一八三六年八月十日「ラ・ファランジェ」紙に掲載された無署名の記事をフーコーは引用する。「完璧な見取図」といえるのはなぜかというと、パリ中心部が「完璧」というにふさわしい合理性、経済策、効率性によって貫かれた近代都市の様相を示すに至っていたからである。ちなみに絶対王政時代の象徴の一つヴェルサイユ宮殿はパリの南西二〇キロという郊外にあり中心部から隔たっている。パリ都市部においてあらわとなった監視監禁的な装置からはやや離れている。しかし消滅したわけではなくナポレオン体制樹立後すぐさま様々な歴史的場面で再活用されるようになる。余談だが現在のヴェルサイユ宮殿ホームページを見るとメインタイトルは“WELCOME TO VERSAILLES”と英語表記になっていてフランス語表記ではないのだが、その理由は杳として知れない。ともかくこの時期、パリは極めてモダンな監禁都市として出現した。
「『パリの見取図は次のとおりだ。あらゆる類似のものが集められている完璧な見取図は次のとおりだ。中央部にある第一の囲いのなかには、万病を診る施療院、あらゆる貧困に対処する救済院、狂人施設、監獄、男子と女子と未成年者のための徒刑監獄。この第一の囲いのまわりには、兵営、裁判所、警査庁舎、見張人住居、処刑場、死刑執行人ならびにその助手の住居。四隅には衆議院と貴族院と学士院と王宮。以上のものの外郭には、中央の囲いのなかの者に食糧を供給する商業施設と商売にまつわる悪だくみや破産、工業施設とそれにまつわる猛烈な競争、新聞機関とその詭弁、賭博場、売春、餓死するか放蕩にふけるかして<革命の神>の声につねに従おうとする下層民、非情な金持ーーー、最後には、万人が万人に交える血みどろな戦い』」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)
十九世紀前半の新聞記事ということもあり、どこかロマン主義的な大げさな部分の名残りがないでもない文章ではある。「悪だくみ」とか「非情な金持」とかがそうだ。しかし金持というのは本来的に非情な人々でなければ務まらないわけであって、また政治=経済分野ではいつも何がしかの悪だくみが同時多発的に行なわれているわけで、さして驚くに当たらない。むしろ注目すべきは、様変わりした首都の風景を新聞記事の枠内で簡潔にまとめて記述できてしまえることじたい、そもそも前時代的な拷問・公開処刑の必要性はもはやなくなり、それに代わるまったく新しい監視監禁装置としてのパリが急速に整備されたことを端的に物語っている点でなければならない。だからパリの中心に何か途轍もなく巨大な見張台のような建築物がものものしく登場したわけではなく、反対にそのような象徴的なものが姿を消してしまったことが逆に象徴的なのだ。
フーコー理論が登場したときーーー戦後のことだがーーー資本家階級もマルクス主義陣営も同様に違和感を持った。資本の側からみれば敵か味方か判然としない。逆にルフェーブルは「現状維持のイデオロギー」と名指し、サルトルは「マルクスに対する最後の障碍物」と批判した。少なくとも「言葉と物」が出版されたとき(一九六六年)の反応はそのようなものだった。しかしフーコーは批判にもかかわらずよりいっそうこの方向を押し進めていく。それはたとえば、「《権力中枢》が存在するかわりに、さまざまな力の中核が存在するかわりに、各種の構成要素ーーー障壁、空間、制度、規則、言語表現ーーーから成る多様な網目が存在する」、という記述に顕著である。
「この監禁都市の中心部には、しかもその都市を永続させるためであるかのように、《権力中枢》が存在するかわりに、さまざまな力の中核が存在するかわりに、各種の構成要素ーーー障壁、空間、制度、規則、言語表現ーーーから成る多様な網目が存在するとの原則であり、したがって監禁都市のモデルは国王の身体ならびにそこから発する権力ではなく、同様に、個別的でもあり集団的でもある身体がそこから生ずるような契約上の諸意志の集まりでもやはりなく、本性上および次元上の各種の構成要素の戦略的な配分であるとの原則である」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)
このような認識論的転回はそれまで有効とされてきたばかりでなく信じて疑われていなかったヨーロッパ哲学=思想界の常識を前提からくつがえすものとして登場した。ともかく、日本を含む先進諸国の言論界は自らの思考回路を一度疑ってみる必要性に迫られた。フーコー以前にはレヴィ=ストロースが登場しており、フーコーとほぼ並ぶ形でアルチュセール、ラカンといった人々が続々と登場してきた。先進諸国といっても、しかし例外的にアメリカではほとんど驚かれていない。アメリカから見ればフーコーとマルクスとのあいだにそれほど目立つ違いは見られないのである。知の枠組みが変化したことは確かだ。マルクスはその根拠を経済的体制が局地的なものから世界的な資本主義へと変化したことに求め、フーコーは経済だけでは語りきれない領域、とりわけ言語を始めとする諸科学の多元的変化に求めた、という違いがあるに過ぎない。