「忖度」を「じゅんど」と読んだら、そんな読み方はデタラメ、と冷笑されるのがおちだろう。
ところが実はそういう読み方もあるのだという。日本最大の権威ある国語辞典が典拠を添えて紹介しているのだから間違いではない《注》。ただ、常識的には「そんたく」と読むのがふつうだ。
相手の意向や考え、あるいは気持ち・心を思いやる。「忖度」は、そんな優しい心遣いの意味合いでも使われる言葉だが、昨年の秋頃から政治の世界で用いられることが目立ちはじめ、「忖度政治」という思惑ありげな形での“新語”も登場。この1~2ヵ月はさらに頻繁に目にすることが多くなった。
最近では民主党の生方幸夫副幹事長の解任が問題になった時、マスコミ各紙(誌)は、小沢幹事長の意向を側近が「忖度」した結果だ、とか、またも「忖度政治」が繰り返された、とか論評した。
忖度という語は三省堂『新明解国語辞典』 が
「他人の気持ちをおしはかる、意の漢語的な表現」と解説しているように、日常の会話ではめったに耳にしない。
若い世代だと読めない人の方が多いかもしれない。(「おしはかる」は「推し量る」とも表記する)
読み方はともかく「忖度」を構成している文字のそれぞれの意味は私自身も知らなかった。平凡社の『字通』、学習研究社の『漢字源』などの漢和辞典を引くと、「忖」は「心をもってそっとおしはかる」こと、「度」は「(席などの)長短、大小をはかる」が原義、とある。つまり、「忖」も「度」も同じ語義なのである。
通常は「社長の真意を忖度すれば……」とか「彼女の気持ちは忖度しがたい」というような形で使われる。
小学館の『日本国語大辞典』には、小林秀雄の評論集から「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」という一節や福沢諭吉の『文明論之概略』から「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」という個所を引用して例文に挙げている。
これらの例文にも見られるように、忖度という語には、忖度する側にも、される側にも特段の上下関係が必ずしもあるわけではないが、昨今の語法は少し偏っているように思われる。
来日する中国の要人と天皇の特例会見を小沢民主党幹事長が強引に進めた、と問題になった際、小沢氏は「陛下ご自身に聞いてみたら、会いましょうとおっしゃると思う」と語り、天皇の意向を勝手に忖度するとは、と問題をさらに大きくした。
最近は生方解任迷走劇のように小沢幹事長の意向・考えを側近が忖度して騒ぎになるケースが急増している。奇しくも、小沢氏が焦点の人になっているが、ここで指摘したいのは、上位の者、身分の上の者に対して下の者が忖度していることだ。
そう言えば、戦後間もないころ、日本政府もマスコミも時の「権力者」GHQ(連合国総司令部)の意向を忖度して事を進めていたものだ。
忖度という言葉の裏には、上下関係、権力関係が隠れていることも多いのだ。
《注》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)は「そんたく」とは別に、「じゅんど」の見出しを立て「“じゅん”は“忖”の呉音」と注記の上、「他人の心をおしはかること。
そんたく」と記述し室町時代の「節用集」の語義を例に出している。
しかし手元にある中小型の漢和辞典には、“忖”を“じゅん”と呼ぶ例は載っていない。

☆
トカゲのシッポ切りにはさせない...本体の口利き議員は誰なのか。大阪の夫婦して弁護士、稲田が炙り出されるのか面白くなって来たが、いつもの文春砲の炸裂を期待しよう。
稲田防衛相、森友訴訟の答弁撤回=出廷認め、おわび
衆院本会議で、森友学園の訴訟への関与を否定した答弁について訂正し、謝罪する稲田朋美防衛相=14日午後、国会内
稲田朋美防衛相は14日の衆院本会議で、学校法人「森友学園」(大阪市)が起こした民事訴訟の2004年12月9日の口頭弁論に代理人弁護士として出廷していた事実を認めた。関与を全面否定した13日の参院予算委員会での答弁については、「記憶に基づくものだ。訂正し、おわびする」と述べ、撤回した。民進党の升田世喜男氏への答弁。
稲田防衛相、教育勅語を評価=籠池理事長と面識
稲田氏は弁護士である夫が04年10月~09年8月ごろに学園理事長退任を表明した籠池泰典氏と顧問契約を締結していたと説明。
抵当権抹消に関する04年の訴訟に「夫の代わりに出廷した」と述べるとともに、自身も同事案を受任していたことも認めた。