俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『お稲荷様の遷座式』

2008-02-23 22:42:48 | Weblog
今日は遷座式なるものに出席して参りました。

郷里の育英会の学生寮が駒込にあるのですが、古くなったので建替えることになり、着工から10ヶ月、関係者の皆様のご努力で、このほど完成したのでした。

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その敷地内にお稲荷様が鎮座しておりましたが、寮の建替えに伴って、お社も新設することになったのです。

ワルポンの勤める会社の創業者が昭和55年に「改修奉納」したと、台座に取り付けられた銅版に銘が刻んであったので、寮の理事会から再改修も御願いしたいと申し越しがあり、当社の社長も会社幹部も日頃から神仏には信仰が厚く、二つ返事でお引き受けすることになったのが1年前でした。

最年長で、一番暇そうな窓際族のワルポンに白羽の矢が立ち、担当することになりました。(言い訳をすると、本当は毎日忙しいのですが、暇を作るのが上手なだけなのですけど・・・)

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段取りは次の通りです。
・ 現場の下見
・ 関係者からの聞き取り調査
・ 理事会の要望聴取(全面立替、現在のものより立派に見えること等・・・)
・ 基本構想の設定(お社の構成、大きさ、用いる材料、予算等・・・)

・ 調査(稲荷神社、お社製作、台座製作、鳥居製作等・・・)
・ 図面の作成
・ 見積徴集と予算組み
・ 設計管理者、元請との打合せ
・ 工程表作成(完成目標の設定)

・ 決済伺い(会社の決済、理事会の了解)
・ 部材製作者の調査
・ 部品、部材の発注、製作手配
・ 進捗管理

・ 工事段取り
・ 元請との出会い丁場調整(施工の範囲と工程調整)
・ 搬入・工事計画と手配、段取り
・ 完成検査

完成までに、どれだけの会社のみんなが参加し、協力したことだろう。
仕事の合間に、仕事を別にして協力し、助け合って進めてきた結果として完成をみたのです。

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北区中里の高台に新しくお目見えした学生会館としての建造物は、文教的な色彩の濃い高級住宅街にも溶け合って、正に設計者の意図した通りに、周りの環境になじんだ雰囲気を醸し出すことに成功して、堂々とたたずんでおりました。

その敷地の一角の通りに面した大欅の根元に新しいお社が小さいながらも完成したのです。道行く人々も思わず手を合わせたくなるような風格のあるお社です。

この1年の間、地元の王子稲荷神社にお預かり頂いたご神体は、真新しいお社にお移り頂いて、厳かに遷座式が神主により執り行われ、鎮座ましました。

この学生会館に新しく迎え入れる若者たちの未来を、地元の町の人々を、通りかかる多くの人々を、あたたかく見守って下さることでしょう。


2月23日大安 
この日、春一番が吹きました。




『花畑に遊ぶ』

2008-02-17 12:54:56 | Weblog
ワルポン先週の3連休の中日の日曜日に千倉に花を見るために出かけました。

JH・館山道は混雑していて、富津の先が7km渋滞の表示が出たので、富津ICで高速を降り、国道127号線を下った。
いや、上ったかな?
◆       ◆       ◆       ◆
《 昔の日本は京の都を中心に上り下りでありました。国の名前も、例えば越前・越中・越後とか、備前・備中・備後、また、肥前・肥後、羽前・羽後、上野(こうずけ)・下野(しもつけ)などと京から近い順に、前・中・後、上・下と名づけられていました。ところが、この千葉県は上総(かずさ)、下総(しもうさ)と京に近い方が下(しも)で、遠い半島の方が上(かみ)です。当時は船の航路の方が陸路よりも早く便利であったため、房総半島の先の方が京に時間的に近かったためと云われています 》
・・・小学生でも知っていることを、長々と講釈を申し上げてしまい大変失礼いたしました。
◆       ◆       ◆       ◆
渋滞区間が過ぎたあたりの竹岡ICから再び高速道に入ったのですが、すぐさま、また、終点の富浦で6kmの渋滞の表示が出ていたので、鋸南富山ICで再び降りて、127号線へ。
ストレス解消にドライブしているのに、これでは逆にストレスが溜まります。

館山道は暫定一車線での開通、こんなことでは夏の海水浴シーズンにはどうなることやら・・・
大体、道路建設に当たって、どんな調査をして計画を立てたのか、誰が決定したのか、将来見通しはどうなのか、今後の二車線化建設計画はどうなっているのか。

道路特定財源問題で揺れる国会議員の先生方も、開通したばかりなのに渋滞だらけの観光高速道路の実態把握をしてから議論してくださいな!
でたらめ計画も調査してください!今後の渋滞解消計画も聞かせてください!

