俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『不思議な因縁』

2008-01-30 21:03:04 | Weblog
人の名前の出会いには、不思議としか云えないような因縁があることがあります。

子供の誕生に際しての命名に当たっては、字画数を調べ、姓名判断の本と首っ引きしてから決めるのが一般的な親心ではないでしょうか?

上から読んでも下から読んでも同文、同文句なるような文、すなわち、回文(かいぶん)をご存知かと思います。
例えば、漢字では、海苔の「山本山」は上から読んでも下から読んでも「山本山」なのは皆さんご存知です。市川市、西葛西、清家清なども有名です。
ワルポンの知人にも清野清さんと言う方もおられます。

かなでは、竹屋が焼けた(タケヤガヤケタ)、竹薮焼けた(タケヤブヤケタ)、歌歌う(ウタウタウ)、ごまたまご、新聞紙(シンブンシ)、ポンコツコンポも一般的です。
ローマ字でもASA(朝)、AKA(赤)、AKASAKA(赤坂)も知られています。

 ☆       ☆       ☆       ☆

皆さんどなたもご存知だと思いますので、不敬罪には当たらないと思いますから記載させて頂きますが、「雅子様」は上から読んでも下から読んでも「まさ子さま」です。「雅子紀子様」も上から読んでも下から読んでも、又、「まさ子き子さま」であります。

又、お二人のお名前を並べて、一字おきに互い違いに読むと、「小和田雅子」様と「川島紀子」様と読めて、お二人のご関係が不思議なご因縁であったのだと考えさせられます。

          お わ だ ま さ こ
           × × × × ×
          か わ し ま き こ

     
☆       ☆       ☆       ☆

話は急にレベルダウンしてワルポンの私事ですが、学生時代の悪友に、ムラタヒロシ、ワタナベヒロシがいて、一年後輩にワタナベアキラがいたのです。
ワルポンの本名で、4人で麻雀やると、お互いにフルネームで呼ばなければならない関係でした。
今でも会うと、当時のくせで、お互いにフルネームで呼び合っています。

さて、問題です、ワルポンの本名は何んという名前でしょうか?

これも因縁ですよね!

『下町のランチ』

2008-01-26 22:18:41 | Weblog
戦後焼け跡派と呼ばれる我々の幼い頃は、「食べる物が無い、着る物がない、住む所が無いの無い無いづくしだったのよ」と、我儘を言うと、よく母に言われたものです。

しかしながら、昭和も30年代に入ると当時の池田総理は「貧乏人は麦を食え!」と言って批判を浴びましたが、「所得倍増論」唱え、日本経済は高度成長期に入り30年代も後半になると東京オリンピック景気もあって、人々は貧しさから開放され、衣食住は満たされるようになったのでした。

40年代になるとさらに右肩上がりの経済急成長が続き、「戦後復興を果たした」、「戦後は遠くなりにけり」といわれ、物が世の中に溢れるようになったのです。

「衣食住を求める時代」から「食う寝る遊ぶを楽しむ世の中」となり、「もったいないが死語になってしまう」と識者が繁栄を危惧するように、「より高級を求める世界」がさらに上をを目指したのであります。

そんな時代を経て、食うとはレストラン、料亭、寿司店、中華料理店であり、「高級」のつくグルメを求めたのであります。
寝るとはシャイな自分にはちょいと表現しずらい異次元の世界であります。
遊ぶとは車であり、釣り、ヨット、ゴルフであり、カラオケ、芸者遊び、高級クラブであったかも・・・

☆       ☆       ☆       ☆

「ちょいワルおやじ」を卒業したワルポンにとっての「食う寝る遊ぶ」とはそんなお遊びは超越して、もっと現実的で、体には悪影響が無いかとか、あと何回の食事が取れるのだろうかとか、寝るに至っては本当に夜早く眠ること、即ち、睡眠をとることであります。遊ぶといっても、目がおぼつかない、足腰が痛い、針灸通いが続き、筋肉痛にはシップ薬を貼っているなどなど、セレブのカッコウつけたお遊びなど毛頭お呼びでないのです。

