなり、がっかりするなり、身を縮めるなり・・・
ご同輩、そんなに落ち込まないで下さい。たちうち出来る人なんて、まず、いませんから・・・

国語辞典で「きんたま」を引くと金玉、睾丸、陰嚢(いんのう)、ふぐりと、あります。

狸の置物の「きんたま」の大きいのは、金の玉が入った袋がでかいこと、つまり、金銭、財宝が沢山ザクザク入る縁起物なのです。

インターネットで信楽焼きの狸の置物のPRを見てみますと、狸の置物についての「八相縁喜」がありました。

概略を書いてみますと、狸の被っている笠は悪事・災難を避けるため、目は前後左右に気配りし正しく見る、顔は愛想を第一に、大きい腹は決断力・大胆さ、手に持つ徳利(とっくり)は飲食足りて徳を持つ、通(かよい)は信用第一、金袋は前述の通り、尾は終り大きくしっかりと、の八相を持っているとのこと。

招福家内安全円満商売繁盛の福狸なのだそうです。

☆       ☆       ☆       ☆

狸は、けもの偏に里と書いて、その字が示す通り人里近くに住んでいて、人間との関わりも昔から深いようです。
最近でも、都会の庭にエサを求めて毎晩のように現れるタヌキのニュースを見ますけど・・・

館林・茂林寺の分福茶釜の狸は、恩返しをする善い狸ですよね。
坊ちゃんの狸は校長のことで、善い印象はありません。
かちかち山の狸はどうにもならない悪い奴です。

いったい狸はどんな奴、いい奴なの?

徳川家康は、戦略家、軍略家、謀略家で狡猾と言われ、あだ名は狸爺とも呼ばれていたそうな。
狸爺には、善いイメージがありません。

ところで、ワルポンはいい奴?悪い奴?
あそこは駄目ですが、お腹だけはタヌキに負けません!

ワルポンも年と共に頑固で融通が利かないし、だんだんと狸爺などと云われているかも・・・




『きつねの嫁入り』

2008-04-28 23:59:59 | Weblog
狐は、人に憑(つ)いて狐憑きにするとか、人を化かすとか、昔から云われていますけれど、キタキツネなどを写真などで見たりすると、そのしぐさなど、可愛いところがあります。

昨日、野田の清水公園へ、つつじを見物に行ったのですが、広い公園をひとしきり歩いて、のどが渇いたので、茶店((ちゃみせ)に寄りました。

お店は、お婆さんが一人で留守番をしていました。
茶店は、立派な庭付きの家屋につながっていて、清水公園の中にあるので不思議に思い、「ここにお住まいですか?」と聞くと、代々住んでいるとのこと。
「瓦屋根の立派なお宅ですねェ」と言うと、「地震が来たら重くてつぶれちゃうよ」と、謙遜とも、本気とも付かぬ返事。

客は我々だけだったせいか、ちょっと話しかけただけなのに、問わず語りにいろいろと話をしてくれた。

公園が出来た当時から先祖は住んでいたこと。
戦後間もなく、すぐ近くの村から嫁いで来たこと。
当時のこのあたりは淋しくて、夜は深閑として、「昔は狐が居たのよ」と言う。

ある夜、村の会合があって、会議の時間になっても来ない人がいたので、外に出てみると、林の向こうで灯かりが行ったり来たりで、さっぱりこっちへ来ない。
当時は、灯かりといえば提灯で、木の葉隠れに、うろうろ、ゆらゆら・・・していて・・・
大声をかけると、やっとこちらへ駆けて来て、「狐に化かされて木の周りをぐるぐる回っていた」そうだ。声をかけてくれなかったら、狐は開放してくれなかったかもと・・・

今の公園の「花のファンタジー」のある辺りから江戸川の堤防までは、当時、大きな沼になっていて、貸しボートが浮かんでおりました。
休日などの日中には、ボートはいつも出払って、乗り場は沢山の人出で賑わっていました。

