俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『寂しい花火見物』

2007-08-26 13:03:22 | Weblog
「結城紬を見に行きたい!」と、いつものようにいつもの方が突然言い出すので、一日運転手を務めた。
夕刻明るいうちに帰途に着いた。

途中、関宿付近の中川でも花火大会があるらしく堤防の上にはかなりの数の雪洞が立ち並んでいた。まだ、太陽も高いのに堤防の上を女の子らが友達連れの浴衣姿で足取りを弾ませながら、多分、場所取りに急いでいた。

「そう! 今日は家の近所でも花火大会があるのよ!」と同乗のワイフが声を弾ませて言う。
家の近所とは云っても会場までは直線距離で3km程度は離れている。
人出も多く、毎年1万発ぐらいは上がる地元ではかなり大きい規模の花火大会である。

近くの団地でも女の子らはみんな浴衣姿で、花火見物の準備OKである。
親子連れで、友達連れで会場へ急ぎ足。
日暮れまではまだちょっと時間があり、みんなのホッペも夕焼けに赤く輝いていた。

家に帰り着いて夕食をとった。
7時を過ぎて暗くなったけど、花火の音が聞こえない。
ビールも飲み干して食事も終えて、外はすっかり真っ暗になったのに、花火の音がまだ聞こえない。
鳴らないねえ、今日ではなかったのかな?とか話していると

“どっどがーーん!”

下っ腹にズシンと響き渡るような大音響!
突然でびっくりした。ちょうど7時30分に始まった。
高いマンションが出来て音が反響して、かなり圧倒される迫力のある響きだ。

「オイ!見に行こう」と声をかけると、「あなた一人で行ってきなさいよ」とのたまう。
「何故だ」と聞くと、楽しみのテレビがあるという。
あーあ、夢の無い奴。
「じゃあ、一人で行くぞ!」、「おいてくぞ!」、「待ってられないよ!」と一緒に行ってくれる返事を期待しつつ云うと、
いとも簡単に「行ってらっしゃーい!」とテレビの画面から目を離さない。

ビールを飲んじゃって車の運転は出来ないし・・・、しょうがないので自転車で出掛けた。
60歳過ぎのハゲ頭のワルポンが自転車に乗って一人で花火見物とは・・・。
夕方見かけた楽しそうな親子連れがうらやましい。

やっぱり一人で会場まで行くのは気が重い。
そうだ! それより、近くの小高い丘の上に出来た橋の上に行ってみようーっと!

案の定、良く見える。
2,3組の先客がいたが、暗いし誰が誰だか判らないので、気にならない。
遠いため、ちょっと小さくしか見えない上に、音が遅れてずれて聞こえるのが玉に瑕だが、音の大きさは学校やマンションにこだましてなかなかの迫力だ。
もっとも、吾妻橋や駒形橋の上で押し合いへし合い汗だくで見るビルの谷間に上がる両国の花火のど迫力には及びも付かぬが、でもでも花火見物の雰囲気だけは十分に味わえる(五感の想像力を逞しく働かせる必要がある)。

次から次と打ち上がるスターマインの菊や牡丹が大空にパッと咲きパッと散る巨大な大輪の花を、まるで太鼓でも打ち鳴らしているかのような大音響を心地よく耳にしながら、しばらくの間、ぼーっと何も考えずに眺めていた。

大音響の“どどどーーん”が響き渡ったのち、急に静寂な暗闇になった・・・。

ふっと我に返って辺りを見回すと、橋の上の見物人はいつの間にか数十人のかなりの人出。皆、アベックか家族連れだ。
何か場違いなところへ迷い込んだみたいな感じ。
俺の方が先に来たのに・・・。

自転車をひいたハゲ頭などいなそうだ。徘徊者に間違われるのではないかと・・・。
一人暮らしになったら大変だ。ばあさんでも大事にしなきゃ。足でも揉んでやるか。
そーっと、場を離れ、自転車に飛び乗ると自宅へまっしぐら、直行帰った。


リビングに入ると我が家のばあさんはテレビを見ながら舟を漕いでいた。
あーあぁ!   ???

