階級社会の出現。それに伴う労働運動の側からの告発。マスコミの社会面〔三面記事〕はそれまでの性質を変える。もっとも三大階級(資本家、土地所有者、労働者)の出現は一八四八年二月の衝突によって始めて可視化されたわけだが、問題はその少し前にある。規律・訓練を通して警察に結びつけられていた非行〔=前科〕者あるいは非行性が、マスコミの三面記事において労働運動と混同され同一視され、結局のところ支配階級によって客体化され観察対象として法律学、医学、精神医学、司法精神医学といった学術的領域へ配分され、一般的には市民社会の「酒の肴」と化していた事態を変化させようと、逆に労働運動の側から犯罪司法を、したがって裁判所と裁判過程とを労働運動のために積極的に活用する動きが出てきた。
「そこから生じるのは、犯罪裁判は政治論争の機会になりうるという考え方、刑事司法の一般的な運用を告発するためには、労働者に対して起こされた訴訟あるいは思想上の裁判を活用しなければならないという考え方である」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
労働運動に関わった人々が逮捕される場合、どこにでもある陳腐な違法行為ではなくれっきとした政治犯として捉えられる。その安直さが労働運動の側にとっては逆に有利に作用することになる。次のように。
「すなわち『裁判所構内は以前のように単に、当代の悲惨や傷痕を見せる展示場ではもはやなく、当代の社会的無秩序のあわれな犠牲者がこれ見よがしに並べれれる一種の烙印の場ではもはやない。それは戦士の叫びが響く闘技場である』。同様にそこから生じる考え方は、政治犯は非行者と同じく刑罰制度にかんする直接体験をもつ一方、自分の意見を人に聞かせるのに好都合な状態にあるのだから、すべての被拘禁者の代弁者たる義務を有するという考え方である。つまり政治犯が啓発しなければならない相手は『刑の宣告を検事長の大げさな論告をとおしてしかけっして知らなかった善良なフランス有産階級』である」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
ことの次第を記述するマスコミの社会面は裁判所での発言を取り上げて記述し市民社会に向けて提供するわけであり、だから今度はブラックボックス化していた一方的裁判過程が上流階級自身に向けて可視化されることになった。そこで同時代人ではあっても新興ブルジョワ階級によってもはや駆逐された王党派の論客バルザックは、上流階級の社交界から相手にされていないことを逆手にとって新興ブルジョワ階級によって成立した近代社会というものは一体何をやらかしているか、得意の毒舌で述べ立てつづける。
「最近、近衛師団に採用された男がいる。こいつはおれの意見をよく聞いて、過激王党派に転向したんだ。つまり、自分の意見に何がなんでもしがみつくようなばかじゃないっていうことだ。もうひとつ君に忠告させてもらうとだな、坊や、自分の言葉にも意見にもこだわるなってことだ。売ってくれと言うやつがいたら、売ってやるがいい。絶対に意見を変えないと言って自慢する男なんて、いつでもまっすぐ進むのを務めと考えているやつ、自分は絶対過たないと信じこんでるばか者でな原理なんてのはない、出来事があるだけだ。法則なんてない、状況しかないんだ。優秀な人間は出来事や状況に即応してそれを導こうとする。もしも固定した原理とか法則とかがあるとしたら、おれたちがシャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替えるはずがない」(バルザック「ゴリオ爺さん・P.147~148」新潮文庫)
一見したところ、その主張はただ単なる処世訓にしか見えない。しかしバルザックは無意識のうちに新興ブルジョワ階級が打ち立てた資本主義の原理的部分をあぶり出している。「転向」可能になったということ、「出来事があるだけだ。法則なんてない、状況しかない」という現実、原理的なものや法則的なものがなくなったがゆえに「おれたちがシャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替える」ことがいつどこでも可能になったということ、である。バルザックのいう原理的法則的なものは絶対王政の時代にあった原理原則的なもののことを言っていて、それはもはや消滅したという認識である。だからといって原理的法則的なもののすべてが世界からまったく消滅したというわけでは全然ない。バルザックが頑なに理解したくないと思っている資本主義的生産様式というまったく新しい社会原理が出現し、絶対王政時代の原理を旧時代の制度として博物館へ封じ込め、その復活の機会すら完膚なきまでに葬り去ったと告発しているわけである。だから王党派という古い社会的立場はかつての不動性を根こそぎ失い、常に宙吊りにされ、王党派自身が「シャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替える」ような事態が発生してきた。そんなわけで、バルザックよりほんの少し後にやってきたマルクスの目には、王党派の動きはこう映って見える。
「連合した王党派は、自分たちに対立する王位僭望者であるボナパルトと衝突するたびに、自分たちの議会的全能が執行権力によって脅かされていると思うたびに、したがって自分たちの支配の政治的権原を表面に押しださなければならなくなるたびに、《王党派》としてではなく《共和派》として登場する」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.57」国民文庫」)
マルクスは事態を始めから茶化すつもりで記録-分析したわけではない。しかし政治的大事件とされる事態の進行中には、このような動きはしばしば見られるのであり、しばしば見られるような社会へすでに転倒していたことを物語っている。さらにマスコミ社会面〔三面記事〕の動きだがそれまでは次のようなことが常識的だった。
「新聞といえば『裁判新報』のように『流血を楽しみ』、『監獄沙汰で紙面を豊かにし』、毎日のように『波瀾万丈のあたり狂言』で紙面をにぎわすのが普通」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
