白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

微視的細部3

2020年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
夜ごと反復される回想。

「思い出が夢うつつのうちによみがえり、ぼくにとってはすべての説明がついた。一人の女優に対する漠とした、希望のない恋、夜ごと開演の時間ともなればぼくを捕え、眠る時間になるまで放してくれないその恋心は、蒼白い月光を浴びて開いた夜の花、白いもやに半ば浸された緑の芝生の上をすべっていった薔薇色のブロンドのまぼろしであるアドリエンヌの思い出から芽生えたものだった」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.219』岩波文庫)

主人公をなかなか寝かせてくれない恋愛感情のすべては「アドリエンスの思い出から芽生え」ている。ところで主人公にとってアドリエンヌとは何ものか。地元の祭りの日にたまたま出会ったほんの少女に過ぎない。ヨーロッパでは祭りの際に男女がペアを変えながら移動する踊りの習慣がある。戦後日本の義務教育課程でも主に小学校で「フォークダンス」として大々的に取り入れられた。ところが一九八〇年当時、中学になると突如としてなくなり、そのぶん表沙汰になっていないぶんを省いてみても、男子中学生による強姦事件が増大した。なぜだろう。「フォークダンス」の時間の排除は、中学生ゆえに性教育上問題があると見なされた上での措置だったのだろうが、裏目に出た。性教育上様々な思惑が入り乱れる生徒のあいだで、それでもなおかつマナー、ルール、順序といったものを自分で制御する手法を学ぶための場として、むしろ「男女がペアを変えながら移動する踊り」の場としての「フォークダンス」は、純然たる「社交」として、必須の作法として、残しておくべきだったのだが、生徒の側からみれば、教育者の側はもしかして起こるかもしれない問題発覚をおそれ隠蔽することを優先的に考えたように映って見えていた。それはそれとして。アドリエンヌはあたかも「ダンテのベアトリーチェのよう」だったという。

「時あって私は見た覚えがある、一日の初め、東の方(かた)ことごとくあかね色に染まり、残りの空、すべてうるわしく澄みわたりていみじきに、さしのぼる太陽(ひ)の面輪(おもわ)うち曇るほどの水気にやわらげられ、眼ながく太陽(ひ)との対面に堪えられる現象を。あたかもそれに似て、天使(みつかい)たちの手からひらひらと投げあげられ、再び車の内外(うちと)に降りてきた花の雲に乗り、清白(すずしろ)の面紗(めんさ)のうえにオリーヴァの冠をつけ、やごとなきひとりの淑女が、私の眼の前にあらわれた、緑の袍(うわぎ)の下に、燃え立つ焔の色の衣(きぬ)召して。すると私の精神は、そのひとの前に出ると、畏敬のあまりわなわなとふるえ、うち砕かれる経験から離れること、げに年久しいにもかかわらず、いま、わが眼でもっと直接たしかめもしないのに、そのひとから放射される玄妙(くしび)な功力(くりき)により、昔と変らぬあの愛の、大きな力の衝撃をひしと感じた」(ダンテ「神曲・煉獄篇・P.380~382」集英社文庫)

ダンテがベアトリーチェに衝撃を受けたのはダンテが八歳、ベアトリーチェが九歳のとき。そのとき始めてダンテにとってただ単なる少女でしかなかったベアトリーチェが、愛の対象として、女性ベアトリーチェとして、出現した。ダンテは神々しく登場したベアトリーチェについて語る。贅沢な形容詞を満載して言語で語る。そうするやベアトリーチェはもはや言語としてしか存在しなくなるにもかかわらず。

さて、フィッツジェラルドに限らないと思われるが、小説家というものは有力誌に載る書評にかなり神経を尖らせる。誤解があればその誤解を解こうと工夫を凝らす。それがさらなる誤解の原因として作用してしまうことも少なくない。それは小説家の技術というより遥かに言語というものが本来的に裏切るものだという事情からくる。しかし現役である以上、フィッツジェラルドは何らかの手を打たないといけないという衝動に駆られる。

「もうずいぶんと踊っていなかった。五年間にふた晩だったろうか。それなのに、彼の最近の本についてのある書評は、彼を評して『ナイトクラブがお好き』と言っていたし、同じ書評の中でまた、彼のことを『疲れ知らず』と言っていた。その言葉を心の中でつぶやいてみると、一瞬だがひどく彼を傷つけるものがあった。気弱にも涙がにじんでくるのを感じて、彼は顔をそむけた。十五年前、『器用さが命とり』といわれて、そんな風になるまいと文章一つ一つにも奴隷みたいに骨身をけずった駆け出しの頃のようだった。『また苦しくなりそうだ』と、彼は思った。『こりゃまずいな、まずいぞーーー帰らなくてはいけない』」(フィッツジェラルド「ある作家の午後」『フィッツジェラルド作品集3・P.114』荒地出版社)

帰るといってもどこに帰るのか。ただ単に仕事場のことを差して言っているとすればそれはアパートの一室のことでしかない。実際、アパートに帰ってくる。そこでフィッツジェラルドはまたしても新しい「着想」の出現へと《酩酊》するほかない。

「私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275」河出文庫)

という状況の中で。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部2

2020年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
どこでもいいのだが、人間は、ぼんやり居眠っていて不意に目覚めたとき、しばしば夢を見ていたことを思い出す。けれども夢の内容はもはや急速に遠のいていく。だが夢は、何か或る確固としたストーリを持つ一つの事件としてではなく、逆に無数に錯綜した支離滅裂な場面がパッチワーク状で出現したような感覚だけを知覚に残している場合が少なくない。とはいえその感覚もたちまち現実生活の中へ消滅してしまうのではあるが。しかし現実生活の中で夢を見たという事実もまた現実の一部分を一時的に占めたことは確かだ。

「奇妙に織りなされていく夢の世界の精神がなおあらがっている状態においては、しばしば人生の長い一時期のとりわけ際立った場面が、わずか数分のうちに次々と生起するさまを見ることができる」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.215』岩波文庫)

そんな夢の中であらわにされることは何だろうか。ニーチェはそれについて、人間がいまなお持っている「原始人性」だという。

「《夢と文化》。ーーー睡眠によってもっともひどく損われる頭脳の機能は記憶力である、それはまったく中絶するのではなくーーー人類の原始時代にはだれしも昼間や目覚めているときでもそうであったかもしれぬような、不完全な状態に後退させられている。実際それは恣意的で混乱しているので、ほんのかすか似ているだけでもたえず事物をとりちがえるのであるが、その同じ恣意や混乱でもって、諸民族は彼らの神話を詩作したのであった。そして今でもなお旅行者は、どれほどひどく未開人が忘れがちであるか、どれほどその精神が記憶力の短い緊張ののちにあちらあこちらとよろめきはじめたり、単なる気のゆるみから嘘やたわごとをいいだしたりするかということを観察するのが常である。しかしわれわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・一二・P.35~36」ちくま学芸文庫)

一九二九年世界恐慌発生の直前まで第一次世界大戦の戦勝国、特にアメリカが見ていたものは何だったか。ニーチェの言葉を借りれば「幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態」だということになるだろう。恐慌発生と同時に目が覚めたわけだ。アルコールの酔いもまた醒める。そのときが来たのだ。フィッツジェラルドが経験したのもその他のことではない。もっとも、フィッツジェラルドの場合、恐慌発生以後ますます飲酒に打ち込んでいくわけだが、空前の好景気の崩壊とともにフィッツジェラルドのアルコール経験を襲った精神的かつ身体的変容について、いったん、整理しておく必要性があるだろう。たとえばドゥルーズはこう述べている。

「さらに別のものになるために、緊張は解けてしまう。というのは、当然にも、複合過去は『私は飲んでしまったを-持っている』に到るからである。現在の時期は、もはやアルコールの効果の時期ではなくなり、アルコールの効果の効果の時期になる。そして、今や、この別の時期が、近い過去(私が飲んでいた時期)を無差別に含んでしまう。また、この近い過去が隠匿する想像的同一化のシステムと、多かれ少なかれ遠ざかった素面の過去のリアルな要素も含んでしまう。それによって、現在の硬化はまったく意味を変える。すなわち、現在は、固い現在としては、影響力を失って色褪せ、何ものも締め付けず、別の時期のすべての相を等しく遠ざける。まるで、近くの過去、しかしまた、近くの過去で構成された同一化の過去、そして最期に、〔その構成の〕材料を提供していた素面の過去、これらすべてが、羽ばたいて逃げ去り、等しくなったかのようである。これらすべての過去との距離を維持しているのが、全般的に拡大する色褪せた現在、増大する砂漠の中で改めて硬直する新たな現在である。複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる。この助動詞現在形は、一切の分詞と一切の分有からの無限の距離を表現するだけである。現在の硬化(私は持っている)と、過去(私は飲んでしまった)の逃走の効果には、今や関連性があることになる。であったことを持っている(has been)においてすべては頂点に達する。過去の逃走の効果、あらゆる意味での対象喪失が、アルコリスムの抑鬱的な面を構成する。そして、この逃走の効果が、たぶん、フィッツジェラルドの作品の最大の力になっているものであり、フィッツジェラルドが最も深く表現したものである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.276~277」河出文庫)

