【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(87)
4歳になるか、ならないかの頃である。私は母屋から渡り廊下を通って、父の部屋へ向かった。子供達にも厳格で近寄りがたい父。姉たちにとっては煙たい存在だったからか、末っ子の私が父への伝言を任された。そ~っと襖をあけ、教わった言い方で、
「とうちゃん、ごはんのしたくが、できました。おあがりゃーす」
父は、ギロリと私を見ると、小さく「おっ」と頷いた。居間の食卓では、祖母や姉たちが待ち受けている。
「ハシトラバ アメツチミコトノ オンメグミ ゴオン アジワイ イタダキマス」
父が箸を手にして呪文のような言葉を唱え終えると、私たち家族は揃って食べ始める。この時はすでに母は病んでいたのか、母の姿は思い出せない。
やがて、太平洋戦争も厳しい状況となり、わずかな知り合いの農家を頼って、強制疎開。父中心の納屋暮らし組と、別の知り合いを頼った祖母組に別れて暮らし始めた。そんな折にも、呪文を唱える習慣は続いていた。
この呪文言葉は何十年も経つが、時折不思議によみがえって来る。遥か昔の幼少期には、あまり意味など分かっていなかったのに、何かの折にふと口をついてくる。夫に、こうした習慣をしてきたかと、聞いてみたが、無かったと言う。同年配の人たちにも聞いたが、そんな言葉は知らないらしく、食事前には「いただきます」しか、言ったことがないとのことだ。
「箸とらば 天地尊(あめつちみこと)の 御恵み ご恩味わい 頂きます」と、漢字に書けば意味が通じるのか、と。私なりに解釈してみる。
ちなみに、「箸とらば」で検索してみると、地方によっては、天地尊は、雨・土・御代(天皇陛下が治める世の中)、としている所もあり、似たような他の言い方をする所もある。食事の前に感謝を述べる習慣として、戦前生まれの人は、知っている人が多いともある。
しかし、この呪文はいつ頃からか、我が家でも唱えなくなってしまった。なぜだろう。敗戦直後、マッカーサー率いるGHQ(連合軍総司令部)によって廃止された、との説がある。「天地尊」とか「御代(天皇)」の言葉が原因なのか。
ところが、最近は給食の時間にこの言葉を唱えさせている学校もあるのだとか。「箸とらば 天地御代(あめつちみよ)の恩恵(おんめぐ)み 父母や師匠の恩を忘るな」と、なっており、「雨・土」としているところもあるようだが、最後に「頂きます」をする。Mという学校では、「箸とらば」の合唱をして、食べ物への感謝にしている、ともある。
食料が豊富ではなかった、その昔の感謝の仕方と、飽食の時代となった今日での、食べ物への感謝の意味合いも変わって来ている。生きていく上で、自然界から得たものや、多くの人の労働の上に成り立っていることに、気づかねばならない。
日々のニュースによると、世界の各地で新型コロナウィルスの脅威は治まらず、今もエボラウイルスが続くところもあるという。作物を食い尽くすという、東アフリカで発生したバッタの大群が、中東からパキスタンやインドの南西アジアへと移動し、中国に迫っているという。そして、日本にも4000億匹ものバッタの大群が襲来するかも。
そんな恐ろしいニュースにも驚かされるが、こうした中でも、日々三度の食事を満足に食べられることに、改めて感謝である。
「箸とらば 美味しく 味わい 頂きます ありがとう」