ところがある日、陽が西に沈んでも、一艘のボートが帰って来ませんでした。
盗まれたか!
翌朝、向こう岸で転覆したボートが発見され、人も浮かんでいた・・・

狐は悪さをしても、人懐っこい、いたずらの範囲内でのこと。
事件は単なる酔っ払いの事故だったらしい。

お婆さんの話は更に続きそうだったが、もっと怖い話になりそうだったので退散した。

☆       ☆       ☆       ☆

狐に扮した装束で、結婚すると幸せになるという「きつねの嫁入り」の風習は全国各地にあるようです。


昔、夕餉(ゆうげ)の支度で煮物や御御御付け(おみおつけ)を作る時など、つるの付いた鉄の鍋を使いました。

夕暮れ時の薄暗がりの中で、囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)に鍋を掛け、薪を焚きながら真っ黒の鉄鍋を見つめていると、一瞬、星屑のようにピカッと光るのです。鍋の外側に付いた煤(すす)が燃え尽きる瞬間に、ほんとに小さく輝くのです。

ピカッ、ピカッ、ピカッ・・・

光る時間の長さは、「ピカッ」では長すぎる、「チカッ」かな、それでも長すぎで、「チッ」ぐらいの瞬間的な輝きです。
まるで小さな提灯行列をしているように、次から次と光るのです。

「きつねの嫁入りよ」と母の声・・・


何か良いことがありそうな・・・子供心に思いました。

翌日は晴天です。

『野田・清水公園』

2008-04-27 22:17:00 | Weblog
ゆっくりとした日曜の朝を迎え、寝床からそっと這い出すと、外は小雨模様の肌寒い空でした。

「天気予報は今日もハズレかな」と思いつつ、着替え、洗顔、朝御飯に、いつもより時間をかけて済ませたのでしたが、時間がゆるゆると経つとともに雨も上がって、いつの間にやら、穏やかな春霞となり、薄日がさして暖かな、もったり、のどけし日和となりました。

家の前の植え込みのつつじも昨日今日と咲き始めていたのですが、開花も一層進んだような、ほんのりした心地にさせてくれるような、春のお天気になりまして・・・


去年、桜を見に行った野田の清水公園に、つつじを見に行こうかということになりまして、早いお昼をとっての出発・・・

国道16号線は、いつになくスーイスイ、飛行船にでも乗っているようにスーイスイ。

☆       ☆       ☆       ☆

ゴールデンウィークとあってか、駐車場は一杯でしたが、たまたま無料の駐車場に一台のスペースが空いていましたので、すかさず駐車しました。

公園内は老若男女の沢山の見物客であふれておりました。
フィールドアスレチックは親子連れ、友達連れで一杯でした。
つつじは、まだ咲き始めたばかりでしたが、見事なお庭の散策でした。

清水公園は、キッコーマンの一族の経営する㈱千秋社という民間企業経営の公園で、明治27年(1894)に茂木柏衛翁が建設した庭園。
その後昭和4年、林学の大家である東京大学名誉教授本多靜六博士の設計によって約28万m2の自然公園に拡張されたそうです。

茶店のお婆さんが云うには、昔はこの辺に狐が棲んでいて、狐に化かされる酔っ払いも随分といたそうな?
そんな話も納得できそうな自然公園です。

公園にはソメイヨシノなど桜2,000本、つつじ2万株、もみじ800本を始め、アスレチック、キャンプ場などの施設も充実していて、四季折々一年中家族連れで楽しめるのが魅力。
入園無料(駐車場は有料、普通車が500~800円/台)。
金乗院、仁王門、聚楽館、重要文化財の旧花野井家住宅などの旧跡も楽しめます。

☆       ☆       ☆       ☆

野田市は醤油の町です。大正6年、茂木六家と高梨家、堀切家が大同団結して野田醤油㈱(現キッコーマン)を設立。

「茂木本家美術館」には、葛飾北斎、歌川広重、東洲斎写楽等の浮世絵、横山大観をはじめとする富士山の絵など・・・中でも、梅原龍三郎の「鯛」は圧巻!
我々だけのために、若い美人のお嬢さんが一緒に回って、建物の構造、展示の絵画や、そのいわれなど、親切丁寧にご説明を頂きました。
本家邸宅と地続きの「お稲荷さん」のあるお庭の散策も出来ました。


春の一日、本当にのんびりと、ゆったりと過ごせました。



『お稲荷さん』

2008-04-26 00:00:32 | Weblog
文京区駒込にある郷里の東京の学生寮に、お稲荷さんのお社を改築した話を2月に書きましたが、今回は、そのお稲荷さんについて書いてみます。