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逆に、国道はガラガラに空いていて、程なく127号線バイパスの舘富トンネルを抜けると、突然に、整然と並んだヤシ科樹林と菜の花が目に飛び込んできて、ぱあーっと明るくなりました。
南房総に着いたんだ!
こうして館山市に入ると中央分離帯に植えられた菜の花の黄色い帯が、「ようこそ、いらっしゃいませ」とばかりにあたたかく出迎えてくれました。

白浜に出ると、太平洋の海の碧さや空の大きさ、岩に砕ける波しぶき、磯の香りに感激し、海辺に沿って車をゆったり走らせ、右に左に揺られているうちに千倉の花畑に着きました。

カラフルなポピーやキンギョソウ、ストック、黄赤色の金盞花が区画毎に植えられて、まるで千代紙を敷き並べたように、辺り一面、向こうの山裾まで、夕陽を浴びて見渡す限り広がっていました。
その夕陽が西の山に隠れるまで、ぼーっと何も考えずに花畑を眺めていました。
心の洗濯、心が洗われるとは正に、このことでしょうか。

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帰途、千倉の名物「鯛焼き」を買い求めるべく市街地の細い道を通り、やっとくだんの店にたどり着いたら、今日は売り切れたと言う。

尻尾の先までぎっしりとあんこの詰まった海草入りの鯛焼きなのに・・・
いつも楽しみにしているのに・・・
千倉にやってきた人はみんな買って帰るのに・・・  ぶつぶつブツブツ・・・
高速道の渋滞が無ければ買えたのに・・・


JHの館山道一車線の計画した者と、それを決定した奴は誰だ!

食い物の恨みは恐ろしいぞ!




『雪が下から降ってくる』

2008-02-16 01:16:48 | Weblog
今週の日本は西高東低の冬型の気圧配置で、気圧の差を示す気圧の等圧線も経度線に沿って、縦に細かくいっぱい立っていました。
このような時には、太平洋側は晴れているものの、日本海側の各地は大雪で大荒れの天候となるものです。

14・15日と山形の庄内に出張で行って来ました。

12日は飛んだ飛行機も、13日は欠航続きでしたので、14日は飛ぶか飛ばないかヒヤヒヤものでしたが、無事飛んで、ほぼ定刻通りに庄内空港に下り立つことが出来ました。体重ではちょっとやそっとでひけをとらないワルポンでさえも、風が強くて飛ばされるようでした。

出張の時はいつもホテル泊まりで、夜は夕飯のために街に繰り出し一杯やるのです。
この時期、地物の寒鱈汁が最高に美味しい季節なのです。非常に残念ですけど、あんまり風が強いのでホテルの中で夕食を済ませることにました。

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翌日は会議の後、所要で鳥海山のふもとまで、車を走らせました。
久方ぶりの吹雪の舞う庄内平野をこわごわと、のろのろ運転で車を走らせました。

ゆうきやこんこんあられやこんこん♪・・・

東京では雪は上から降るものとお思いでしょうが、この庄内では雪は横から、時には下から舞い上がるように降ります。
もう少し正確に言うと、山沿いでは、雪が上からしんしんと降り一晩に50cmも、時には1m以上も降ることもあり、大雪となります。

平野部では、西からの強風が吹くと横なぐりに降ります。いわゆる吹雪です。
更に、風速20m以上の台風並みの風が吹くと、積もった雪が下から舞い上がって、下から雪が降ってくるように見えます。これがこの庄内地方特有の地吹雪です。南極のブリザードと同じです。

こうなると辺り一面真っ白で何も見えません。
今日はこの地吹雪状態でした。真っ直ぐ前を見て、車を進めると、突然に目の前に明かりをつけた対向車が現れます。みんなのろのろ運転です。

田舎の人はのんびりしているから運転もトロイと都会の人はよく言いますが、地吹雪の時は全く視界が利かないので精一杯に目を見開いて、一所懸命に五感をフルに働かせて運転しているのです。
それで、スピードを出せないのです。

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土地の人同士が道で会うと、すれ違いざまに「ドサッ」と一方が云うと相手は「エサッ」と言って、何事も無かったように自分の向かうほうに歩き去るという。
まるで居合い抜きでもやったかのようで、どういうことかと訊いたら、「ドサッ」は「どちらへ行かれるのですか?」と言う問いかけに対し、「エサッ」は「今から家に帰るところですよ」と答えた、云わば日常の挨拶をしたということでした。昔、東京で飲んだ時に聞いた話です。

土地の人でも、あまりの寒さで唇が凍えて、会話にならないので最小限の「居合い抜き」的な会話になるらしいのです。
今日も正にそんな凍えるような寒いお天気でした。

庄内空港発の最終便で、無事に家に帰り着きました。
梅の花がほころび、その香りが・・・

寒い雪国の皆さんに、何か申し訳ないような気持ちです。

でも、もうすぐ春が来ますよ!

