世界の至るところで発生中の移動民に向けて押し付けられがちな「ラベル」から「脱アイデンティティ化」への動きについて。
松村圭一郎はこれまで流通してきたコスモポリット(コスモポリタン)の概念についての批判をミシェル・アジエから引く。
「『コスモポリット(コスモポリタン)』という言葉は、一般にはグローバル化した生き方に結びつけられ、国をまたいで活動する専門家やテクノクラート、リーダーやクリエイターたちを指している。社会学者のジグムント・バウマンは、そうした人びとを『グローバル階級』と呼んだ。しかしアジエは、彼らは確かに地球という球体のなかで生きているが、ほとんど、あるいはまったく、会議場やホテルなどから外に出ることがない、という。彼らが本当に住み処を変えることはない」(松村圭一郎「海をこえて(11)」『群像・8・P.511』講談社 二〇二四年)
国境地帯は一見するとただ単なるカオスでしかないかのように映って見える。ところがそこには何年間も常に緊迫した国境の経験から新しく生まれる「コスモポリティスム」の萌芽がすでに見られる。そうアジエはいう。暴力的国境地帯を経験した移動民たちは「世界を分有する経験」をこれからのヒントとして手に入れてもいるようだ。
「境界的状況では、ときにどれだけ不平等で暴力的であっても世界を分有する経験が生じている。アジエが提起する『コスモポリティスム』は、世界の具体性、その荒々しい試練を受けている人たちの経験、国境を通過する時間と空間のなかに広がりうる経験からくるものだ」(松村圭一郎「海をこえて(11)」『群像・8・P.512』講談社 二〇二四年)
多くの野営地や不法占拠地ができたフランスのカレー。二〇一五年、フランス政府による彼ら移動民の強制退去が執行された。しかし肝心なことはそのとき移動民たちの間から表面化してきたスローガンがただ単なる「同情主義的救済」ではなくれっきとした政治性を帯びていた点だろう。
「二〇一五年の『危機』のなかで、カレーの移動民は、国民国家の国境を閉鎖するというヨーロッパ的『統治』に反対して行動に出た。町と港のあいだでプラカードを掲げ、スローガンを叫び、フランスとイギリスの政策の非人道性を告発する公開状を配布し、国境の解放と人権の尊重を求めた。その姿は『犠牲者』や『犯罪者』として、同情や恐怖をかきたてるといった表象とは異なる政治的言説を手にすることを示していた。彼らは自分たちにとって不正義や暴力として現れてくるものに対して、みずからを『抗う者』として政治化させる。そこで語られる『人間の諸権利』、『自由』、『敬意』、『人間性』といった言葉が、共通で普遍的な政治の言説となっていく。
ーーー国境に堰(せ)き止められた移動民たちが表明する『政治の形態』からは、国境と人間の可動性を位置づけ、コスモポリットな主体の政治とは何か、考えさせられる。この言葉は、来たるべき世界の前兆となる政治性を帯びており、『国境を民主化しなければならない』という哲学者エティエンヌ・バリバールの提案を受けとるよう、私たちを導く」(松村圭一郎「海をこえて(11)」『群像・8・P.512~513』講談社 二〇二四年)
さらにグレーバー+ウェングロウはいう。
「いっぽう、旧石器時代以降の証拠は、多数のーーーおそらくほとんどのーーー人びとが、一年のさまざまな時期に異なる社会秩序を想像したり上演したりするだけでなく、実際にそうしたさまざまな社会秩序のうちに特定の期間、生活していたことを示唆している。とすれば、わたしたちの現在の状況との対比は、これ以上ないほどはっきりしている。今日、わたしたちのほとんどは、オルタナティヴな経済秩序や社会秩序がどのようなものであるか、想像することさえますます困難になっているのだから。それと対照的に、わたしたちの遠い祖先は、そうした複数の秩序のあいだをたびたび往来していたようにみえるのだ」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.569」光文社 二〇二三年)
ごく最近の考古学的成果から先史時代にはもろもろの選択肢がたくさんあったことがわかってきた。
(1)「東アフリカのハッザ族やオーストラリアのマルトゥ族などの調査によると、今日の狩猟採集社会は数的には小規模かもしれないが、その構成はおどろくほど国際的(コスモポリタン)だ。狩猟採集民のバンド(集団)がより大きな居住集団としてまとまっても、けっして近しい親族のみで構成されているわけではないのだ。実際、生物学的要素を主因とする関係は平均で10%を構成するにすぎない。ほとんどのメンバーが、よそからの、しかもその多数がかなり遠方からの流入組であり、同一言語を共有していなかったとすら考えられる」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.138」光文社 二〇二三年)
(2)「たとえば、オーストラリアのアボリジニは、大陸の半分を旅して、まったく異なる言語を話す人びとのあいだを移動しても、それでもまだ故郷と同種のトーテム半族に分割されたキャンプをみつけることができた。つまり、半分の住民は、かれらを歓待する義務があるが、(性的関係は厳禁である)『兄弟』、『姉妹』とみなされた。いっぽう、もう半分は、潜在的な敵であるが、同時に婚姻のパートナーとみなされた。おなじように五〇〇年前の北アメリカ人は、五大湖畔からルイジアナの湾岸まで移動しても、歓待し食事を与える義務のあるーーーまったく異質の言葉を話すーーーみずからとおなじクマ、ヘラジカ、ビーバーなどのクラン(氏族)のメンバーからなる居住地をみつけることが可能だった」(グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明・P.138」光文社 二〇二三年)
新自由主義が実質的に世界を地球規模の崩壊へ導いている以上、考え直すチャンスやヒントはもっとあるだろうしもっと作ることができるに違いない。