なおかつアメリカはヨーロッパやアジアのような絶対王政の時代というものを持っておらず、いきなり資本主義社会として出現したという経緯があり、資本主義というのはそもそも多元的で多様な諸要素からできているものだという暗黙の理解があったためかもしれない。ヨーロッパやアジアの資本主義は土地から離陸すると同時に出現したわけだが、アメリカでは最初から離陸した状態ですでに到来していたわけであり、北米大陸に達したときすでに多方面から様々な力で引っ張られつつせめぎ合う宙吊り状態に置かれているのが常態だという認識が常識として当たり前にあったのだと言えるかもしれない。そして宙吊り状態が常識化している世の中に生まれてきた人々はそのような不安定さについて、不安定であるにもかかわらず常日頃から当たり前のこととして受け入れているため、社会保障の必要性について極めて認識が薄い。黒人主体で始まった公民権運動が社会的規模で承認されたのも戦後になってからようやくといった始末である。以後拡充したかといえばしたことはしたけれども、それは東西冷戦終結までのことであって、依然として資本主義は続いているにもかかわらず相変わらず新自由主義を加速することで今度は成果主義の全面展開という様相を呈してきた。成果主義と高度テクノロジーとを合体させれば必然的に失業者は増大する。路上にあふれる。にもかかわらずアメリカ経済は失業者の増加率以上のスピードで成長するだろうと仮定していた。その途上で社会福祉部門は次々と縮小され、部分的には消滅もし、なおかつ徐々に引き裂かれてしまった。それではせっかく「消化した」はずのロシア革命を復活させかねない事態におちいる。そう思っているうちに二〇二〇年の「感染=パンデミック」発生を受けて始めて、とりわけ世界の金融経済の中心地ニューヨークで、新自由主義は失敗だったと認めないわけにはいかない状態に立ち至った。
十八世紀末から十九世紀前半いっぱいを通して監禁都市と化したパリに戻ろう。学校、職場、病院、中間施設などとの連続性を与えられた監獄は学校、職場、病院、中間施設などの監視社会化を実現する。見た目の違いはかなり高いレベルで知-権力装置が本来的に持つ装置性を欺く。あるにもかかわらず、まるでないかのような外観を呈する。だが原則は端から端まで貫かれている。そこに<一望監視装置>(パノプティコン)の効果の一つがある。
「中心的な位置を占めているが監禁は孤立しているのではなく、他の一連の《監禁》装置すべてとつながっており、しかもこれらの装置は一見相互にはっきり異なっているがーーーそれそれの目標が苦しみの軽減や治療や救済にあるのでーーー、監獄同様どの装置も規格化の権力をふるうことを目ざすとの原則」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)
市民社会へ溶かし込まれ一般化された諸施設で実施される各種各様の試験。それぞれがカバーする領域は違っていてもそこで行なわれることは記述、帳簿記入、診断・検査などの書記行為であり、規格的なもの(ノーマルなもの)からの逸脱の測定である。逸脱はただちに矯正されるわけではなく、逸脱のタイプに沿った形の規律・訓練の場へ配分され、そこでさらに監視観察される対象としてさらに客体化されることになる。そのような技術の絶えざる実施によって人間はだんだん個人としての輪郭を持ち始める。よりいっそう細分化され詳細緻密に分析されるほど個人の輪郭はますます明瞭になっていくが、その反面、労働力商品としての個人という観念は急速に消滅していく。ただ単なる経済的諸カテゴリーとして、「労働者一般」として、「社会的諸関係の総体」として、たちまち輪郭崩壊状態に叩き込まれる。資本家とて似たようなものだ。諸カテゴリーへ解体されつつ同時にますます労働力商品との相互依存関係を強化し合う。またもや再編されるのであり、瞬時に組み込み直されるのである。とはいえ、中央司令室のようなものがあるわけでは全然ない。
「これらの装置が適用される対象は《中央部の》法律への違反事項なのではなく、生産装置ーーー《商業》や《工業》ーーーをめぐる多種多様なすべての違反行為であり、そこには本性上ならびに起源上の違反行為の多様性、利潤における違反行為の種別的な役割、処罰機構のせいで違反行為がこうむる各種の命運などが含まれるとの原則」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)
処罰自体はほとんど重視されない。それより各種各様の違反行為があり、それぞれの違反行為には「各種の命運などが含まれる」のである。この事態は処罰が実施される監獄内部よりも遥かに恐ろしい何ものかの出現を意味している。違法行為は諸施設の連続性のうちであらかじめ各種各様の「命運」を与えられている。「資本主義リアリズム」という暗澹たる世界、永遠に続くバッドトリップという現実を、思い起こさずにはおれない。そしてそれは「或る一つの装置や一つの制度の単一な運用」といった単純な条件からのみ発生するものではけしてないという事情。かつてのような絶対的王権はなく、したがって、もはや絶対的中心は失われて久しいという認識。そしてそのような認識なしに、人間はどうして自分で自分自身の言動を絶え間なく自己監視しているのかを理解することはできない。