ところが労働運動が他の違法行為とごたまぜにされ一方的に不穏分子として扱われる事態に対する抵抗として同じマスコミの同じ社会面〔三面記事〕を活用して自分たちの主義主張を訴える場へと変えた。フーコーの言葉を借りれば「《反-三面記事》」とでもいうべき場が出現した。そこでは労働運動の非行面ではなく逆に金持階級の非行面、司法によって隠蔽されるのが常だった金持階級の非行面を可視化することが目指された。
「《反-三面記事》は金持階級における非行面の事実を計画的に力説して、その階級こそは『身体の退化』や『精神の頽廃に屈した階級である点を明らかにする』」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
社会面〔三面記事〕を裁判闘争の場として捉え直し活用するという発見はマスコミにとっても利益をもたらすことになる。上流階級と労働者階級という両者どちらからも注目されるだけでなく市民社会全般に広くアピールする場となるからである。教育機関の拡充と相まって購買層も飛躍的に伸長していく。さらにこれまでは平板単調なばかりで変わり映えのしない下層民の違法行為の怠惰な羅列という紙面にかわって、三面記事はただ単なる三面記事ではない「社会面」としてれっきとした社会問題を扱う場所へ急転する。議論と分析の場に変わったのだ。マスコミはただ単なるスキャンダルを煽るばかりを芸当とする下品な言説装置ではなく知-権力装置としての機能を急速に帯び始める。
「下層民の犯した犯罪の物語のかわりにその記事は、下層民を搾取して厳密な意味で彼らを飢えさせ殺害する連中がどんな悲惨状態に彼らを投げこんでいるかを記述する。また労働者に対する犯罪裁判にあたっては、雇用主および社会全体がどんな責任を受けもたねばならぬかを明らかにする」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
それまでの三面記事というのは、日本でいえば、見出しだけで読者を釣り上げ扇動し利益に結びつけることができればそれでよかった。だからほとんどの場合、奇をてらった扇情的で下品なキャッチコピーの演舞場でしかなかった。たとえば、太宰治などは当時の新聞の見出しを応用して作品の中に効果的に溶かし込んでいる。次の部分は一九三七年(昭和十二年)発表。
「万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々(とうとう)と美辞麗句」(太宰治「燈籠」『太宰治全集2・P.105』ちくま文庫)
しかしなぜ「変質の左翼少女」なのかといえば、この年は日中戦争勃発の年に当たっており、とりわけマスコミは軍部を持ち上げ左翼運動を弾圧する形容詞の濫用を濃厚化させていたからである。「燈籠」で違法行為を犯した主人公の少女は左翼でもなんでもないし左翼とはなんなのかを知りもしない。政治とはかけ離れた人生を送っている。ではそもそも関係のない両者を結びつけたのは何か。マスコミの言語である。昭和の幕開けは十年を経ずしてすでに暗澹たる空気に包み込まれつつあった。だがしかし、この時期の太宰作品には最晩年の「人間失格」、「おさん」、「斜陽」などに見られる救いようのなさとは異なるユーモアがすでに見られる。精神病院入院後に書かれた作品としては同じでも、たとえば「おしゃれ童子」、「禁酒の心」、「畜犬談」など、中期作品で発揮されるサービス精神旺盛な面白さがある。またキャッチコピーの名手としての手腕は後期作品でも遺憾なく発揮されている。たとえば次のように。
「鼻持ちならぬキザな虚栄の詠嘆に似るおそれもあり、または、呆(あき)れるばかりに図々(ずうずう)しい面(つら)の皮千枚張りの詭弁(きべん)、または、淫祠(いんし)邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない」(太宰治「父」『太宰治全集9・P.29』ちくま文庫)
ちなみに「父」は戦後の一九四七年(昭和二十二年)発表。「燈籠」からちょうど十年後にあたる。もう一度「万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々(とうとう)と美辞麗句」に戻るが、フランス労働者階級の法廷戦術というのは当時のマスコミ三面記事に蔓延していたステレオタイプで扇情的なだけの馬鹿馬鹿しい見出しの排除から始まった。興味本位のスキャンダルを退けて反対方向へ振り向ける作用をマスコミに担わせることになった。
「そうした言語表現を反対方向に振向けようとする」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
マルクスはまだ到来していない時期。フーコーはフーリエに注目する。
「刑事制度に逆らうこうした論争の流れのなかで、多分フーリエ主義者が他のだれよりも極端な考え方をもったにちがいない。犯罪への積極的な価値付けでもある政治理論を彼らがおそらく最初に磨きあげたに相違ない」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
マルクスではなくフーリエなのにはフーコーなりの理由がある。マルクスからすれば労働運動そして政治運動としてみた場合、フーリエ主義は所詮ユートピア主義に過ぎないと述べる。それは正しい。階級闘争を回避してしまう方向へ作用するからである。だがフーコーがフーリエに焦点を当てたのにはまた全然異なる意味での別種の理由がある。それはマルクスとは違った次元でフーリエは、「犯罪行為と力との関係」について論じる部分に顕著である。
「彼らによると犯罪は『文明』の一つの結果であるが、同様にしかもそれ故にこそ文明に敵対する武器でもある。『不可避な抑圧原理を基調とする社会秩序は、頑健な天性のゆえにその規則命令を拒んだり軽んじたりする者、窮屈なこの束縛のなかに閉じこめられるにはあまりにもたくましいのでそれを打破し引裂く者、幼児のままでいたくない人々、これらの人を死刑執行人や監獄によって殺しつづける』。したがって犯罪にむく天性が存在するわけではなく、個人がどんな階級に属するかで権力に達するか監獄へ送りこまれるかを決める力関係が存在するだけである。たとえば今日の司法官といえども貧民であるならば徒刑場にむらがるはめになるにちがいないし、徒刑囚といえども万一上流の生まれであれば『裁判官席について裁きをおこなうかもしれない』」(フーコー「監獄の誕生・P.285~286」新潮社)
