白井健康元気村

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元気に楽しく歌いたい 岩崎邦子の「日々悠々」⑩

2018-11-23 11:24:38 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」⑩

元気に楽しく歌いたい                         

 

「♪ ビールをまわせ 底まで飲もう あんたが一番 私は~二番 ドン! ドン!」

 なんて耳心地というか、耳障りの良い歌なのか。初めて聞く歌だったが、このフレーズだけは指差しをしながら一緒になって歌ったものだ。もう10年も前、いや、もっと前だったろうか、初めてパークゴルフの「1泊遠征」で白子に出かけたときのことである。

 夕食の後の宴会はカラオケになった。それぞれ得意の歌があるらしい。当時の私はカラオケの経験はほとんどなかったので、指名されても何を歌えば良いのか分からない。

 うろたえている私を見かねた人に助けられて、一緒に『銀恋』(『銀座の恋の物語』)をデュエットした。歌ってから気が楽になったのだろう、知っている歌を誰かが歌うたび、私も少し口ずさんで雰囲気を楽しんだものである。

 ところで、カラオケが流行りだしたのは、そもそもいつ頃からだろうか。その前に話をうんと昔に戻そう。日本が戦争に負けた昭和20年、私は5歳だった。終戦の2カ月前に母が幼い私を残して旅立つ。疎開先での出来事である。父が亡くなったのは、その2年後の12月だった。当時は今の癌よりも恐れられ、人に移ると忌み嫌われた肺結核が、両親の死因である。

 こうして物心がつくかつかないうちに両親に先立たれた。といっても、天涯孤独の身となったわけではない。私には65歳の祖母がいたし、兄が1人と姉が3人もいた。祖母は私も含めて5人の孫を託されたというわけだ。そして、私より一回り上の兄が若くして平野家の家長となった。

 終戦直後の日本では、紙幣の価値がほとんどない。祖母は家にある呉服を遠いところの農家に持ち寄り、やっとの思いで食料と交換していた。もちろん、私が幼稚園に通うなんて考えられなかった。貧しかったし、疎開先で村八分にも遭う日々。そんな中、姉たちと一緒にいることが唯一の幸せだった。

 兄や姉たちの使っていた絵本『キンダーブック』を繰り返し読んだのもその頃だ。また、姉たちと塗り絵をして遊び、童謡や抒情歌を一緒に歌った。「赤とんぼ」「みかんの花咲く丘」「庭の千草」「夕焼け小焼け」「汽車ポッポ」「里の秋」「春の小川」「椰子の実」……など切りがない。それが幼稚園の代わりだったのだろう。

以前住んでいたところに掘っ立て小屋が建ち、疎開先から引き上げることができたのは、小学校2年生になった春のことである。兄は厳格だった父に似ていた。唯一の娯楽だったラジオから聞こえる流行歌を歌うなんてことは許される雰囲気がなく、姉たちも歌うことのない生活だ。長じての娘時代には、「歌声喫茶」が流行ったが、そうしたところに出入りしたこともなかった。

 そんな私もいつしか結婚し、子供を持つことに。子供たちが小さい頃は、絵本を読み聞かせるのが常である。また、童謡や抒情歌集のテープを購入しては、娘たちの前で口ずさんだ。もっとも、それが私自身の楽しみでもあったのだが……。

 小学生のときの学校給食が嫌いだった娘が、「お弁当を持って電車に乗りたい」という理由で中学受験をした。受験勉強も中学に入ってからも、テレビを見ながら勉強をするという得意技を発揮する。当時はテレビの音楽番組が盛んな時代だった。学校でも友達との会話に必ずのぼるので、テレビで音楽を聴きながら勉強するのが当たり前。当然、アイドルにも夢中だった。今、私がかなりのミーハーになった下地は、こうしたことの影響があったと思っている。

 さて、話をパークゴルフの宴会での出来事に戻そう。みんなが楽しそうにしている中、我が夫だけが浮いていた。「飲めません、歌えません」なのだ。まるで機嫌が悪いように思われてしまう。家に帰ってから、

「飲めないものは仕方がないけど、ほんの少しは歌えた方が良いよね」

 と言ってみた。

 あの元気な歌を思い出した。「♪あんたが一番」って何という曲名か分からないが、俄然気になったのである。あれこれ言葉を入れてネットで調べると、あった! あった! 見つけた~。『すごい男の歌』というタイトルだった。三好鉄生という歌手が歌っている。 