「最後の原則としては、こうしたすべての処罰機構を支配するのは、或る一つの装置や一つの制度の単一な運用ではなく或る戦いから生じる必然性および或る戦略の諸規則であるとの原則。したがって抑圧とか排斥とか排除とか社会的疎外などの制度上の諸概念は、老獪な緩和策や表沙汰にしにくい悪意や些細な術策や計算された方式や諸技術や《人間諸科学》、要するに、規律・訓練的な個人をつくりあげることを可能にするものがどのように形成されたかを、監禁都市の中心そのものにおいて記述するためには適切な概念ではないとの原則である」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)
監禁装置はだんだん消滅していく。市民社会の中へ溶け込んでいく。しかしその動きは緩慢ながらも次第になおかつ確実に、市民社会が監禁装置と一致していくことを意味する。監獄の中の囚人は違法行為を犯したから獄中にいる。確かにそうだ。けれども囚人はただ単なる犯罪者というだけではない。むしろ犯罪者という言葉は一つの記号に過ぎない。囚人は「複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な《監禁》装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略それじたい構成要素たる言語表現にとっての客体」であると考えねばならない。それは身体でもあり言語でもあるが同時に「社会的諸関係の総体」でもある。そうであって始めて知-権力装置は壮大な、しかし目に見えない戦略を、ますます豊穣に描き続けることができる。
「この〔監禁都市の〕中心部の、しかも中心部に集められた人々こそは複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な《監禁》装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略それじたい構成要素たる言語表現にとっての客体」(フーコー「監獄の誕生・P.307~308」新潮社)
だがしかし人間は「社会的諸関係の総体」でしかないことで、まさしくそのことによって、今度は逆に《欲望する諸機械》へ転化した。アルトーのいう「器官なき身体」として、強度と物質との合成状としてのびのび流動するのである。ただしあくまで慎重に。というのはアルトーの場合、ゴッホもまたそうだが、有機体からの脱出が自殺することになってしまったからである。
「非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどんなことか。それがどんなに単純で、われわれが毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要であり、オーバードーズは危険をともなう。ハンマーでめった打ちにするような仕方ではなく、繊細にやすりをかけるような仕方で進まなくてはならない。われわれは、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明する。有機体を解体することは決して自殺することではなく、まさに一つのアレンジメントを想定する連結、回路、段階と閾、通路と強度の配分、領土と、測量士の仕方で測られた脱領土化というものに向けて、身体を開くことなのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.327~328」河出文庫)
というふうに、である。そうでないと自殺で終わってしまうような場合、またしても「罪と罰」という終わりのない問いの反復に差し戻されてしまうからである。ニーチェはそれでそうとう苦悩している。
「精神の上には雲また雲が積み重なり、ついに狂気が次のように説教をしはじめた。『一切は過ぎ去る。それゆえに一切は過ぎ去るに値するのだ』『だから時はおのれの子どもたちを食わざるをえない、この時の法則は、まったく正当なことである』そう狂気は説教した。『世のいっさいのことは、正義と罰とによって道徳的に秩序づけられている。おお、世の事象の流れからの救済、また<生存>という罰からの救済は、どこにもない』そう狂気は説教した。『永遠の正義が存在する以上、救済ということがありえようか。ああ、<かつてそうであった>という大石は、押しころがすことのできないものである。だからすべての罰も、永遠に存在せざるを得ないものである』そう狂気は説教した。『いかなる行為も抹殺(まっさつ)することはできない。罰を受けたからといって、どうして行為が行なわれなかったということになろう。そして<生存>という罰のもっている永遠性とはこうである。生存も、永遠にわたって行為であり罪責であることをくりかえさなければならぬのだ』」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・救済・P.224~225」中公文庫)