健康の基本三原則は食事、運動、睡眠であります。

中でも『食』はワルポンにとって、いまや、最大関心事であります。

ワルポンのオフィスは下町にあるのですが、昼ご飯は社員食堂があるわけじゃないので、全て外食です。
よくよく考えてみると、我が人生であと何回のランチがとれるのか、とか考えると、美味しいものを食べたい、ハズレの無い店に入って口に合うものを食べたいと、お昼近くになると今日は何を食べようかと最大の楽しみにしている毎日です。

☆       ☆       ☆       ☆

ワルポンの良い店の判断基準は
・ 入り口がきれいである
・ のれん、看板が汚れていない
・ 看板の字体がへんちくりんでない
・ 門に盛り塩などしてあれば最高だ

・ 店内が臭わない、特に魚のさばいた匂いが無いこと
・ メニューがあまり多くない
・ 日替わり定食(おまかせ定食)は頼まない
・ 注文取りはハキハキしていること

・ 大声の女性でないこと
・ 生返事は嫌だ
・ ハエが飛び回っていない
・ ゴキブリがいないのは当然です

・ 料理の出が早すぎない
・ 料理の出が遅くない
・ 皿や鉢のふちが欠けていない、ひびが入っていない
・ 配膳がセオリーどおりに配置されている

・ 味付けについて注文を聞いてくれる(例えば薄口甘口などの注文に応じてくれる)
・ 刺身の切り方の注文を聞いてくれる(厚さ、大きさなど)
・ メニューの変更を受けてくれる(例えば天津丼がメニューにあって麺に無い場合天津麺を作ってくれる)
・ 料理の量が多すぎない

当然、チェーン店では会話がマニュアルどおりで融通が利かないので行かない。

美人女将のなじみの店が良い。



『三界無安』

2008-01-20 18:02:47 | Weblog
茨城県の県央部に笠間稲荷で知られる笠間市があります。
今から240年前の江戸安永年間に久野半右衛門が窯を開き、その後、笠間藩の産業保護奨励のもとに焼き継がれて今日の笠間焼が生み出されたのだそうです。

☆       ☆       ☆       ☆

その笠間焼の陶工から、突然に手紙を頂戴したのです。

《 拝啓 新年もあわただしく過ぎて笠間の神社の周りも不景気のせいか十日も過ぎないのに段々静かになってゆく今日この頃です。
さて、私笠間で焼物をやっている者です、ご両人様にはお元気でいらっしゃいましょうか?
今から十五年位前かと思いますが当工房にお出でになられましたね。そして、お世話になっている方の新築祝にと壷をお買い上げ下さり、先様へ送ってくれるように代金を置いていかれました。
早速にと思っていたのですが、お書きになった送り先の紙がとうとう見つからず今になってしまいました。ご両人様の新築祝いにとの心づかいに泥をぬってしまって、これまでずっと生きた心地がしませんでした。
私も焼物をそろそろ止める年令に達し、その準備をしなければと工場の本箱の整理をしていましたら、その紙が裏の真ん中の桟のところに引っ掛かっていたのです。
本当に申し訳なく、今さらながら重ね重ねお詫び申し上げる次第です。
新築祝いにならなくなって恥をかかせてしまいましたが、壷はそのままにしてありますので、近いうち宅急便でお送りいたしますので、遅ればせながらお受け取り下されば幸いに思います。と、同時に私自身、電車で御地に出向いてお詫び申し上げたいと思っていますのでよろしく御願いいたします。行く前にお電話させていただきます。
末筆ながら、何度お詫びしても許せないとは思いますが、どうかお許しになってくださいませ。 敬具 》

☆       ☆       ☆       ☆

文面からすると相当のご年配になられたご様子でもあり、陶工の誠実な心も伝わってきましたので、ドライブがてら取りに行くこととし、電話を入れて出かけました。

工房の所在を大分昔のことで失念したので、笠間駅前の観光案内所に立ち寄り訪ねたところ、住居表示の地図のコピーまで頂戴して詳しく親切に教えていただきました。
その地図を見ながら、城跡公園のある佐白山の山中の曲がりくねった、車がやっとこさ通れる細い道を上りきると、昔見た覚えのある工房に着きました。