引き続く不況。世界を覆い尽くしているのはほかならぬ資本主義である。ゆえに世界は同時多発恐慌を起こすことができた。いつもすでに繋がり合っている以上、どの先進諸国も一斉に連鎖を起こすのは当たり前だからだ。さらに景気回復にはそうとう時間がかかるという見方が様々な方面から聞かれ出し、実際にアメリカが不況から脱するまでには一九三〇年代いっぱいを要した。その出口として出現したのが第二次世界大戦へ向かう途上で登場してきた軍事産業の再編と戦争景気だったことは有名な事情なのでここでは省略しよう。倒産が相次ぎ不況長期化の見通しは否定できなくなるわけだが、だからといって一般の娯楽施設までがことごとく無くなってしまったわけではない。まったくたった一人の女優さえ消滅してしまったわけではない。地下に潜ったわけでもない。人気女優は現われる。むしろそういうときだからこそ人々は人気女優に心奪われるのかもしれない。ところが人気女優に心を奪われれば奪われるほど逆に観衆の目はいつも転倒を起こす。

「ほかの男たちが彼女の美しさに群がり出すのを見ると、たちまち彼にとって彼女は芝居そのもの、ヒットそのものとなり、ビルは彼女を目当てに劇場にくるようになった。ロングランとなったのち、それが終演したとき、ビルは緊張の反動からくる灰色の日々を深酒にまぎらし、だれかの助けを必要としていた。二人は六月の初め、突如コネティカットで結婚した」(フィッツジェラルド「罪を重ねて」『フィッツジェラルド作品集3・P.93』荒地出版社)

<女優=芝居そのもの>、<女優=ヒットそのもの>、<女優=劇場>、と女優の生成変化がたいへんよく見て取れる。しかしこの公演が大ヒットのうちに終幕を迎えたとき、ビルは興奮に満ちた「緊張」から解かれる。「複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる」という鬱状態におちいる。だからビルは再び「灰色の日々を深酒にまぎら」せるようになる。ビルは好景気と不況という循環を自分自分の身体で自分自ら反復している。ますますアルコールに浸透されていくビルはそれがもたらす社会的孤立に耐えられない。だから「突如」、「結婚」する。その場所は「コネティカット」。“Connecticut”。細分化すれば、“Connect”、“I”、“Cut”。接続せよ、私は、切断する。その意味でこの結婚の突如性は奇妙な逆説を含んでいる。

ところで、結婚するしないにかかわらず社会は待ってくれない。待つ必要もないしそもそも待つことを知らない。その代理として「猶予」という法的措置を設ける。この「猶予」というものがくせもので、今度は「猶予」をめぐって社会的競争はますます激しさを増す。猶予は死の時期の延長ではない。人間が死へ向かうのではなく、逆に主体と化した死の側が人間を動員するようになったという転倒を証拠立てている。

「今は競争がはげしすぎたーーー興業すれば必ず当たるという新たな評判をとった新人が登場していたーーー彼は、規則正しい生活に慣れていなかった。ブラックコーヒーの力を借りて、走りに走るように仕事をするのが好きだった。それはショービジネスではやむをえないようなものだったが、三十を過ぎた男からはあまりにも多くのものを奪ったのだ。彼は、ある意味ではエミーのすぐれた健康と正気に頼るようになっていた。二人はいつもいっしょだった。だから彼は、彼女が自分を必要とするより、自分が彼女を必要とするようになって何となく不満だったかもしれない」(フィッツジェラルド「罪を重ねて」『フィッツジェラルド作品集3・P.102』荒地出版社)

ビルはエミーに対する依存状態を深めていく。直接的にアルコールが関わっているわけではない。だが「三十を過ぎた男」はもはやかつての健康を失っている。健康だけでなく「すべては等しく遠ざかってしまう」。エミーの健康もいずれ遠ざかってしまうだろう。するとすべては「喪失」へ至る必然性を帯びているという現実を認めないわけにはいかなくなる。

「興味深いのは、フィッツジェラルドは、作中人物が飲んでいるところや飲もうとしているところを提示しないということ、欠如や欲求の形態としてアルコリスムを見てはいないのである。慎み深かったのだろう。あるいは、いつでも飲めたのかもしれない。あるいは、アルコリスムには多くの形態があるのかもしれない。ともかく、アルコリスムの一形態は数分前の過去をも自分の過去として振り返る。(ラウリーは反対にーーー。しかし、欲求の激しい形態としてアルコリスムが生きられるときにも、時間の深い変形が現出する。今度は、将来のすべてが《前-未》来として生きられてしまう。そして、この複合未来は恐ろしいほどに加速し、死に到る効果の効果を生み出す)。フィッツジェラルドの主人公にとって、アルコリスムとは、崩壊の過程そのものであり、この過程が過去の逃走の効果を決定するのである。こうして、素面だった過去が、主人公から切り離されるだけではなく(『わが神よ、十年間も酩酊』)、先ほど飲んでいた近い過去や、一次効果の幻想的な過去も、主人公から切り離されるのである。すべては等しく遠ざかってしまうので、また飲むのが必要だと、あるいはむしろ、飲み直してしまったことを持っているのが必要だと決定される。硬化して色褪せた現在、唯一存続し死を意義する現在に勝利するためには必要だと決定されるのである。この点で、アルコリスムが範例的になる。というのは、金銭の喪失、愛の喪失、祖国の喪失、成功の喪失といった他の出来事は、それぞれの仕方でアルコール-効果を与えるからである。それらは、アルコールから独立に外在的な仕方でアルコール-効果を与えるが、アルコールの結末に似ている」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.277~278」河出文庫)

世界恐慌はただ単に「金銭の喪失」とか「成功の喪失」とかだけを意味しているわけではない。むしろ夢の反復にも似た作用が永遠回帰せざるを得ないことを認めるよう働きかけるのである。「金銭の喪失、愛の喪失、祖国の喪失、成功の喪失といった他の出来事は、それぞれの仕方でアルコール-効果を与えるからである。それらは、アルコールから独立に外在的な仕方でアルコール-効果を与えるが、アルコールの結末に似ている」、というふうに。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部1

2020年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム
繰り返される世界恐慌。しかしそれは外的な事情から生じた偶然の事態ではまったくない。むしろ逆に内的諸条件から招き入れるべくして生じてきた必然的反復である。

「当時は知るよしもなかった、そうやってぼくらが、新たな君主制や宗教が登場したのちにも生き残ったドルイドの祝祭を、時代を越えて繰り返していたのだとは」(ネルヴァル「シルヴィ」『火の娘たち・P.215』岩波文庫)

二〇二〇年「感染=パンデミック」にともなってアメリカは史上二度目の危機を迎えることになった。一九二九年世界恐慌以来という意味で。もっとも、世界恐慌そのものは一九二九年から一九三〇年代いっぱいを通してようやく解消される方向へ向かった。にもかかわらず、重大な問題はその後に続々表面化してきたアメリカの精神的危機という事態であり、その顕著な事例としてとりわけアルコール依存症者の大量発生が上げられる。この問題は今なお片付いていない。だが今のアメリカとはまた違う当時のアメリカ社会を生きたというだけでなく、経済的にも精神的にも同時代を生きたという意味で、同時代の小説家フィッツジェラルドの晩年の作品は《生きられた》貴重な証言として読み直すことができる。

「もちろん生涯はひとつの崩壊の過程であるが、そこでドラマチックな役割を果たす打撃ならーーー外側からやってくるか、少なくともやってくると思われる不意の大打撃ならーーー覚えていて文句を言ったり、気弱になったときに友達に言えるような打撃なら、被害の深刻さは一度に現われることはない。ところが内側からの打撃もあるーーー気がついてみると何もかも手遅れだし、自分はもう二度とまともな人間になれないと、決定的に悟らせてしまうような打撃である。第一の種類の崩壊作用はてきぱきと運ぶーーー第二のものだと、起ってもまず気がつかないかわりに、まったくだしぬけに致命傷をつきつける」(フィッツジェラルド「崩壊」『フィッツジェラルド作品集3・P.184』荒地出版社)

フィッツジェラルドが語っていること。それはもはや取り返しのつかない時間が通り過ぎてしまったという意識とともに明確化されている。だが小説家であろうとなかろうと、一度にすべてのことが明瞭な輪郭を帯びてはっきりするわけではない。フィッツジェラルドとて例外でない。差し当たり三つの段階に区別できるだろう。第一に現われるのは比較的大きな《切断》である。それは<富裕-貧困>、<理性-非理性>、<秩序-無秩序>といったカテゴリーへ単純に区別しようとおもえばできないわけではない。その意味ではフィッツジェラルド自身でなくとも、その周辺にいた人物であれば、たいへんよく目に見えていた現象である。フィッツジェラルド自身が富裕から貧困へ、理性から非理性へ、秩序から無秩序へ、生きたことと併走している。

「『もちろん、人生全体は崩壊の過程である』。これほどハンマー音をわれわれの頭の中に響かせる文はほとんどない。フィッツジェラルドの短編小説ほど、沈黙を課し、恐怖にかられた承服を強いるという、抗い難い傑作の特徴を持つテクストはほとんどない。フィッツジェラルドの全作品は、この命題、とりわけ『もちろん』の唯一無比な展開である。こちらに男と女がいる。あちらに何組かのカップルがいる(何故カップルか。運動が、対合の過程として定められる過程が既に肝要であるからである)。みんなが幸福であるためのすべてを持っている。美しく、魅力的で、富裕、軽薄、才気に満ちていると言われる。次いで、何ものかが通り過ぎて、みんなが、まさに皿やグラスのように割れていく。死によって二人ともども連れ去られるのでなければ、分裂病者とアルコホリック〔アルコール中毒者・依存者・アルコール飲み〕の恐ろしい差し向かいである。有名な自己-破壊というものであろうか。それにしても、正確には、何が通り過ぎたのか」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.268」河出文庫)

