夜ごと反復される回想。
「思い出が夢うつつのうちによみがえり、ぼくにとってはすべての説明がついた。一人の女優に対する漠とした、希望のない恋、夜ごと開演の時間ともなればぼくを捕え、眠る時間になるまで放してくれないその恋心は、蒼白い月光を浴びて開いた夜の花、白いもやに半ば浸された緑の芝生の上をすべっていった薔薇色のブロンドのまぼろしであるアドリエンヌの思い出から芽生えたものだった」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.219』岩波文庫)
主人公をなかなか寝かせてくれない恋愛感情のすべては「アドリエンスの思い出から芽生え」ている。ところで主人公にとってアドリエンヌとは何ものか。地元の祭りの日にたまたま出会ったほんの少女に過ぎない。ヨーロッパでは祭りの際に男女がペアを変えながら移動する踊りの習慣がある。戦後日本の義務教育課程でも主に小学校で「フォークダンス」として大々的に取り入れられた。ところが一九八〇年当時、中学になると突如としてなくなり、そのぶん表沙汰になっていないぶんを省いてみても、男子中学生による強姦事件が増大した。なぜだろう。「フォークダンス」の時間の排除は、中学生ゆえに性教育上問題があると見なされた上での措置だったのだろうが、裏目に出た。性教育上様々な思惑が入り乱れる生徒のあいだで、それでもなおかつマナー、ルール、順序といったものを自分で制御する手法を学ぶための場として、むしろ「男女がペアを変えながら移動する踊り」の場としての「フォークダンス」は、純然たる「社交」として、必須の作法として、残しておくべきだったのだが、生徒の側からみれば、教育者の側はもしかして起こるかもしれない問題発覚をおそれ隠蔽することを優先的に考えたように映って見えていた。それはそれとして。アドリエンヌはあたかも「ダンテのベアトリーチェのよう」だったという。
「時あって私は見た覚えがある、一日の初め、東の方(かた)ことごとくあかね色に染まり、残りの空、すべてうるわしく澄みわたりていみじきに、さしのぼる太陽(ひ)の面輪(おもわ)うち曇るほどの水気にやわらげられ、眼ながく太陽(ひ)との対面に堪えられる現象を。あたかもそれに似て、天使(みつかい)たちの手からひらひらと投げあげられ、再び車の内外(うちと)に降りてきた花の雲に乗り、清白(すずしろ)の面紗(めんさ)のうえにオリーヴァの冠をつけ、やごとなきひとりの淑女が、私の眼の前にあらわれた、緑の袍(うわぎ)の下に、燃え立つ焔の色の衣(きぬ)召して。すると私の精神は、そのひとの前に出ると、畏敬のあまりわなわなとふるえ、うち砕かれる経験から離れること、げに年久しいにもかかわらず、いま、わが眼でもっと直接たしかめもしないのに、そのひとから放射される玄妙(くしび)な功力(くりき)により、昔と変らぬあの愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380~382」集英社文庫)
ダンテがベアトリーチェに衝撃を受けたのはダンテが八歳、ベアトリーチェが九歳のとき。そのとき始めてダンテにとってただ単なる少女でしかなかったベアトリーチェが、愛の対象として、女性ベアトリーチェとして、出現した。ダンテは神々しく登場したベアトリーチェについて語る。贅沢な形容詞を満載して言語で語る。そうするやベアトリーチェはもはや言語としてしか存在しなくなるにもかかわらず。
さて、フィッツジェラルドに限らないと思われるが、小説家というものは有力誌に載る書評にかなり神経を尖らせる。誤解があればその誤解を解こうと工夫を凝らす。それがさらなる誤解の原因として作用してしまうことも少なくない。それは小説家の技術というより遥かに言語というものが本来的に裏切るものだという事情からくる。しかし現役である以上、フィッツジェラルドは何らかの手を打たないといけないという衝動に駆られる。
「もうずいぶんと踊っていなかった。五年間にふた晩だったろうか。それなのに、彼の最近の本についてのある書評は、彼を評して『ナイトクラブがお好き』と言っていたし、同じ書評の中でまた、彼のことを『疲れ知らず』と言っていた。その言葉を心の中でつぶやいてみると、一瞬だがひどく彼を傷つけるものがあった。気弱にも涙がにじんでくるのを感じて、彼は顔をそむけた。十五年前、『器用さが命とり』といわれて、そんな風になるまいと文章一つ一つにも奴隷みたいに骨身をけずった駆け出しの頃のようだった。『また苦しくなりそうだ』と、彼は思った。『こりゃまずいな、まずいぞーーー帰らなくてはいけない』」(フィッツジェラルド「ある作家の午後」『フィッツジェラルド作品集3・P.114』荒地出版社)
帰るといってもどこに帰るのか。ただ単に仕事場のことを差して言っているとすればそれはアパートの一室のことでしかない。実際、アパートに帰ってくる。そこでフィッツジェラルドはまたしても新しい「着想」の出現へと《酩酊》するほかない。
「私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275」河出文庫)