『結城紬のネクタイ』

2007-08-25 23:43:29 | Weblog
「結城紬を見に行きたい!」と、いつものようにいつもの方が突然言い出すので、一日運転手を務めた。

昼過ぎに結城に着いた。
すぐに、結城駅へ。
何処の町でも駅前には必ずと云っても良いほど観光案内所があるものだ。
やはり有りました。

町の見所と見学の仕方をお聞きし、案内図を頂戴した。
見所の端から端までゆっくり歩いても、30分ぐらいとのこと。案内所のある市立図書館の地下にある駐車場は3時間まで無料とのこと。
案内所の皆さんは本当に明るく親切でしたが、今年は残暑が厳しくまだ暑いので車で廻ることにした。

駅を背にしてゆっくりと車を走らせると、結城のメーンストリートは人通りが少なく、ひっそりとしていた。
それにしても地方の都市の中心街はいずこも人が疎らなことか・・・。

結城市は初代結城朝光公の城下町であり、明治から大正にかけて蔵造り(外壁を土塗り漆喰仕上げで厚く塗りこめた木造建築)が数多く建築され、今でも「つむぎの館」など30を超える建物が保存されていて、その町並みは圧巻である。

結城紬は重要無形文化財、伝統工芸品に指定され、高級絹織物として知られています。

結城紬の記念館に入ってその歴史、真綿から糸の紡ぎ方、糸の染色、機織工の実演作業や織り上がった反物、絵柄などを見学し学習させて頂いた。(入場無料)

突然「桜ちゃんパパにそっくり!」と大きな声。びっくりして振り向くと、店番をしていた女主人とおぼしき品の良いご婦人が微笑みかけてきた。
彼は今、マスコミでも問題を醸しているし、似てるといわれても、あんまりうれしくないので、「もうちょっと別のいい男に似ていませんか?」と聞き返したが、再び「さっきから見てたんだけど、そっくりよ!いい男だから女性にもてるでしょ!それにしてもいい男だねえ」と云われてしまった。

こうなると何かを買わなければと思う悪い癖が出た。
結城紬で作ったふくろうの小さな人形が650円で一番安い。これにしようと思っていると、「紬の着物、とっても似合いそうですよ、貫禄あるから、お兄さん!」
ワルポンを「お兄さん」ときた。
「ひとつ作りませんか、65万円でいいですよ、東京のデパートでは倍はしますよ、きっと似合いますよ!」と追い討ちをかけてくる。

「そんな・・・、買うつもりで来たんじゃない、今日はワイフの運転手だ、話題を代えなきゃ・・・」、と頭の中が混乱していたら、ワイフが「あなた、紬の杢の着物持ってんのよ」と云う。
「杢持ってんの、それじゃ要らないわね、今度着て来てね」と女主人に云われた。

「そんなの持ってねえよ」と思ったが、俺もすかさず話題を代えて、「ネクタイもあるジャン!」、真っ赤な派手なネクタイ・4,000円を買ってその場を逃れた。

しかし、女主人はしてやったりの風・・・。

記念館を出てから「本当に俺の紬の着物あるの?」と聞いたら、「あるのよ」と云う。
本人が、持っているのを知らないほど、着物を着る機会など現代社会では全く無くなってしまったと思う。味気ない世の中だ。
涼しくなったら、着物姿で芝居でも見に行くことにするか・・・。

因みに、今日の俺のファッションは眼鏡顔に、パナマ帽をあみだにかぶり、カーキ色の長めでダブダブの半ズボン、胸に金色の横文字がプリントしてある白のTシャツをだらしなくズボンの上に出して、その上に柄物の大き目の半袖シャツを羽織り、これまたカーキ色のショルダーバッグを肩から腰の位置に提げ、素足に皮のサンダル履き。