老夫婦が出迎えるや否や、腰を落として手をついて、何度も何度もお詫びを繰り返されました。
「いやぁ、過ぎたことはしょうがないから、気になさらないで」
と言って、やっと、手を上げてもらいました。

その場から、送り先であるお世話になった方に携帯電話を入れて事情を話しました。
「年月が過ぎた分、骨董価値が上がったんじゃないか」とおっしゃるので、老夫婦に伝えて、みんなで、やっと笑顔になりました。

お詫びの気持ちにと、陶工の作品である沢山の陶器と「花鳥風月」と書いた額入りの色紙を頂戴して帰途に着きました。

老陶工も「三界無安」から脱し、「花鳥風月」を友として新しい未来に心おきなく身をおく事が出来るのではないでしょうか。

冬晴れの青空が広がり、久しぶりに気分の良いドライブとなりました。






『腱鞘炎』

2008-01-12 13:16:43 | Weblog
昨年末にゴルフに行った時のことです。

この日はドライバーもフェアウェイキープを続け、久方ぶりのプレイの割にはまずまずのスコアで進んで来たのですが、午前中のハーフの7番ホールで、一打目のドライバーをコース右サイドのフェアウェイバンカーに入れてしまいました。

前方の土手も低く、距離も20ヤード以上はあり、開けておりましたので、5番アイアンをバッグからおもむろに抜き出し、170ヤード先の旗竿とグリーン右端の真ん中ぐらいを狙い、パンチショット気味に低い打ち出し角度で軽いドローボールを打って、グリーン手前の花道にボールを落としカップまでランさせて寄せようとイメージし、スタンスを固めました。

ボールを真ん中より少し右足寄りに置き、クラブヘッドを少しかぶせ、バックスイングからそのままヘッドをボールへぶつけるように、思いっきり打ち付けました。

ボールはイメージどおりの飛行線をたどり、グリーン方向に飛んでいったのですが、と、同時に、ボールの落下地点を確かめる前に、右肘に思わずクラブを投げ出すほどの激痛が走りました。
バンカーの砂が締め固まっていたので、ヘッドが抜け切れなかったために衝撃が肘に来たのでした。

以降はショットの度にボールとヘッドの衝撃が肘に響いたのです。
午後のハーフの終盤には、パターの柔らかな打ち方でも、その振動が肘に響いて異常な痛みが走りました。

若くて美人のやさしいキャディさんはコースの途中から、クラブハウスに無線で連絡を取り湿布薬を持ってきてもらって、貼ってくれました。
しかしながら、当然のことながらスコアになりませんでした。

☆       ☆       ☆       ☆

年末年始の忘年会、賀詞交換会、新年会、あいさつ回りなどで、お医者さんに行けないまま。

顔を洗うのも大変です。手拭いを絞るのも、風呂に入るのも、トイレも大変です。ドアを開けるときノブを回すのも響きます。満員電車で肘を押されたら飛び上がります。車の運転も大変、肘がわき腹にふれると響きます。
ビールを注いだコップは持てるのですが、ビール瓶を右手で持ってのお酌は、肘に響いて出来ません。

この20日間、バンテリンをぬって、湿布薬を貼って冷やしたり、温湿布薬で暖めたり、サポーターをはめたり自分なりの治療に努めてきましたけれど、一向に良くなりません。かえって痛みが増してきたようです。その上、四六時中湿布薬を貼っているものですから、皮膚が黒ずんできてヒリヒリしだしました。

ついに、藁をも掴む思いで、整形外科の先生に行って来ました。症状と原因をお話しするとレントゲンを撮るという。

結果、「じっと安静にしているしかありません、重いものを持たないように、回復には時間がかかります、痛み止めの注射をしておきましょう、湿布薬2週間分出しておきますから、様子を見ましょう」
最後に「ゴルフでよくやるんですよ、ダフリは!」とのたまう。

