俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

旧白洲次郎邸「武相荘」にて?

2007-09-30 11:19:18 | Weblog
昭和8年(1933年)に山形で観測された40.8℃が日本最高気温であったが、8月16日に岐阜県多治見と熊谷で40.9℃が観測され、78年ぶりに記録を更新したという。「ラニーニャ現象」によるとか、地球温暖化によるとか原因は良くわからないが、とにかく今年の夏はことのほか暑かった。

初秋の午後、町田市鶴川にある「武相荘」を訪ねた。秋とは名ばかりで、本当に今年は暑い日が続いている。

世田谷通りを久方ぶりに通ったが相変わらずよく渋滞する通りである。
頼りにならないナビ(ワイフ)と、地図を片手に昼前に家を出たのに下道を走ったせいもあるが、やっとの思いで目的地に着いたら午後の3時を廻っていた。

大通りから武相荘に入る角を曲がり、かなり狭く、急な上り坂道に車を折れ入れると、案内人が車を停止するように合図した。
「坂の上には駐車場はない」という。
「角を曲がらずに真っ直ぐ進んだ先に駐車場が有る」と紋切り型に言う。
更に「でも、駐車場は5台しか入らないのできっと満車だと思う」と無責任なことを続けて言って知らんぷり。
無愛想な奴!

本来なら大通りの角に立って車の誘導をしなければならない筈なのに、そこは太陽が直接当たり暑いので、坂道の途中の木陰に立っていたと思われる。完全なサボタージュである。

「えーっ、やっと入ったのに急坂を・・・、しかも人と車が激しく通る大通りへバックで戻れというのか・・・」と思って、しばらくじっとしていると、かの案内人、少しは悪い、すまないと思ったのか、「坂道に入る角のユニクロの駐車場に停める人もいるようだよ」と、そそのかしともヒントとも取れることをつぶやいた。

戦後、GHQとの憲法策定に、時の総理の吉田茂を助けた白洲次郎のお屋敷「武相荘」を拝見した。

ユニクロさん!無断駐車でごめんなさい。

車を留めさせて頂いたお礼に、秋向きの長袖シャツ2枚を購入・・・。
高い駐車代についたのだ。

今年は本当に暑かった!!

『夏が過ぎ』

2007-09-03 22:01:22 | Weblog
成田空港の第2ビル出発に人を送って、未だ陽が高かったので海を見に行くことにした。


空港のある成田は人工の空間であり、そこから多古米で有名な多古町に入ると急に田園風景が広がる。千葉県は北海道に次ぐ農業県と聞いてはいたが、実感である。
黄金色に輝き、たわわに実った稲穂が頭を垂れ早稲とは思うけれど、コンバインがそこかしこでもぞもぞ動き回り、もうすでに稲刈りが始まっていた。

古き町並みの横芝光町を抜け、開けた田んぼが続く平野をしばらく車で駆けると、九十九里浜自然公園である蓮沼海岸の殿下海水浴場に出た。

緑の松林を抜けると白い浜辺に碧い海、陽射しはまぶしく照ってはいたが、わたる風はさわやかに吹き抜けて、清々しい秋晴れの青い空には、草原に放たれた羊の群れたちのような、ふんわりした白い雲がほんわかふわふわのんびりと浮かんでいた。
本当の空がそこにはあった。

浜辺では行く夏を惜しむかのように若者たちが西瓜割りに興じていたり、他の数人の男女は寒くないのか水着姿で泳いでいた。

夏の海水浴客たちでごった返していたであろういくつかの浜茶屋は解体作業中であった。
多分、「かき氷5個!ラーメン3っつ!サイダー2本!ビール1本!イカ焼き1つ!」などと威勢よく注文取っていた店の経営者だったと思われるごっつい身体のワルポンに似たおやじさんと太ったおばちゃんが柱や梁の材木を,ただ黙々と次から次と外しては片付けていた。
行く夏の名残惜しさとさみしさを感じさせ、感傷的な光景だ。


遠浅の海は穏やかで、ゆるゆると寄せては返す白波はゆったりのんびり砂浜を往ったり来たりのぼりおり。
千恵子はサンダルのまま波打ち際に・・・、寄せては返す波と戯れ子供のよう。
遊びつかれて突然の高波にのまれて水浸し。
冷たい海水が気持ち好いという。

のんびりと夕焼けがやって来た。

こんなゆったりとした時の流れも、また、いいかぁ!