アメリカ発世界恐慌が当初予想されていた以上に遥かに長引く様相を呈してきていた一九三二年頃になって、なぜかフィッツジェラルド作品は重要さを増す。人気作という意味では読者次第で様々なタイトルが上げられていて、それは他の小説家の場合でも同様なのだが、晩年の諸短編に対して根強くマニアックなファンが着いたことはフィッツジェラルドの日常生活を経済面で少しは楽にしたかもしれないが、逆にアルコールの大量摂取を進行させた点で小説家の死期を加速させた。両義的な生涯であり、生涯そのものが小説のように見えなくもない。だからといってフィッツジェラルドはロマン主義者かといえばそうではない。まったく逆に位置する。アメリカの資本主義リアリズムという現実をそのまま生きたという意味で。有名な文章がある。

「過去においてぼく自身の幸福はしばしば恍惚状態に近づき、最も親しい人たちと分ちあうこともできず、静かな街や小道を歩いて発散しなければならず、そのうちのわずかな断片が本のごく一部となって結晶したにすぎないーーーぼくの幸福自己欺瞞の才能でも、何でもかまわない例外だと思っている。それは自然ではなくて不自然なものーーー好景気と同じように不自然だった。ぼくのその後の経験は、好景気がすんだときに国民をのみこんだ絶望の波と同じだった。この事実を見きわめるのに数ヶ月をかけているけれどもぼくはこの新しい運命の中で何とか生きてゆくことだろう。アメリカの黒人たちは快活な禁欲主義によってたえがたい生存条件に耐えることができたが、真実への感覚を失ったようにーーーぼくの場合も代償を支払わなければならない。もうぼくは郵便屋や八百屋や編集者や従妹の夫に好意を持ったりしない。好意を持てば、彼らはぼくを嫌うだろうしそうなると人生はもうそんなに楽しくはなくなるだろう。ぼくのドアの上には『猛犬注意』の看板がいつもかかっていることになる。ぼくは正真正銘の犬になるつもりだけれども、もしきみがたっぷり肉のついた骨を投げれば、ぼくはきみの手までなめるかもしれない」(フィッツジェラルド「貼り合せ」『フィッツジェラルド作品集3・P.200』荒地出版社)

このラストの一行。「もしきみがたっぷり肉のついた骨を投げれば、ぼくはきみの手までなめるかもしれない」。自己憐憫の発露でしかないかのように見える。小説家としても市民としてももはやほとんど終わっているにもかかわらず、この機に及んでなお自己嫌悪の味付けを施してみせようと思っているのかと疑う読者が出てきたとて何ら不思議でない。自己嫌悪とは最も甘えきった自己陶酔の一つのあり方に過ぎない。ところがフィッツジェラルドの場合、全然そうではないのである。アメリカの資本主義リアリズムの世界では人間はいつでも簡単に「犬」に《なる》ことができるし、また、誰か他人の「手までなめる」こともできるからだ。もっとも、それが犯罪に問われるか問われないかは事情次第で異なる。たとえば恋人同士のあいだでは犯罪に問われないが恋人同士であるかどうかはっきりしない境界領域では極めて判断困難である。さらにこの領域は時々刻々と変化する。とはいえ、この種の境界領域はかつて境界線としてまずマナーとかルールとか作法といった形式で存在していた。ところがここ十年ほどで境界線は消滅し、さらに区別不可能な境界領域へ溶け出し始めたばかりか、もはや境界領域はその伸縮自在性をますます押し拡げつつ、暴力的な言動と相まって世界の欲望共同体とでもいうかのような事態をあちこちで出現させつつある。境界領域は欲望共同体の一部分へと再編されたのだ。

もっとも、フィッツジェラルド登場に先立って、アルコール依存症者の大量発生だけを見れば恐慌発生前夜の一九二〇年代を通して急激な増加傾向が見られる。アメリカで「ドランカー」や「酒と薔薇の日々」といった映画が大ヒットしたのもそうした日常生活の常態化という事態が下地としてすでに準備されていたからだ。第二にフィッツジェラルドが語るのは、世界恐慌発生に端を発した大きな切断ではなく、個人的にはよりいっそう破壊的な次元であらわになる打撃である。しかしそれはあくまで「後になって」明らかになるのであり、アルコールに漬かりきっている身体はまだそれをそうと感じない。次のように。

「アルコリスムは、快楽を探求しているのではなく、効果を探求しているように見える。その効果は、主として、現在が異常に硬化することである。だから、同時に二つの時間〔時制〕に生き、同時に二つの時期〔契機〕に生きることになる。プルースト流ではないが。〔硬化する現在と〕別の時期は、将来の素面の生活の計画にも、過去の素面の生活の想起にも、帰せられることがありうる。しかしそれでも、この別の時期はまったく別の深く変更されたやり方で実在するのであって、これは、硬化した肉の中で柔らかい吹出物を捉えるように、固められた現在の中で別の時期を捉えるやり方である。したがって、この別の時期たる柔弱な中心で、アルコール飲みは、自分の愛の対象、『嫌悪と憐憫』の対象に自己同一化できることになるし、他方では、アルコール飲みが意志し体験する現在の固さのおかげで、実生活との距離を保てることになる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.274」河出文庫)

アルコールは保護粘膜のように働く。この保護粘膜がもたらす装置的効果によってアルコール依存症者は二つの方向へ分裂する自分を自分自身で同時に愛するという状態を保持することに努める。

「アルコール飲みは、この硬直が隠匿する柔らかさを愛するのと同様に、自分を捕える硬直も愛するのである。一方の時期が他方の時期の中にあり、現在がこれほど固くなり硬直するのは、破裂しそうな柔らかな点を占拠するためにほかならない。同時的な二つの時期は、奇妙な仕方で複合される。すなわち、アルコール飲みは、半過去や未来を生きるのではなく、《複合過去》しか持たないのである。ただし極めて特殊な複合過去である。アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)。これが、二つの時期の交接を表現し、アルコール飲みが躁的な全-能性を享受しながら一方の時期を他方の時期の《中で》経験するやり方を表現する。ここにおいて、複合過去は隔たりや完遂をまったく表現していない。現在の時期は、動詞・持つの時期であるが、すべての存在者は、『過去』として、《同時的な》別の時期の中に、分有の時期、分詞の固定の時期の中にある。それにしても、この締め付け、現在が別の時期を包囲し占拠し締め付けるこの方式は、ほとんど堪え難い何とも奇妙な緊張である。現在は、柔らかな中心・溶岩・液状ガラス・粘性ガラスの周囲で、円形の水晶や花崗岩になる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.275~276」河出文庫)

やがて訪れる状態はもはやアルコールさえ受け付けない身体的変化であり、多くは内臓の破壊的故障という病的事態で出現する。そこまで行ってしまった場合、しばらくして、何かが「壊れた」という感情に囚われる。この感じは内科領域の治療が進めば次第に意識にのぼってくる。

「人生には別の破壊があるという本題に戻るわけだが、壊れたと悟るのは打撃をうけたのと同時ではなくて、小康状態に入ってからである」(フィッツジェラルド「崩壊」『フィッツジェラルド作品集3・P.185~186』荒地出版社)

世界恐慌発生の十年ほど前、第一次世界大戦が終わった。アメリカは勝利した。ヴェルサイユ体制樹立とともに戦勝国の側は経済的に有利な条件を大量に手に入れた。そして湧きに湧いたアメリカ経済。だがバブル終焉と同時に、戦争を戦った若年層のあいだで或る空虚の感情が生じてきた。バブルこそが空虚なのだが、バブルの時期にはそれが空虚に見えず逆に充実に感じられる。目に見えるバブルが終わって始めて空虚の感情というものが出現する。それはバブルの反動ではなくバブルによって覆い隠されていた中身の空虚さが後になって意識化された結果に過ぎない。「《戦闘》から目覚めてみると、身体は割れ、筋肉は捻挫し、魂は死んでいる」という意識が影を落としている。戦後バブルの祝祭の日々(バビロン)のうちに覆い隠されていた部分である。しかし患部は実のところそうとう激しい打撃をこうむっており、さらにそれはほとんど無言のうちにじわじわと、深々と、確実に進行していたのだが、それはあたかもあらかじめ合意がなされていたかのように後になって発覚する。なおかつ事態の深刻さが発覚する時というのはいつもすでに「遅すぎた時」だ。

「二人は、自分たちの力に余る特別なことをやってみたわけではない。ところが、二人が、自分たちには余りに大きな《戦闘》から目覚めてみると、身体は割れ、筋肉は捻挫し、魂は死んでいるのだ。『弾丸のない銃を手にしながら、標的も降ろされて使われなくなった夕暮れの射撃場に立っている感じだった。解くべき問題はなく、静寂だけ。私の呼吸音だけがーーー私の自己犠牲は、暗く湿った信管でしかなかった』。たしかに内でも外でも、沢山のことが通り過ぎた。戦争、株価暴落、老化、抑鬱、病気、才気の枯渇。ただし、これら騒々しい事故は、即座に効果を発揮し終わる。事故だけで事に十分であるためには、まったく別の本性の何ものかを穿って深くしなければならないだろう。しかるに、その何ものかは、事故から隔たって、遅すぎた時になって、明かされるのである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・P.268~269」河出文庫)