フーリエの主張には萌芽状態でしかないが明らかにニーチェの登場が予告されている。
「実際、犯罪の実在は『人間性の非抑圧的性格』をみごとに明示していて、犯罪こそは或る弱さや病気だとするよりむしろ、昂然とひらきなおるエネルギーであり、『人間個性の輝かしい抗議』であって、万人の目にはそれが犯罪に魅惑的な不思議な力を与えるのかもしれないと考えなければならない」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
ニーチェから引こう。
「《犯罪者とその血縁のもの》。ーーー犯罪者という類型、これは、恵まれない諸条件のもとにいる強い人間の類型であり、病気にされた強い人間である。彼には、強い人間の本能においては武器であり防具である一切のものがそこでは《正当な効力をみせている》ところの、或る種のいっそう自由ないっそう危険な本性や生存形式にほかならない荒々しさが欠けている。犯罪者の《諸徳》は社会から追放されている。犯罪者がたずさえてきたその最も生き生きとした衝動は、抑圧する欲情と、疑念、恐怖、恥辱とただちにからみ合う。しかしこれはほとんど生理学的変質をうながす《処方》である。おのれが最善の能力を発揮でき、最も好んでやりたいと思うものを、内密に、長いあいだの緊張、用心、狡猾さをもってやらざるをえない者は、貧血するにいたる。そして彼はつねにその本能からは、危険、迫害、宿業だけしか収穫しないがゆえに、彼の感情までもがこれらの本能に背いてしまうーーー彼はそれらの本能を宿命的なものと感ずる。社会、私たちの飼い馴らされた凡庸な去勢された社会、それは、山のなかから、ないしは海の冒険からやってくる野生の人間が必然的に犯罪者へと変質するところである」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・四五・P.137~138』ちくま学芸文庫)
だから「犯罪と力」の関係をテーマにしようとするやいなや、マルクスとフーリエとを比較して語ることはもはやミステイクである。よって問題はニーチェのいう「力」としての「野生の人間」でなければならない。そしてこの種の力は知-権力装置の内部で位置を取り換えるということが起こってくる。次のように。
「クートンが狂人たちの動物性を定式化し、彼らがそこでふるまうのは自由にしておいたとき、彼は狂人(フウー)たちを動物性から解放したのではあったが、彼自身の動物性をさらけだし、そこに閉じこもってしまったのである。彼の狂暴さのほうが、狂人(デマン)たちの狂気よりもいっそう気違いじみ、いっそう非人間的だったわけである。こうして、狂気は狂人を見張る番人たちのほうへ移動した。狂人を動物として閉じこめる者のほうが、今や狂気の動物的な野蛮さを保持する者なのである。そうした人々においてこそ獣性は荒れくるうのであり、狂人たちに現われる獣性はその人々の獣性の混沌とした反映にほかならない。一つの秘密があらわになる。というのは、獣性は動物のなかにではなく、それを鎖につなぐ家畜化のなかにあったからである」(フーコー「狂気の歴史・P.499」新潮社)
ニーチェがしつこく警告している人間の家畜化。群畜化。凡庸化。一般化。記号化。と述べてきたところで、二〇二〇年の日本について語る必要がまた一つ出てくる。今後ますます語られ議論されることは確実だろうと思われる。規律・訓練は今なお生き延びているという見間違いようのない日常生活においてである。形が変わっただけだ。問いの出し方が変わっただけだ。その意味で注意深くならねばならない。かつてフロイトはエディプスコンプレックスという概念を創始した。フリース宛の書簡の中で始めて使われた言葉だが一般的な書籍としては「夢判断」が最初である。
「すなわち、《エディプス》王伝説と《ソポクレス》の同名の劇とがそれである。ーーー人生最初の性的な感情を母親に向け、最初の憎悪(ぞうお)と暴力的な願望とを父親に向けるということは、ひょっとするとわれわれ人間すべての運命の摂理だったかもしれない。われわれが見る夢は、このことをわれわれに証明している。父ライオスを殺し、母イオカステを妻としたエディプス王は、われわれの幼年時代の願望充足にすぎない。ーーー母親と性交する夢は、ギリシアの昔と同じように、今日でも多くのひとがこれを見て、かつ憤りつつかつ訝(いぶか)ってひとに話す。明らかにこの夢は、この悲劇を解く鍵(かぎ)であり、父親が死ぬ夢の補充的存在である」(フロイト「夢判断・上・P.337~341」新潮文庫)
「夢判断」出版は一九〇〇年。そしてさらにエディプス・コンプレックスの逆として女性の場合は次のように描かれる。
「この領域は興奮したリビドーを表現するのに適しており、おそらくは最初の精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテーションの同情、そして『カタル』のために惹き起こされた自己叱責によって固着させられるのである。この症状群はさらにK氏との関係を描きだし、彼の不在を残念に思い、彼のよき妻になりたい願望を表現することが可能なことを示している。リビドーの一部が同じ父に向った後、この症状は自分とK夫人とを同一化することによっておそらく最後には父との性交の描写を意味することになる」(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片」『フロイト著作集5・P.335』人文書院)
