この四月十日。
岸田首相とバイデン大統領との「日米首脳共同声明」を発表した。いわゆる「日米グローバルパートナーシップ」。
声明文の中にこうある。
「インド太平洋の安全保障」
これまで何度も繰り返ししつこく言ってきたが今のアメリカは自分自身がやめようにもやめられなくなった「ハッスル文化」をますます押し進めているため世界一の警察国家から転落して久しいばかりか、もはや世界一のメンタルヘルス大国と化している。慎重を期して注意深くどのように自国を建て直すあるいはやり直していくか議論百出状態であり、議論すること自体が大いに重要なのは当然として、それにしてもてんで落ち着きというものが見られない。
移民・難民について。
ただ単に追い出せばいいという乱暴でヘイト以外のなにものでもない叫び声を公然と上げるような政治団体が日に日に支持率を上げたりするのはなおさらおかし過ぎる。
さらに何度も繰り返ししつこく述べてきたけれどもアメリカの同盟諸国はこれまで散々アメリカから居丈高な国際秩序に従わされてきた経緯がある。そこでアメリカがいまだかつてないほど弱体化してきた今こそ同盟諸国は内心で様々な目論見をあらわにしてくるだろう。ヨーロッパでは特に動きが早い。
弱体化しあちこち破綻をきたしているアメリカに対してこっそりとではあるものの日本政府の動きもまたそうだ。同盟関係、とりわけ軍事になると、トップに君臨する国家にちょっとした綻びが見られるや同盟などというのはそそくさと流動する。どんな事情があるのか詳細はわからないが巨大スポンサーに逆らえないマス-コミは当然報道しない。NHKはスポンサーを持たない形になっているが政府に正面から何か言って簡単に許されるような立場にはないいわば「優等生」に過ぎない。
一方沖縄の地方紙は日々何かと報道している。だからかもしれないが「日米グローバルパートナーシップ」の一環としていきなり位置付けられた「インド太平洋の安全保障」ということが何を意味するか。混乱しているわけではなく、おそらく「粛々と」押し進められていくだろう近い未来について、むしろ明晰な理解を伴いながらある種の「戦慄」を感じているように思えてならない。
沖縄の自衛隊。ところが弱体化がはっきりしてきたアメリカと日本の首相との共同声明で「インド太平洋の安全保障」という次元への移行になれば、米軍の補完装置として動いてきたこれまでの日本の自衛隊とは位置付けが異なる。沖縄の自衛隊だけでなく日本全土の自衛隊の質量ともにぐっと変容する。米軍は米軍で行動するだろう。一方日本の自衛隊は日本の自衛隊でまた別に動けるようになる。「インド太平洋」地域全般を射程に入れながら。底知れぬ暗闇、泥沼化、大東亜共栄圏への復古主義など。わざわざアメリカに断りを入れなくてもできてしまうことだ。
ちなみにパプアニューギニア周辺のかつてフランス植民地だった地域で暴動が起きたりしているのは時々報道されてはきた。とはいえアメリカがずば抜けた超大国だった頃にはいつもアメリカのご機嫌伺いから始めるほかなかった同盟諸国。しかしその構造はもはや崩れ去り急変/再編/再軍備の準備が押し進められている。
並行して日本の国会審議はどうか。
「こんな政府あるいは内閣で沖縄周辺や南西諸島を守れるのか」
わざわざ連立政党や野党議員がそんな発言で首相に詰め寄る。首相は強調する。
「インド太平洋の安全保障」
それについてぬかりなく注視していくと。
議員らの発言のひとつひとつが今や同盟諸国(ここでは特に日本)による「インド太平洋の安全保障」を大きく変える政府への側面支援発言として実効性を持つことになっていると気づいているのかどうか。なぜわざわざ日中間の緊張を高める発言ばかり飛び出すのか。
フーコーから二箇所。
(1)「権力は至るところにある。すべてを統轄するからではない、至るところから生じるからである。そして通常言われる権力とは、その恒常的かつ反覆的な、無気力かつ自己生産的な側面において、これらすべての可動性から描き出される全体的作用にすぎず、これら可動性の一つ一つに支えを見いだし、そこから翻ってそれらを固定しようとはかる連鎖にすぎないのだ。おそらく名目論の立場を取らねばなるまい。権力とは、一つの制度でもなく、一つの構造でもない、ある種の人々が持っているある種の力でもない。それは特定の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられる名称なのである」(フーコー「性の歴史1・知への意志・P.120~121」新潮社 一九八六年)
(2)「権力の合理性とは、権力の局地的破廉恥といってもよいような、それが書き込まれる特定のレベルで縷々極めてあからさまなものとなる戦術の合理性であり、その戦術とは、互いに連鎖をなし、呼びあい、増大しあい、おのれの支えと条件とを他所に見出しつつ、最終的には全体的装置を描き出すところのものだ」(フーコー「性の歴史1・知への意志・P.122~123」新潮社 一九八六年)
状況はますます悪くなっている。さらに悪い条件を増殖させるおびたたしい装置の世界化も加速している。これがまた延々引き延ばされていくことはカフカを引用するまでもないようにおもえる。