幼い頃。
豊田に転居して幾年も経たないうちである。
私たちの住む少し奥に、昔からの集落があり、先祖代々住んでいる人々がいた。
私たちは勝手に彼らの領分に立ち入り、散歩したりしたものだが、彼らは面白くなかっただろうか。どうだろうか。
集落を奥に入ると、大きな池があった。
更に奥には田んぼが続いていたから、農業用のため池だったのか、山の水を田んぼに落として使っていたのかは定かではない。
ため池の際には、『あぶない!ここではあそばない』という溺れている子どもを描いた看板が立ててあった。
なのに、母達が同行しているから良しとして、散策をしたものだ。
池には浮島のように、大きな岩があった。
奥の森は松を始め、濃い色の葉が茂っており、深い池の水面に鏡のように映っていた。
深い深い色の景色に見とれ、いつまでもいつまでも飽かず眺めたものだ。
あの池の不思議な静けさ。
あれは一体、なんだったのだろうか。
今でも思い出しては、深い気持ちになる。
私はあそこで何を知ったんだろう。
悠久の時?
そうかもしれない。
豊田に転居して幾年も経たないうちである。
私たちの住む少し奥に、昔からの集落があり、先祖代々住んでいる人々がいた。
私たちは勝手に彼らの領分に立ち入り、散歩したりしたものだが、彼らは面白くなかっただろうか。どうだろうか。
集落を奥に入ると、大きな池があった。
更に奥には田んぼが続いていたから、農業用のため池だったのか、山の水を田んぼに落として使っていたのかは定かではない。
ため池の際には、『あぶない!ここではあそばない』という溺れている子どもを描いた看板が立ててあった。
なのに、母達が同行しているから良しとして、散策をしたものだ。
池には浮島のように、大きな岩があった。
奥の森は松を始め、濃い色の葉が茂っており、深い池の水面に鏡のように映っていた。
深い深い色の景色に見とれ、いつまでもいつまでも飽かず眺めたものだ。
あの池の不思議な静けさ。
あれは一体、なんだったのだろうか。
今でも思い出しては、深い気持ちになる。
私はあそこで何を知ったんだろう。
悠久の時?
そうかもしれない。