災害救助の現場で活躍する犬の姿はテレビ報道を通してよく見かける。しかし盲導犬の場合はそもそも目立たない活躍ぶりであるにもかかわらずもっと身近な日常生活の中でずいぶん多く見かける。ほんのわずかな違いに敏感に対応する。今に始まった話ではない。古代中国文献の中にこうある。
「楊朱之弟楊布、衣素衣而出、天雨、解素衣、衣緇衣而反、其狗不知而吠之、楊布怒、将撃之、楊朱曰、子毋撃也、子亦猶是、曩者使女狗白而往、黒而来、子豈能毋怪哉。
(書き下し)楊朱(ようしゅ)の弟の楊布(ようふ)、素衣(そい)を衣(き)て出(い)づ。天雨ふり、素衣を解(と)き、緇衣(しい)を衣て反(かえ)る。其の狗(いぬ)知らずしてこれに吠(ほ)ゆ。楊衣怒りて将にこれを撃(う)たんとす。楊朱曰わく、子(し)撃つこと毋(な)かれ。子も亦(ま)た猶(な)お是(か)くのごとし。曩(さき)に女(なんじ)の狗をして白くして往き、黒くして来たらしめば、子豈(あ)に能(よ)く怪(あや)しむこと毋(な)からんやと。
(現代語訳)楊朱の弟の楊布(ようふ)は、白い着物を着て外出したが、雨が降ってきたので、白い着物をぬいで黒い着物に着がえて帰ってきた。家の飼犬はそれとわからずに吠えたてたので、楊布は怒ってなぐろうとした。楊朱は言った、『お前、なぐってはいけないよ。お前も同じようなものだろう。さきにお前の犬が白い色で出ていったのに黒くなって帰ってきたとしたら、お前、どうして怪しまないでおれようか』」(「韓非子2・説林下・第二十三・P.150~152」岩波文庫 一九九四年)
ほんの小さな違和感。人間にはわからないか自分で自分自身をごまかす合理化のため逆にわからなくしてしまうのだが、犬の場合、そう簡単に警戒心を怠らない。わざわざ「韓非子」に載るのもうなずける。
そんな犬はまた、恐ろしく古くから農耕社会の中で山羊や牛の世話係とし活躍してきた。犬なくして山羊や牛の世話は不可能だった。秋の収穫など望むべくもない。そして彼らとともに育て上げられ秋の収穫期を迎えた広大な麦畑に広がる盛大な麦は、黄金色の地平線が風によって変容するのを人々の目に映し上げる。そこで、収穫物はいずれの側にせよ麦なのだが、二つのケースがあって面白い比較が可能である。当然のことながらこの時ばかりは犬ではなく山羊でも牛でもなく刃物が用いられる。その年最後の麦を刈り取る者。それは村落共同体の中で特権的な位置へ移動すると同時に最後の刈り取りという意味で、古代の祭祀性を反復させて見せる。第一に最後の麦を刈り取った者が穀物霊の代表者として「山羊」と命名され「酒でずぶ濡れにされる」場合。
「スイスのサンガル州〔スイス北東部〕では、畑で最後の一握りの麦を刈った者、もしくは収穫物を積んだ最後の荷馬車を納屋まで御した者が、『麦の山羊』や『ライ麦の山羊』、あるいは単に『山羊』という名で呼ばれる。トゥールガウ州〔スイス北東部の州〕では『麦の山羊』と呼ばれ、山羊のように首に鈴をつけられ、人々に意気揚々と連れ回されて、酒でずぶ濡れにされる」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.22」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)
第二に最後の麦の刈り取りの直前、一頭の生きた山羊が華やかに飾り立てられ頸(くび)を刃物で刎(は)ね飛ばされ、そして翌年の収穫期まで「塩漬け」にされて保存される。
「グルノーブル近郊では、刈り取りを終える前に、一頭の生きた山羊が花とリボンで飾られ、畑に放たれて走り回る。刈り手たちがこれを追って捕まえようとする。捕らえられると農場主の妻がしっかりと抑えつけ、農場主がこの首を刎ねる。この山羊の肉が収穫日の夕食となる。肉の一部は塩漬けにされ、翌年の収穫期につぎの山羊が殺されるまで、保管される」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.24」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)
どちらの場合をみてもそもそも最後の刈り取りは神事として取り扱われ祭祀として行われる行為だった痕跡がありありと残っている。もし自分が最後の刈り取りに関係する場合、「酒漬け」か「塩漬け」か、どちらを選ぶだろうか。どちらの場合も収穫できたことに対する神への感謝を込めた生贄を意味している。とすればヨーロッパにせよアジアにせよ、最初期の生贄は何だったか容易に想像可能だろう。その場に犬も必ずいたはずだ。そしてその光景を見守り記憶していたに違いない。
一方「山海経」に、猿に似ていて人のように走る者がいるとある。招揺(しょうよう)山に住む。「狌狌(しょうじょう)」と呼ばれたらしい。
