【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(55)
我が家のリビングの壁に、花びらの色がオレンジでポツポツと斑点のある「オニユリ」の水彩画を飾っている。作者はミセス・キクチ。ハワイ生まれの日系二世である。その方を知ったのは、ロサンゼルスのリトル東京にあるスーパー「ヤオハン」。その店のインフォメーションに掲示されていた「日本人に水彩画教えます」を見たので、訪ねて行った。
もう30数年も前のことだが、当時私たち夫婦は、ハリウッドの少し北にあるロス・フェリツのアパート(日本ではマンション)に住んでいた。近くの小高い丘にグリフィス公園があり、「グリフィス天文台」が有名で、ロスの街並みの夜景が絶景の場所でもある。
早世したジェームス・ディーンの「理由なき反抗」の他、「ターミネーター」「ジュラシックパーク」など数々の映画の撮影場所にもなった場所で有名だ。比較的最近のものでは「ラ・ラ・ランド」がある。日本からの客が我が家に来ると、夜景の見える場所へ行き、「ここがジェームス・ディーンの立っていた場所なのよ」と案内したものだ。
横道にそれてしまったが、ミセス・キクチの家は、グリフィスパーク北方のバーバンクにあった。閑静な住宅街である。フリーウェーの5番に乗って15分ほどだった。所番地さえ知れば、私でも簡単に行けたのである。
プール脇に少し広めのヤード(前庭)があって、そこにテーブルと椅子があった。近所のマダムらしき人たちがおしゃべりをしながら、画板に向かっている。私が訪問した目的の一つには、絵のこともあるが、彼女たちの会話を聞くことで、少しでも英語に触れたいという思いもあった。
日系2世のミセス・キクチは当然、英語が得意である。だから、かえって日本語を話す相手が欲しかったようだ。年齢は60代後半だったと思う。ハリウッド女優たちの衣装を作ることが仕事だったというが、引退してから、好きな絵を描くことに専念したとか。
主に花が題材であったが、色彩の感覚が素敵で私の好みでもあった。初めての私にも丁寧に教えてくれたし、褒め上手でもあったので、月2回通うことは楽しかったのだが、一向に会話の仲間に入れない。マダムたちはおしゃべりに夢中で、絵に関しては先生もお手上げ状態であった。
ミセス・キクチは絵を描く速度も非常に早く、またその絵の表装・額縁造りも自分できっちり作られる。手は酷使をされているが、その手入れも怠りはない。マニュキアは週1回、プロの所でされていた。当時はまだジェルネイルの時代ではなかったから、「爪の痛みはなかったのかな?」と、今になって思う。
元気そうだったご主人が亡くなったという報に接したのは、通い始めて1年ほど過ぎてからだったろうか。お別れ会(葬儀)に出向いて、日本との違いに驚いた。教会だったと思うが、周りはピンクや赤のカーネーションで埋められていたのである。棺は開いていて、顔はドーランを塗ったかのように、赤茶けた化粧がされていて、少し離れた所からもはっきり拝めた。火葬ではなく埋葬と聞いたが、そこへの参加は遠慮した。
その後の絵の教室を長く休んだ記憶がないので、早くに再開したのだろう。他の生徒さんたちが帰られた後、壁紙を張り替えたので見て欲しいとのことで、キッチンに案内された。薄いイェローの地に細かい花柄であった。DIYがお得意のようで、洒落た棚や小物入れなどもあるではないか。こんなことが一人で出来るんだ。なんて素敵なんだろう! しばらくはあちこちを見とれてしまった。次いで彼女は寝室へも案内してくれた。ここの壁紙は白地で、縦に紺色の小花の柄が入っていて、爽やかさと清潔感があった。
「寝具も全部替えたのよ」
そこには真っ白なベッドカバーが掛かっていた。その白さに驚きながらも、一人になった淋しさや、愚痴などを一切話されることもなかった。好きなことに没頭しながら、背筋をピンと伸ばし、美意識の高かったミセス・キクチは、心新たにして過ごそうとされる素敵な女性だった。きっと、今は天国でも花の絵を描かれていることだろう。