今日は夕方に、取材に出かけた。娘を「ガタロ」の稽古に送り届け、その足で、エスポワールに向かう。
白龍の女将さんに紹介されたFさんと会うのだ。
Fさんが、白龍に通い始めたのは、昭和42年。俺の生まれた翌年だ。足かけ40年以上も常連として通っているという。
県庁職員だった、Fさんは、やはり先輩に連れられて行ったというのだが、最初は現在の亀が池の上にお店があった頃らしい。
とにかく毎日通っていたというのだから、その中毒ぶりが伺える。そのFさんが、雫石の世界アルペンの担当となって、1ヶ月くらい現地に張り付いていたときは、禁断症状で苦しんだという(ちょっと誇張)。
戻ってきて、食べたときは「あーっこれよこれ!」と思ったらしい。
そんなFさんも、退職して花巻に住むようになってから、なかなか通えないので、たまに盛岡に来ると必ず寄るのだという。フルコースが決まっていて、もっきりで始まり、そのつまみに、きゅうりとねぎにじゃじゃ味噌をかけたもの、そこに酢とラー油とニンニクを混ぜて食べながら、じゃじゃ麺の出来上がるのを待つのだという。
こないだGちゃんとAちゃんの結婚を祝う会で久しぶりに会ったMが「いつか白龍のカウンターでビール飲みたい」などと言っていたのを思い出す。
これからもまだまだ取材は続く。
白龍の女将さんに紹介されたFさんと会うのだ。
Fさんが、白龍に通い始めたのは、昭和42年。俺の生まれた翌年だ。足かけ40年以上も常連として通っているという。
県庁職員だった、Fさんは、やはり先輩に連れられて行ったというのだが、最初は現在の亀が池の上にお店があった頃らしい。
とにかく毎日通っていたというのだから、その中毒ぶりが伺える。そのFさんが、雫石の世界アルペンの担当となって、1ヶ月くらい現地に張り付いていたときは、禁断症状で苦しんだという(ちょっと誇張)。
戻ってきて、食べたときは「あーっこれよこれ!」と思ったらしい。
そんなFさんも、退職して花巻に住むようになってから、なかなか通えないので、たまに盛岡に来ると必ず寄るのだという。フルコースが決まっていて、もっきりで始まり、そのつまみに、きゅうりとねぎにじゃじゃ味噌をかけたもの、そこに酢とラー油とニンニクを混ぜて食べながら、じゃじゃ麺の出来上がるのを待つのだという。
こないだGちゃんとAちゃんの結婚を祝う会で久しぶりに会ったMが「いつか白龍のカウンターでビール飲みたい」などと言っていたのを思い出す。
これからもまだまだ取材は続く。