一般に「症例ドラ」と呼ばれている。一九〇五年発表。エディプスにしても症例ドラにしても「絶対的父」への性愛というものが主題化されている点に配慮せねばならない。なぜなら、フロイトがフリース宛書簡でエディプス・コンプレックスという概念に始めて触れたのは一八九七年だからである。「夢判断」発表はその僅か三年後。症例ドラはその五年後に位置する。エディプスが父ライオスを打倒しつつ母イオカステに向けて、さらに、とりわけ症例ドラの場合に顕著なように「絶対的父」へ向けて娘が愛欲をもつという理論はただ単にフロイト個人の頭の中だけで展開した事態ではない。一八八九年七月二十四日フランスで親権法が改正された。親権剥奪制度の導入である。これによって親権(父権)の絶対性は大きく緩和された。ひきつづく一八九六年三月二十五日、自然子への相続権が拡大された。要約すると、ヨーロッパ各地で父権の絶対性が崩壊し出して始めてフロイトのエディプスならびに症例ドラという「絶対的父」への性的愛憎という理論が出現したということだ。法律によって父権が崩壊していくことをフロイトが憂慮して逆に「絶対的父」というものを無意識的領域の内部へ無理やり押し込んだわけではない。もっと遥か以前から社会の前提として出現していた事情がある。資本主義の中ではどんなものでも置き換え可能になるという事情だ。絶対的なものは加速的に消滅していく。父権もまた例外ではない。中心は消滅する。「神の死」の現実化。絶対的基準の消滅。変動相場制の出現。ありとあらゆるものの商品化と交換価値化。すべては置き換え可能になるし実際にそうなった。
ところでフロイトはオーストリアの首都ウイーンで開業していた。顧客層は上流階級がほとんどだった。上流階級の世界は中産階級や下層階級を受け入れないため必然的に血の繋がりが濃くなる。血縁、言い換えれば「近親相姦」に限りなく近い世界であり、血の繋がりの広さが上流階級の広さと一致してくる。逆に言えばよりいっそう狭い世界の中に自分で自分自身を閉じ込めることになる。そういう極めて狭い世界の中から女性のヒステリーという症状は忽然と発生した。だからフロイトは女性の病的症状を治癒するためには狭い世界で起きてくる性的抑圧を反抑圧の方向へ置き換える必要性を発明した。しかし反抑圧の立場に立ったからといって、すでに創設されている性的欲望の装置を凌駕することはできないし、同じことだが、知-権力としての性的欲望装置とはなんなのかもわかりはしない。反抑圧というのは抑圧という仮説をただ単に転倒しまさしく反抑圧のための精神分析装置としてフロイト自身の言語がその位置を占めるという事態におちいったに過ぎない。患者を精神病院の鎖から解き放ったフロイトの偉業は認めなくてはならない。しかしそれは同時に患者の主体性を奪い、その代わりにフロイトの言語という主体へ移動させるという失策の実行でもあった。患者の主体はフロイトの言語において始めて現われることになった。その意味でフロイトの方法は一方で患者を閉じ込めの世界から解放したわけだが、他方、フロイトという<一望監視装置>(パノプティコン)へ繋がれることになった。そして<一望監視装置>(パノプティコン)である以上、フロイトは実在するフロイトでなくてもよい。むしろ匿名のほうがよりいっそう効率的である。そんなわけで一度、十九世紀前半の労働現場を見てみよう。
「《屋内労働一般》。ーーー空間の節約、したがって建物の節約がどんなにひどく労働者を狭い場所に詰めこむかは、だれでも知っている。おまけに換気装置も節約される。この二つが、かなり長い労働時間といっしょになって、呼吸器病の非常な増加、したがってまた死亡の増加を生みだすーーー。労働者たちの結合と彼らの協業こそは、大規模な機械使用や生産手段の集積やその充用の節約を可能にするのであるが、それと同様に、閉め切った場所での、そして労働者の健康が決定的なのではなく生産物の生産を容易にすることが決定的であるような事情のもとでの、このような多人数の集合労働こそは、ーーー同じ作業場でのこのような多人数の密集こそは、一方では資本家にとっての増大する利潤の源泉なのであり、他方ではまた、労働時間の短縮や特別な予防策によって償われないかぎり、同時に労働者の生命や健康の浪費の原因なのである」(マルクス「資本論・第三部・第一篇・第五章・P.155~156」国民文庫)
密集が原則的である。だから伝染病の蔓延の危険は常にあったし日常茶飯事でもあった。ところが二〇二〇年の「感染=パンデミック」という経験を通してすでにさらに加速し創設された新しい労働環境がある。「テレワーク」。テレワークはテレワーク不可能な労働現場がありそこでの労働者の労働が実際にあって始めてテレワークも可能になるという構造を取っている。しかし問題をテレワークに絞って考えてみても、テレワークはテレワークなりの課題があるように思えてならない。もっとも、テレワークを全面的に否定するわけではない。否定が主旨ではない。問題はテクノロジーだからだ。
テレワークするには自宅の一室を専用スペースとして確保しなくてはならない。どの部屋でも構わないというわけにはいかない。たとえばマンションの一室を専用スペースとして確保した場合、その家賃あるいはローンは誰が負担することになるのか。様々な労働分野を分散させてテレワーク可能にしたぶん、本社規模は格段に小さなスペースしか必要としなくなる。その規模に比例して家賃は格段に浮く。しかし社員の生活空間はテレワークのために制限されるとともにそのぶんの家賃が賃金として支払われるかどうか、あるいはどのような算出方法で支払われることになるのか、今のところ皆目見当がつかない。ところが。
「一種の社会的《検疫機関》といえる閉ざされた規律・訓練にはじまって《一望監視方式》という際限なく一般化しうる機構にいたる例の動きのなかでのみ、ある規律・訓練的な社会の形成について完全に述べることができるわけである。とはいっても、権力の規律・訓練的な様式が他のすべての様式にとって替わってしまったからではなくて、その様式が他のすべての様式のなかにしみ込んで時としてそれらを失効させる場合があっても、大抵はそれらの媒介として役立ち、それらを相互に結びつけ、それらを延長して、とりわけ、それらの最も細かく最も離れた構成要素にまで権力の効果を及ぼすことを可能にさせるからである。その様式は権力関係の極微な配分を確実にする」(フーコー「監獄の誕生・P.216」新潮社)
