3月3日土曜日ひな祭り、南房総・鋸南町にある佐久間ダム湖公園へ“頼朝桜まつり”が盛りだというので行ってみました。
実は桜というのが河津桜なのですが、その桜を“頼朝桜”と呼ぶことにしたそうです。
何故かというと、少し長くなりますが、以下にご説明いたします。
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
源頼朝は治承4年(1180年)に伊豆で平家打倒のため兵を挙げましたが、相州石橋山で合戦に敗れ真鶴岬から小船で脱出し安房の国房州・現在の鋸南町竜島に上陸したのです。
源頼朝が平家の追っ手から身を隠したと伝えられる太海の「伊右衛門島」や、鴨川の「一戦場」での勝利をスタートに味方を増やしていったのはよく知られています。
上総介広常(かずさのすけひろつね)などの武将の加勢を得て安房、上総、下総を順次支配下にしたのです。
房総で勢力を蓄え体制を整えた頼朝は源氏の再興を目指して再び平家討伐に乗り出して平氏を倒し、鎌倉に幕府を開いて征夷大将軍となりました。
日本史上の大きな変わり目となる鎌倉時代が誕生する中で房総の果たした役割は大きなものがあったのです。
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頼朝が上陸したという以外に鋸南町がどれほどの縁(ゆかり)があったかは判りません。
①“頼朝桜”がまだ幼木で花が見栄えしないこと
②水仙は盛りを過ぎていてあまり目立たないこと
③ソメイヨシノはまだ蕾がそうとうに固そうでした
④紫陽花は当然まだまだでした
⑤水辺公園はぬかるみで歩きづらいこと
⑥モニュメントの説明がないと意味するところが判らない
“頼朝”の名を冠するには少々気恥しい思いがしました。
実は桜というのが河津桜なのですが、その桜を“頼朝桜”と呼ぶことにしたそうです。
何故かというと、少し長くなりますが、以下にご説明いたします。
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源頼朝は治承4年(1180年)に伊豆で平家打倒のため兵を挙げましたが、相州石橋山で合戦に敗れ真鶴岬から小船で脱出し安房の国房州・現在の鋸南町竜島に上陸したのです。
源頼朝が平家の追っ手から身を隠したと伝えられる太海の「伊右衛門島」や、鴨川の「一戦場」での勝利をスタートに味方を増やしていったのはよく知られています。
上総介広常(かずさのすけひろつね)などの武将の加勢を得て安房、上総、下総を順次支配下にしたのです。
房総で勢力を蓄え体制を整えた頼朝は源氏の再興を目指して再び平家討伐に乗り出して平氏を倒し、鎌倉に幕府を開いて征夷大将軍となりました。
日本史上の大きな変わり目となる鎌倉時代が誕生する中で房総の果たした役割は大きなものがあったのです。
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頼朝が上陸したという以外に鋸南町がどれほどの縁(ゆかり)があったかは判りません。
①“頼朝桜”がまだ幼木で花が見栄えしないこと
②水仙は盛りを過ぎていてあまり目立たないこと
③ソメイヨシノはまだ蕾がそうとうに固そうでした
④紫陽花は当然まだまだでした
⑤水辺公園はぬかるみで歩きづらいこと
⑥モニュメントの説明がないと意味するところが判らない
“頼朝”の名を冠するには少々気恥しい思いがしました。
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