小説家は小説家であるほかない。何かを言語化しなくてはならない。義務はなくても意識は否応なく漏れ出てくる。

「夕暮時の人のいなくなった射撃場に立っている感じ。ライフルは空っぽだし、標的もひっこんだ。何の問題もないーーーただ静寂があって、聞えるのは自分の呼吸だけ」(フィッツジェラルド「取り扱い注意」『フィッツジェラルド作品集3・P.192』荒地出版社)

一九三六年に入ってようやく気づくほかないのだが、しかし。

「ーーーそして、それを知ったときには、古い皿のように壊れていた」(フィッツジェラルド「崩壊」『フィッツジェラルド作品集3・P.186』荒地出版社)

フィッツジェラルドはこのとき奇妙な線を発見している。ドゥルーズとガタリに言わせれば、極めて微小な、ミクロ状の、切片性の線だ。しかし死の線、断絶の線は、まだ残されている。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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遍在する廃墟/空虚の遍在31

2020年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
一八三六年八月十日「ラ・ファランジェ」紙に掲載された無署名の記事をフーコーは引用する。「完璧な見取図」といえるのはなぜかというと、パリ中心部が「完璧」というにふさわしい合理性、経済策、効率性によって貫かれた近代都市の様相を示すに至っていたからである。ちなみに絶対王政時代の象徴の一つヴェルサイユ宮殿はパリの南西二〇キロという郊外にあり中心部から隔たっている。パリ都市部においてあらわとなった監視監禁的な装置からはやや離れている。しかし消滅したわけではなくナポレオン体制樹立後すぐさま様々な歴史的場面で再活用されるようになる。余談だが現在のヴェルサイユ宮殿ホームページを見るとメインタイトルは“WELCOME TO VERSAILLES”と英語表記になっていてフランス語表記ではないのだが、その理由は杳として知れない。ともかくこの時期、パリは極めてモダンな監禁都市として出現した。

「『パリの見取図は次のとおりだ。あらゆる類似のものが集められている完璧な見取図は次のとおりだ。中央部にある第一の囲いのなかには、万病を診る施療院、あらゆる貧困に対処する救済院、狂人施設、監獄、男子と女子と未成年者のための徒刑監獄。この第一の囲いのまわりには、兵営、裁判所、警査庁舎、見張人住居、処刑場、死刑執行人ならびにその助手の住居。四隅には衆議院と貴族院と学士院と王宮。以上のものの外郭には、中央の囲いのなかの者に食糧を供給する商業施設と商売にまつわる悪だくみや破産、工業施設とそれにまつわる猛烈な競争、新聞機関とその詭弁、賭博場、売春、餓死するか放蕩にふけるかして<革命の神>の声につねに従おうとする下層民、非情な金持ーーー、最後には、万人が万人に交える血みどろな戦い』」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)

十九世紀前半の新聞記事ということもあり、どこかロマン主義的な大げさな部分の名残りがないでもない文章ではある。「悪だくみ」とか「非情な金持」とかがそうだ。しかし金持というのは本来的に非情な人々でなければ務まらないわけであって、また政治=経済分野ではいつも何がしかの悪だくみが同時多発的に行なわれているわけで、さして驚くに当たらない。むしろ注目すべきは、様変わりした首都の風景を新聞記事の枠内で簡潔にまとめて記述できてしまえることじたい、そもそも前時代的な拷問・公開処刑の必要性はもはやなくなり、それに代わるまったく新しい監視監禁装置としてのパリが急速に整備されたことを端的に物語っている点でなければならない。だからパリの中心に何か途轍もなく巨大な見張台のような建築物がものものしく登場したわけではなく、反対にそのような象徴的なものが姿を消してしまったことが逆に象徴的なのだ。

フーコー理論が登場したときーーー戦後のことだがーーー資本家階級もマルクス主義陣営も同様に違和感を持った。資本の側からみれば敵か味方か判然としない。逆にルフェーブルは「現状維持のイデオロギー」と名指し、サルトルは「マルクスに対する最後の障碍物」と批判した。少なくとも「言葉と物」が出版されたとき(一九六六年)の反応はそのようなものだった。しかしフーコーは批判にもかかわらずよりいっそうこの方向を押し進めていく。それはたとえば、「《権力中枢》が存在するかわりに、さまざまな力の中核が存在するかわりに、各種の構成要素ーーー障壁、空間、制度、規則、言語表現ーーーから成る多様な網目が存在する」、という記述に顕著である。

「この監禁都市の中心部には、しかもその都市を永続させるためであるかのように、《権力中枢》が存在するかわりに、さまざまな力の中核が存在するかわりに、各種の構成要素ーーー障壁、空間、制度、規則、言語表現ーーーから成る多様な網目が存在するとの原則であり、したがって監禁都市のモデルは国王の身体ならびにそこから発する権力ではなく、同様に、個別的でもあり集団的でもある身体がそこから生ずるような契約上の諸意志の集まりでもやはりなく、本性上および次元上の各種の構成要素の戦略的な配分であるとの原則である」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)

このような認識論的転回はそれまで有効とされてきたばかりでなく信じて疑われていなかったヨーロッパ哲学=思想界の常識を前提からくつがえすものとして登場した。ともかく、日本を含む先進諸国の言論界は自らの思考回路を一度疑ってみる必要性に迫られた。フーコー以前にはレヴィ=ストロースが登場しており、フーコーとほぼ並ぶ形でアルチュセール、ラカンといった人々が続々と登場してきた。先進諸国といっても、しかし例外的にアメリカではほとんど驚かれていない。アメリカから見ればフーコーとマルクスとのあいだにそれほど目立つ違いは見られないのである。知の枠組みが変化したことは確かだ。マルクスはその根拠を経済的体制が局地的なものから世界的な資本主義へと変化したことに求め、フーコーは経済だけでは語りきれない領域、とりわけ言語を始めとする諸科学の多元的変化に求めた、という違いがあるに過ぎない。なおかつアメリカはヨーロッパやアジアのような絶対王政の時代というものを持っておらず、いきなり資本主義社会として出現したという経緯があり、資本主義というのはそもそも多元的で多様な諸要素からできているものだという暗黙の理解があったためかもしれない。ヨーロッパやアジアの資本主義は土地から離陸すると同時に出現したわけだが、アメリカでは最初から離陸した状態ですでに到来していたわけであり、北米大陸に達したときすでに多方面から様々な力で引っ張られつつせめぎ合う宙吊り状態に置かれているのが常態だという認識が常識として当たり前にあったのだと言えるかもしれない。そして宙吊り状態が常識化している世の中に生まれてきた人々はそのような不安定さについて、不安定であるにもかかわらず常日頃から当たり前のこととして受け入れているため、社会保障の必要性について極めて認識が薄い。黒人主体で始まった公民権運動が社会的規模で承認されたのも戦後になってからようやくといった始末である。以後拡充したかといえばしたことはしたけれども、それは東西冷戦終結までのことであって、依然として資本主義は続いているにもかかわらず相変わらず新自由主義を加速することで今度は成果主義の全面展開という様相を呈してきた。成果主義と高度テクノロジーとを合体させれば必然的に失業者は増大する。路上にあふれる。にもかかわらずアメリカ経済は失業者の増加率以上のスピードで成長するだろうと仮定していた。その途上で社会福祉部門は次々と縮小され、部分的には消滅もし、なおかつ徐々に引き裂かれてしまった。それではせっかく「消化した」はずのロシア革命を復活させかねない事態におちいる。そう思っているうちに二〇二〇年の「感染=パンデミック」発生を受けて始めて、とりわけ世界の金融経済の中心地ニューヨークで、新自由主義は失敗だったと認めないわけにはいかない状態に立ち至った。

十八世紀末から十九世紀前半いっぱいを通して監禁都市と化したパリに戻ろう。学校、職場、病院、中間施設などとの連続性を与えられた監獄は学校、職場、病院、中間施設などの監視社会化を実現する。見た目の違いはかなり高いレベルで知-権力装置が本来的に持つ装置性を欺く。あるにもかかわらず、まるでないかのような外観を呈する。だが原則は端から端まで貫かれている。そこに<一望監視装置>(パノプティコン)の効果の一つがある。

「中心的な位置を占めているが監禁は孤立しているのではなく、他の一連の《監禁》装置すべてとつながっており、しかもこれらの装置は一見相互にはっきり異なっているがーーーそれそれの目標が苦しみの軽減や治療や救済にあるのでーーー、監獄同様どの装置も規格化の権力をふるうことを目ざすとの原則」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)

市民社会へ溶かし込まれ一般化された諸施設で実施される各種各様の試験。それぞれがカバーする領域は違っていてもそこで行なわれることは記述、帳簿記入、診断・検査などの書記行為であり、規格的なもの(ノーマルなもの)からの逸脱の測定である。逸脱はただちに矯正されるわけではなく、逸脱のタイプに沿った形の規律・訓練の場へ配分され、そこでさらに監視観察される対象としてさらに客体化されることになる。そのような技術の絶えざる実施によって人間はだんだん個人としての輪郭を持ち始める。よりいっそう細分化され詳細緻密に分析されるほど個人の輪郭はますます明瞭になっていくが、その反面、労働力商品としての個人という観念は急速に消滅していく。ただ単なる経済的諸カテゴリーとして、「労働者一般」として、「社会的諸関係の総体」として、たちまち輪郭崩壊状態に叩き込まれる。資本家とて似たようなものだ。諸カテゴリーへ解体されつつ同時にますます労働力商品との相互依存関係を強化し合う。またもや再編されるのであり、瞬時に組み込み直されるのである。とはいえ、中央司令室のようなものがあるわけでは全然ない。

