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カミカゼを称賛された 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑤ 

2022-08-27 05:30:57 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑤ 

カミカゼを称賛された

グダンスク(ポーランド)

 

 

 ポーランドには、1999年から2002年にかけて何度か出張した。バルト海に面したグダンスク港にブラジルから運ばれてくる鉄鉱石を船から陸揚げするための連続式アンローダー(CSU = Continuous Ship Unloader)という機器の受注活動のためだ。
 東京から、グダンスクは遠い。ウイーン経由でワルシャワに飛び、ワルシャワから更に鉄道で4時間だ。グダンスク中央駅には、お上りの外国人を狙う窃盗団が巣くっており、ワルシャワからの列車が到着する度に、獲物を狙ってプラットフォームでとぐろを巻いている。
 どいつもこいつも揃って悪党面だ。いつも、出迎えてくれるので、もう彼らとは顔なじみなのだが、決して愛想よくはしてくれない。
 毎回、列車を降りるとシマウマを狙うライオンのように、ジワジワと距離を詰めてくる。私たちは5人のグループで行動している。強盗どもを見据えたまま、ゆっくりと落ちついて改札口に向かう。こんなことを何回か繰り返す内、いつの間にか、荷物を内側にした円陣のような隊形を形成して移動するようになっていた。
 そんな追想に耽っていたら、緊迫する東アジアの安全保障環境に思い至った。安全確保には、「お前らを見ているぞ。寄らば切るぞ!」というシグナルが必要であるということだ。
 グダンスクだけの習慣かも知れないが、仕事の時間帯が独特である。毎朝9時ごろから夕方3時、4時まで昼食抜きで、ずっと会議を続ける。会議机の上には、多数のファイルやノートと並んで、何種類ものチョコレートやビスケットを山盛りにした大きな皿がある。
 サイドテーブルには、コーヒー、紅茶、ソーダやジュースなどが何本も。彼らは、それらをダラダラと食べ、飲みながら、延々と会議を続けるのだ。
 昼食抜きで仕事をするなど思いもよらない私たちは、腹が減っても、お菓子やジュースに手を付けるのを控えていた。子供の頃に、「ご飯の前に、お菓子を食べてはいけません」と刷り込まれているせいだ。
 しかし、2時になっても3時になっても昼飯のお声が掛からないので、空腹に耐えきれずビスケットやジュースを手に取った。一つ食べると、止まらなくなってしまい、食べ過ぎて気持ちが悪くなってしまった。そんなタイミングで、議長が言った。
「みなさん、3時半になりました。今日はここまでにしましょう。夕食は、ホテルのレストランで5時からです」
 エーッ、5時から夕食? なら、最初にそう言ってよ! そう言いたいところだが、彼らにとっては、いつものことなのだろう。
 こうして昼食抜きが2日続く。3日目には、私たちは自衛手段を講じた。ホテルでブッフェ形式の朝食をとる際、バナナ、ゆで卵、パンなどをこっそり持ち出して昼食代わりにしたのだ。
 それでも満足できなくなり、本格的なサンドイッチを作ったりもした。レストランの食べ物は持ち出し禁止だが……。ホテルの皆様、本当にごめんなさい!
 会議は、契約条件、融資条件、適用規格、仕様、輸送形態、真冬の海象条件、納期、鉄鉱石の形状等々詰めるべきことは山積しており、いくら時間があっても足りないほどだ。
 食卓についても、会議の余熱が残っていて、しばらくは仕事の話が尾を引く。しかし、ウオッカの乾杯が3回も続けば、楽しいい雑談になる。ポーランド語では、雪の白さを表す言葉が10以上あると、自慢されれば、日本語には雨に関する表現が無限にある、と自慢し返す。そんな具合だ。
 愛国者の多いポーランドでは、戦争の歴史について議論することが珍しくない。周辺国、特にソ連とドイツに翻弄された悲惨な歴史が今もポーランドの人々の心から消えていないからだろうか。
 ザックリ、おさらいしておく。ポーランドは1000年の間、ヨーロッパの強国の一つであったが、18世紀の終わりにロシア、プロシア、オーストリアによって3分割され、世界地図から消えてしまった。
