阿部ブログ

日々思うこと

火はわが胸中にあり~竹橋事件、近衛砲兵大隊蜂起~

2013年05月04日 | 台湾
2.26事件物で著名な澤地久枝女史の『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の反乱 竹橋事件』を読了した。

兵隊だったので、身に沁みた。さぞかし西南の役は過酷だったろう。
俺は小兵だが、曾爺さんは巨漢で、日露戦争の時は、砲兵として従軍して勲章を拝受している。今で言う185センチを超えていたようだ。まあ、そうでなくては砲兵にはなれないな。勲章は実際にお婆さんに見せてもらった。

近衛兵の兵役が5年とは知らなかったし、既に徴兵されている部隊から抽出されてからの勤務が5年なのだから、たまったもんじゃない。退役後の給金もないのだから尚更だ。若い身での兵営生活は辛いね。徴兵は不公平なので、憤懣やるかたない想いは重々理解できるし、徴兵と雖も金があれば拒否できるのだ。当時にして270円を国に支払うと徴兵されない。当然の事ながら貧乏人の倅が徴集され、過酷な戦場経験をすることとなる。

                            

読了後、思った事は、三添卯之助、死ね!と言う事と、東京鎮台予備砲兵大隊長・岡本柳之助中佐は、アナキストの大杉栄・伊藤野枝、大杉の甥・橘宗一の3名を殺害したとされる憲兵大尉・甘粕正彦と同じと言う事。

甘粕は大杉を殺していないし、岡本も人を直接には殺めていない。そう彼らは自らの手を汚していない。
竹橋事件後から16年経った岡本は、朝鮮国軍兼宮内府の顧問官の地位を得、朝鮮王朝の不穏な動きを封じ、首班の閔妃などを制圧した部隊を率いたのは岡本であった。甘粕大尉も満州帝国で同様の役割を果たしたのではないか? いや、岡本以上だったろうが...

世界ユダヤ人会議開催~バチカンとスコットランド国教会~

2013年05月04日 | イスラエル
今日から、ハンガリーにて世界ユダヤ人会議が開催。ヘブライ語でכל ישראל ערבים זה לזה
会議の標語は上記の通り、全てのユダヤ人はお互いに責任を負う、だ。
本部はニューヨークで議長は、ロナルド・S・ローダー氏だ。議長はアートコレクターで有名。

同会議の開催前の5月1日には、ペレス大統領がバチカンを訪問している。
イスラエルの大統領は、ローマ法王に「あなたが何をしても、どこへ行っても、栄える」(I列王記2:3)と刻印された旧約聖書を贈呈している。新法王にエルサレム訪問を提案したイスラエル大統領の提案を、法王は受諾している。画期的な事だ。

反面、イギリス連邦王国からの独立問題が熱いスコットランドの国教会が、約束の地に関するユダヤ人の歴史的権利を全面否定する報告書を発行している。同報告書によれば、神により特定の人に特定の土地への権利が与えられることはないとの主張してる。親ユダヤのスコットランド国教会に何があったのか? 実に興味深い。 

近衛第一歩兵聯隊の碑

2013年05月04日 | 日記
近衛歩兵第一聯隊は、北の丸公園に位置していた。その碑がある。
      
                           近衛歩兵第1連隊跡記念碑
                             
近衛歩兵第一聯隊は、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治七年(一八七四)一月二十三日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和二十年(一九四五)大東亜戦争終末に至るまで、七十一年余りの間この地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇 今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ十年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聯隊である。
西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担った。
近衛兵には、毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以て充てられていた。

昭和四十二年一月二十三日
全国近歩一会

                         
帽章の碑の両横には全国近歩一会の方々の銘板が両側に貼り付けてある。それがコレだ。
                          

近衛歩兵第一聯隊跡の碑の裏にも銘板がある。
                           

近衛第一歩兵聯隊の歴史を知りたければ近代デジタルライブラリーが参考になる。


近衛師団司令部~現在は、国立近代美術館工芸館~

2013年05月04日 | 日記
北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館は、近衛師団司令部だった建物で、新進気鋭の陸軍技師・田村鎮の設計により明治43年に落成した。

    

近衛師団は、陸軍最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にあたる枢要な部隊司令部に相応しい威厳ある建築である。様式はゴシック風で、延べ床面積は1860㎡。赤煉瓦と白の花崗岩の組み合わせが見事だ。

             