という知-権力装置はすでに自宅へ入り込み、《端末機器》という形態を取って「《一望監視方式》という際限なく一般化しうる機構」の《末端》として労働者(社員、職員、パート、アルバイト等)の極微的プライバシーの隅々まで監視しデータベース化し世界的規模でマーケティングしている。そこでは労働することと規律・訓練とが一致する。自分で自分自身の内面を絶え間なく確実に監視監督しているかということを、労働者(社員、職員、パート、アルバイト等)の自宅に上がり込んだ《端末》が、さらにメタレベルから管理するという構造が加速しているのである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「そこから生じるのは、犯罪裁判は政治論争の機会になりうるという考え方、刑事司法の一般的な運用を告発するためには、労働者に対して起こされた訴訟あるいは思想上の裁判を活用しなければならないという考え方である」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
労働運動に関わった人々が逮捕される場合、どこにでもある陳腐な違法行為ではなくれっきとした政治犯として捉えられる。その安直さが労働運動の側にとっては逆に有利に作用することになる。次のように。
「すなわち『裁判所構内は以前のように単に、当代の悲惨や傷痕を見せる展示場ではもはやなく、当代の社会的無秩序のあわれな犠牲者がこれ見よがしに並べれれる一種の烙印の場ではもはやない。それは戦士の叫びが響く闘技場である』。同様にそこから生じる考え方は、政治犯は非行者と同じく刑罰制度にかんする直接体験をもつ一方、自分の意見を人に聞かせるのに好都合な状態にあるのだから、すべての被拘禁者の代弁者たる義務を有するという考え方である。つまり政治犯が啓発しなければならない相手は『刑の宣告を検事長の大げさな論告をとおしてしかけっして知らなかった善良なフランス有産階級』である」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
ことの次第を記述するマスコミの社会面は裁判所での発言を取り上げて記述し市民社会に向けて提供するわけであり、だから今度はブラックボックス化していた一方的裁判過程が上流階級自身に向けて可視化されることになった。そこで同時代人ではあっても新興ブルジョワ階級によってもはや駆逐された王党派の論客バルザックは、上流階級の社交界から相手にされていないことを逆手にとって新興ブルジョワ階級によって成立した近代社会というものは一体何をやらかしているか、得意の毒舌で述べ立てつづける。
「最近、近衛師団に採用された男がいる。こいつはおれの意見をよく聞いて、過激王党派に転向したんだ。つまり、自分の意見に何がなんでもしがみつくようなばかじゃないっていうことだ。もうひとつ君に忠告させてもらうとだな、坊や、自分の言葉にも意見にもこだわるなってことだ。売ってくれと言うやつがいたら、売ってやるがいい。絶対に意見を変えないと言って自慢する男なんて、いつでもまっすぐ進むのを務めと考えているやつ、自分は絶対過たないと信じこんでるばか者でな原理なんてのはない、出来事があるだけだ。法則なんてない、状況しかないんだ。優秀な人間は出来事や状況に即応してそれを導こうとする。もしも固定した原理とか法則とかがあるとしたら、おれたちがシャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替えるはずがない」(バルザック「ゴリオ爺さん・P.147~148」新潮文庫)
一見したところ、その主張はただ単なる処世訓にしか見えない。しかしバルザックは無意識のうちに新興ブルジョワ階級が打ち立てた資本主義の原理的部分をあぶり出している。「転向」可能になったということ、「出来事があるだけだ。法則なんてない、状況しかない」という現実、原理的なものや法則的なものがなくなったがゆえに「おれたちがシャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替える」ことがいつどこでも可能になったということ、である。バルザックのいう原理的法則的なものは絶対王政の時代にあった原理原則的なもののことを言っていて、それはもはや消滅したという認識である。だからといって原理的法則的なもののすべてが世界からまったく消滅したというわけでは全然ない。バルザックが頑なに理解したくないと思っている資本主義的生産様式というまったく新しい社会原理が出現し、絶対王政時代の原理を旧時代の制度として博物館へ封じ込め、その復活の機会すら完膚なきまでに葬り去ったと告発しているわけである。だから王党派という古い社会的立場はかつての不動性を根こそぎ失い、常に宙吊りにされ、王党派自身が「シャツを取替えるみたいに、諸民族がそれをやすやす取替える」ような事態が発生してきた。そんなわけで、バルザックよりほんの少し後にやってきたマルクスの目には、王党派の動きはこう映って見える。
「連合した王党派は、自分たちに対立する王位僭望者であるボナパルトと衝突するたびに、自分たちの議会的全能が執行権力によって脅かされていると思うたびに、したがって自分たちの支配の政治的権原を表面に押しださなければならなくなるたびに、《王党派》としてではなく《共和派》として登場する」(マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日・P.57」国民文庫」)
マルクスは事態を始めから茶化すつもりで記録-分析したわけではない。しかし政治的大事件とされる事態の進行中には、このような動きはしばしば見られるのであり、しばしば見られるような社会へすでに転倒していたことを物語っている。さらにマスコミ社会面〔三面記事〕の動きだがそれまでは次のようなことが常識的だった。
「新聞といえば『裁判新報』のように『流血を楽しみ』、『監獄沙汰で紙面を豊かにし』、毎日のように『波瀾万丈のあたり狂言』で紙面をにぎわすのが普通」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
ところが労働運動が他の違法行為とごたまぜにされ一方的に不穏分子として扱われる事態に対する抵抗として同じマスコミの同じ社会面〔三面記事〕を活用して自分たちの主義主張を訴える場へと変えた。フーコーの言葉を借りれば「《反-三面記事》」とでもいうべき場が出現した。そこでは労働運動の非行面ではなく逆に金持階級の非行面、司法によって隠蔽されるのが常だった金持階級の非行面を可視化することが目指された。