「これらの装置が適用される対象は《中央部の》法律への違反事項なのではなく、生産装置ーーー《商業》や《工業》ーーーをめぐる多種多様なすべての違反行為であり、そこには本性上ならびに起源上の違反行為の多様性、利潤における違反行為の種別的な役割、処罰機構のせいで違反行為がこうむる各種の命運などが含まれるとの原則」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)

処罰自体はほとんど重視されない。それより各種各様の違反行為があり、それぞれの違反行為には「各種の命運などが含まれる」のである。この事態は処罰が実施される監獄内部よりも遥かに恐ろしい何ものかの出現を意味している。違法行為は諸施設の連続性のうちであらかじめ各種各様の「命運」を与えられている。「資本主義リアリズム」という暗澹たる世界、永遠に続くバッドトリップという現実を、思い起こさずにはおれない。そしてそれは「或る一つの装置や一つの制度の単一な運用」といった単純な条件からのみ発生するものではけしてないという事情。かつてのような絶対的王権はなく、したがって、もはや絶対的中心は失われて久しいという認識。そしてそのような認識なしに、人間はどうして自分で自分自身の言動を絶え間なく自己監視しているのかを理解することはできない。

「最後の原則としては、こうしたすべての処罰機構を支配するのは、或る一つの装置や一つの制度の単一な運用ではなく或る戦いから生じる必然性および或る戦略の諸規則であるとの原則。したがって抑圧とか排斥とか排除とか社会的疎外などの制度上の諸概念は、老獪な緩和策や表沙汰にしにくい悪意や些細な術策や計算された方式や諸技術や《人間諸科学》、要するに、規律・訓練的な個人をつくりあげることを可能にするものがどのように形成されたかを、監禁都市の中心そのものにおいて記述するためには適切な概念ではないとの原則である」(フーコー「監獄の誕生・P.307」新潮社)

監禁装置はだんだん消滅していく。市民社会の中へ溶け込んでいく。しかしその動きは緩慢ながらも次第になおかつ確実に、市民社会が監禁装置と一致していくことを意味する。監獄の中の囚人は違法行為を犯したから獄中にいる。確かにそうだ。けれども囚人はただ単なる犯罪者というだけではない。むしろ犯罪者という言葉は一つの記号に過ぎない。囚人は「複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な《監禁》装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略それじたい構成要素たる言語表現にとっての客体」であると考えねばならない。それは身体でもあり言語でもあるが同時に「社会的諸関係の総体」でもある。そうであって始めて知-権力装置は壮大な、しかし目に見えない戦略を、ますます豊穣に描き続けることができる。

「この〔監禁都市の〕中心部の、しかも中心部に集められた人々こそは複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な《監禁》装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略それじたい構成要素たる言語表現にとっての客体」(フーコー「監獄の誕生・P.307~308」新潮社)

だがしかし人間は「社会的諸関係の総体」でしかないことで、まさしくそのことによって、今度は逆に《欲望する諸機械》へ転化した。アルトーのいう「器官なき身体」として、強度と物質との合成状としてのびのび流動するのである。ただしあくまで慎重に。というのはアルトーの場合、ゴッホもまたそうだが、有機体からの脱出が自殺することになってしまったからである。

「非分節化すること、有機体であることをやめるとは、いったいどんなことか。それがどんなに単純で、われわれが毎日していることにすぎないかをどう言い表わせばよいだろう。慎重さ、処方量(ドーズ)のテクニックといったものが必要であり、オーバードーズは危険をともなう。ハンマーでめった打ちにするような仕方ではなく、繊細にやすりをかけるような仕方で進まなくてはならない。われわれは、死の欲動とはまったく異なった自己破壊を発明する。有機体を解体することは決して自殺することではなく、まさに一つのアレンジメントを想定する連結、回路、段階と閾、通路と強度の配分、領土と、測量士の仕方で測られた脱領土化というものに向けて、身体を開くことなのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.327~328」河出文庫)

というふうに、である。そうでないと自殺で終わってしまうような場合、またしても「罪と罰」という終わりのない問いの反復に差し戻されてしまうからである。ニーチェはそれでそうとう苦悩している。

「精神の上には雲また雲が積み重なり、ついに狂気が次のように説教をしはじめた。『一切は過ぎ去る。それゆえに一切は過ぎ去るに値するのだ』『だから時はおのれの子どもたちを食わざるをえない、この時の法則は、まったく正当なことである』そう狂気は説教した。『世のいっさいのことは、正義と罰とによって道徳的に秩序づけられている。おお、世の事象の流れからの救済、また<生存>という罰からの救済は、どこにもない』そう狂気は説教した。『永遠の正義が存在する以上、救済ということがありえようか。ああ、<かつてそうであった>という大石は、押しころがすことのできないものである。だからすべての罰も、永遠に存在せざるを得ないものである』そう狂気は説教した。『いかなる行為も抹殺(まっさつ)することはできない。罰を受けたからといって、どうして行為が行なわれなかったということになろう。そして<生存>という罰のもっている永遠性とはこうである。生存も、永遠にわたって行為であり罪責であることをくりかえさなければならぬのだ』」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第二部・救済・P.224~225」中公文庫)

さらに。

「わたしはかつて、最大の人間と最小の人間の裸身を見た。その二つはあまりにも似かよっていたーーー最大の人間さえ、あまりにも人間的だった。最大の人間も、あまりに小さい。ーーーこれが人間に対するわたしの倦怠だった。そして最小のものも永遠に回帰することーーーこれが生存に対するわたしの倦怠だった。ああ、嘔気(はきけ)、嘔気、嘔気!ーーーそうツァラトゥストラは言って、嘆息し、戦慄(せんりつ)した」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・快癒しつつある者・P.354」中公文庫)

この悪循環を断ち切るにあたってニーチェは「運命愛」という態度を発見する。

「《然りへの私の新しい道》。ーーー私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭(いと)うべき側面をもみずからすすんで探求することである。氷と沙漠をたどったそうした彷徨(ほうこう)が私にあたえた長いあいだの経験から、私は、これまで哲学されてきたすべてのものを、異なった視点からながめることを学んだ、ーーー哲学の《隠された》歴史、哲学史上の偉大なひとびとの心理学が、私には明らかとなったのである。『精神が、いかに多くの真理に《耐えうる》か、いかに多くの真理を《敢行する》か?』ーーーこれが私には本来の価値尺度となった。誤謬は一つの《臆病》であるーーー認識のあらゆる獲得は、気力から、おのれに対する冷酷さから、おのれに対する潔癖さから《結果する》ーーー私の生きぬくがごときそうした《実験哲学》は、最も原則的なニヒリズムの可能性をすら試験的に先取する。こう言ったからとて、この哲学は、否定に、否(いな)に、否への意志に停滞するというのではない。この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、《ディオニュソス的に然りと断言すること》にまでーーー、それは永遠の円環運動を欲する、ーーーすなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち、生存へとディオニュソス的に立ち向かうということーーー、このことにあたえた私の定式が《運命愛》である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・一〇四一・P517~518」ちくま学芸文庫)

運命愛という態度は全的肯定の態度なのだが、それは各瞬間において切断論的に肯定する態度である点に注意しよう。間延びした「然り」が長く延びた飴のようにずうっと続いていくわけではなく、各瞬間ごとに、「然り、然り、然りーーー」と臨む態度である。

ところで、違法行為が発覚したときに犯罪者の脳内を横切る意識について、スピノザを参照しつつニーチェはいう。

「すなわち、それは『思いがけなくまずいことになった』という感じであって、『自分はあんなことをすべきではなかった』という感じでは《なかった》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.97」岩波文庫)

そこには「良心の疚(やま)しさ」というものが見られない。なぜだろう。

「次に《歓喜》とは《我々がその結果について疑っていた過去の物の表象像から生ずる喜び》である。最後に《落胆》とは《歓喜に対立する悲しみ》である」(スピノザ「エチカ・第三部・定理一八・備考2・P.189」岩波文庫)

要約すると、「《落胆》とは」、「《我々がその結果について疑っていた過去の物の表象像から生ずる悲しみ》」である、ということになる。だからそのとき生じているのは「良心の疚(やま)しさ」ではなくて、「裏切られた」ことに伴う「悲しみ」なのだ。たとえば、老後二〇〇〇万円入ってくるはずだった予想が裏切られて入ってこないとわかったときに生じる「悲しみ」に等しい。現代社会ではますます増えていくだろうことが予想されるそのような想定外の事態に際して、刑罰装置が持っている意味に対する市民社会の認識はますます変わっていくに違いない。刑罰は人間をより「善く」は《しない》。むしろ人間を「《手なずけ》」る機械仕掛に過ぎない。このことはこれまで何度か繰り返し触れてきた。馴致し、群畜化し、均質化し、記号化し、ほとんど他の何とでも置き換え可能にする。また同時に刑罰は規律・訓練を介して犯罪者(富裕層であろうとなかろうと)をよりいっそう狡猾劣悪にする。それは被害を受けたと感じている社会の側でも同時に起こる。そのぶん社会はよりいっそう狡猾な規律・訓練の技術を案出することになる。現役で用いられている効果的装置の中で最も目立つものは多分「護送車」だろう。「動く機械仕掛」としての「監獄」。しかし護送車が現役なのは「見せしめ」のためではない。規律・訓練のモデルを市民社会の中へよりいっそう広く深く組み込み、ごく自然な動作として流し込むためである。