豊川稲荷や伏見稲荷は、ご存知のない方が無いぐらいに有名ですが、全国には32,000社という稲荷神社があるそうです。
会社やお店、個人のお屋敷にも、祀っておられますから、その総数は数え切れないほどらしいのです。

おいなりさんと聞いて、いなりずしを連想される方は、やはり食いしん坊ですねぇ。

☆       ☆       ☆       ☆

むかし昔、天竺(インド)に「金毛九尾の狐」という妖怪狐がおりました。尻尾が九本あり、全身金色の剛毛で覆われていました。
妖怪狐は、美しい女性に化け、王様に近づき取り入って、世を乱し悪さの限りをつくしたということで、追われて中国に逃げました。

中国でも女性に化け、皇帝に近づき悪さを続けたために追われて、朝鮮半島を通って、日本にやってきました。

今から800年ほど前の鳥羽上皇の御世です。
この妖怪狐はやはり女性に化け、朝廷に仕えて日本を亡ぼそうとしましたが、その正体を見破られ追い詰められて、那須野ケ原(現在の栃木県那須町湯本)へ逃げて「大きな石」に化けました。

ところがこの石は毒を放つ石で、近づくものは全て死んでしまいました。
近づく熊や鹿、サルやウサギなど、上空を飛ぶ鳥さえも、人も毒気に当てられ死んでしまったのです。

人々は「殺生石」と呼んで、恐れて近づきませんでした。

それを伝え聞いた能登・総持寺の玄翁禅師(げんのうぜんじ)は、呪文を唱えながら、「殺生石」を錫杖(しゃくじょう)で叩いて、こなごなに壊し、毒気を抜きました。そして、拝めば何事でも叶う「石」に変えたのです。
(金槌のことをげんのうというのは、玄翁禅師から来ていると言われています)

それから玄翁禅師は、各地に寺を建て、併設して、この「石」を祀った稲荷神社も建てたのです。

☆       ☆       ☆       ☆

豊作祈願、大漁祈願、社運隆盛、商売繁盛、安全祈願、開運招福、心願成就、学業成就、合格祈願、就職祈願、交通安全、海上安全、家内安全、方除厄除、引越魔除、夫婦円満、交際円満、恋愛成就、良縁成就、復縁祈願、子宝祈願、安産祈願、縁切成就、無病息災、身体堅固、病気回復、当選祈願、諸願成就・・・

拝めば叶う、非常に御利益のある霊験あらたかな神様なのです。

仏教の教えを広めるのに、お経(経典)は漢字ばかりで長いし、難しくて覚えられません。
説教も長いし、難しくて理解できません。

拝むだけで何でも願い事が叶う「お稲荷さん」は判り易く、我々一般大衆には大変頼りがいのある神様です。
それに伴い仏教も日本全国に広まっていったのです。

「お稲荷さん」は、仏教を広めた神様でもあるのです。


『放浪の旅』

2008-04-18 22:50:17 | Weblog

人類は、定住生活をしている農耕民族と、定住生活をしていない狩猟採集民族や遊牧民族に大別されるという。

先ごろ、先輩のブログで、「寝てばかりいる賢人より、放浪する愚人」というモンゴルのことわざがあることを知りました。

《 「寝てばかりいる賢人」というのは、文字どおり寝てばかりいる怠け者のことではなく、どこかに定住し、本を読んだり瞑想したりしている知識人のこと。(中略)そんな賢人よりも、あちこち旅して放浪する愚人のほうがよいとする、モンゴルのことわざ。(朝日新聞2001年9月2日・日曜版「旅のことわざ」より) 》

日本人は「かわいい子には旅をさせよ」などと云いつつ、定住しないと、一方では「腰の落ち着かない奴」などと馬鹿にしますし、放浪癖があり住所不定者などはさげすまされます。

☆       ☆       ☆       ☆

人間の目が物を見る時に、網膜に画像を写すために、物までの距離に応じて水晶体の厚さを毛様体筋の働きによって調節して焦点を合わせています。
毛様体筋の働きが開放されて弛緩の状態になるには、物までの距離は、6m以上必要らしい。カメラで云えば、∞の状態です。