さらに。
「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫)
この悪循環を断ち切るにあたってニーチェは「運命愛」という態度を発見する。
「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)
運命愛という態度は全的肯定の態度なのだが、それは各瞬間において切断論的に肯定する態度である点に注意しよう。間延びした「然り」が長く延びた飴のようにずうっと続いていくわけではなく、各瞬間ごとに、「然り、然り、然りーーー」と臨む態度である。
ところで、違法行為が発覚したときに犯罪者の脳内を横切る意識について、スピノザを参照しつつニーチェはいう。
「すなわち、それは『思いがけなくまずいことになった』という感じであって、『自分はあんなことをすべきではなかった』という感じでは《なかった》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.97」岩波文庫)
そこには「良心の疚(やま)しさ」というものが見られない。なぜだろう。
「次に《歓喜》とは《我々がその結果について疑っていた過去の物の表象像から生ずる喜び》である。最後に《落胆》とは《歓喜に対立する悲しみ》である」(スピノザ「エチカ・第三部・定理一八・備考2・P.189」岩波文庫)
要約すると、「《落胆》とは」、「《我々がその結果について疑っていた過去の物の表象像から生ずる悲しみ》」である、ということになる。だからそのとき生じているのは「良心の疚(やま)しさ」ではなくて、「裏切られた」ことに伴う「悲しみ」なのだ。たとえば、老後二〇〇〇万円入ってくるはずだった予想が裏切られて入ってこないとわかったときに生じる「悲しみ」に等しい。現代社会ではますます増えていくだろうことが予想されるそのような想定外の事態に際して、刑罰装置が持っている意味に対する市民社会の認識はますます変わっていくに違いない。刑罰は人間をより「善く」は《しない》。むしろ人間を「《手なずけ》」る機械仕掛に過ぎない。このことはこれまで何度か繰り返し触れてきた。馴致し、群畜化し、均質化し、記号化し、ほとんど他の何とでも置き換え可能にする。また同時に刑罰は規律・訓練を介して犯罪者(富裕層であろうとなかろうと)をよりいっそう狡猾劣悪にする。それは被害を受けたと感じている社会の側でも同時に起こる。そのぶん社会はよりいっそう狡猾な規律・訓練の技術を案出することになる。現役で用いられている効果的装置の中で最も目立つものは多分「護送車」だろう。「動く機械仕掛」としての「監獄」。しかし護送車が現役なのは「見せしめ」のためではない。規律・訓練のモデルを市民社会の中へよりいっそう広く深く組み込み、ごく自然な動作として流し込むためである。
「概して刑罰の結果として齎(もた)らされるものは、人間においても動物においても、恐怖心の増大であり、思慮の綿密化であり、欲望の制御である。してみれば、刑罰は人間を《手なずけ》はしても、人間を『より善く』はしない、ーーーまだしもその反対のことを主張する方が一層正しいと言えるかもしれない(『損をすれば悧巧になる』と世間では言う。損害は悧巧にするだけ劣悪にもする。幸いにして愚鈍にする場合も少なくない)」(ニーチェ「道徳の系譜・P.97」岩波文庫)
だから人間の加工=変造という技術は身体から始まり精神の整形外科手術へとおよぶ。そうなればなるほど、「堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違い」はますます不明瞭なものになっていく。
「人々は、堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違いをあまりにも大きく考えすぎている。泥棒や殺人者に対する法律は、教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なようにつくられている」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・七〇五・P.439」ちくま学芸文庫)
それはもちろん「泥棒や殺人者」を法廷で孤立させた上で、裁判所の側からおもむろに一片の温情を与える身振り仕ぐさのうちに含まれている。だから被告はいったん監獄に入らなければならないけれども、それは監獄内で実施される規律・訓練の反復によって、出所後「教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なように」、よりいっそう有効活用されるために調教され家畜化される過程を改めて生き直す必要性が生じているからである。しかしもし法律の文言通りに裁判が行なわれるとすれば、次のように予想外の事態を露呈することになり、今のようによりいっそう透明性が求められている裁判過程はほとんど錯乱状態におちいるだろうし、少なくとも、おちいりかねない。