 ポーランドは、粘り強く独立運動を続けたが、そんな彼らに勇気を与えたのは、日露戦争で大国ロシアを打ち破った開国間もない極東の小国日本だった。第一次大戦後、ポーランドは独立を回復するも、第二次大戦中には、ソ連とドイツに分割占領されてしまう。
 大戦後は、ソ連圏に組み込まれたが、日本でも広く知られたワレサ議長が率いる「連帯」の民主化運動(1980年代)により、東欧諸国の民主化運動のリーダーに躍り出て、旧ソ連圏で初めての非社会主義政権を誕生させた。
 ポーランドには親日家が多い。前述したように、日露戦争機における日本の勝利がポーランド人に自信を与えたことが大きな理由であると言われている。しかし、それだけではない。
 第一次大戦とロシア革命の混乱の中、両親を亡くしたポーランドの孤児たち763人がシベリアに取り残された。しかし、国際社会は無視を決め込む。そんな中、日本だけが手を差し伸べる。
 日本政府と日本赤十字が、シベリアに出兵していた日本陸軍の輸送船でウラジオストクと敦賀を何度も往復し、孤児たちを日本に移送したのだ。敦賀から東京に向かった彼らは手厚く保護される。国内から多くの義援金も集まった。すっかり健康を回復した孤児たちが船で無事にポーランドに送り届けられたのである。
 1940年には、ナチスの迫害により、ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人たちに、カウナスの日本領事館領事代理の杉原千畝が本省の命令に背いてビザを発行した。いわゆる「命のビザ」がきっかけとなった救出劇も有名である。そんな日本の人道支援をポーランド人は今なお忘れていないのだ。
 その日は、ウオッカとワインを相当飲み、みんな饒舌になっていた。議長が私の目を真っすぐ見つめ、突然訊いた。
「ミスター・フジワラ、あなたはカミカゼについてどう思いますか?」
 私は、決して神風特別攻撃隊を賛美するものではないが、軍国主義による狂気の沙汰だと単純に切って捨てるような人とは距離を置きたい。日本のメディアは、神風特別攻撃隊を否定的な切り口ばかりで伝える。
 しかし、私がこれまで接してきた世界中の多くの人たちは、カミカゼは、勇気ある愛国者の行動であると肯定的に語る。論難を浴びせられたこ
とはただの一度もない。但し、この問題を中国、韓国の人たちと議論したことはないことをお断りしておく。虚を突かれ、どう返答しようかと逡巡していると、彼は続けた。
「私は、窮地に追い込まれた日本人が、国と愛する人達を守るために自分の命を犠牲にした、崇高な行為だと信じている。ポーランドでも、多くの兵士が爆弾を抱いてソ連の戦車に体当たりして、命を落としました。カミカゼと同じ精神です」
 決してうまい英語ではないが、彼の思いは心に響いてくる。私は、不覚にも溢れてきた涙を堪えることができなかった。
「私も同じ思いです」
 と相槌を打つと、期せずして、自然に声が上がった。
「ナ・ズドロヴィェ!(ポーランド語で乾杯の意)、ポーランドと日本のために!」
 ポーランドには、元々ウクライナからの移民が約150万人居住している。そこにウクライナ戦争による難民がなだれ込んだ。その数は、一時520万人に達し、8月現在でも240万人が留まっている。
 人口3830万人のポーランドにとっては、社会的・経済的に大変な負担のはずだが、それでも、アンジェイ・ドゥダ大統領は、「彼らを難民と呼ばず、友達、親せきと呼ぼう」と国民に語りかけ、国民はその声に応えている。ポーランドの苦難の歴史をウクライナに重ね合わせ、決して他人事と放ってはおけないのだ。
 また、言語は異なるものの、ポーランドとウクライナは共にスラブ系の民族で、文化的親和性が極めて高いことも深刻な社会的混乱の抑制に一役買っているに違いない。ポーランド人の忍耐と博愛の精神に頭が下がる。一刻も早く、ウクライナに平和が訪れ、ウクライナとポーランドの友好関係が続くよう祈りたい。
 

 

   

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、NHK俳句通信講座講師を務める夫人と白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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