白井健康元気村

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老いるということ  岩崎邦子の「日々悠々」㉜

2019-04-26 04:54:38 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㉜

老いるということ  

             

 

「さっき電話もらったけど、何だった?」

と、姉から電話。

「うん? ねぇ(姉)ちゃんのお店に明日、行くからね」

「いつ、来るの?何かあったの?」

「法事、18日だから、その前に明日の午後、ねぇちゃんに会いたいから」

「そっかぁ、分かったぁ」

   先ほどの電話と同じ内容の繰り返しである。なんだか姉の様子が変だ。姪に電話しておいたほうが良さそうだ。

   祖母の50回忌と姉(結婚しなかった、私のすぐ上の姉)の37回忌の法事を4月にするからと、義姉から以前に連絡があった。その法要に岐阜県大垣に出かけることになり、駅前にあるホテルには早々と予約を入れる。前泊をして姉とも久しぶりにゆっくりと会おうと思っていたのだ。

 ジパングの会員になっているので、すでに新幹線ひかり(ジパングを利用するにはひかりが限定となっている)の切符は買ってある。毎時03分と33分が東京発のひかり号だが、始発駅なので指定席を買う必要もない。我が家を朝ゆっくり出かけても、昼過ぎには大垣に着く予定だ。

 春の旅行シーズンだからか、駅のホームも電車の中も大きなトランクを引いている人たちが大勢いる。天気予報を見て出かけたが、名古屋に近づくとずいぶん雨が降っていることに、びっくりだ。東京を出るときは少し暑いくらいに思ったのに、乗り換えるための名古屋駅に降り立つと、小寒い。

   大垣駅が終点となる東海道線の電車に遅れが出ていたが、無事到着。ホテルのチッェクインには早いので、荷物を預け、ついでに大きめの傘を借りて、歩いて10分ほどの姉のこところに向かう。地方の小都市は全国的に中心であるはずの商店街が寂れているが、ここ大垣もご多分に漏れずの様相だ。シャッターの閉まった店や細々と営業している食べ物屋の前を歩く。同級生の家だった傘屋さんや洋品店も代替わりもあったのだろうが、無くなっている。

   姉の店は娘(私の姪)と、その息子たちが引き継いで、パン屋と喫茶店を、どうにか今も営業しているのだが……。姉が嫁いだ先は、地方銀行の向かいにあるパン屋さんだった。当時、疎開先から元住んでいた所に引き揚げたばかりの私の家族は、祖母と長男である兄と姉が3人、そして末っ子の私で6人であった。

   当時貧乏の極致にあった我が家だが、相手から望まれたとはいえ、説得され口減らしのような状態で、長姉は18歳で結婚させられた。私にとっては「おっきねぇちゃん」として、慕ってもおり、可愛がられてもいたので、姉の嫁ぎ先の店には高校生になってからも、ちょくちょく行ったりしたものだ。

   なので、人には言えないほどの苦労を姉がしてきているのを見聞きしている。姉は結構美人だったし、店先に立つときはいつも身奇麗にしていた。背も低く顔も良くない私だったが、大きくなったらあこがれの姉のように身なりに気を使い、きちんとしていたいと思っていた。

   実家では法事が度々行われてきた。兄が惣領を務めるようになって、菩提寺にも相談して過去帳を作って、先祖の供養をきちんとするようになった。私の知らないお爺さんや、どんな関係か分からない人も含め、早くに亡くなった私たちの両親、結婚前に亡くなった私の2人の姉や、93歳で亡くなった祖母など、お寺とは懇意にして法要をきちんと営んでくれていた。

   普通はしない、というより出来ないという50回忌だが、早世したの両親の50回忌も25年も前にすでに終えている。4年前に88歳で亡くなった兄に代わり、義姉が兄の遺志を継いで、この度は祖母や姉の法事となったのだ。

   兄と4姉妹だったが、今では長女の姉と私の2人になってしまった。9歳上の私の自慢の長姉のことは、以前にもこの「日々悠々」で書いたことがある。パン屋と喫茶店を切り盛りしながら、暇を見つけて自分の運転でプールに通う、超元気な姉であった。

   さて、久しぶりに姉の喫茶店に着くと、姪が笑顔で迎えてくれ、「すぐ呼ぶからね」と言い、姉に連絡を入れてくれた。店のコーヒーとクロワッサンを「どう?これ」と出してくれた。どうやらこのパン屋の自慢の品となっているようだ。姪とその息子で、喫茶店とパン屋を仕切っていることが分かった。ひとしきり姪とおしゃべりをしながら、姉が店にやってくるのを待った。

「あ~痛い」と言いながら腰をかなり曲げて歩く姉、髪の毛も少し乱したまま店に来た。きりりとした姿や表情の姉ではない。驚きを隠しながら「久しぶり~、そんなに痛いの?」としか言えない。連れ合いの義兄が亡くなってから、どうも様子が違ってしまったらしい。

   店のことは娘や孫に任せるようになったので、プールに行くことだけが日課になったという。ところが、腰痛が酷くなったので、グループに入って泳ぐことも出来ず、見学とおしゃべりをするという日が続いている。家に帰ると食事の支度も孫がしてくれるので、何もしないでぼーっとしているだけだという。

   もっと悪いこというか、安全のためには良いことなのか、車の鍵を取り上げられてしまったらしい。プールへの送り迎えは、家の誰かが毎日してくれるというのだが、運転ができないことは、姉には大ショックの様子である。

   しかし、姪の気持ちも、私にはよく分かる。たびたび報道される高齢者の運転ミスは、何よりも避けたいに違いない。姉が高齢になっていること、腰痛が酷くなっていること、日々の暮らし方にも元気さがなくなっていること、物忘れが頻繁になってきたことなどが挙げられる。

   姉の場合、子供・孫・ひ孫が身近にいて、物理的には孤独な状況ではないが、心理的に孤独感を強く思っているらしく、「淋しい」「何もすることがない」などの言葉を漏らしているという。店に立って接客をしながら、あるいは従業員にも指図をしてきた姉の悲哀であろうか。商売のことに重点を置きすぎて、友達も少ない。趣味を広めることもなく過ごしてきた姉が、直面している問題だ。

「要支援1」の判定がされているというので、介護予防サービスを利用することができる。症状の緩和や回復を目指すことができるが、ケアマネージャーとの面談が必要である。どのようなアドバイスとなるか分からないが、話し相手が出来るかもしれないと、推測や期待もする。姪は母親にその面談を受けてみるか、と何度も問いただすが、その必要を理解できないのか、首を縦に振らないというのだ。私も「友達が出来るかもね」と、面接・面談を暗に進めてはみた。

   昔話をすると、姉は笑顔になっていろいろと覚えていて話が弾む。時にはあの時の辛さを思い出しながら、二人で涙が頬を伝う場面もあった。話すことは脳の活性化を促すともいう。もっと近かったら、姉を尋ねることや出かけることも出来るのに、とても残念だ。「大好きだった姉の腰の痛みが和らぎますように」「新しい友達が出来ますように」と祈るしかない。

 誰もが年を重ね、老いることを避けることは出来ない。そのことの現実をしっかり受け止めて、私自身もこれからは生活をしていかねばならない。そして、原因は分からいというが、認知症になる可能性も大である。一生懸命に仕事をしてきた人ほど「老後はのんびりしない」ことが大事だという。姉には「自分に合った趣味に没頭し、新しい仲間との楽しみも、どんどんすること」が肝要かも。

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