一昨日は都内へ出て、富岡八幡宮にお参りして来ました。
八幡様の本宮は江東区富岡で、10年ほど住んでいた懐かしい街です。
あれからすでに30年にもなろうとしています。
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住んでいた当時は無かったのですが、大きな鳥居をくぐった右側に伊能忠敬翁の像がありました。日本全国を測量して歩き廻り、云わずと知れた日本地図を作った方です。
千葉県の佐原(現・香取市)の人ですが、仲町(門前仲町)に仮住まいしていたそうで、10回ほどの旅立ちにあたっては安全祈願のため富岡八幡宮に必ずお参りしてから出かけたそうです。
深川めしの食事処も出来ていました。
その隣には重さ4.5トンの日本一大きな“御本社神輿”がガラス張りの神輿蔵に納まっていました。純金、宝石がちりばめられた神輿には、ダイヤモンドが、鳳凰の目に4カラット2個、鳳凰の火焔に7カラット、狛犬の目に3カラット2個1対、隅木の目に1カラット2個4体、小鳥の目に1カラット2個4体、ルビーが鳳凰の冠に2010個もちりばめられています。
昔の“御本社神輿”は元禄時代に紀伊国屋文左衛門が奉納したものでしたが、大正12年の関東大震災で焼失してしまい、平成になって佐川急便の“お金持ち”が一人で寄贈されたものだそうです。
境内にはテントも張られ、すっかりお正月の準備も整っていました。
江戸時代に八幡様では奉納相撲があり、これが大相撲の始まりになったとのことで、八幡様の右手奥に「横綱の碑」があります。
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八幡様のすぐ裏には家の子供らも通った数矢小学校が当時と同じくありました。
通り抜けたところに赤い“八幡橋”がこれも昔のまんまの姿でありました。
鋳鉄製のアーチ橋として国指定重要文化財となっています。
写真左側の3棟目マンションの4階一番奥が当時住んでいた我が家でした。
今は何ら関係ありませんが・・・懐かしいものです。