【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㊱
年を重ねていくことは、身体的にも精神的にも、そして頭の働きも衰えていくことで、誰もが逆らうことが出来ない。その衰え下っていくカーブの線をなるべく緩やかにしたいという思いは、誰にもあるに違いない。私も食事に気を付けたり、運動をすることを心掛けたり、友人達との交流も積極的にしたり、思いつくことは、何でもしたいと思っている。
その一つとして、体操教室に行っているのだが、通い始めて6年ほどになる。運動に関しては、元来の怠け者なので、歩いて行ける所にあることで、何とか続いている。もう一つ、有料であることが功を奏しているのかも知れない。市が行っている教室もあるが、天候のせいや、気が乗らないから、どうせ無料(年齢によって)だし、と、怠けたくなって続かないことになる。
サボっていても会費が天引きされてしまうので、「頑張れ」と自分に言い聞かせながら、週に2~3回を目標にして有料の教室に通っている。そこへ来る人達の中には、日課の一つとして毎日通っている人たちもいるようで、感心してしまう。
中には折角体操に来ているのに、その姿勢や動き方に疑問がある人も。リハビリの一つとして通う人もあるのだろうから、その動き方に難癖はつけられない。しかし、体は元気そうなのに、のらりくらりとした動きや、知り合いとのおしゃべりに興じる人、背中を丸めて気乗りのしない態度でステップボードの足踏みする人も見かける。
私がこの教室で心がけているのは、12のマシンをコーチから教わったように使うこと、背筋を伸ばして、姿勢よくステップボードでの足踏みをすることだ。この背筋を伸ばしての行動は、普段の生活でもかなり努力をしなければならない。食事の時、テレビを見ている時、机に向かっている時、気が付くといつの間にか背中を丸めている。
同じ年齢でも若く見える人と、老けて見える人がいるが、それはどこに違いがあるのだろう。服装やおしゃれには、金に糸目はつけないセレブな人や芸能人。テレビで活躍する人には、流石と思わせる人達がいる一方で、痛々しいほど老けてみえる人もいる。何がそうさせるのだろう。持病でもあるのだろうか。華やかな世界も苦労が多く心労があるのだろうか。ミーハーな私は余計なことも考える。
日々の生活をしている中で、楽をすることばかり考えるのも考えものだ。自分に出来ることであれば、少しは大変なことでも、人のお役になればと動けた時は、喜びでもあり楽しいことでもある。あれこれの会に属していると、長老となって自分の経験や考えを押し付ける頑固な人もいる。そういう私自身も、ふと気づくと高齢者に。だから、前向きな考えをする若い人の行動や意見には、しっかり聞く耳を持って応援し、その人が育って行けるように願う。これは責務だと思っている。
何かの催しや会には、誘ってもらえるうちが花とばかり、自分の予定が重ならない限り、顔を出すようにしている。しかし、良いことばかりでないのが世の常で、自分なりの価値観や考えていることと、大きく違って苦痛を伴うこともある。そんな時は喧嘩をしたくない。そっと抜け出すことも、長く生きてきたことの知恵かも。