俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『御朱印帳』

2016-10-31 17:24:22 | 観光地
鎌倉時代、道元禅師は比叡山延暦寺横川中堂で修行された後、曹洞宗大本山永平寺(福井県)を開かれたそうです。
我がお寺は曹洞宗なので、おそれながら禅師に倣って比叡山延暦寺横川中堂(滋賀県)で御朱印帳を買い求め、記帳して戴きました。


記帳を進めるにあたって二番目の記帳先は、曹洞宗両本山の一つである大本山総持寺(横浜市鶴見区)が家から比較的に近いところにありますのでお参りしました。


三番目は先日、富士山へ行った時に富士吉田市の北口参宮富士浅間神社にお参りいたしました。
今日は地元でもある真言宗智山派成田山新勝寺へお参りしてきました。


高野山(和歌山県)や永平寺、京都市内のお寺さんにもかなりの数で行ったことがあるのですが、遠いので機会があったらもう一度行って記帳を頂きたいと思っています。

次はどちらのお山へお参りしようかな・・・
もう、そんな年代になってしまったのですね・・・

『足尾銅山』

2016-10-30 18:14:21 | 観光地
江戸時代から400年間にわたって掘られた足尾銅山は坑道の総延長は1、234㎞に達するそうです。

足尾銅山観光の客待ちするトロッコ列車です。


トロッコ列車に乗って坑内へ突入です。


坑内に置かれた作業中の鉱夫の人形も過酷な労働を想像させるリアルさで、哀れさを誘われて出口を求めて急ぎました。
薄暗い坑内は狭く、支保の高さも低いので頭を何回もぶつけてしまいました。

江戸時代の貨幣、「寛永通宝」はここでも作られていて、裏面に「足」の字が刻まれていて「足字銭」と呼ばれていたそうです。


ここから6kmほど離れた松木渓谷辺りの山々は銅の精錬所の煙害で一木一草も生えないはげ山です。
土砂の流出を防ぐための「足尾砂防ダム」があります。


この風景を“日本のグランドキャニオン”などと地元のパンフレットに書いてありますが、田中正造翁の公害抵抗の歴史を知ると、如何なものかと思います。


『富士山』

2016-10-29 17:18:07 | 観光地
10月26日(水)に富士山の5合目までドライブしてきました。
都内はガスっていましたが、登るにつれて空気が澄んで正に透き通るような青空でした。


スバルラインも「富士の山」のメロディを奏でます。
             ♬あたまを雲の上に出し
               四方の山を見下ろして
                かみなりさまを下に聞く
                 富士は日本一の山♬


山頂もすぐそこで、手が届くような近さです。


紅葉も真っ盛りで、ゆく秋を堪能しました。

帰途、忍野八海に寄りました。



でも、〝日本の富士山”は、外国からのお客様で埋め尽くされているのには驚かされました。

『草津白根山』

2016-10-24 12:24:21 | 観光地
今まで3度試みていつも濃い雲が立ち込めて見ることの出来なかった憧れの「草津白根山」にとうとう出会うことが出来ました。

日本百名山の一つである草津白根山は現在噴火警戒レベル2の活火山で、火口から1㎞以内の立ち入りが禁止されています。


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ここは国道292号線が通っているのですが、山頂の半径1㎞以内を走る区間は駐停車禁止、8時から17時は通行可ですが夜間は通行禁止となっています。

白い山肌の山腹からは絶えず火山ガスが立ち上げていました。
毒ガスである硫化水素を含む水蒸気とのこと。


日本の国道では標高が一番高いところを通っているそうで、通称「渋峠」と呼ばれる観光道路でもあります。


芳ケ平の湿原が足下に広がっています。


白根火山ロープウェイの隣のスキー場ではのんびりとカモシカが草を食んでいました。


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万座温泉から下ると紅葉は真っ盛り・・・


久方ぶりの快晴に恵まれ、紅葉を満喫した往復540㎞のドライブでした。

でも、少々疲れました。

『関ケ原』

2016-10-09 13:14:49 | 観光地
日本百名山の一つ「伊吹山」は、標高1377ⅿで滋賀県の最高峰です。


9合目までドライブウェイが通っていて観光地化され、見晴らしもよく、山頂からは濃尾平野や伊勢湾、眼下に琵琶湖や比叡山、北アルプスの山々が一望される大パノラマ広がっています。
花の種類も多く1200種以上の植物が咲き乱れる花の百名山にもなっています。