この近衛師団司令部を有名にしているのは、やはり昭和20年8月15日に起こった森赳師団長惨殺事件だ。森師団長は、2階の師団長室で殺害されている。敗戦の日における軍部の動きは興味深いものがあるが、殊、近衛師団長惨殺事件など8.15における皇族・軍人などの動きを含め極めて興味深い見解を示しているのは、下記の鬼塚英昭氏の「日本のいちばん醜い日」だ。是非とも一読をお勧めする。
 →日本のいちばん醜い日
      
敗戦により近衛師団は解散したが、師団司令部はその後、皇宮警察の寮として利用され、兵舎は東京学生会館として利用されていた。昭和38年、北の丸地区再開発により近衛師団や連隊兵舎等の建物群が撤去され、現在の北の丸公園として整備された。
                        

昭和39年4月には、国立公文書館、国立近代美術館、科学博物館などが建設される事になり、近衛師団司令部も解体される運命にあったが、近衛連隊の戦友会が中心となって明治期における洋風建築の歴史的遺構としての保存運動が沸き起こった。この影響もあり近衛師団司令部は、国の重要文化財の指定を受ける事になり、破壊を免れた。
その後、東京国立近代美術館工芸館として、文化庁建造物課の監理のもと昭和52年11月に改修が終了し、同年11月15日に正式に開館し現在に至っている。今、工芸館では「所蔵作品展 花咲く工芸 Blooming Crafts: Modern Crafts from the Museum Collection」が開催されている。入館料は大人200円なので、一度、旧近衛師団司令部を訪ねるのも良いのではないか。

それと師団司令部の基礎部分に注目。京都の安部晴明神社で見た五芒星だ。
                            
何でも近衛兵の軍帽につく帽章が由来のようだが、帽章の由来はユダヤ教?と思ってしまうのも無理はないだろう。明治期から戦前にかけて日猶同祖論(日本=ユダヤ同祖論)が蔓延ったからだ。私見ながら皇国史観と日猶同祖論は、それこそ同祖だと思う。
                          

第二代近衛師団長・北白川能久親王像

2013年05月03日 | 日記
北の丸公園の国立近代美術館工芸館の入り口に聳え立ち、首都高都心環状線・代官町入口方向から皇居に向かっている雄姿は、ある種爽快感を感じさせる、北白川能久親王像はとても良い彫像だ。

 

工芸館入り口には、警視庁のパトロールカーが、エンジンをかけたまま駐車している中、そぞろ親王像の撮影に取り掛かる。彫像は、皇居を向いている関係から、碑文説明文は、後ろ姿を見る形となるが撮影。
碑文の画像と内容は以下の通り。



弘化四年(一八四七)伏見宮邦家親王の第九皇子として御誕生。
嘉永元年(一八四八)青蓮院宮御相続、安政五年(一八五八)輪王寺宮御相続、公現法親王(俗名能久)と称せられ、上野寛永寺の門跡となられる。明治三年(一八七〇)還俗して伏見宮に御復帰、軍籍に就かれた。同年勅命によりプロシヤ国留学を命ぜられ、同国歩兵・砲兵聯隊、参謀学校等で兵学を学ばれ、明治十年御帰朝、近衛砲兵聯隊御隊附。御留学中の同五年北白川宮を御相続遊ばされた。同十七年陸軍少将に任ぜられ、歩兵第一旅団長、参謀本部御出仕。同二十五年陸軍中将に任ぜられ、第六・第四師団長を御歴任、同二十八年一月近衛師団長に親補せられ、近衛師団を率いて台湾に御出征、炎熱瘴癘の地で疫病に罹らせ給い、明治二十八年十月二十日(一八九五)台南に於て薨去遊ばされた。御歳四十九歳。陸軍大将に任ぜられ、大勲位菊花章頸飾および功三級金鵄勲章を賜わり、国葬を以て豊島岡陵に御埋棺された。

銅像は、明治三十六年一月二十六日、北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二聯隊正門前(現在地より東方約六十メートル)に建立されたが、昭和三十八年北の丸公園整備計画に従いこの地点に移された。制作は、渡台時近衛騎兵として側近に仕えた斯界の大家新海竹太郎によるもので、芸術的にも高く評価されている。鋳造は陸軍砲兵工廠である。
建立後八十余年を経て若子個所の損傷を見るに至ったので、昭和六十年有志相諮り修復した。