夏が過ぎ、秋が来て、時の移ろいに身を委ね、流されて・・・。

『寂しそうなひまわり』

2007-09-01 22:39:57 | Weblog
八月は過去を振り返り、想いを馳せ、頭を垂れることの多い月である。

昭和20年8月6日(1945年)広島に、さらに9日に長崎に原子爆弾が投下され、多くの方々が一瞬のうちに亡くなられ、また、多くの人々が助けを求め、水を求め、無念のうちに亡くなられた。
原爆記念館に立つとその悲惨さに言葉を失い、核兵器の廃絶を叫ばずにはいられない。
毎年、平和記念式典が開かれ、平和への願いを込め、鐘の音とともに犠牲者に哀悼の誠を捧げ、冥福をお祈りして深く頭を垂れるのである。

お盆の入りには迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、精霊棚を飾りご馳走を供え、生前に想いを馳せて仏前に深く頭を垂れるのである。
お盆の間中、先祖を敬い感謝し、果物やお菓子、野菜などのお供物を供え、御墓参りし、
お盆の明けにはご先祖様のあの世への旅路が無事であるように再び送り火を焚いてお送りし、手を合わせ頭を垂れるのである。

第2次世界大戦での犠牲者は世界で4,000万人とも5,000万人とも云われており、日本でも軍属230万人、民間人80万人という犠牲者を出してしまった。
昭和20年8月15日正午、昭和天皇は終戦詔書を朗読され、NHKは玉音放送として放送した。
国民はラジオの前に正座し泣きながら放送に聞き入り終戦を知った。終戦を知った人々は皇居前に集まって玉砂利の上に直に正座し涙した。
以後、毎年、終戦記念日として不戦を誓い、戦没者に哀悼の念を表し頭を垂れるのである。

大正12年9月1日は関東大震災が発生し、東京、横浜地区では壊滅的な被害を受け、14万人とも云われる犠牲者を出した。
今日は各地で防災の日として、大地震に対しての防災訓練の行事が開催された。
東京直下地震の起きる確率は27年以内に70%とのこと。大地震は明日起こってもおかしくないと云われるが、何時来るか判らない。
どうすればいいのだ・・・と頭を抱えて頭を垂れるのである。?


1週間ほど前に電車の吊り広告に、新川のひまわりが見ごろであると宣伝していたので、今日、自転車に乗って見に行った。今日は朝方など霧雨が降ったり止んだりだったし、出掛けも雲が重くたれ込めていた。
新川に着いたときは、雲の間に陽も大きく傾く4時ごろだったが、あたりは少しうす暗い状態ではあった。
ひまわりは何処ぞ!と探すが、あの黄色いひまわりたちは目に入らない。
ひまわりは常に太陽にいっせいに顔を向け、高く勝ち誇ったように、いつも満面笑みで明るく出迎えてくれる、と思っていた。

あっ、居た居た。
土手の上を急いで現場を目指した。
ひまわり畑に着いてびっくりした。
ひまわりは薄明るい西の方ではなくて皆、東の方を向いている。しかも顔は真っ黒、皆が皆、下に向けてうなだれている。
「ちょっと!こっち向いて俺の目を見ろよ!」こんな暗い、根暗なひまわり見たことない。
顔の周りの黄色の花びらも、ワルポンのハゲ頭のようで付いていない。

そうか、八月は過去を振り返り、想いを馳せ、頭を垂れることの多い月だから、ひまわりも頭を垂れ、明日の日本の平和を祈っているのか。

夏はおしまい! 
今日から新しい月、9月だ。