という状況の中で。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「思い出が夢うつつのうちによみがえり、ぼくにとってはすべての説明がついた。一人の女優に対する漠とした、希望のない恋、夜ごと開演の時間ともなればぼくを捕え、眠る時間になるまで放してくれないその恋心は、蒼白い月光を浴びて開いた夜の花、白いもやに半ば浸された緑の芝生の上をすべっていった薔薇色のブロンドのまぼろしであるアドリエンヌの思い出から芽生えたものだった」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.219』岩波文庫)
主人公をなかなか寝かせてくれない恋愛感情のすべては「アドリエンスの思い出から芽生え」ている。ところで主人公にとってアドリエンヌとは何ものか。地元の祭りの日にたまたま出会ったほんの少女に過ぎない。ヨーロッパでは祭りの際に男女がペアを変えながら移動する踊りの習慣がある。戦後日本の義務教育課程でも主に小学校で「フォークダンス」として大々的に取り入れられた。ところが一九八〇年当時、中学になると突如としてなくなり、そのぶん表沙汰になっていないぶんを省いてみても、男子中学生による強姦事件が増大した。なぜだろう。「フォークダンス」の時間の排除は、中学生ゆえに性教育上問題があると見なされた上での措置だったのだろうが、裏目に出た。性教育上様々な思惑が入り乱れる生徒のあいだで、それでもなおかつマナー、ルール、順序といったものを自分で制御する手法を学ぶための場として、むしろ「男女がペアを変えながら移動する踊り」の場としての「フォークダンス」は、純然たる「社交」として、必須の作法として、残しておくべきだったのだが、生徒の側からみれば、教育者の側はもしかして起こるかもしれない問題発覚をおそれ隠蔽することを優先的に考えたように映って見えていた。それはそれとして。アドリエンヌはあたかも「ダンテのベアトリーチェのよう」だったという。
「時あって私は見た覚えがある、一日の初め、東の方(かた)ことごとくあかね色に染まり、残りの空、すべてうるわしく澄みわたりていみじきに、さしのぼる太陽(ひ)の面輪(おもわ)うち曇るほどの水気にやわらげられ、眼ながく太陽(ひ)との対面に堪えられる現象を。あたかもそれに似て、天使(みつかい)たちの手からひらひらと投げあげられ、再び車の内外(うちと)に降りてきた花の雲に乗り、清白(すずしろ)の面紗(めんさ)のうえにオリーヴァの冠をつけ、やごとなきひとりの淑女が、私の眼の前にあらわれた、緑の袍(うわぎ)の下に、燃え立つ焔の色の衣(きぬ)召して。すると私の精神は、そのひとの前に出ると、畏敬のあまりわなわなとふるえ、うち砕かれる経験から離れること、げに年久しいにもかかわらず、いま、わが眼でもっと直接たしかめもしないのに、そのひとから放射される玄妙(くしび)な功力(くりき)により、昔と変らぬあの愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380~382」集英社文庫)
ダンテがベアトリーチェに衝撃を受けたのはダンテが八歳、ベアトリーチェが九歳のとき。そのとき始めてダンテにとってただ単なる少女でしかなかったベアトリーチェが、愛の対象として、女性ベアトリーチェとして、出現した。ダンテは神々しく登場したベアトリーチェについて語る。贅沢な形容詞を満載して言語で語る。そうするやベアトリーチェはもはや言語としてしか存在しなくなるにもかかわらず。
さて、フィッツジェラルドに限らないと思われるが、小説家というものは有力誌に載る書評にかなり神経を尖らせる。誤解があればその誤解を解こうと工夫を凝らす。それがさらなる誤解の原因として作用してしまうことも少なくない。それは小説家の技術というより遥かに言語というものが本来的に裏切るものだという事情からくる。しかし現役である以上、フィッツジェラルドは何らかの手を打たないといけないという衝動に駆られる。
「もうずいぶんと踊っていなかった。五年間にふた晩だったろうか。それなのに、彼の最近の本についてのある書評は、彼を評して『ナイトクラブがお好き』と言っていたし、同じ書評の中でまた、彼のことを『疲れ知らず』と言っていた。その言葉を心の中でつぶやいてみると、一瞬だがひどく彼を傷つけるものがあった。気弱にも涙がにじんでくるのを感じて、彼は顔をそむけた。十五年前、『器用さが命とり』といわれて、そんな風になるまいと文章一つ一つにも奴隷みたいに骨身をけずった駆け出しの頃のようだった。『また苦しくなりそうだ』と、彼は思った。『こりゃまずいな、まずいぞーーー帰らなくてはいけない』」(フィッツジェラルド「ある作家の午後」『フィッツジェラルド作品集3・P.114』荒地出版社)
帰るといってもどこに帰るのか。ただ単に仕事場のことを差して言っているとすればそれはアパートの一室のことでしかない。実際、アパートに帰ってくる。そこでフィッツジェラルドはまたしても新しい「着想」の出現へと《酩酊》するほかない。
「私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275」河出文庫)
という状況の中で。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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