「概して刑罰の結果として齎(もた)らされるものは、人間においても動物においても、恐怖心の増大であり、思慮の綿密化であり、欲望の制御である。してみれば、刑罰は人間を《手なずけ》はしても、人間を『より善く』はしない、ーーーまだしもその反対のことを主張する方が一層正しいと言えるかもしれない(『損をすれば悧巧になる』と世間では言う。損害は悧巧にするだけ劣悪にもする。幸いにして愚鈍にする場合も少なくない)」(ニーチェ「道徳の系譜・P.97」岩波文庫)

だから人間の加工=変造という技術は身体から始まり精神の整形外科手術へとおよぶ。そうなればなるほど、「堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違い」はますます不明瞭なものになっていく。

「人々は、堅気(かたぎ)の男と悪党とのあいだの道徳的な違いをあまりにも大きく考えすぎている。泥棒や殺人者に対する法律は、教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なようにつくられている」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・七〇五・P.439」ちくま学芸文庫)

それはもちろん「泥棒や殺人者」を法廷で孤立させた上で、裁判所の側からおもむろに一片の温情を与える身振り仕ぐさのうちに含まれている。だから被告はいったん監獄に入らなければならないけれども、それは監獄内で実施される規律・訓練の反復によって、出所後「教養がある者たちや富んでいる者たちに有利なように」、よりいっそう有効活用されるために調教され家畜化される過程を改めて生き直す必要性が生じているからである。しかしもし法律の文言通りに裁判が行なわれるとすれば、次のように予想外の事態を露呈することになり、今のようによりいっそう透明性が求められている裁判過程はほとんど錯乱状態におちいるだろうし、少なくとも、おちいりかねない。

「《刑量の決定における恣意性》。ーーーたいていの犯罪者には、ちょうど女たちに子供が与えられるような仕方で刑が与えられる。彼らは、それが悪い結果を招くなどとは夢おもずに、何十回、何百回と同じ行為をつづけてきたのであり、そして突然露顕のときがやってきて、そのあとに罰がくるというわけだ。しかし習慣性というものは、犯罪者が処罰される原因となる行為の罰を、それが習慣的でなかった場合よりも容赦できるものに思わせるはずのものだろう。そこには、抵抗しがたい性癖というものができてしまっているからである。しかし実際には反対に、犯罪者が常習犯の嫌疑をかけられるときは、そうでないときよりも過酷な刑を科せられ、習慣性は一切の情状酌量に対する反対事由と見なされてしまう。これとは逆に、ふだんは模範的な生活を送っている者が、それだけいっそうこれとおそろしい対照をなす犯罪を行なったときには、彼の有罪性はいっそう顕著に見えるはずであろう!しかし実際には、この場合かえって刑が緩和されるのが普通である。かくして、すべては犯罪者を基準に量られるのではなく、社会と社会のうける危害を基準に計られるのだ。そして、或る人間の過去における有益な行状が彼の一回の有害な行状とひきかえに計算され、過去の有害な行状が現在露顕した有害な行状に加算され、これによって計量は最高に計算されるのである。しかし、こうして或る人間の過去が同時に罰せられたりあるいは同時に報いられ(報いられる、といってもこれは罰せられるときのことで、つまり刑の軽減が報償となる場合である)たりするのであれば、もっとさかのぼって、あれやこれやの過去の原因を罰したり報いたりすべきではなかろうか。わたしが考えているのは、両親や教育者や社会などである。そうすれば、多くの場合《裁判官》自身も何らかの仕方で罪にあずかっているさまが見られることだろう。過去を罰すると言いながら犯罪者の過去だけしか問題にしないのは、恣意的である」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二八・P.292~293」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように「犯罪者の過去だけしか問題にしない」態度は「恣意的である」。さらに周囲の政治的=経済的諸環境から「犯罪者の過去だけ」を切り離して取り上げることは事実上不可能である。というのは、人間はいつもすでに「社会的諸関係の総体」であるほかないからだ。一人の人間の身体において見られる事情というのはたった一人の人間の身体でさえ多種多様な諸要素がせめぎ合う共同体をなしていて、それら諸要素はもはや分かちがたく融合しているという事実である。ニーチェとベルクソンから一箇所づつ。

「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫)

「多様性の二つの形式、持続のまったく異なる二つの評価、意識的生活の二つの様相を区別することにしよう。注意深い心理学は、真の持続の延長的記号たる等質的持続の下に、その異質的な諸瞬間が相互に浸透し合う持続を見分ける。また、それは、意識的諸状態の数的多様性の下に質的多様性を、はっきり規定された諸状態にある自我の下に継起が融合と有機的一体化を含むような自我を、見分ける」(ベルクソン「時間と自由・P.153~154」岩波文庫)

なお、現在進行形の「感染=パンデミック」について。結果はまだ出たわけではない。一定の結果といえるほどの結果が出たといえるかどうか、それもまだわからないとしか言えないような情報ばかりが流通していると思われる。その間、政治的でも経済的でも官僚的でも構わないのだが、或る事件が発覚したとする。長期化する「感染=パンデミック」の中に紛れ込む形で、大きな流水の中へ小さな流水が不意に流し込まれるように、或る事件は「しばしば他の事物の表象像」として作用し、「感染=パンデミック」の結果が見えてくる過程で事態を大きくかき乱すといったことが生じる。

「数々の経験をもつ人々は、物を未来あるいは過去のものとして観想する間は、大抵動揺して、その物の結果について多くは疑惑を有するから、したがって事物のこの種の表象像から生ずる感情はさほど確乎たるものではなく、人々がその物の結果について確実になるまでは、しばしば他の事物の表象像によって乱される」(スピノザ「エチカ・第三部・定理一八・備考1・P.188~189」岩波文庫)

だからスピノザにしたがえば、「感染=パンデミック」の「結果について確実になるまでは」、「感染=パンデミック」に関する状況を見るにしても、或る事件が「他の事物の表象像」として割り込んできて、市民社会の目に見える事態は「感染=パンデミック」に関しても「或る事件」に関しても、どちらについても「乱される」、といえる。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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遍在する廃墟/空虚の遍在30

2020年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
規律・訓練の場(学校、職場、病院、中間施設)の分散配置と内容面での拡充とともにだんだんはっきりしてきたことがある。おそらく世界は永遠に監獄を消滅させてしまうことはできないだろうという悲観的ではあるが現実的な事情である。

「〔6〕そのことで多分説明がつくのは、監獄の、ただしすでにその誕生当初から非難の的であるこのささやかな発明の、極端な永続性である」(フーコー「監獄の誕生・P.305」新潮社)

このことは極めて両義的な事態がすでに生じていることを大いに物語っている。一方で、人間がいるかぎり刑務所もまた永遠に存続するという当たり前といえば当たり前の事情がある。しかし他方、刑務所が存続するにしても今のような形態の刑務所はもう必要なくなるだけでなくますます形態変化を遂げて存続していくという傾向が上げられる。刑務所はもはや監獄に見えない。というのは、苛酷な刑罰の実施によってよりいっそう社会に対して憎悪を増殖させた非行〔=前科〕者や非行性を生産するよりも、規律・訓練を通して施されなければならない必要事項が急速に変化したからである。たとえば、たった一度の前科のために社会復帰困難となった人間が、わずかばかりの生活資金を手に入れるためにわざわざスト破りに参加したとしても安定的な収入確保には繋がらない。ものものしく武装して暴力的に破る必要性が認められるような大規模スト自体、ほとんどまったくといっていいほど行なわれないような時勢でもある。警察の密偵として反政府活動の中に入り込みスパイ行為を行ったとしても今やすぐに誰が密告者なのかたちまち判明してしまい警察からも反政府組織からも追い出されて路頭に迷うのがおちになってしまった。結局のところ非行者は非行者の世界へ返っていくほかない。ところが逆説的なことは、非行者が返っていく世界もまた消滅しつつあるという奇妙な世界の出現である。

衣食住といった最低限度の次元から考えてみる。非行者であろうとなかろうと、かつては日本だけを見ても、一九八〇年代後半バブルの時期には東京の山谷や神奈川の寿町、大阪の釜ヶ崎などを始めとして日雇い労働者として食べていくという方法があった。ところが高度テクノロジーの大々的な導入によって日雇い労働さえ、若年層が手っ取り早い現金収入のために利用するアルバイトへと変わってきた。マスコミはこのような傾向について何かといえば「産業構造の変化」というキャッチコピーを持ってきて済ませてしまう。産業の形態(労働形態)が変化したのは事実だろう。けれども産業の《構造》はどのように変化したか、というより産業の《構造》はなぜこのような刷新された形で「改めて」《出現》してきたのかといった理由について十分に説明できているとは思えない。このことは高度経済成長期の只中にあたる一九六〇年代後半、日本だけでなく世界的先進諸国の大学で社会学部というまったく新しい学術分野が華々しく続々開設されたこととおそらく無関係でない。しかしどの先進諸国でも社会学部はもはやかつての勢いを失い、徐々に他学部の受け皿ででもあるかのような地位にまで価値下落してしまった。それと入れ換わる形で情報通信や生物工学に関する学術分野が大学へ進出した。社会学が主に「批評的」だったのに対し、情報通信や生物工学は主に「活用的」で「技術本位的」な学術研究の復権を高らかに告げていたといえそうだ。といっても、かつての技術とは違いネット時代の高度テクノロジーの特徴は、さらに高度で多機能的な技術を《生産する》技術だという点で大いに異なる。技術者を育成し活用するのではなく、新しい技術機械の生産によって技術者を労働現場から排除する一方、排除された技術者を別の労働現場へ派遣して再生産過程に乗せる準備まで《生産する》。だんだん人間は必要なくなる。しかし、だからといって人間は苛酷な労働から解放されるだろうか。よりいっそう楽な生活様式を打ち立てることができるようになるだろうか。ところがしかし事態はまったくそう単純ではないのである。