目の疲れや近眼にならないために、いつも6m以内に視線をさえぎる障害物を置かないことと、遠くの山を見て目の疲れを癒すことを子供の頃から教えられました。
日本での目の検査では、視力が2.0までしかありませんが、アフリカの砂漠には、視力4.0の人たちも多いそうです。

☆       ☆       ☆       ☆

我々、極小家屋の住人にとって、家の中に居ると6m以上の視界が取れる部屋は、なかなかありません。
ワルポンは部屋の中に居ると、なんか牢屋の中に拘束されているような気分になって、圧迫感を受けて我慢なりません。

それで、休日に家の中でごろごろしていることが出来ずに外へ出かけます。
車や自転車で、一日中出掛けることになります。

西行や芭蕉が旅に出た気持ちが判ります(本当は何も判っていませんが・・・)
「こんぴら参りの森の石松」や「ふうてんの寅さん」が旅に出た気持ちが判ります(こちらは少し似ているかも・・・)


春の~ うら~らの 隅田川~♪
ブルーシートの方々も、這い出して来てベンチで気持ちよさそうに横になり・・・行き交う舟を横目で眺めては・・・又、こっくり・・・

外はいいぞ~! 生き生きするよ! 放浪万歳!


愚人と云われようとも、 筆記用具とカメラを持って・・・

この週末は何処に行こうかなぁ・・・


『幸福』

2008-04-16 23:30:54 | Weblog
「幸福切符」というのがあったことをご存知でしょうか?
昭和50年代に、ユニークな駅名が、「縁起切符」としてブームとなったのです。

〔その1〕
旧日本国有鉄道・広尾線は、北海道の帯広駅と広尾駅を結んでおりましたが、1987年に国鉄改革で残念ながら廃止されてしまいました。
その広尾線の途中に、愛国駅と幸福駅があり、「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで有名になり、しあわせを求めて、幸福行きの切符が年間に300万枚も売れたのです。
今でも当時の駅舎が保存され、「鉄道公園」として親しまれているそうです。(所在地は帯広市幸福町東1)

〔その2〕
JR東北本線・宝積寺駅から烏山駅まで、烏山線(栃木県)が走っています。
沿線には「大金駅」と「宝積寺駅」があり、この区間の切符も、「大金を持って宝を積む」などと、来福・招福の縁起を担いで密かなブームとなりました。

〔その3〕
千葉県にある銚子電鉄の「合格祈願切符」。
「銚子駅」から次の「本銚子駅」行きの切符は「本調子になる」、「本銚子駅」発「上り銚子行き」の切符は「上り調子になる」と、小学校受験から大学受験まで、合格の栄冠を勝ち取れる「運」が付く切符らしい。

☆       ☆       ☆       ☆

ワルポンも縁起を担いで切符2枚を、いつも財布に入れております。

一枚は、旧名・営団地下鉄の一日乗車券で、発行日が平成の「11.11.11」の1だけが並んだ切符。

もう一枚は、乗車日が11月1日、列車名がのぞみ111号、座席番号が11号車11番E席の印字のある切符で、東京→京都間のJR新幹線に乗った時の特急券です。
1が実に10個も並んでいて、しかも「いい席」なのです! 

すごいと思いませんか?すごいですよね! 
持ってると、宝くじにでも当たりそうな・・・

「只の紙屑だよ、それが何だよ」という声も聞こえてきます。
でも、ワルポンにとっては、何か宝物に見えてきて、そのうち好い事がありそうな、幸福(しあわせ)な気分になれるのですぅ!

「極楽トンボ」・・・?
これも幸福(しあわせ)な奴って云うんですよね!

皆様の嘲笑に耐えて、ご開帳いたします!


   《 写真貼り付けの予定 》





『吉高の大桜』

2008-04-13 23:33:52 | Weblog
「吉高の大桜」は、実に、見事に満開でした!(2008/4/12)


その存在を、知らない方は知らないと思いますので、簡単に説明いたします。

所在地は千葉県印旛郡印旛村吉高930番地。
吉高にある農家で、二十代続く須藤家の所有。
樹種はヤマザクラ(品種は江戸錦)で、幹周り(目通り)6.7m、枝葉東西24m・南北26.8m、樹高約12mの稀に見る巨木。村の天然記念物。

土地の白寿の古老の話では、「樹齢400年と、子供の頃に聞いた」とのことで、さすれば樹齢500年と云うことになるのだが、定かでは無いらしい。年齢不詳。

菜の花の黄色と競い合うようにピンクの桜が満開でした。(例年も12日が満開)
大きな饅頭のような形で、畑の真ん中に一本だけで立っています。
古墳のように一段高く盛った小山の上から、木肌の黒い幹が曲がりくねって枝分かれしながら天空にのびている。花もすごいけれども、幹もすごい!

