昨日、横綱・稀勢の里が誕生しました。
日本人力士の横綱は、実に若乃花以来19年ぶり…。
多くの外国人力士が活躍する中で、久しぶりの日本人の横綱です。
外国人ばかりに席巻されていた大相撲が、日本人横綱の誕生で、これまで以上に盛り上がることでしょう。
大体、相撲は日本の国技のはずなのに、これまで19年間も日本人横綱が生まれなかったこと自体に、何らかの問題はなかったのでしょうか?
その理由は、日本人が豊かになり過ぎて根性がなくなったとか、体格差とか、外国から渡ってきて何が何でもやななきゃいけないという環境とか、人前で裸になるのがイヤだとか、その他にもいろいろあるでしょう。
日本人独特の寛容性と日本人の弟子が集まらなくなって相撲部屋が存続の危機にさらされたこともあり、多くの外国人力士を受け入れてきましたが、大相撲が海外でも大人気(確かに、海外場所では日本独自のスポーツ文化として人気を博していますが)で外国人がこぞって相撲をスポーツとして受け入れる環境にはありません。
野球やサッカーなど、海外から輸入されたスポーツには「やってて楽しい」という単純な要素がありますが、神事として日本の風土に根付いてきた相撲には、外国人には計り知れない独自の伝統・文化があったりして、どうしても「楽しい」というより「厳しい」というイメージがこびり付いています。
じいちゃんたちの世代は、学校でも「相撲大会」(校内に土俵があった)があったりして、それなりに「楽しい」思い出もあるんですが、やっぱり「相撲」より「サッカー」を部活で選んでしまいました(カッコいいもんね、サッカーの方が…。というぐらい単純な発想で)。
日本のスポーツは、「剣道」「柔道」「空手」など個人技が多く、どれもこれも「なにやら道」という概念と「戦(いくさ)のため」に身につけるべき「技」という一面があり、「心技体」という小難しい「考え」がついて回っています。
日本人なら「何となく理解できる」ことですが、外国人力士が果たしてどこまで理解できているのか?
「白鵬」が土俵を割った力士に「最後の一突き」したりするのを見ると、日本人としては「なんだ、あいつ。もう相手は負けてるのに」と思ったりするんですが、本人は「勝負は最後の一突きまで、完全に勝つまでは何が起こるか分らない」と思っているんでしょう。
外国人に日本人の「心情」を詳細に理解しろというのは、難しいことでしょうが、日本の「大相撲の土俵」にあがっている以上、「外国人であっても、日本人の心」を持っていて欲しい(相撲協会がしっかりと教育せなイカン! やってるけど足りない気がする)とじいちゃんは思います。
そういった意味で、日本人の横綱である「稀勢の里」には、本来の日本人の横綱とは「こういうもんだ」という難しい課題にも挑戦して欲しいと思います。
日本の相撲ファンは、多分それを一番期待してるんじゃないでしょうか。
日本人力士の横綱は、実に若乃花以来19年ぶり…。
多くの外国人力士が活躍する中で、久しぶりの日本人の横綱です。
外国人ばかりに席巻されていた大相撲が、日本人横綱の誕生で、これまで以上に盛り上がることでしょう。
大体、相撲は日本の国技のはずなのに、これまで19年間も日本人横綱が生まれなかったこと自体に、何らかの問題はなかったのでしょうか?
その理由は、日本人が豊かになり過ぎて根性がなくなったとか、体格差とか、外国から渡ってきて何が何でもやななきゃいけないという環境とか、人前で裸になるのがイヤだとか、その他にもいろいろあるでしょう。
日本人独特の寛容性と日本人の弟子が集まらなくなって相撲部屋が存続の危機にさらされたこともあり、多くの外国人力士を受け入れてきましたが、大相撲が海外でも大人気(確かに、海外場所では日本独自のスポーツ文化として人気を博していますが)で外国人がこぞって相撲をスポーツとして受け入れる環境にはありません。
野球やサッカーなど、海外から輸入されたスポーツには「やってて楽しい」という単純な要素がありますが、神事として日本の風土に根付いてきた相撲には、外国人には計り知れない独自の伝統・文化があったりして、どうしても「楽しい」というより「厳しい」というイメージがこびり付いています。
じいちゃんたちの世代は、学校でも「相撲大会」(校内に土俵があった)があったりして、それなりに「楽しい」思い出もあるんですが、やっぱり「相撲」より「サッカー」を部活で選んでしまいました(カッコいいもんね、サッカーの方が…。というぐらい単純な発想で)。
日本のスポーツは、「剣道」「柔道」「空手」など個人技が多く、どれもこれも「なにやら道」という概念と「戦(いくさ)のため」に身につけるべき「技」という一面があり、「心技体」という小難しい「考え」がついて回っています。
日本人なら「何となく理解できる」ことですが、外国人力士が果たしてどこまで理解できているのか?
「白鵬」が土俵を割った力士に「最後の一突き」したりするのを見ると、日本人としては「なんだ、あいつ。もう相手は負けてるのに」と思ったりするんですが、本人は「勝負は最後の一突きまで、完全に勝つまでは何が起こるか分らない」と思っているんでしょう。
外国人に日本人の「心情」を詳細に理解しろというのは、難しいことでしょうが、日本の「大相撲の土俵」にあがっている以上、「外国人であっても、日本人の心」を持っていて欲しい(相撲協会がしっかりと教育せなイカン! やってるけど足りない気がする)とじいちゃんは思います。
そういった意味で、日本人の横綱である「稀勢の里」には、本来の日本人の横綱とは「こういうもんだ」という難しい課題にも挑戦して欲しいと思います。
日本の相撲ファンは、多分それを一番期待してるんじゃないでしょうか。