「《刑量の決定における恣意性》。ーーーたいていの犯罪者には、ちょうど女たちに子供が与えられるような仕方で刑が与えられる。彼らは、それが悪い結果を招くなどとは夢おもずに、何十回、何百回と同じ行為をつづけてきたのであり、そして突然露顕のときがやってきて、そのあとに罰がくるというわけだ。しかし習慣性というものは、犯罪者が処罰される原因となる行為の罰を、それが習慣的でなかった場合よりも容赦できるものに思わせるはずのものだろう。そこには、抵抗しがたい性癖というものができてしまっているからである。しかし実際には反対に、犯罪者が常習犯の嫌疑をかけられるときは、そうでないときよりも過酷な刑を科せられ、習慣性は一切の情状酌量に対する反対事由と見なされてしまう。これとは逆に、ふだんは模範的な生活を送っている者が、それだけいっそうこれとおそろしい対照をなす犯罪を行なったときには、彼の有罪性はいっそう顕著に見えるはずであろう!しかし実際には、この場合かえって刑が緩和されるのが普通である。かくして、すべては犯罪者を基準に量られるのではなく、社会と社会のうける危害を基準に計られるのだ。そして、或る人間の過去における有益な行状が彼の一回の有害な行状とひきかえに計算され、過去の有害な行状が現在露顕した有害な行状に加算され、これによって計量は最高に計算されるのである。しかし、こうして或る人間の過去が同時に罰せられたりあるいは同時に報いられ(報いられる、といってもこれは罰せられるときのことで、つまり刑の軽減が報償となる場合である)たりするのであれば、もっとさかのぼって、あれやこれやの過去の原因を罰したり報いたりすべきではなかろうか。わたしが考えているのは、両親や教育者や社会などである。そうすれば、多くの場合《裁判官》自身も何らかの仕方で罪にあずかっているさまが見られることだろう。過去を罰すると言いながら犯罪者の過去だけしか問題にしないのは、恣意的である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二八・P.292~293」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように「犯罪者の過去だけしか問題にしない」態度は「恣意的である」。さらに周囲の政治的=経済的諸環境から「犯罪者の過去だけ」を切り離して取り上げることは事実上不可能である。というのは、人間はいつもすでに「社会的諸関係の総体」であるほかないからだ。一人の人間の身体において見られる事情というのはたった一人の人間の身体でさえ多種多様な諸要素がせめぎ合う共同体をなしていて、それら諸要素はもはや分かちがたく融合しているという事実である。ニーチェとベルクソンから一箇所づつ。
「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫)
「多様性の二つの形式、持続のまったく異なる二つの評価、意識的生活の二つの様相を区別することにしよう。注意深い心理学は、真の持続の延長的記号たる等質的持続の下に、その異質的な諸瞬間が相互に浸透し合う持続を見分ける。また、それは、意識的諸状態の数的多様性の下に質的多様性を、はっきり規定された諸状態にある自我の下に継起が融合と有機的一体化を含むような自我を、見分ける」(ベルクソン「時間と自由・P.153~154」岩波文庫)
なお、現在進行形の「感染=パンデミック」について。結果はまだ出たわけではない。一定の結果といえるほどの結果が出たといえるかどうか、それもまだわからないとしか言えないような情報ばかりが流通していると思われる。その間、政治的でも経済的でも官僚的でも構わないのだが、或る事件が発覚したとする。長期化する「感染=パンデミック」の中に紛れ込む形で、大きな流水の中へ小さな流水が不意に流し込まれるように、或る事件は「しばしば他の事物の表象像」として作用し、「感染=パンデミック」の結果が見えてくる過程で事態を大きくかき乱すといったことが生じる。
「数々の経験をもつ人々は、物を未来あるいは過去のものとして観想する間は、大抵動揺して、その物の結果について多くは疑惑を有するから、したがって事物のこの種の表象像から生ずる感情はさほど確乎たるものではなく、人々がその物の結果について確実になるまでは、しばしば他の事物の表象像によって乱される」(スピノザ「エチカ・第三部・定理一八・備考1・P.188~189」岩波文庫)
だからスピノザにしたがえば、「感染=パンデミック」の「結果について確実になるまでは」、「感染=パンデミック」に関する状況を見るにしても、或る事件が「他の事物の表象像」として割り込んできて、市民社会の目に見える事態は「感染=パンデミック」に関しても「或る事件」に関しても、どちらについても「乱される」、といえる。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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