見物の老若男女、乳飲み子、わんこまで、大勢の人、人、人・・・

☆       ☆       ☆       ☆

しばらくの間、見とれていましたが、「花より団子」と、近くの「峠の茶屋」へ・・・
ここは竹の子の産地、近くの竹林で取れたての竹の子を使った竹の子御飯、竹の子の味噌汁が売り! が、しかし、すでに長蛇の列!
今度にすると、あきらめた。

数百メータル下がったところに、吉高の主婦たちの情報発信基地の場(昔ながらの井戸端会議が出来る場所)「さくら広場」があり、お茶のサービスもあって無料開放されておりました。
ここで買い求めてあったコンビ弁当をひろげた。

ここは、戦後まもなく建てられ、3年前まで駄菓子屋として使われていた平屋の建物で、梁や電線がむき出しで、昭和レトロの香りが漂う懐かしい佇まいでした。

「さくら広場」は進藤兼人監督の映画「三文役者」のロケに使われたこともあるという。その映画は進藤監督と人生を共にした殿山泰司の破天荒なその人生を映画化したもので、竹中直人、波野久里子らのロケハンの写真が飾ってありました。映画ではお酒も一杯やれる店で、昭和の日本の本当の田舎の味が出ていましたねぇ。

帰途は、ここから北印旛沼に出て、印旛沼サイクリングロードを追い風に乗って帰りました。

走行距離32km。ワイフは家に帰り着くと、ダウンです。
ワイは平気!



『県境の山』

2008-04-10 23:37:47 | Weblog
営業で客先をご訪問していると、いろいろの話が出るものです。

商売の説明とお願い事をすることは、年季も随分と経っているワルポンにとって、比較的すらすら、滔滔(とうとう)と、時々の話題も交えながら営業言葉で話すことが出来ます。

ワルポンが山形の庄内出身であると云うと、必ずや、お米やお酒の話になります。
観光地では出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)や酒田の山居倉庫、本間様、温泉の話となり、自然の話になると、最上川や庄内砂丘、鳥海山の話になることが多いのですねェ。

☆       ☆       ☆       ☆

今日も鳥海山の話になりました。

山の高さは2,237m(夫婦で見な)。出羽富士と呼ばれていて、海から山頂までの距離が15kmしかないので日本一高さを感じる山だ。朝日が昇ると日本海に鳥海山のシルエットを映し出し、「影鳥海」が浮かぶのです。山形県と秋田県の県境の山・・・
当然、会話は順調に弾みます!

「ところで山頂は山形県?秋田県?」と聞かれ、言葉に詰まってしまったのです。
「いや~ぁ、県境じゃないですかね」と、全く確信が無いのに、それも自信無げに答えてしまいました。

人間、底の浅さを恥じ入るばかりで、退散しました。

☆       ☆       ☆       ☆

ネットで調べたら、鳥海山の山頂は新山で、山形県でした。

ついでに、蔵王も見てみたら、蔵王と云う山は無くて、蔵王連峰と云って、山形と宮城の県境ですが、主峰の熊野岳(標高1,841m)は山形県でした。

八溝山(標高1,022m)は茨城、福島、栃木の県境に位置していますが、山頂は、栃木県までは1kmほど離れており、福島、茨城の県境にあります。
山頂の八溝嶺神社は茨城県大子町にあり、茨城県内での最高峰です。

☆       ☆       ☆       ☆

しからば、日本一の高さの富士山はどうでしょうか?
標高は3,776m。山梨県と静岡県の県境に位置しています。(誰でもご存知ですよね)
どこから見る富士山が一番きれいか?「甲斐で見るより、駿河よい・・・三島の女郎衆」とは、云われておりますが・・・?