「獣がいる、その状は禺(さる)の如くで白い耳、伏してあるき人のように走る、その名は狌狌(しょうじょう)」(「山海経・第二・西山経・P.17」平凡社ライブラリー 一九九四年)
「猩猩(ひひ)」と書いて「しょうじょう」と読む場合も別の箇所に書かれているが、それは或る南方の民族の先祖=トーテムとして位置付けられている。とすれば招揺(しょうよう)山の「狌狌(しょうじょう)」とは何か。絵が残されており、背中は腰の辺りにかけて蓑を負っているようだが、あとは人間そっくりの親子二人連れである。親は子の手を引き、髭を生やしている。猿というより北方民族から見た南方の別の民族のように思える。犬との関係があるように見えないのはなぜだろうか。それは多分、農耕民族ではなかったからではないかと考えられる。
しかしいずれにしても数千年をかけて徐々に平地へ定着した人間。山岳地帯で暮らしていても戸籍は常に既に平地で管理されている人間。ヴァレリーはいう。
「見ての通り、今日、あらゆるものは直ちにその反対物を生み出し、恐るべき過熱状態の中でどんなものも明瞭な形を保つことができません。『平和』のただなかに『戦争』が現前します。『飽食』から『飢餓』が生まれます。コミュニケーションの驚くべき発達は、直接的な結果として、税関の壁を高く厳しくします。同じ研究所で、同じ研究者が人を殺すものと救うものを、善と悪の両方を研究しています。知性(インテリジェンス)の分野においても、事物の本質の解明に使われた論理の行き着く先が不確定性原理です」(「精神連盟についての手紙」『精神の危機・P.162』岩波文庫 二〇一〇年)
ヴァレリーが「『平和』のただなかに『戦争』」・「『飽食』から『飢餓』」と書いたのは第一次大戦後。さらに第二次大戦が終わってもう八十年近い。地球規模の大規模な気候変動によって戦後しばらくは安定してきた気象予報の意味さえもはや「不確定性原理」のうちに回収されようとしている。「平和の祭典」と銘打たれた五輪のさなかにも多発する紛争地帯では一日何百発何千発の自動小銃が火を吹いているかわからない。また今回の東京五輪開催に当たってIOC会長はなぜか「ヒロシマ」を訪問した。しかし不可解なのは、まともに大量殺戮を受けた「ヒロシマ」を訪問した一方で、まともに殉死命令に従った「オキナワ」が無視されていることだ。気象予報がもはや「不確定性原理」のうちにすっかり回収されようとしているこの時代、敢えて気象予報への夢をテーマとしたテレビ・ドラマが出現してきたのは余りにも皮肉なことではあるけれども。
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「楊朱之弟楊布、衣素衣而出、天雨、解素衣、衣緇衣而反、其狗不知而吠之、楊布怒、将撃之、楊朱曰、子毋撃也、子亦猶是、曩者使女狗白而往、黒而来、子豈能毋怪哉。
(書き下し)楊朱(ようしゅ)の弟の楊布(ようふ)、素衣(そい)を衣(き)て出(い)づ。天雨ふり、素衣を解(と)き、緇衣(しい)を衣て反(かえ)る。其の狗(いぬ)知らずしてこれに吠(ほ)ゆ。楊衣怒りて将にこれを撃(う)たんとす。楊朱曰わく、子(し)撃つこと毋(な)かれ。子も亦(ま)た猶(な)お是(か)くのごとし。曩(さき)に女(なんじ)の狗をして白くして往き、黒くして来たらしめば、子豈(あ)に能(よ)く怪(あや)しむこと毋(な)からんやと。
(現代語訳)楊朱の弟の楊布(ようふ)は、白い着物を着て外出したが、雨が降ってきたので、白い着物をぬいで黒い着物に着がえて帰ってきた。家の飼犬はそれとわからずに吠えたてたので、楊布は怒ってなぐろうとした。楊朱は言った、『お前、なぐってはいけないよ。お前も同じようなものだろう。さきにお前の犬が白い色で出ていったのに黒くなって帰ってきたとしたら、お前、どうして怪しまないでおれようか』」(「韓非子2・説林下・第二十三・P.150~152」岩波文庫 一九九四年)
ほんの小さな違和感。人間にはわからないか自分で自分自身をごまかす合理化のため逆にわからなくしてしまうのだが、犬の場合、そう簡単に警戒心を怠らない。わざわざ「韓非子」に載るのもうなずける。
そんな犬はまた、恐ろしく古くから農耕社会の中で山羊や牛の世話係とし活躍してきた。犬なくして山羊や牛の世話は不可能だった。秋の収穫など望むべくもない。そして彼らとともに育て上げられ秋の収穫期を迎えた広大な麦畑に広がる盛大な麦は、黄金色の地平線が風によって変容するのを人々の目に映し上げる。そこで、収穫物はいずれの側にせよ麦なのだが、二つのケースがあって面白い比較が可能である。当然のことながらこの時ばかりは犬ではなく山羊でも牛でもなく刃物が用いられる。その年最後の麦を刈り取る者。それは村落共同体の中で特権的な位置へ移動すると同時に最後の刈り取りという意味で、古代の祭祀性を反復させて見せる。第一に最後の麦を刈り取った者が穀物霊の代表者として「山羊」と命名され「酒でずぶ濡れにされる」場合。