『苺・紅ほっぺ』

2008-02-08 21:18:43 | Weblog
立春も過ぎ暦の上では春ですが、明日も又、先週に続き雪の降る予報で、まだまだ、本当の春にはほど遠いようです。

朝晩は本当に冷え込みますから、出勤時には、毛糸の帽子を頭からすっぽりかぶり、マフラーを首に二重に巻きつけ、皮手袋を両手にはめ、コートを羽織って胸元を重ね合わせてしっかり両手で押さえてのお出かけの毎日です。

でも、今日の日中は良く晴れわたり、風もない本当におだやかな良いお天気の一日でした。

今日は会社の同僚(親子ほどの後輩)と、九十九里方面のお客様へのあいさつ回りに、車で出掛けたのでしたが、この上天気のおかげで全くのドライブ気分です。

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茂原から八日市場にかけての国道126号線の両側には、そこいら中に苺の「取立て直売」の売店が幟旗を立てていました。
毎年のように苺を買い求めている店が東金にあるのですが、たまたま通りかかったので立ち寄りました。
見覚えのある、人の良さそうな、あのおばあさんが一人で店番です。

苺の美味しい季節となりました。
苺のおいしさは甘さと酸っぱさのコラボレーション、ビタミンCはみかんの2倍とのこと。

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道々に、同行の同僚が云うには、出産のため田舎に帰っていた奥さんが、取れたての赤ちゃんを連れて明日帰ってくるので東京駅まで迎えに行くと云う。
いつもは苦虫を噛み潰したような顔をしているのだが、今日は何かウキウキしてるみたい。何かしら頬がゆるんでいる、ニタニタしてる、ゆるみっぱなしだ。
ご馳走様、お幸せに・・・。

真っ赤なほっぺの赤ちゃんかも・・・。
苺、銘柄「紅ほっぺ」を誕生祝にあげることにした。

出産誕生祝いにしては、少し安上がりで申し訳ありませんが・・・。





『テーブルウェア・フェステバル』

2008-02-03 21:01:56 | Weblog
東京ドームで開催されている「テーブルウェア・フェステバル」~2008年暮らしを彩る器展~なる催しにワイフに引きずられていってきました。
9割方がご婦人で、後の1割が引きずられ組の男性ではないでしょうか。

フェア会場に入るにはドーム球場のスタンドが並ぶ階段を下りなければなりません。階段の幅が大きくて、一段一歩で降りるとスピードがついて、前にのめりそうになるし、一段二歩で下りると、片一方の足に負担がかかり過ぎて、これも疲れます。時々下りる足を代えてグランドまで、やっとこさで辿りつきました。

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入り口から最初のブースに入ると、まず、大花瓶に出くわして、その大きさに驚かされます。眼前に立つ花瓶の高さは182cm、有田焼で、1873年のウィーン万博に出展されたものだそうです。

さらに、歩を進めるとドームいっぱいに展示された和洋の器たちには目を見張るものがありました。
中でも目を引いたのは、オーストリア王家の往時の華やかで豪華な食卓が夢のように目の前に再現されたブースで、高級磁器やクリスタルがテーブルセッテングされておりました。
シャンデリアとグラスのメーカーであるロブマイヤーの品々がさぞかしお似合いの、装いも気品に溢れたセレブなご婦人たちで会場は溢れかえっていたのです。

ボヘミアンクリスタルもありましたが、日本のクリスタルも負けてはいません。
上越クリスタル、津軽びいどろ、ハリオクラス、江戸切子、北一硝子、菅原工芸硝子などなどのクリスタルの輝きも目を見張るものがありました。
陶磁器では有田焼、九谷焼、備前焼、美濃焼、清水焼、織部焼、多治見焼などなど日本中の名器がまさに一同に会していました。

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ところがブースを次から次へと辿る毎に、地方の陶器屋の女将も客を必死で呼び止めては品物を売りつけていましたし、骨董屋のオヤジのセールストークも何かしら夜店の客寄せにも似たり寄ったりで、少しいかがわしい雰囲気もあったかな?
客層もなんか下町の母ちゃんたちが多くなって、ゲラゲラ笑いが多くなってきました。

数百万円の品からン百円の品まで、江上栄子先生から呼び込みオヤジまで、実に落差の大きいイベントでありました。

あれで入場料2、000円也は高かったのか安かったのか?

元を取ろうとくまなく見て回って、足が棒になったのは確かです。
ということは、そう云う意味で元を取ったかも!