もっとも、社会学は設立当初から多岐多様にわたる学術分野を広くカバーする必要性という、逃れがたい宿命にも似たものを負わされていた。社会学はその発祥からいえばドイツのフランクフルト学派、あるいは「社会研究会」を母胎としている。政治、経済、哲学といった専門分野だけでは説明できない複雑怪奇な社会がヨーロッパ各地で出現してきたまさにそのとき、それらを総覧し改めて形式化する形で社会学という学術分野は出現した。或る意味マスコミに似ているが、興味本位ではなく、当然ながら研究にこだわる。主に世論に注目した点も見逃せない。だからそれまでは文学部の中の一分枝に過ぎなかった新聞学科が独立改組する形で社会学部が設置されたケースもしばしば見られる。さらにそこから、日本のような手厚い「男社会」であってなお女性学という研究分野が確立されるに至ったのは何も上野千鶴子一人が頑張ったわけではなくそもそも上野が社会学者として出発したことと深く関係している。言い換えれば、日本のような手厚い「男社会」ゆえになおさらのこと女性学は確立されるべくして確立されたというべきだろう。ところが或る程度予想されていたこととはいえ、女性学はその確立と同時にただちに医学、精神医学、教育学、法学、経済学など多岐にわたる分野で活躍する人々とよりいっそういつも密に連携していなくてはならない立場を担うことになる。格差、DV、家庭崩壊、雇用、プライバシー保護、依存症、社会的孤立、居場所の確保など、要求される項目が日々増殖する一方、それに見合った必要十分な人材育成にはますます時間がかかってくるし齟齬が起きない日はないといった事情で手一杯である。それを思うと社会学がこれほど必要とされている時期はかつてなかったように見える。それぞれの人材がそれぞれの専門に合わせて各所各分野へ再配分再配置されたと言われればなるほどそうかもしれないと思いはするが、もし本当にそうであれば人手不足という事態は発生してこないに違いない。にもかかわらず現実はそうなっていない。二〇二〇年の「感染=パンデミック」はこうした領域でこれまで何がどのように不十分だったかを、この十年ばかりの間で主に政治=経済の世界を舞台として、わざわざ不十分な方向へ押し進められていたかを、一挙に可視化したといえる。ところで、なぜこのような話題から入ったのかは以下で説明する。

さて、十九世紀前半すでに監獄の機能は二つの方向へ分裂していく傾向を見せていた。第一に、監獄に与えられていた権限の削減である。

「一方の過程とは、種別的で閉鎖的で取締りうる違法行為として計画配置される非行性の効用を減じる(もしくはその非行性の不都合さを増大させる)過程である。たとえば、政治と経済とのさまざまな装置とじかにつながる大がかりな違法行為(財政上の違法行為、諜報機関、武器や麻薬の密売、不動産の投機)を、国家的ないし国際的な規模で組織化する場合、非行性の有するいささか荒けずりで人目につく働き手は無能ぶりが現われるのは明白である」(フーコー「監獄の誕生・P.305」新潮社)

このように監獄は「荒けずりで人目につく働き手《としての》犯罪者」の「無能ぶり」を取締ることに、あまり有用性を見出せなくなってくる。かえって無駄ばかり目立つようになる。それでも時おり発覚する政治=経済に関する「大がかりな違法行為」を見逃すわけにもいかない。ましてやそれが政権運営の現役の関係者であればなおさらであって、そのためにも監獄は残される。今なお刑務所が残されているのは、政治=経済に関する「大がかりな違法行為」を見逃すわけにはいかないということが一つ。もう一つは、その種の違法行為を見逃さないことによって、市民社会に対し、一定程度の明確な《示しを付ける》ことが要請されているかぎりで刑務所は有効活用可能性を保持するからである。もし万が一、政治=経済に関する「大がかりな違法行為」さえ見逃されるようになってしまえば、その時点で刑務所の存在意義は消滅するに等しい。多額の税金を投入されたり場合によっては多額の税金からの援助を受けてようやく成り立っている待遇にある多国籍企業責任者あるいは高級官僚とその周辺人物といった人々が「大がかりな違法行為」を犯した場合、司法がそれを見逃すとすれば、その時点でその国家はもはやかつてフセイン大統領の独裁統治が行なわれていたイラクのような警察国家と化すことだろう。極めて不経済な方法ではあるが。

次に、よりいっそう限定的で身近な事例がある。国家にとって売淫施設はもはやそれほど「美味い商売」ではなくなったという点である。

「いっそう限定された規模でいうと、性の快楽につけこんで金銭の天引を行なうことは避妊薬の販売によるか、出版物・フィルム・ショーなどの間接的経路によるかして以前よりはるかに利益をともなう以上、売春のもつ古風な階層秩序には、かつての売春の効用が失われている」(フーコー「監獄の誕生・P.305~306」新潮社)

この傾向は昨今、世界中で進行している事態を早くも先取りしていたと言える。行政の側からわざわざ網目状に設置した売淫施設の監視監禁のために非行〔=前科〕者を権力の末端装置として活用してそこからの金儲けを目指すより、行政の側が率先して「性の解放」を《演じる》こと。生殖のことは婚姻装置に任せればよく、まず第一に目指すべきは性的欲望の装置を作り上げることである。第二に、それを社会全体に張り巡らせることだ。行政機構に与えられた具体的役割は、性的欲望の装置を社会的規模で簡便に活用できるよう可能なかぎり効率的な水路を整備し、よりいっそう多種多様な性的欲望を生産し、増殖させ、そこから上がってくる利益を税金として獲得するほうが断然儲かるのであり、常に経済策(エコノミー)を念頭に置いている権力装置は当たり前のようにその方向を目指すし実際その方向へ動いた。

このような動きから読み取れることは、監獄の内的機能はもはや監獄の外へ移動しており、むしろ重要なのは監獄の外へ移動した監視監禁的な装置が滞りなく絶え間なく快適な動作環境で作動しているかどうか、という点である。それがフーコーのいう「もう一つの過程」であって、「監獄の内的作用」の「変容」について論じる必要性もここから出てくる。同時に一九六〇年代後半に世界中の大学で相継いだ社会学部創設と、一九九〇年代後半以降に生じてきたその多岐に渡る細分化、そしてかつての形態ではいられなくなった社会学という問題系が現われる。

「もう一つの過程とは、規律・訓練の網目の増強であり、そうした網目と刑罰装置との交渉の増加であり、それら網目に与えられる権力のいっそうの重要さであり、それらへの司法諸機能の譲渡のあいかわらぬいっそうの増大である」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)

規律・訓練の執行機関はそれこそ日常生活の隅々まで浸透した。それらはもはやどこにも監獄のおもかげひとつ残していない。かつての社会学がもはやどこにもかつての社会学のおもかげひとつ残すことが不可能になったように。近代社会がもはや社会自身で自分自身の表象(姿形、イメージ、形象)を捉えられなくなったとき始めて社会学が生まれた。医学と司法との絶えざる個人化と細分化とが、十八世紀末から十九世紀前半にかけて、突如として個人と個性とを同時に出現させたように、社会は複雑化しよりいっそう細分化していくにつれて自分で自分自身のあり方を捉えきれなくなったとき、社会は社会自身の内部から社会学を生み出した。社会は社会学を出現させることで始めて社会自身のための固有の鏡を創り出したのだ。しかし人間諸科学に対する要請は増殖するばかりであり、いったん打ち立てられた鏡はなるほど約半世紀のあいだ保たれたけれども、社会学とて例外ではいられず大々的な再編を余儀なくされることになった。社会学という一言でまとめるのではなく、一定の理論ならびに技術論が確立されるとともにすみやかに様々な領域へ配分されるようになった。ところが今度は現場で動く人員が圧倒的に不足しているという事態に見舞われている。

「医学、心理学、教育、救済援護、《社会事業》が取締りと制裁を旨とする権力の役割をいっそう大幅にはたすにつれて、かえって刑罰装置は医学的になったり心理学的になったり教育学的になったりする可能性をおびるであろう」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)

というふうに、規律・訓練はもはや監獄で行なわれるものではない。日常生活のありとあらゆるところでいつもすでに行なわれている。それは「医学的になったり心理学的になったり教育学的になったり」と、常に「学」として装置化され社会の中へ組み込まれ溶け込んでいる。その動きと併走するかたちで監獄はただ単なる一時預り所の様相を呈してきた。もっとも、日本の場合は死刑制度があるため、囚人を労働力商品として最後の最後まで死ぬまで活用して尻の毛までむしり取ってやろうという権力意志は途中で挫折するようにできている。ところがその点、多くの先進諸国には迷いがない。「武士の情け」など架けないし架けるつもりもない。このように先進諸国で見られる経済策(エコノミー)優先という考え方は実質的先進諸国だからこそ見られる措置であって、逆に「見せしめ」を必要とするような実質的途上国では死刑制度は残り続けるだろう。さらに、加害者に極刑を望む被害者側の当事者の意識は当然かもしれない。ところが当事者でない一般の裁判員がなぜ当事者と同様に極刑を望むのか、それは何ら不可解な事態ではないという以上に遥かに問題の深刻さの蔓延を物語っている。当事者と一般の裁判員とは社会的な立場はそれぞれ異なり、それまでの生き方も実際に通ってきた過程も異なっている。にもかかわらずなぜ当事者と一般の裁判員とのあいだで意見の一致が、少なくともその合意が、成立するのか。というのも、死刑制度反対とか賛成とかという二元論はもはや問題でもなんでもないからである。フーコーがいう規律・訓練。その先には何があるのか。