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その麓には天下分け目の関ケ原の戦いの古戦場があります。


桃配山(ももくばりやま)に徳川家康の本体が、笹尾山には石田三成が陣を構えたそうです。
東軍は井伊直政、細川忠興、黒田長政、福島正則等が・・・西軍は石田三成、島左近、宇喜多秀家、大谷吉継、小早川秀秋等が・・・対峙

当初は優勢だった西軍でしたが、小早川秀秋が東軍に寝返ったために形勢は一気に逆転し、わずか一日で東軍の圧勝となったそうです。

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関ケ原笹尾山交流館では鎧兜の貸し出しを行っていましたが、ここでは石田三成の人気圧倒的に高かったようです。


日がな一日鎧兜に身を包んで一帯の陣営を見て回っている大の大人もおられ、いかにマニアといえども、ちょっと如何な御仁かと思いました。

『比叡山』

2016-10-08 18:43:59 | 観光地
世界文化遺産・天台宗比叡山延暦寺は1200年前、伝教大師最澄上人により開かれました。

“その教えの根本となすものは「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」すなわち、一人ひとりが相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行うことが、周りを良くすることにつながると言うのです”とパンフレットにありました。

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東塔(とうどう)の根本中堂は延暦寺の総本堂で、御本尊は薬師如来です。
何回も災害に逢い建て替えられましたが、現在の姿になったのは徳川家光公の命で寛永19年(1642年)に竣工したもので国宝になっています。
この10月から10年がかりで大修理が行われるということでした。


宿坊・延暦寺会館で精進料理の昼食を頂きました。
「食事略作法」という経本を頂いたので見ると、食前観という経文を唱えてから頂きましょうと言われましたが、冷めちゃうのではないかというので、“合掌・いただきます”だけで食べちゃいました。


精進料理は何十年も前に羽黒山で頂いたことがありましたが、こんなにも美味しいものかと感心しながら頂戴いたしました。
このほかにもてんぷらや煮物などが付いて満腹した次第です。

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西塔を経て横川中堂へ廻りました。


鎌倉時代には日本仏教各宗派を開いた祖師たちが比叡山に籠山修行したのです。
浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮上人などは命がけの修行の末、一宗一派を開かれたのでした。

比叡山の山霧漂う空気を胸いっぱい吸い込んで敬虔な気持ちになって山を下りましたが、京都市内に入り「出町ふたば」の豆大福をほおばって、「七輪」の焼肉をビールで腹一杯食べちゃったら、現実の俗社会に戻ってしまいました。


『彦根城』

2016-10-04 13:49:56 | 観光地
彦根城は、徳川四天王のひとり井伊直政が関ケ原の合戦でなした功により徳川家康の命を受けて建てた城です。
400年前の築城で、松本城、犬山城、姫路城と共に国宝となっています。
譜代大名では破格の35万石の大大名でした。


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敵の攻略がしづらいように作られたという不揃いな階段を汗を拭き拭き登ると、やがて天秤櫓があります。
そこに渡された橋は敵が攻め入って来た時には焼き落して侵入を防ぐのだそうです。
幸いにも彦根城では一度も戦は無かったそうです。


これが国宝彦根城の天守です。


城山を下りると、下屋敷である「槻(けやき)御殿」(現・楽々園)に連なって玄宮園があります。
池泉回遊式庭園で茶会などが開かれ大名の社交場となっていたそうです。


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西の丸の三重櫓に上って琵琶湖からの清々しい風に吹かれて景色を眺めていると、解説の方が話しかけてくれました。

琵琶湖からの攻め来る敵の監視のための櫓で、彦根城では一番西の見張り所であることや、最初は石田三成の居城があった佐和山を家康から賜ったが、三成の祟りがあるということで現在の場所になったことなど詳しく話してくれました。

歴史に疎いワルポンが「石田三成を裏切って徳川に付いた功績を買われたのか?」と聞くと、「冗談じゃない!、裏切ったなどとトンデモナイ。徳川四天王のひとりで、常に先鋒をつとめて手柄を立てていたんだ。それまでは高崎城主だったんだ」と、かなりご立腹のご様子。

地元自慢の井伊家の悪口に聞こえてしまったらしい。
「いや、大老の井伊直弼のことは知っていましたが、代々井伊家は大老を出すようなすばらしい名家だったのですね」と、繕うと、少しは気分が治ったのか上機嫌で「楽しい旅を続けて下さい」と送り出してくれました。

旅は歴史を知らないと恥をかきます、失敗します。勉強、勉強、・・・