昭和六十年十月二十八日
親王九十年祭にあたり元近衛師団戦友会誌す

米下院・アジア太平洋問題小委員会で、台湾政策法 が可決~F16C/Dが輸出されるか?~

2013年05月02日 | 台湾
米下院・アジア太平洋問題小委員会(委員長:Steve Chabot)で、2013年台湾政策法案 (H.R.419, Taiwan Policy Act of 2013)が可決。この後は下院外交委員会を経て、下院本会議で議決される必要がある。2013年台湾政策法案のトピックは、台湾が切望していたF16C/D×66機の売却が盛り込まれている点。既存のF-16A/Bのアップグレードも併せて既存戦力の強化が図られる。空軍戦力だけでなく海軍戦力の強化の為、米海軍を退役したOLIVER HAZARD PERRYクラス誘導ミサイルフリゲート艦USS TAYLOR(FFG-50)、USS GARY(FFG-51)、USS CARR(FFG-52)などミサイルフリゲートが台湾に向けて輸出が許可される。それと重要なのが、台湾の国際機関における台湾の加盟を可能とする記述がある点で、2つの中国を認めない北京に対する明確なメッセージが発せられており米国の戦略変更が見える法案だ。無事に上院まで通過する事を望む。

オバマ政権は,政権成立後、初めての台湾武器輸出決定を下し、2010年1月29日、パトリオットPAC-3ミサイル114発および関連システム、UH-60Mブラックホーク×60機、指揮統制システム、ハープーンミサイル12発、掃海艇2隻を含む総額2045億4400万元(約64億米ドル)相当の武器を台湾に売却する方針を決めた。翌2011年9月21日には、台湾空軍現用機145機のF-16A/B型の大幅アップグレードを認めている。但し、最新鋭のF-16C/Dの売却は見送られている。

台湾がF-16C/Dを切望する背景には、F-5E/F戦闘機の退役期限が迫っていること、経国号戦闘機の能力不足と、部品不足によるミラージュの稼働率が低下している事がある。少々古いが2010年4月に台湾の国会にあたる立法院で、葛熙熊空軍参謀長が戦闘機の稼動率について証言しており、経国号80%、ミラージュ79%、F-1670%、F-5E単座機78%、F-5F複座機がなんと26%と言う。証言から3年経過しているので、稼働率は更に低下しているだろう。特にF-5E/F 戦闘機の稼働率が低いことが最大の課題で、F-5E/Fを最新のF16C/Dに換装したい台湾の意向は良く理解出来る。しかし中国が黙っていないだろう。ロビー活動も活発化させるだろうし、様々な妨害活動を行うことは必然。でも米国の戦略変更が真実ならば、今回はF16を供与して台湾の空軍力強化を支援するだろうと思われる。今後の推移に注目だ。

もしF16C/Dが台湾に供与されないと、2025年には現用機F16A/Bで実戦投入出来るのは145機中80機程度と米台商業協会(US-Taiwan Business Council)が試算している。当然の事ながらF-5E/Fは全機が完全に引退し廃棄されているだろう。こうなると台湾海峡における空軍戦力のバランスが大きく崩れることになり、中国軍の優勢が確定する可能性を否定できない。

中国の海空戦力に対しては、日本と台湾が強調連携して長期的対処を行う事が欠かせない。勿論、中国の核戦力は無視できず、各種ミサイルの脅威、今後益々その潜在的脅威が増すと考えられるUAV戦力に両軍は対応できなければならない。中国軍のUAV戦略については、後日書いてみたい。

日本水準原点と標高“0”を繋ぐ、一等水準点「交無号」

2013年05月01日 | 日記
日本の標高の基準である東京湾平均海面(標高0m)と、国会議事堂前にあると言う日本水準原点の標高を決めた一等水準点「交無号」が近所にある。緯度35°40′20″.7936、経度139°47′01″.4012。

交無号から測量した結果、日本水準原点の標高は、東京湾平均海面(T.P.)24.5000m。その後、関東大震災でが発生した為、交無号から再測量が行われT.P.24.4140mとされている。因みに交無号の標高は3.2096m。

   

この重要な水準点については、国土地理院のホームページにも記載がある。
一等水準点「交無号」について~日本の標高決定は一等水準点「交無号」から始まった!~


今、一等水準点「交無号」は、新川二丁目越一婦人会の皆さんの手で綺麗な花々に囲まれています。

  