「監獄が行刑中心の自らの言語表現と自ら招いた非行性の強化という結果とのくい違いのゆえに、刑罰本位の権力と規律・訓練本位の権力とを結びつけていたおりに監獄が構成していた例の継ぎ目の役割は、ついに以前にくらべて無用になるのである。規格化を推進する例のすべての装置が強化されていく最中に、監獄の種別性ならびに継ぎ目の役割はともに存在理由をうしなう」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)

それはもう始まっているというほかない。「規格化」への意志。ノーマルかアブノーマルか。それを裁定するのはもはや裁判長一人ではない。一人の医師でも一人の教育者でも一人の資本家でもない。さらにアブノーマルであると判断〔=裁定、判決〕されてもけっして社会から追放されるわけではない。アブノーマルと判断〔=裁定、判決〕されるやいなやそれはアブノーマルなものの基準の一つとして活用される。分析され細分化され規則的に試験され常にぬかりなく監視観察過程に置かれ、その都度データ化され、社会の外へ追放されることなく逆に社会の中で再編され知-権力装置の一部分として巧妙に組み込まれる。

「問題のありかは規格化推進の諸装置の大がかりな増強のなかに、しかも新しい客体化の創設をとおしてその諸装置がになう権力上の影響の規模のなかに存する」(フーコー「監獄の誕生・P.306」新潮社)

歴史上、「規格化」への意志がどんな結果を生んできたかはナチスのドイツならびにスターリンのロシアで証明された。しかしそれらはその凄惨さにもかかわらず、どちらも目に見える次元での結果を生産したに過ぎないとも言える。戦後になって徐々に台頭してきたのはかつてと異なる動きだ。それは目に見えない次元での「規格化」への意志であって、二〇二〇年の世界では、「規格化」への意志はもはや限度を知らず、いつどこにでも突如として立ち現われる。「規格外」とされた人間は排除されない。排除してほしいと頼んでも許されない。事情は逆方向に働く。なぜなら、「規格外」と判断されるやまさしくそこに新しく「規格外」という社会的「規格」が生産され、このまっさらな「規格」がさらなる「規格外」を欲望する装置として立ち働くことになるからである。したがって、ノーマルなものにくらべてアブノーマルなものは人間の欲望を遥かに多く生産する。だから性的欲望の装置としてアブノーマルなものは非常に生産的である。可視化されている歴史的事件でいえば、ナチスのドイツもスターリンのロシアもどちらも今なお商品化され、言語として、あるいは映像として、多かれ少なかれ一貫して流通し、貨幣を介して商品交換され、その価値を実現させ資本化させている。利子を生むのだ。しかしノーマルなものへの「規格化」への意志は社会にとって、よりいっそう根本的な次元で遥かに重要である。この重要性はしかし、社会にとって重要であるけれども、同時に人間にとって同じほど危険でもある。

「われわれが住む社会は教授=裁定者の、医師=裁定者の、教育家=裁定者の、《社会事業家》=裁定者の社会であって、みんなの者が規格的なるもの(ノルマティフ)という普遍性を君臨させ、しかも各人は自分の持場に応じて身体・身振り・行動・行為・適性・成績をこの規格的なるものに従属させる」(フーコー「監獄の誕生・P.304」新潮社)

フーコーのいうように「身体・身振り・行動・行為・適性・成績をこの規格的なるものに従属させる」作業の反復によってまったく新しい事態が起こってきた。或る人間は他の人間のコピーとして出現するという事態が。そして始めて労働力商品Aと労働力商品Bとの置き換えが、あるいは労働力商品Cと機械装置Dとの置き換えが、いつでも可能になったのである。だから人間を規律・訓練の過程に乗せていったん調教し家畜化するという「規格化」の作業は資本主義が必要とする程度に必要とされるのである。

一方、同時進行的に加速した出来事に親子関係の変化が上げられる。かつて社会の最小単位は「家庭」(親子関係)に絞り込まれていた。そして親と子とのあいだの血の繋がりが重視されていた。もはや血の繋がりはそれほど重要でない。DVの多発に伴いまったく重要でない場合も続出してきた。そして或る親と別の親との置き換えが可能になり、さらに親なしでも構わない場合や親がいては子にとってかえって迷惑という場合も出てきた。この事情は時期的にみれば興味深いとおもわれる。遺伝情報に関する研究、ゲノム解析に関する研究、等々が飛躍的発展を遂げたのとほぼ同時期に、遺伝もゲノムも関係のないところで、様々な家庭のあり方が新しく承認され、さらなる模索が続けられ、場合によりけりではあるものの家庭なしでも何ら問題ないという地点へ達したという点で。その意味でドゥルーズとガタリの「アンチ・オイディプス」は間違っていなかったと、日本でもようやく今になって証明されてきたと言える。

「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・P.151~152」河出書房新社)

しかし社会はなぜ耐えがたい苦痛に耐えてまで、よりいっそう苦痛を《欲する》ようなことまで自らするようになったのか。「神の死」(絶対的な中心の消滅、絶対的な基準の消滅、中心的なものの絶えざる移動、多種多様な基準の出現、変動相場制)にもかかわらず。人間は相変わらず何かこれといった「絶対的《道徳》」があると信じ込みたがっているに違いない。その傾向がますます自分で自分自身によりいっそう深い苦痛を与えることになっているにもかかわらず。

「《習俗とその犠牲》。ーーー習俗の起源は、次の二つの思想に帰着する、ーーー『団体は個人よりもいっそう価値がある』という思想と、『永続的な利益は一時的な利益に優先すべきである』という思想である。そして、これから、団体の永続的な利益は個人の利益、とくにその刹那的な満足よりも、しかしまた個人の永続的な利益やその生命の存続すらよりも、無条件に優先すべきであるという結論がでてくる。いまや、全体を益するための或る制度で個人が苦しもうと、また彼がそのために委縮し、そのために破滅してゆこうとーーー習俗は維持されねばならず、またそのためには犠牲が供されねばならない。しかし、このような心的態度が《生ずるのは》、自らは犠牲となることの《ない》連中においてだけである、ーーーなぜなら、犠牲者の方は、<個人は多数者よりも貴重なものであり得る>、同様に、<現在の享受、天国にあるこの一刹那は、苦しみのない、あるいは安楽な状態の無気力な持続よりもおそらくいっそう高く評価されるべきである>という意見を主張するからである。しかし、犠牲獣のこの哲学は、いつも叫ばれることあまりにも遅きに失している。だから彼らはいつまでたっても習俗や《道徳性》にしばられたままである。人びとは習俗の下で生き、習俗の下で教育された、ーーーしかも個人としてではなく、全体の分岐として、多数派の符牒として教育された。そして道徳性とはこのもろもろの習俗の総体や本質に寄せる感情にすぎないのである。ーーーかくして絶えず個人は、その道徳性を媒介として、自己自身を《多数派化》してゆく結果になる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・八九・P.73~74」ちくま学芸文庫)

それに伴って個人という容貌は加速的に抹殺されてきた。輪郭明瞭な個人というものは純粋な意味ではもはや存在しない。代わって経済的諸カテゴリーへと分離還元された。資本の人格化としての資本家や労働力商品としての労働者へと分離されると同時に両者はいつもすでに相互依存状態に置かれ合うこととなった。今やどの人間も「社会的諸関係の総体」でありなおかつ「諸関係の所産」でしかない。容易にわかることだが、どんな人間であれ、何ものにも無関係という立場は存在しない。だから個人の明瞭な輪郭は消滅し、人間の顔面はいつも輪郭崩壊状態を呈している。身近で目にするケースでは、たとえばテレビのアナウンサーが代表的だろう。その顔面は次々と入れ換わり立ち換わり様々なスポンサーのロゴになりCMのワンシーンになり着ぐるみになり子供になりお爺さんになりお婆さんになり郵便配達員になり銀行員になり中古車になりOA機器になり税金になり日本酒にもなる。もはや原型を留めないモンタージュ(奇妙な合成物)と化しているというべきか。

しかし実を言うと《道徳》というものは、それが精密詳細を極める学問研究という形式に置き換えられている場合であっても、むしろそうであるからこそなおさら学問は形而上学的信仰に基づいて放浪するばかりなのであり、人間はいつまで経っても古代の、根拠もなければ証拠もない信仰の世界を熱心かつ懸命にさまよい歩くよう自分で自分自身をますます拘束していくのである。その意味では可憐でさえある。

「学問への信仰が前提としているような、あの思い切りぎりぎりの意味での誠実な人間は、《その信仰によって》生・自然・歴史の世界とは《別な世界を肯定する》ということには、疑問の余地がない。そして、この人間が、こうした『別な世界』を肯定するかぎり、どういうことになるか?彼は、まさにそのことによって、その世界とは反対のもの、すなわちこの世界、《われわれの》世界をーーー否定せずにはおれなくなるのではないか?ーーーだが、私の言おうとすることの何であるかは、とくとお解(わか)りのことだろう。すなわちそれは、われわれの学問への信仰が地盤としているものは相変らず《形而上学的信仰》である、ということだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・三四四・P.372」ちくま学芸文庫)

とすればいったい《学》とはなんなのか。問い方を変えてみよう。人間は生きるために食べているのかそれとも食べるために生きているのかと。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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