これではまるで、「桜ちゃんパパ」にそっくりの出で立ちではあった、のでした。


『我が家の愛犬・もん次郎』

2007-08-10 23:26:28 | Weblog
「おひかえなすって!
手前いたって不調法、あげますことは、前後間違いましたら御免お許し蒙ります。
手前、生国と発しますは!相模の国の生まれ、わけあって、下総の育ちにござんす!
縁あって、中野一家にわらじを脱ぎ、盃事をいただいた若いもんでござんす。
姓は中野、名は人呼んで「もん次郎」と発します。
以後、親分のワルポン共々に、お見知りおきのほど、おたの申します。」

なんて犬仲間に仁義を切ったかどうかは定かではない。

「もん次郎は洋犬なんだから、そんな仁義を切るはずがないじゃないですか!かわいそうだから、そんな子にしないで!」とワイフの声が飛んできた。

股旅物に出てくるような名前の「もん次郎」は、いずれにしても、町内会では至って有名人(犬)である。


「流星、胸白、四白、先明かり」。まさに名馬(犬)の様相!

即ち、全身真っ黒のふさふさした長い体毛で被われています。
額から鼻筋にかけて、すーっと流れ星が通ったように真っ白の線があり、人形のスカンクみたい。
胸は純白で、ピンとしたタキシードを着こなした紳士のようです。
四本の足先はともに、白いソックスを履いているよう。
さらに尻尾の先が白い灯かりを付けて歩くたびにフリフリと縦に横に揺れるんです。

シェットランドとボーダーコリーのハーフ、世界に一匹しかいない、とってもハンサムで、かわいい奴なんです。
その上、気がやさしくてたくましく、まるで、タッキーかハンカチ王子みたいにモテモテで、それもかわいいガールフレンドがたくさんいるんです。

それに引き換えご主人様は、早朝に「ぼーっと」家を出て、暗くなってから「ぼーっと」帰って来る、まさしく絵に描いたような典型的な千葉都民です。町内会ではほとんど知っている人もいない寂しさです。

それでも、もん次郎を連れての散歩では彼のおかげで、犬仲間にはかなりその名が通っています。但し、本名ではなくて、あくまで「もんちゃんのお父さん」と呼ばれるだけなんですけど!

で、会う人毎に挨拶を交わして、犬をほめあって、気分が良くなって、2kmも3kmも、もん次郎の言うがままに散歩を続けるのでありました。

犬仲間の挨拶語録はほとんど決まっています。
・コンニチハ、オハヨウゴザイマス、コンバンハなどの声掛け挨拶
・良い天気ですね、あめふりそう、風が強いですね、などの天気情報交換
・寒いですね、暑いね、過ごしやすい日ね、などの体感気温情報交換
・これから? もうお帰り? などの散歩の進捗度調査話
・どちらへ? お使い? 買い物?などの行動調査
・かわいいわ、お利口そう、賢いわね、大きくなったね、元気ね、おとなしいね、 などのほめ言葉
・お名前は? いくつ、男の子女の子、何犬などの身上調査
・では又ね、元気に行っといで、車に気をつけてなどの別れの挨拶

情報交換は
・餌の良し悪し情報交換
・おすすめ散歩コース情報交換
・その場にいない犬仲間の犬の近況情報交換
・おやつの良し悪し情報交換
・動物病院の情報交換
・愛犬グッズの情報交換
・体調の情報交換

後の会話は、愛犬ほったらかしてのいつもの女房族の井戸端会議。もっとも、私は参加しませんが・・・(入れてもらえませんが)

そんなモテモテのもん次郎ではありましたが、最近とみに年老いました。

もん次郎の生年月日は平成5年5月23日であります。当年14歳と2ヶ月半であります。
犬の年齢を人間に換算すると、最初の1年で20歳となり、以後1年に6歳づつ年老いるそうです。
この理論で計算すると、さしづめ、もん次郎は99歳の高齢となりましたので仕方ありません。