「♪ ビールをまわせ 底まで飲もう あんたが一番 私は~二番 ドン! ドン!」  

 知らなかったが、ビールのコマーシャルソングだったらしい。飲まない夫でも乗れる節回しで、場の雰囲気が盛り上がる歌ではないか。歌が嫌いだったわけでもないので、夫もユーチューブを見ながら気になる歌を探すようになった。一番気に心がけているのは、その場が楽しく盛り上がるように、みんなが元気になれる歌である。

 私が最初に入会したパークゴルフ同好会の会長兼発起人の伊藤さんは、きっと歌声喫茶に行っていたのではないかと、思わせる人だった。会の総会の最後になると、必ず何かしらの曲を歌ってお開きになる。『カチューシャ』『ともしび』『雪山讃歌』などを、アコーディオンの伴奏で歌うのだ。

 そのうちに、気の合った者が集まっては、彼の伴奏で懐かしい歌、思い出の歌などを歌うようになった。カラオケの店に行くことはほとんどなかったが、みんなと一緒に歌うことの楽しさを知ったものである。いつしかパークゴルフの「1泊遠征」を春と秋に行うことが年中行事となった。

 さて、最初の遠征のときのことだ。宿泊先のホテルからマイクロバスが迎えに来るので、私はバスの中でも歌えるように、歌に合わせた絵や写真を付けたりして、簡単な歌集を作った。宴会のときの歌の参考にもなるので、「懐かしい歌、元気に謳いたい歌」と題して、誰もが知っていそうなものを30曲ばかり選曲したのである。

 バスに乗り込んでしばらくして、私は手作りの歌集を全員に渡し、

「さあ、みんな、元気に楽しく歌いましょう!」

 と呼びかけた。

 楽器がないので、伴奏もない。「せ~の!」と歌の最初の出だしを歌ってみる。こんなとき、女性陣は協力的だ。最初は小声ながらも歌ってくれた。男性は積極的に歌う人は例外で、気に染まぬ風の顔が結構見受けられた。

(少し強引すぎたのかなぁ……歌が苦手の人もいるのだろう。それに『酒も飲まずに歌えない』ってことかな)

 そう大いに反省したが、声を出すこと、楽しく歌うことの大切さを分かって欲しいものだ。そんな思いに駆られながら旅行から戻って、本やネットで調べてみたところ、「老化の源は喉にあり」「声からはじめるアンチエイジング術」という言葉を見つけた。

「高い声が出にくい、音程が変化する、声がかすれる、大きな声が出にくいのは、声帯の老化が原因」なのだそうだ。「楽しく話すことや楽しく歌うことを心がけて生活することが大事」とも記されていた。

 他にも認知症予防や血圧安定、嚥下障害や誤嚥性肺炎の予防にも「声を出す」「楽しく話す」「楽しく歌う」ことがとても大事だと。気に入った曲があれば、メロディーを覚えたり、歌詞を覚えたりすると、脳を働かせることになるという。最新の曲を覚えることだけが、脳に良いのではなく、古い歌を聞いたり、歌ったりも脳にはとても良いのだ、と。

 その次の「1泊遠征」から、そんな効能を歌集の1ページに加えてみた。今考えてみると、歌の好きな人には余計なお世話だったのかも。歌のジャンルの好みだって人によって異なるのだから。

 日本国中、カラオケ屋さんがあちこちにあり、どの公民館にもカラオケセットが設置されている。自宅で楽しんでいる人も少なくない。「歌うなんて大嫌い!」の人も、せめて笑って話すことが出来ればそれでよいのである。歌うことの楽しさ、歌うことの効用を感じ取っている人が、約1名、我が家に増えただけでも良かったことにしよう。

 白井健康元気村の村長・玉井秀幸村長や夫が所属しているゴルフの会で、夫はプレー後の宴会に私の作った歌集を皆さんに配って披露したことがあったとか。

「酒も飲まないのに、まるで飲んでいた人のように、全員を巻き込んでカラオケを楽しむように仕向けて、大盛り上がりでしたよ」

 と、玉井村長。

 人数の多い宴会ではしらけている人も出てしまう。それを夫は回避したかったようだ。嬉しいことに、昔の夫ではなくなったということらしい。

 ともあれ、私が日々の生活や、対人関係で思っていることだが、自分が先頭に立って物事を始めることは、相当な覚悟がいる。知識や経験のある人、人望のある人、そんな人になら、私は付いていきたい。

 けっして一番にならず、二番で楽をするのも良いかも。あのとき、我が意を得たりと思えた『すごい男の歌』でも、「あんたが一番 私が二番」と歌っているではないか。さあ、みんな、元気に楽しく歌いましょう!

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