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「楽宮」のオモロイ日本人たち② 【連載】呑んで喰って、また呑んで㊿

2020-06-17 19:15:29 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで㊿

「楽宮」のオモロイ日本人たち②

●タイ・バンコク

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 

 

 しばらく「呑んで喰って」の話題から遠のいているが、最近二日酔いが続いている。だから、もう少しだけ飲食の話題を避けたい。誠に勝手なお願いですが、どうかお許しを。

 さて、その朝も男は「出勤」した。黒いスラックスに、白い長袖シャツ。ネクタイはしていないが、黒い革靴を履き、アタッシェケースを下げているから、みんなは彼のことを「セールスマン」と呼んでいた。
 そんな恰好で楽宮大旅社を根城に、毎朝決まった時間に出かけている。こんな安宿から出勤する日本人は「変人」以外の何者でもないだろう。
 もう半年ほど暮らしているらしいが、誰もその男がどんな仕事をしているのか知らない。同じ安宿に泊まっているのだから、誰か親しい人物がいるはずだが、「セールスマン」と親しいどころか、会話を交わす住民は一人もいないのである。
 近寄りがたいオーラを放っていたからだ。そんな「セールスマン」はある日、突然姿を消した。「麻薬がらみで地元のヤクザと揉めて消された」「人生に絶望してチャオピア川に飛び込んだ」「ギャンブルで借金がかさみ、マレーシアに逃げた」
 そんな噂が飛び交ったが、真相は闇の中だった。ま、みんな何をするわけでもなく、ぶらぶらと暮らす暇人だから、想像力だけは日々磨きがかかる。逆に脳の機能が停止して、
想像力はおろか、思考もままならない輩も何人かいた。
 いずれにしても、楽宮の住民たちは暇を持て余しているのだ。アユタヤやパタヤは行き飽きた。チェンマイはちょっと遠方なので、面倒である。近場で暇を解消するには、どうすればよいのか。ある夜、気心の知れた仲間といつもの屋台で「メーコン」のソーダ割を呑んでいるとき、ふと思いついた。そうだ、草野球をしよう!
 翌朝、私は市バスに飛び乗った。約10分後にバスを降り、しばらく歩く。目的地はタイの東大と言われるチュラロンコーン大学だ。広大で緑あふれる構内は、まるで公園のようである。私は度々この大学の学生食堂で昼食をとっていた。安くて美味いからだ。しかし、この日は学生食堂ではなく、日本でいうところの「学生課」みたいな部署である。私は担当の職員に単刀直入で切り出した。
「この名門チュラ(タイ人は親しみを込めてこう呼ぶ)の学生たちと、私たち日本の若者たちとベースボールの対抗試合をやりたいのです」
「ベースボール?」と職員は困ったような表情を浮かべた。「申し訳ないのですが、タイ人はベースボールをしないのです。もちろん、この大学にもベースボール・クラブはありません。誰もベースボールなんかやったことがないのですから」
 えー、そうなのか。タイ人はベースボールなんか見たことがない。いやあ、私のとんだ勉強不足である。せっかくの計画は瞬時に頓挫してしまった。そんなわけで、再びだらだらとした日常に戻ることに。いつものように呑んで喰うしかない。
 チュラから戻ると、1階の北京飯店で貧相な顎髭を生やした「船員」が、まだ昼前というのに、いつものように一人でビア・シン(シンハー・ビール)を呑んでいた。楽宮には珍しく孤独を好む男である。遠洋航海の漁船員をしているが、航海から戻ると、東南アジアを旅しているらしい。
「座っていい?」と私は彼の前に座った。「ビールか。いつもは安いメーコンばかりだから、たまには呑みたいなあ」
「ああ、呑みなよ」
 そう言って、彼は私のためにグラスを追加し、なみなみとビールを注ぐ。料理は不味いが、ビールなら、どの店も同じ味だ。無口な彼もビールが何本か空になるにつれ、口が軽くなったようだ。こうして、「船員」と夕刻までだらだらと呑み続け、気が付いたら、いつもの屋台である。いつの間にか「レスラー」も「18センチ」も加わっているではないか。だいたい、いつもこんな感じである。
 紹介しよう。「18センチ」は、九州からやってきた大学生である。なぜそんな名前で呼ばれているのかというと、ナニの長さが18センチだ、と本人が吹聴したらしい。ナニが何なのかは、上品な私の口からは言えないので、ご想像にお任せしたい。しかし、一体誰が計測したのか。おそらく本人だろうが、ミエを張っているのかも。きっと、そうだ!
 この「18センチ」君、しばらくしてインドに旅立つ。ところが、現地で強烈な食中毒になり、生死の間をさまよったという。回復したら、急に和食、とくに北京飯店の和食が食べたくなり、1カ月もしないうちに、バンコクに戻ってきた。
 そのときの和食が何であったのか知らないが、目撃者によると、感極まって涙を流していたとか。不味いので定評のある北京飯店で感涙にむせぶとは、一体、日本でどういう食生活を送っていたのだろうか。
 楽宮には日本人女性も泊まりに来る。ある夜のことだ。廊下で冷たい水を浴びていると、番頭がやって来て、タイ語と片言の英語で訴えた。
「日本の女、下着で寝ている。ドア、オープンね。危ない。あなた、注意して」
 いつの間にか、私も滞在が長くなっていた。刑務所でいうと「牢名主」みたいな存在になったようだ。もっとも、楽宮の部屋も窓には鉄格子がうるので、刑務所とそんなに変わらないが…。いずれにしても、何か問題が起こると、番頭が私のところに相談に来るようになった。
 仕方がない。タイ風の腰巻を巻いて、その部屋に向かうと、確かにドアは半開き状態だった。ベッドには若い女性が下着姿で寝そべっている。ドアを激しくノックすると、彼女は目を覚ました。
「ちょっと、危ないじゃないの」と私は牧師のように諭した。「ドアはちゃんと締めて、中からロックしなさい」
「あー、すいません。いつの間にか眠ってしまったみたい」
 彼女は札幌でホステスをやっていたとか。お店を辞めて世界放浪の旅の最中だった。
 そうそう、思い出した。もう一人女性がいた。ある日、誰かが私の部屋をノックしたので、開けてみると若い女性が立っていた。
「あのぉ、山本さんですか?」
「はい、そうです」
「あー、よかった」彼女は安堵の笑みを浮かべた。「パリで『13歳』からあなたのことを聞いて尋ねてきたんです。『バンコクに行ったら、楽宮大旅社にヤマモトという人が住んでいるから、ぜひ会ったらいいよ』とすすめられて」
 彼女は東京女子大の学生だと名乗った。「13歳」とは2カ月ほど前にバンコクからパリに飛び立った中学生である。正確には中学を卒業したばかり。そうか、無事にパリに着いたのか。この「13歳」も楽宮で出会ったオモロイ少年だった。(つづく)
 


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