若い時にはあんなに歩き回ったもん次郎も、今では18戸の街区約300mを一回りするのがやっとです。
それも30分もかけて、そろりそろり、とたとた、とてとて、とぼとぼ、のそのそ、ふらふら、ポテポテ、ポトポト、もさもさ、もそもそ、よたよた、よちよち、ガタピシ、ゴトピシ、トッテンカン、カッテンカン・・・、ゆっくりゆっくり歩きます。時速0.6km/Hです。

散歩から帰って、家の石段を登る時など下から上を見上げて、1分も3分も呼吸を整えてから、「さあ!登るぞ!」とばかりに一大決心をして、のそりのそりと這いつくばって、やっとこさのどっこいしょの様子。登りきると立ってられなくて、すぐさまドテッと門扉のところで寝っ伏します。

部屋では一日中エアコン付けっ放しで寝てばっか。


そんなでも、食欲だけは旺盛で、食い意地だけは誰にも負けません。排便も良好、この夏は何としてでも越せそうです。(9月23日で100歳になります。)

それに、彼女んちの前では必ずいつも立ち止まり、中の様子を窺っています。
時には庭に放たれた彼女が駆け寄ってきて、門扉の隙間から鼻をくっつけあってスキンシップ。

あれで、結構もてるし、色気は盛んで失っていません。

飼い主に似たのかな?

『ふくろうはワルポンの幼なじみ』

2007-08-02 22:39:07 | Weblog
高く低く、尖って丸く、平べったく、それぞれの形をして連なる山々に囲まれて「杉と清流の里」とよばれる山あいの緑豊かな自然に恵まれた小さな村がありました。
あちこちから夕餉の支度の煙が立ちのぼり、山寺のつく鐘の音が山の谷間に響いて・・・。
いつもの夕暮れ時がやってきました。

夕焼けで真っ赤に燃えた空に、からすがそれぞれの家族を連れ立って2羽3羽、7羽と羽音を鳴らしながら、里の杉林から向こうの山の森のねぐらへと、次から次と飛んで帰って行くのです。

黄金色にまぶしく輝くびっくりするような大きさの真ん円い太陽が徐々に形を変えながら次第に押し潰されて平べったい楕円形となり、ついには「す~っ」と西の山に沈むと、空は「ふーっ」と暮れてゆきました。
今度はこうもりが薄明かりの中で大群をなして乱舞するのです。

西の空も赤紫色から灰紫色に変化して、やがて夜のとばりに包まれて、杉木立や山々は墨絵のような影絵となりました。
ふっと空を見上げれば数えきれない満天の星、手を伸ばせばまるで届くようなすぐそこで、今にも降って来そうにきらきら輝いています。

       ☆       ☆       ☆       ☆      

「ノリツケホウセー、ノリツケホウセー、ホー、ホー」と、突然に頭上から、びっくりするような大きなちょっとくぐもった鳴き声が浴びせられました。
ふくろうです。
すぐ近くの木立の上で、あの双の大きな目をめ一杯見開いて、きらめく星屑をつぶらな瞳に受けながら。
「ノリツケホウセー」、「糊付け干せ!」と聞こえるのです。「明日は晴れますから、洗濯をして糊を付けて干しなさい」と教えてくれるのです。明日の天気を告げるのです。
ふくろうが鳴いた翌朝は必ず良いお天気になるのです。

天気が良くなる事は人間本能的に好きですよね。
ふくろうの天気予報を聞きながら、「あしたは晴れるんだぁ」と思いながら床につくと幸せな気分でぐっすり休めたのです。
ふくろうは、ほんのりした幸せを呼ぶ、安らぎを与えてくれる生まれながらの仲間であり、何か福を呼んでくれそうで幼心に親しみを持っていたものでした。