「ダフッたんじゃない! 砂が固くてヘッドが抜けなかったんだ!」と言おうとしたが止めた。どうせ、「あっ、そうですか」とか云って、聞き流されるだけだ。

『御用始め』

2008-01-05 16:08:01 | Weblog
官公庁にとって年末年始の休みが明けた正月四日は御用始めであります。

日本では士農工商の封建社会の時代から今日まで、官尊民卑の風潮が脈々と続いており、政府や官吏を尊び、民間の人や物はそれに従うものとして軽く扱われてきました。
官は許認可権を持ち、税金徴収し、物の発注権を有しているからで、官が民から税を取り、それを元にして、民に物や金を分け与えてやると言う立場にあるからであります。

したがって、民間の人が官公庁へ年始の挨拶に行くことは恒例化しています。
何で民が官に挨拶に行くのか? お仕事を頂戴している立場ですから、お客様なのです。
官であれ民であれ、お客様は神様です。
至極当然のこととして年頭のご挨拶に伺うのです。

挨拶に回ってみると今年は例年に無く、各役所とも閑散としているように感じました。
平等社会になったから、民は官に挨拶に行かなくなったためでしょうか?

いや、今年は正月休みと週末に挟まれた金曜日であったため、民間の方は七日月曜日からの仕事始めのところが多いからのようです。
車も電車も、まだ空いていました。

☆       ☆       ☆       ☆       

ワルポンにとっては贈り物を頂くことは非常にうれしいことです。お歳暮でも、お年賀の品でも、たとえ賀状一枚でも心がときめきますし、顔がほころびます。


年始の挨拶に回る時、「謹賀新年」の赤スタンプを上座に捺した名刺と、熨斗紙で巻いたタオルを持参します。
タオルは八割方のお役人から受け取りを拒否されます。上席から受け取らないように指導されているらしいのです。

事務所には、「中に入らないで下さい」の立て札があり、カウンターとカウンターの通路の入り口に、ご丁寧にロープまで張ってあるお役所もあったり、中には年頭の挨拶も名刺の受け取りも拒否されるお堅い方もおられます。

正月早々、なんという冷たさ・・・なんか少し変じゃありませんか?
人の道として、もう少し温かい人間らしい付き合い方はないものですかね!

☆       ☆       ☆       ☆       

グローバルスタンダードを受け入れた日本は、強いものだけが勝ち残る自由競争社会となってしまい、平等な社会の破壊が進んでいるという。

人間らしさ、人情の深さ、やさしさ、心の通い合う温もりのあるふれあい・・・。

平成20年 子年でうるう年。
今年こそ良い年となりますように・・・

『初詣』

2008-01-03 21:35:39 | Weblog
正月二日 初詣に成田山へ車で出掛けました。

成田街道(国道296号線)はいつもこの時期お参りの車で渋滞するので、印旛沼干拓の農道を通ってJR成田駅の西口の駐車場に車を置いて、そこから歩いて行くことにしました。

思ったとおりス-イスイと到着したのですが・・・、空いている駐車場が見つからない。
コイン駐車場も、一日駐車1,000円の駐車場も満杯、時間貸しの駐車場は長蛇の列。(並んでいたのは5台ぐらいだが・・・、ワルポンは待つのが大の苦手のせっかち男)

と、思いきや隣の駐車場はスカスカに空いているではないか? ん!
ホテルの駐車場である。
「バイキング1,575円、レストランご利用のお客様は駐車料金2時間30分まで無料」と大きく書いてある。よーしゃ、とばかりにその駐車場に停めた。

レストランは空いていた。まず、腹ごしらえしてからお参りしよう!
ウェーターに申し込むと「満席です」という。
「エッ、ガラガラじゃない!」
「57人の団体様の予約が入っているのです」
「じゃ、先にお参りして、後で来るから我々も予約入れて」
「いいですけど、昼の閉店は2時半ですけど大丈夫ですか?」
時計を見ると12時50分である。普通は15分ぐらいで行けるのだが、三が日の混みようは並大抵ではないので心配してくれているのである。閉店まで1時間40分ある。食事の時間は1時間もあれば十分だ。往復40分で行って来ようーっと。