「スイスのサンガル州〔スイス北東部〕では、畑で最後の一握りの麦を刈った者、もしくは収穫物を積んだ最後の荷馬車を納屋まで御した者が、『麦の山羊』や『ライ麦の山羊』、あるいは単に『山羊』という名で呼ばれる。トゥールガウ州〔スイス北東部の州〕では『麦の山羊』と呼ばれ、山羊のように首に鈴をつけられ、人々に意気揚々と連れ回されて、酒でずぶ濡れにされる」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.22」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)
第二に最後の麦の刈り取りの直前、一頭の生きた山羊が華やかに飾り立てられ頸(くび)を刃物で刎(は)ね飛ばされ、そして翌年の収穫期まで「塩漬け」にされて保存される。
「グルノーブル近郊では、刈り取りを終える前に、一頭の生きた山羊が花とリボンで飾られ、畑に放たれて走り回る。刈り手たちがこれを追って捕まえようとする。捕らえられると農場主の妻がしっかりと抑えつけ、農場主がこの首を刎ねる。この山羊の肉が収穫日の夕食となる。肉の一部は塩漬けにされ、翌年の収穫期につぎの山羊が殺されるまで、保管される」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十節・P.24」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)
どちらの場合をみてもそもそも最後の刈り取りは神事として取り扱われ祭祀として行われる行為だった痕跡がありありと残っている。もし自分が最後の刈り取りに関係する場合、「酒漬け」か「塩漬け」か、どちらを選ぶだろうか。どちらの場合も収穫できたことに対する神への感謝を込めた生贄を意味している。とすればヨーロッパにせよアジアにせよ、最初期の生贄は何だったか容易に想像可能だろう。その場に犬も必ずいたはずだ。そしてその光景を見守り記憶していたに違いない。
一方「山海経」に、猿に似ていて人のように走る者がいるとある。招揺(しょうよう)山に住む。「狌狌(しょうじょう)」と呼ばれたらしい。
「獣がいる、その状は禺(さる)の如くで白い耳、伏してあるき人のように走る、その名は狌狌(しょうじょう)」(「山海経・第二・西山経・P.17」平凡社ライブラリー 一九九四年)
「猩猩(ひひ)」と書いて「しょうじょう」と読む場合も別の箇所に書かれているが、それは或る南方の民族の先祖=トーテムとして位置付けられている。とすれば招揺(しょうよう)山の「狌狌(しょうじょう)」とは何か。絵が残されており、背中は腰の辺りにかけて蓑を負っているようだが、あとは人間そっくりの親子二人連れである。親は子の手を引き、髭を生やしている。猿というより北方民族から見た南方の別の民族のように思える。犬との関係があるように見えないのはなぜだろうか。それは多分、農耕民族ではなかったからではないかと考えられる。
しかしいずれにしても数千年をかけて徐々に平地へ定着した人間。山岳地帯で暮らしていても戸籍は常に既に平地で管理されている人間。ヴァレリーはいう。
「見ての通り、今日、あらゆるものは直ちにその反対物を生み出し、恐るべき過熱状態の中でどんなものも明瞭な形を保つことができません。『平和』のただなかに『戦争』が現前します。『飽食』から『飢餓』が生まれます。コミュニケーションの驚くべき発達は、直接的な結果として、税関の壁を高く厳しくします。同じ研究所で、同じ研究者が人を殺すものと救うものを、善と悪の両方を研究しています。知性(インテリジェンス)の分野においても、事物の本質の解明に使われた論理の行き着く先が不確定性原理です」(「精神連盟についての手紙」『精神の危機・P.162』岩波文庫 二〇一〇年)
ヴァレリーが「『平和』のただなかに『戦争』」・「『飽食』から『飢餓』」と書いたのは第一次大戦後。さらに第二次大戦が終わってもう八十年近い。地球規模の大規模な気候変動によって戦後しばらくは安定してきた気象予報の意味さえもはや「不確定性原理」のうちに回収されようとしている。「平和の祭典」と銘打たれた五輪のさなかにも多発する紛争地帯では一日何百発何千発の自動小銃が火を吹いているかわからない。また今回の東京五輪開催に当たってIOC会長はなぜか「ヒロシマ」を訪問した。しかし不可解なのは、まともに大量殺戮を受けた「ヒロシマ」を訪問した一方で、まともに殉死命令に従った「オキナワ」が無視されていることだ。気象予報がもはや「不確定性原理」のうちにすっかり回収されようとしているこの時代、敢えて気象予報への夢をテーマとしたテレビ・ドラマが出現してきたのは余りにも皮肉なことではあるけれども。
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