「《反-三面記事》は金持階級における非行面の事実を計画的に力説して、その階級こそは『身体の退化』や『精神の頽廃に屈した階級である点を明らかにする』」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
社会面〔三面記事〕を裁判闘争の場として捉え直し活用するという発見はマスコミにとっても利益をもたらすことになる。上流階級と労働者階級という両者どちらからも注目されるだけでなく市民社会全般に広くアピールする場となるからである。教育機関の拡充と相まって購買層も飛躍的に伸長していく。さらにこれまでは平板単調なばかりで変わり映えのしない下層民の違法行為の怠惰な羅列という紙面にかわって、三面記事はただ単なる三面記事ではない「社会面」としてれっきとした社会問題を扱う場所へ急転する。議論と分析の場に変わったのだ。マスコミはただ単なるスキャンダルを煽るばかりを芸当とする下品な言説装置ではなく知-権力装置としての機能を急速に帯び始める。
「下層民の犯した犯罪の物語のかわりにその記事は、下層民を搾取して厳密な意味で彼らを飢えさせ殺害する連中がどんな悲惨状態に彼らを投げこんでいるかを記述する。また労働者に対する犯罪裁判にあたっては、雇用主および社会全体がどんな責任を受けもたねばならぬかを明らかにする」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
それまでの三面記事というのは、日本でいえば、見出しだけで読者を釣り上げ扇動し利益に結びつけることができればそれでよかった。だからほとんどの場合、奇をてらった扇情的で下品なキャッチコピーの演舞場でしかなかった。たとえば、太宰治などは当時の新聞の見出しを応用して作品の中に効果的に溶かし込んでいる。次の部分は一九三七年(昭和十二年)発表。
「万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々(とうとう)と美辞麗句」(太宰治「燈籠」『太宰治全集2・P.105』ちくま文庫)
しかしなぜ「変質の左翼少女」なのかといえば、この年は日中戦争勃発の年に当たっており、とりわけマスコミは軍部を持ち上げ左翼運動を弾圧する形容詞の濫用を濃厚化させていたからである。「燈籠」で違法行為を犯した主人公の少女は左翼でもなんでもないし左翼とはなんなのかを知りもしない。政治とはかけ離れた人生を送っている。ではそもそも関係のない両者を結びつけたのは何か。マスコミの言語である。昭和の幕開けは十年を経ずしてすでに暗澹たる空気に包み込まれつつあった。だがしかし、この時期の太宰作品には最晩年の「人間失格」、「おさん」、「斜陽」などに見られる救いようのなさとは異なるユーモアがすでに見られる。精神病院入院後に書かれた作品としては同じでも、たとえば「おしゃれ童子」、「禁酒の心」、「畜犬談」など、中期作品で発揮されるサービス精神旺盛な面白さがある。またキャッチコピーの名手としての手腕は後期作品でも遺憾なく発揮されている。たとえば次のように。
「鼻持ちならぬキザな虚栄の詠嘆に似るおそれもあり、または、呆(あき)れるばかりに図々(ずうずう)しい面(つら)の皮千枚張りの詭弁(きべん)、または、淫祠(いんし)邪教のお筆先、または、ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない」(太宰治「父」『太宰治全集9・P.29』ちくま文庫)
ちなみに「父」は戦後の一九四七年(昭和二十二年)発表。「燈籠」からちょうど十年後にあたる。もう一度「万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々(とうとう)と美辞麗句」に戻るが、フランス労働者階級の法廷戦術というのは当時のマスコミ三面記事に蔓延していたステレオタイプで扇情的なだけの馬鹿馬鹿しい見出しの排除から始まった。興味本位のスキャンダルを退けて反対方向へ振り向ける作用をマスコミに担わせることになった。
「そうした言語表現を反対方向に振向けようとする」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
マルクスはまだ到来していない時期。フーコーはフーリエに注目する。
「刑事制度に逆らうこうした論争の流れのなかで、多分フーリエ主義者が他のだれよりも極端な考え方をもったにちがいない。犯罪への積極的な価値付けでもある政治理論を彼らがおそらく最初に磨きあげたに相違ない」(フーコー「監獄の誕生・P.285」新潮社)
マルクスではなくフーリエなのにはフーコーなりの理由がある。マルクスからすれば労働運動そして政治運動としてみた場合、フーリエ主義は所詮ユートピア主義に過ぎないと述べる。それは正しい。階級闘争を回避してしまう方向へ作用するからである。だがフーコーがフーリエに焦点を当てたのにはまた全然異なる意味での別種の理由がある。それはマルクスとは違った次元でフーリエは、「犯罪行為と力との関係」について論じる部分に顕著である。
「彼らによると犯罪は『文明』の一つの結果であるが、同様にしかもそれ故にこそ文明に敵対する武器でもある。『不可避な抑圧原理を基調とする社会秩序は、頑健な天性のゆえにその規則命令を拒んだり軽んじたりする者、窮屈なこの束縛のなかに閉じこめられるにはあまりにもたくましいのでそれを打破し引裂く者、幼児のままでいたくない人々、これらの人を死刑執行人や監獄によって殺しつづける』。したがって犯罪にむく天性が存在するわけではなく、個人がどんな階級に属するかで権力に達するか監獄へ送りこまれるかを決める力関係が存在するだけである。たとえば今日の司法官といえども貧民であるならば徒刑場にむらがるはめになるにちがいないし、徒刑囚といえども万一上流の生まれであれば『裁判官席について裁きをおこなうかもしれない』」(フーコー「監獄の誕生・P.285~286」新潮社)
フーリエの主張には萌芽状態でしかないが明らかにニーチェの登場が予告されている。
