オーディフィル公式ブログ (趣味の小部屋)

スピーカー工房「オーディフィル(AudiFill)」の公式ブログ。
リアルで心地よい音の【ひのきスピーカー】を製作中。

アニメ表現の必然性

2007年05月09日 20時27分42秒 | アニメ
なんで、また硬い話を書くんだろうね~と自分でも半ば呆れ気味のカノン5Dですw


「私的アニメの見方」についていろいろ語ってきたのですが、今回は「表現方法の必然性」です。

この世の中には色々な表現方法がありますね。
例えば、OTAKUを主な対象とする(?)作品であっても
小説・アニメ・ラジオドラマ・PCゲーム・マンガ・音楽・・・
と様々な表現方法があると思うのです。

私はアニメ作品をいろいろ観ていますが、ある意図・想いを伝えるのに、あえてアニメを選ぶ事の必然性を感じさせる作品を私は高く評価しています。

もっと詳しく言うと、
それぞれの表現方法には、特有の制限があり、それが特有の魅力となる。それを理解し、最大限に利用した作品が好きなのです。

例えば、小説は(一般的に)一つのストーリーラインで構成されます。イラストも挿入できますが、ほんの僅かです。
それゆえに、独特の形式を持ち、その他の表現方法には存在しない魅力を持つのです。これは、アニメにおいても同じことだと思うのです。

私の気に入っているアニメ作品として「エヴァンゲリオンのTV版最終話」があるのですが、一般的には余り高く評価されていないようです。
しかし、セル画アニメーションの特質をよく理解し、セルアニメでしか表現できない作品を創った点を私は高く評価しています。
↑やっと4月22日の発言に対する答えが書けました・・・


そんな見方でアニメ作品を観ているわけですが・・・
昔は「マンガをアニメ化する」という流れが主流だったのですが、「ゲームをアニメ化する」「小説をアニメ化する」というのも最近はよく目にしますよね。
私の意見としては、
「小説・マンガ・PCゲーム等の原作をそのままアニメにしてはいけない。アニメ化する場合は、原作の意図を十分理解し、それをセル画アニメーションという表現の枠でどのように表現するか熟考するべき
だと思っています。
一例としては、京都アニメーションの手がけた「Kanon」について、2月9日の日記である『京アニ(京都アニメーション)版「Kanon」に一言!』を見ていただけたらと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日光 「吹割の滝」写真(壁... | トップ | オーディオボードでも買おう... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アニメ」カテゴリの最新記事