行くぞとばかりに飛び出した。
駅のコンコースを抜けると近道と大書してある看板の裏道に入った。人もまばらである。これなら往復40分も楽勝だ、と思ったのも束の間、細い裏通りに車がどんどん入って来るではないか。こりゃ危なくてしょうがない。

表参道に出ることにした。
やはり大変な混みようだ。大まかに人の流れは上り下りとも左側通行だ。列のすれ違う人の狭間を忍者のように早足でひらりひらりと体をかわしながら進む。時々振り向いて相棒を見ると「いるよ!」と意外と付いてきているではないか。

下り坂から門かけて、本堂への上り階段はますます詰まっているはず、左に折れて50m先を右折し裏通りへ、やっとの思いで着いた出世稲荷は長蛇の列だったので階段の下で遥拝、お札を納め、線香を上げて、大本山成田山新勝寺の本堂前に進んだが人人人・・・で進まない。仕方なく、これ又、遥拝。

すぐさま踵を返し、再び同じ道を一目散でホテルへ直行。

1時35分にレストランに入った。
一番奥の角の特等席に案内された。
さあ、食べるぞ!

ほとんど全種類の料理を口にして、ケーキ、フルーツにコーヒーのデザートに、アイスクリームまで。お腹はパンパン。
相棒は更に杏仁豆腐まで食したのだ。

お勘定はシニア料金で、お一人様1,260円だと。ああ!やっぱり俺らはシニアにみられたのかね? そんなことどうでもいい。

二人で2,520円、駐車料金はサービス。
もし1,000円の駐車場に止めたとすると、差し引き1,520円、一人当たり760円だ。
なんか得した気分♪
若者並みに、こんなに食べてもシニア料金でいいのだろうか?

こいつぁ春から縁起が良え!


でも、俺らは初詣のなおらいで食事に行ったのか、食事のついでに参拝に行ったのか?
はなはだ疑問の残る年明けではありました。 

『無病息災』

2008-01-02 10:50:02 | Weblog
あけましておめでとうございます
今年もよい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

初詣はもうお済ですか?
世界平和、家内安全、開運招福、心願成就、商売繁盛、交通安全、合格祈願、縁結び、安産、病気平癒、無病息災・・・のいくつかを、欲張りな方は全部をお願い事としてお参りしておられるのではないでしょうか。

ワルポンも毎年、新年の初めに社寺に参詣し一年の無事安泰をお祈りしております。

☆       ☆       ☆       ☆

「無病息災」とは「病気をせず健康であること」と辞書にありますが、健康管理の面からは「無病息災」より「一病息災」の方が良いとおっしゃる先生もおられます。
病気を持っていると、いわゆるかかりつけのお医者さんに定期的に診て頂いているので、重大な病気を発見しやすく大事に至らずに済むということのようです。

私事で恐縮ですが、数年前からかかりつけのお医者さんのお世話になっております。
最初は高脂血症と心房細動で薬を頂戴するようになったのですが、その後高血圧症が加わり、次に前立腺肥大の薬が増えました。これらはまだ内科系の病気なので投薬治療で済んでいたので未だいいのですが・・・

しかし、足の右膝が痛くて階段の上り下りが苦痛、右腕の肘が痛くて箸より重いものが持てない、座っていると腰が痛い、親指の付け根の筋肉が凝り固まるなどの外科的症状が出て来て膏薬が離せません。
これじゃ「多病災厄」じゃ!」本当に老化が進んでしまったのか。
笑い事ではないのです!

☆       ☆       ☆       ☆

初詣に出かけようっと! 困った時の神頼み、厄除けしてもらわねば・・・
気を引き締め、心あらたに・・・
今年も情けないことに、他力本願の神頼みでのスタートになりそうです。


皆様におかれましては明るく楽しい一年となりますように心よりお祈り申し上げます。