「実際、犯罪の実在は『人間性の非抑圧的性格』をみごとに明示していて、犯罪こそは或る弱さや病気だとするよりむしろ、昂然とひらきなおるエネルギーであり、『人間個性の輝かしい抗議』であって、万人の目にはそれが犯罪に魅惑的な不思議な力を与えるのかもしれないと考えなければならない」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
ニーチェから引こう。
「《犯罪者とその血縁のもの》。ーーー犯罪者という類型、これは、恵まれない諸条件のもとにいる強い人間の類型であり、病気にされた強い人間である。彼には、強い人間の本能においては武器であり防具である一切のものがそこでは《正当な効力をみせている》ところの、或る種のいっそう自由ないっそう危険な本性や生存形式にほかならない荒々しさが欠けている。犯罪者の《諸徳》は社会から追放されている。犯罪者がたずさえてきたその最も生き生きとした衝動は、抑圧する欲情と、疑念、恐怖、恥辱とただちにからみ合う。しかしこれはほとんど生理学的変質をうながす《処方》である。おのれが最善の能力を発揮でき、最も好んでやりたいと思うものを、内密に、長いあいだの緊張、用心、狡猾さをもってやらざるをえない者は、貧血するにいたる。そして彼はつねにその本能からは、危険、迫害、宿業だけしか収穫しないがゆえに、彼の感情までもがこれらの本能に背いてしまうーーー彼はそれらの本能を宿命的なものと感ずる。社会、私たちの飼い馴らされた凡庸な去勢された社会、それは、山のなかから、ないしは海の冒険からやってくる野生の人間が必然的に犯罪者へと変質するところである」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・四五・P.137~138』ちくま学芸文庫)
だから「犯罪と力」の関係をテーマにしようとするやいなや、マルクスとフーリエとを比較して語ることはもはやミステイクである。よって問題はニーチェのいう「力」としての「野生の人間」でなければならない。そしてこの種の力は知-権力装置の内部で位置を取り換えるということが起こってくる。次のように。
「クートンが狂人たちの動物性を定式化し、彼らがそこでふるまうのは自由にしておいたとき、彼は狂人(フウー)たちを動物性から解放したのではあったが、彼自身の動物性をさらけだし、そこに閉じこもってしまったのである。彼の狂暴さのほうが、狂人(デマン)たちの狂気よりもいっそう気違いじみ、いっそう非人間的だったわけである。こうして、狂気は狂人を見張る番人たちのほうへ移動した。狂人を動物として閉じこめる者のほうが、今や狂気の動物的な野蛮さを保持する者なのである。そうした人々においてこそ獣性は荒れくるうのであり、狂人たちに現われる獣性はその人々の獣性の混沌とした反映にほかならない。一つの秘密があらわになる。というのは、獣性は動物のなかにではなく、それを鎖につなぐ家畜化のなかにあったからである」(フーコー「狂気の歴史・P.499」新潮社)
ニーチェがしつこく警告している人間の家畜化。群畜化。凡庸化。一般化。記号化。と述べてきたところで、二〇二〇年の日本について語る必要がまた一つ出てくる。今後ますます語られ議論されることは確実だろうと思われる。規律・訓練は今なお生き延びているという見間違いようのない日常生活においてである。形が変わっただけだ。問いの出し方が変わっただけだ。その意味で注意深くならねばならない。かつてフロイトはエディプスコンプレックスという概念を創始した。フリース宛の書簡の中で始めて使われた言葉だが一般的な書籍としては「夢判断」が最初である。
「すなわち、《エディプス》王伝説と《ソポクレス》の同名の劇とがそれである。ーーー人生最初の性的な感情を母親に向け、最初の憎悪(ぞうお)と暴力的な願望とを父親に向けるということは、ひょっとするとわれわれ人間すべての運命の摂理だったかもしれない。われわれが見る夢は、このことをわれわれに証明している。父ライオスを殺し、母イオカステを妻としたエディプス王は、われわれの幼年時代の願望充足にすぎない。ーーー母親と性交する夢は、ギリシアの昔と同じように、今日でも多くのひとがこれを見て、かつ憤りつつかつ訝(いぶか)ってひとに話す。明らかにこの夢は、この悲劇を解く鍵(かぎ)であり、父親が死ぬ夢の補充的存在である」(フロイト「夢判断・上・P.337~341」新潮文庫)
「夢判断」出版は一九〇〇年。そしてさらにエディプス・コンプレックスの逆として女性の場合は次のように描かれる。
「この領域は興奮したリビドーを表現するのに適しており、おそらくは最初の精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテーションの同情、そして『カタル』のために惹き起こされた自己叱責によって固着させられるのである。この症状群はさらにK氏との関係を描きだし、彼の不在を残念に思い、彼のよき妻になりたい願望を表現することが可能なことを示している。リビドーの一部が同じ父に向った後、この症状は自分とK夫人とを同一化することによっておそらく最後には父との性交の描写を意味することになる」(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片」『フロイト著作集5・P.335』人文書院)
一般に「症例ドラ」と呼ばれている。一九〇五年発表。エディプスにしても症例ドラにしても「絶対的父」への性愛というものが主題化されている点に配慮せねばならない。なぜなら、フロイトがフリース宛書簡でエディプス・コンプレックスという概念に始めて触れたのは一八九七年だからである。「夢判断」発表はその僅か三年後。症例ドラはその五年後に位置する。エディプスが父ライオスを打倒しつつ母イオカステに向けて、さらに、とりわけ症例ドラの場合に顕著なように「絶対的父」へ向けて娘が愛欲をもつという理論はただ単にフロイト個人の頭の中だけで展開した事態ではない。一八八九年七月二十四日フランスで親権法が改正された。親権剥奪制度の導入である。これによって親権(父権)の絶対性は大きく緩和された。ひきつづく一八九六年三月二十五日、自然子への相続権が拡大された。要約すると、ヨーロッパ各地で父権の絶対性が崩壊し出して始めてフロイトのエディプスならびに症例ドラという「絶対的父」への性的愛憎という理論が出現したということだ。法律によって父権が崩壊していくことをフロイトが憂慮して逆に「絶対的父」というものを無意識的領域の内部へ無理やり押し込んだわけではない。もっと遥か以前から社会の前提として出現していた事情がある。資本主義の中ではどんなものでも置き換え可能になるという事情だ。絶対的なものは加速的に消滅していく。父権もまた例外ではない。中心は消滅する。「神の死」の現実化。絶対的基準の消滅。変動相場制の出現。ありとあらゆるものの商品化と交換価値化。すべては置き換え可能になるし実際にそうなった。