富士山の山頂は山梨?静岡?
富士宮市の富士山本宮浅間大社の飛び地境内になるそうですが、県境は決まっていないとのこと。
郵便物の取り扱いは、富士宮郵便局の管轄だそうです。



以上が、ワルポンの数少ない登った県境の山々です(富士山は途中まで)。

あとは、吾妻連峰、乗鞍かな?

そうそう、高尾山と筑波山、鋸山にも登りました。
(登山の範疇に入らないか・・・)



『福』

2008-04-06 21:40:37 | Weblog
「福」を国語辞典で引くと、「幸い。しあわせ。家庭の経済が豊かなこと。幸運」とありました。

福相、福耳、福々、福の神、福運、福だるま、福音、幸福、至福・・・
福の字の付く言葉って、多いものですね。福が付くと何となく幸せな気持ちになります。(・・・福田総理にも、そう願いたい)

宝船は、縁起物で七福神が乗り込み、いろいろの宝物を積み込んだ帆掛け舟のことで、正月二日に、その絵を枕の下に入れて寝るとよい夢を見て、よいことが起こると云われています。絵には「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」(長き夜の、遠の眠(ねぶ)りの皆目覚め、波乗り船の音のよきかな)という回文歌なども書いてあります。

七福神とは、恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人の七神で、福徳をもたらす神として信仰されていて、正月には七福神めぐりなどが各地で行われます。

福袋は余興や正月の初売りなどで、いろいろな品物を入れて封をして、選び取ってもらう幸運の袋です。
招き猫やだるま、福助、ふくろうなどは福を招く縁起物として人気があります。

お多福は「おかめ」とも云いますが、お多福豆や餅、蕎麦、お酒、おでん、お好み焼き、旅館・・・などなど良い名として親しみを持って、広く使われています。
でも、お多福風邪はいけませんが・・・

子供の頃の正月には「福笑い」をやりました。目隠しをして、お多福の顔の輪郭だけを書いた台紙の上に、眉・目・鼻・口の形に切り抜いた紙を置いて、うまく置けたかどうかを競ったり、へんてこりんな出来上がりを楽しんだものです。

お多福のおでこが広いのはおおらかさを、ほっぺが高いのは包容力を、鼻の低いのは謙虚さをあらわしていて、目は優しくて、口もとにはいつも微笑をたたえていて、理想の美しい日本女性の顔をしているといわれています。

☆       ☆       ☆       ☆

福山多美子さんは福ちゃんと呼ばれて、みんなに愛されておりました。
会社の女性では、福ちゃんはただ一人の独身でしたから、若い人たちからも好かれていました。
老人に近い高齢社員は、概してパソコンの操作に弱いので、パソコンのキーを叩いてわからなくなると、福ちゃんに教えてもらっておりました。
日に何回もお願するのに、嫌な顔一つ見せずに親切に教えてくれました。

正に、みんなのマドンナだったのです。


ところが、ある日突然、以前、会社にいて退職した角ちゃんこと角川五郎と、福ちゃんが結婚することになったのです。
角川五郎などという名の、二枚目の俳優ともつかず、お笑い芸人のような名前に惹かれたのか、福ちゃんは結婚しちゃったのです。

角ちゃんは、何の断りも無く、何の挨拶も無く、福ちゃんをかどわかして飛鳥山に連れ去ったのです。
みんなのマドンナをですよ・・・福ごと持って行ってしまったのですから・・・
角ちゃん、カドが立ちますよ!

☆       ☆       ☆       ☆

「禍福は糾える縄の如し」といわれますが、「福」しかない方もおられます。

福ちゃんのお母さまは「福山福子」さんとおっしゃると、福ちゃんにお聞きいたしました。
福の山盛り、てんこ盛りで、七福神がフルメンバーで乗ってお宝満載の宝船、パンパンにはちきれんばかりの福袋のような方ですよね。(お目にかかったことはありませんので、体形までは存じ上げません)

でも、お母さまご本人は、「福」てんこ盛りの名前を恥ずかしがって、会員証へ記載の名前には多美子(福ちゃんの名前)と、偽名を使っているそうです。


福ちゃんも、角川姓になって「カド」が立つような名前になってしまって・・・下の名前は、母子で取り替えて、ダブル偽名で「福子」を名乗った方が良いのではないかな・・・?

そしたら、永遠に「福」ちゃんで居られるし・・・