米韓原子力協定の今後 ~韓国のウラン濃縮と乾式再処理の可否~

2013年05月01日 | 日記
米韓原子力協定が2014年3月に期限切れとなるが、もし協定が満了する事になると韓国の原子力産業への影響は甚大だ。何故ならば協定が効力を失うことになると、米国から提供されている原子力関連機材と技術、ウラン原料の供給が一切中止される事態となる。米国が提供したウランの濃縮やウランが核分裂した後の使用済み核燃料も、米国の資産なので、現在の原子力を維持しようとする為には、米国の承認が是が非でも必要なのだ。韓国は今後原子力発電所を9基増やして32基までにする計画なので、計画自体が頓挫するし、アラブ首長国連邦(UAE)から受注した原発プロジェクトも中断・キャンセルされる。

米韓原子力協力協定は、1972年11月24日に署名、翌年1973年3月19日に発効し同協定の有効期間は30年だったが、発効から1年弱の1974年5月15日に協定改定され、有効期間が41年に延長された。この協定には自動延長の条項がもともとなく来年3月までに新しい米韓原子力協定が締結されないと失効する事になる。前述の通り韓国としては、これを絶対に阻止せねばならないが、米国は、朝鮮半島の非核化と核不拡散防止を盾に、韓国が要求するウラン濃縮と使用済み燃料再処理を認めていない。

韓国は、ウラン濃縮と使用済み核燃料再処理に枷のある米韓原子力協定の2年間延長することで米国と合意しているが、あくまでも韓国はウラン濃縮と再処理を求める為、朴槿恵大統領が、5月に訪米してオバマ大統領と原子力協定改定問題について話をする。韓国が求めている再処理方式は、日本と違って乾式処理だ。パイロプロセッシング法とも言うが、ピューレックス法と違いシンプルで安全性が高いと私見だが思う。この点で韓国の判断は間違っていない。

因みに六ヶ所村の再処理工場は世界で唯一、硝酸ウランと硝酸プルトニウムの混合溶液を電磁波加熱してウランとプルトニウムの混合酸化物を作る方式を採用している。フランスのラアーグや英国ウィンズケールなどの再処理工場では、プルトニウム硝酸溶液に蓚酸を添加し、蓚酸プルトニウムの沈殿を生成し、これをろ過&乾燥してプルトニウム酸化物(PuO2)の微粉末をつくるが、硝酸プルトニウムさえあれば、後はこのプルトニウム硝酸に弗化水素を加えて三価フッ化プルトニウム(PuF3)を生成し、次に金属溶融還元を施すと核兵器用金属プルトニウムが得られる。

過去ブログ参照→核武装とトリウム溶融塩炉

通常の再処理プロセスで出来るプルトニウム化合物は全て4価であり、核兵器用のプルトニウムは3価でなくてはならないが、3価のプルトニウムは、六カ所村の湿式再処理でなくてはならない。韓国が検討している乾式再処理ではプルトニウムが4価であり核不拡散性が六カ所より高い。つまり六カ所の再処理プロセスに手を加える事により3価のプルトニウムを生産可能なので、この点で韓国の主張には一理ある。
しかし、米国はゴールドスタンダード(再処理と濃縮の禁止)を緩和する事はないと思う。

米韓原子力協定に韓国政府が必死に改定を求める背景には日本同様の使用済み核燃料の問題がある。ほぼ保管施設が満杯になりつつあり、ウラン濃縮委託費も年間800億円と言う巨額に達している。それと宿敵日本には1988年の日米原子力協定で再処理が認められ、ウラン濃縮施設も建設されている。日本との違いは何だ?と言う感情が・・・これは原子力にとどまらない。実は韓米ミサイル協定によって、射程距離800km以上、弾頭重量500kg以上のロケットとミサイルを製造する事が韓国は出来ない。

韓国でウラン濃縮と使用済み核燃料再処理が許可される事になると、韓国の核武装化が大きく前進する事となる。これは北朝鮮崩壊を見据えた朝鮮半島の非核化が、大きく後退する事になるし、日本において、強硬な核武装論が出てくることは容易に想像出来る。

六カ所の湿式再処理を放棄し、韓国が検討している乾式再処理方式を日本も導入するべき。ただし核武装する気がなければの話。
個人的には再処理自体に反対。使用済み燃料専門の専焼炉を建設・運用し、短寿命化と減量化した廃棄物の乾式保管が、現在では最善の方法と考えている。この点からも原発政策は根本から見直しが必要です。