ところでフロイトはオーストリアの首都ウイーンで開業していた。顧客層は上流階級がほとんどだった。上流階級の世界は中産階級や下層階級を受け入れないため必然的に血の繋がりが濃くなる。血縁、言い換えれば「近親相姦」に限りなく近い世界であり、血の繋がりの広さが上流階級の広さと一致してくる。逆に言えばよりいっそう狭い世界の中に自分で自分自身を閉じ込めることになる。そういう極めて狭い世界の中から女性のヒステリーという症状は忽然と発生した。だからフロイトは女性の病的症状を治癒するためには狭い世界で起きてくる性的抑圧を反抑圧の方向へ置き換える必要性を発明した。しかし反抑圧の立場に立ったからといって、すでに創設されている性的欲望の装置を凌駕することはできないし、同じことだが、知-権力としての性的欲望装置とはなんなのかもわかりはしない。反抑圧というのは抑圧という仮説をただ単に転倒しまさしく反抑圧のための精神分析装置としてフロイト自身の言語がその位置を占めるという事態におちいったに過ぎない。患者を精神病院の鎖から解き放ったフロイトの偉業は認めなくてはならない。しかしそれは同時に患者の主体性を奪い、その代わりにフロイトの言語という主体へ移動させるという失策の実行でもあった。患者の主体はフロイトの言語において始めて現われることになった。その意味でフロイトの方法は一方で患者を閉じ込めの世界から解放したわけだが、他方、フロイトという<一望監視装置>(パノプティコン)へ繋がれることになった。そして<一望監視装置>(パノプティコン)である以上、フロイトは実在するフロイトでなくてもよい。むしろ匿名のほうがよりいっそう効率的である。そんなわけで一度、十九世紀前半の労働現場を見てみよう。
「《屋内労働一般》。ーーー空間の節約、したがって建物の節約がどんなにひどく労働者を狭い場所に詰めこむかは、だれでも知っている。おまけに換気装置も節約される。この二つが、かなり長い労働時間といっしょになって、呼吸器病の非常な増加、したがってまた死亡の増加を生みだすーーー。労働者たちの結合と彼らの協業こそは、大規模な機械使用や生産手段の集積やその充用の節約を可能にするのであるが、それと同様に、閉め切った場所での、そして労働者の健康が決定的なのではなく生産物の生産を容易にすることが決定的であるような事情のもとでの、このような多人数の集合労働こそは、ーーー同じ作業場でのこのような多人数の密集こそは、一方では資本家にとっての増大する利潤の源泉なのであり、他方ではまた、労働時間の短縮や特別な予防策によって償われないかぎり、同時に労働者の生命や健康の浪費の原因なのである」(マルクス「資本論・第三部・第一篇・第五章・P.155~156」国民文庫)
密集が原則的である。だから伝染病の蔓延の危険は常にあったし日常茶飯事でもあった。ところが二〇二〇年の「感染=パンデミック」という経験を通してすでにさらに加速し創設された新しい労働環境がある。「テレワーク」。テレワークはテレワーク不可能な労働現場がありそこでの労働者の労働が実際にあって始めてテレワークも可能になるという構造を取っている。しかし問題をテレワークに絞って考えてみても、テレワークはテレワークなりの課題があるように思えてならない。もっとも、テレワークを全面的に否定するわけではない。否定が主旨ではない。問題はテクノロジーだからだ。
テレワークするには自宅の一室を専用スペースとして確保しなくてはならない。どの部屋でも構わないというわけにはいかない。たとえばマンションの一室を専用スペースとして確保した場合、その家賃あるいはローンは誰が負担することになるのか。様々な労働分野を分散させてテレワーク可能にしたぶん、本社規模は格段に小さなスペースしか必要としなくなる。その規模に比例して家賃は格段に浮く。しかし社員の生活空間はテレワークのために制限されるとともにそのぶんの家賃が賃金として支払われるかどうか、あるいはどのような算出方法で支払われることになるのか、今のところ皆目見当がつかない。ところが。
「一種の社会的《検疫機関》といえる閉ざされた規律・訓練にはじまって《一望監視方式》という際限なく一般化しうる機構にいたる例の動きのなかでのみ、ある規律・訓練的な社会の形成について完全に述べることができるわけである。とはいっても、権力の規律・訓練的な様式が他のすべての様式にとって替わってしまったからではなくて、その様式が他のすべての様式のなかにしみ込んで時としてそれらを失効させる場合があっても、大抵はそれらの媒介として役立ち、それらを相互に結びつけ、それらを延長して、とりわけ、それらの最も細かく最も離れた構成要素にまで権力の効果を及ぼすことを可能にさせるからである。その様式は権力関係の極微な配分を確実にする」(フーコー「監獄の誕生・P.216」新潮社)
という知-権力装置はすでに自宅へ入り込み、《端末機器》という形態を取って「《一望監視方式》という際限なく一般化しうる機構」の《末端》として労働者(社員、職員、パート、アルバイト等)の極微的プライバシーの隅々まで監視しデータベース化し世界的規模でマーケティングしている。そこでは労働することと規律・訓練とが一致する。自分で自分自身の内面を絶え間なく確実に監視監督しているかということを、労働者(社員、職員、パート、アルバイト等)の自宅に上がり込んだ《端末》が、さらにメタレベルから管理するという構造が加速しているのである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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