       ☆       ☆       ☆       ☆      

山寺の境内は参道からすっぽり周りを杉の大木と竹林に取り囲まれて、お堂はうっそうとした森の中に佇んでいました。
その裏山の中腹に、まれに見る欅の大木がありました。幹周りは大人6人がかりで両手を広げて手をつなぐ太さ、目通し直径3mくらいもあって、木の下に立つと枝先は天を被いつくしておりました。

その太い幹には落雷によって真っ黒に焦げた、大人も楽々入れる大きな空洞があり、其の上の方にも横穴の空洞があって、そこがふくろうの住処になっていました。
毎年巣作りをして、子供を生んで育て続けて、何十年何百年の間、ふくろう一族代々の安らぎの住処だったのでしょう。

根元には小さな泉がこんこんと湧き出ていて、小さなせせらぎとなって山の斜面を流れ下っておりました。

       ☆       ☆       ☆       ☆      

春のある日、泉の上に張り出した欅の根の上に、真っ白で小さなふくろうが小首を少し傾けて、目をぱちくりとして少し不安げに、ちょこんとじっと立っていたのです。
おそらく巣から転げ落ち、戻れなくて途方にくれていたのです。
このままではカラスや鷹にやられるかも、大きな青大将や狐にやられるかも・・・・。

そっと両手で捕まえて、かかえて家まで連れ帰り、鳩小屋へ取り合えず避難させました。
水を与えて肉をやり、2ヶ月ほどするとこげ茶の羽に生えかわり、羽ばたく羽音もたくましく、すっかり大人になりました。

小屋の扉を開け放し、さあ、お山へお帰りなさい。小首をかしげて丸い目をぱちくりぱちくりと、少ししてから、ぴょこん、ぴょこんと跳ねながら、次の瞬間飛び上がり一目散に古巣の山へ飛び去りました。あっという間の巣立ちです。

       ☆       ☆       ☆       ☆      

村の家々の屋根は皆かやぶき屋根でしたが、しかしながら、かやぶき屋根を葺く葺きしが老齢化していなくなり、葺く材料の萱場も植林や開墾で少なくなって、時代の流れは瓦屋根へと代わって往きました。

山寺も重厚なかやぶき屋根に覆われて、りっぱな佇まいでしたが、時代の流れには逆らえず瓦屋根への転換を余儀なくされたのです。
改修費用の捻出のために境内の杉木立は山師に売られることになりました。山師は「周りの杉木立を切り倒したら、空洞のある大欅は大風を直接受けて倒木してしまう、今のうちなら、高くお金になりますよ」と一緒に伐って売ってしまったのです。

       ☆       ☆       ☆       ☆      

ほんのりした幸せを与えてくれた幼なじみのふくろうは、代々住みなれた安らぎの住処を、こうして無理やり追い立てられて、山の奥深くへと引越して行ってしまったのです・・・。


ワルポンも故郷を遠く離れて流れ来て、ようやく辿りついたのが、緑豊かな森に囲まれた、夜などちょっと淋しくなるようなひっそりとした新しく切り開かれた郊外の新興住宅地です。自然も残るここに移り住んで20年・・・だが、しかし…。

その街の周りの森を切り開き、デベロッパーが再び開発の建設を始めたのです。

誰も反対運動などありませんでした。


そんな中、突然に
「ノリツケホウセー」と50年ぶりに、あのふくろうの大きな鳴き声を聞いたのです。
思わず外へ飛び出すと暗い大きな影が「さーっ」と夜陰に消えました。
後には宵の明星だけがひときわ大きく輝いていました。

うちの前の電柱の上に一人ぼっちで佇んで、あのつぶらで大きな双の目に涙をいっぱいためながら途方にくれて泣いていたのです。故郷の古巣を追われる寂しさにこらえ切れずに耐えかねて心の底から泣いていたのです。
切り倒された近くの森に住んでいた彼の悲痛な抗議の叫びに聞こえました。

今度は、何処に移り住むのでしょうか・・・。


・・・でも、翌朝は昔と同じく、やはり雲一つ無い快晴の青空でした。