オーディフィル公式ブログ (趣味の小部屋)

スピーカー工房「オーディフィル(AudiFill)」の公式ブログ。
リアルで心地よい音の【ひのきスピーカー】を製作中。

京アニ(京都アニメーション)版「Kanon」に一言!

2007年02月09日 23時49分55秒 | アニメ
まず、私は「Kanon」の原作ゲームも東映版も見てなく、このストーリーの結末を知らない状態なので、あしからず。

現在、京都アニメーション(以下京アニ)による「Kanon」が放映されていて、非常に高い映像クオリティで、私は毎週楽しみにしている。

沢渡真琴・川澄舞・美坂栞と、それぞれのストーリーを美しく描く事に成功していると思う。残るキャラクターは月宮あゆ・水瀬名雪になる。

そこで気になるのが、PCゲームとTVアニメの性質の違いである。
聞くにKanonPCゲーム版(原作)では「○○ルート」などと、複数のストーリーが揃えられているという。
PCゲームの場合、これらは互いに独立したストーリーでよい。
ただ、これを『そのまま』アニメ化した場合、ストーリーは断片のままとなり、一つのアニメ作品「Kanon」として成立しなくなる。


私が心配しているのは、この点である。
現在(2月10日)までに、京アニ版「Kanon」は主要3キャラクターを描いたが、各ストーリーが、あまりにも完結的であると思う。
ストーリーの華を過ぎたキャラクターは、姿を現さなくなり(もちろん、多数のキャラを出すと、物語に支障をきたすが・・・)、仮に話題にあがっても他のキャラの本筋と全くリンクしない。
これでは、京アニ版「Kanon」は断片的な話の集合体であり、1つの作品として成立しなくなる。

そんな不安を払拭する台詞が前回放送された本編の中にあった。
「祐一君、目の前で大切な人を失った事・・・ある?
ボクは、あるよ。
どうすることもできなかった。自分がどうしようもなく無力な子供なんだってイヤというほど思い知らされた・・・」


これは月宮あゆの台詞であるが、今までの本筋を捉えている台詞である。

断片化したストーリーをまとめて、作品全体の「華」へと結び付けない限り、この作品は「単なる美少女アニメ」の域を超えられない。
京都アニメーションの名にかけて、素晴らしい最後を描いてくれることを、私は切に願っている。

TVアニメの中には、見るのが嫌になるような劣悪な作品も散見するが、「Kanon」は高いレベルの批評に耐えうる作品だ。
今回は少し酷な批評になったが、「Kanon」はそんなことが語れるレベルの作品である。




ちょっと硬い文調になってしまいました。最後まで読んでくれて、ありがとうございます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 散音パネル完成 | トップ | プチ・スピーカースタンド完成! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アニメ」カテゴリの最新記事