前記事は、7月に書いた「ああ もう ほんとに」とかぶってますね
それは伏線だったのです
「大事にしないと(娘の私が)さびしいよ」
不愉快で仕方なかったその翌日
思ったような反応をしない私に一発見舞いたかったのか、またまた電話が来た
母:アンタねぇ なんでそんななん?なんかあるの?
(不安になったな)
私:え?なにをすればいいの?
母:いつも話し方きつい。「しんどいんでしょ!」とか。何か送ろうか?って言っても「いらない」とか
私:私たちが帰省するといつも「しんどい」「殺される」って言うのはお母さんじ ゃない 初めて荷物送ってもらったときだって、「重かった」「暑かった」「も う二度と送らない!」って言ったのはそっちよ
母:だってしんどいもん!
私:だからいらないって言ってるんですけど
母:もっと優しくね してくれたらいいのに
(出た!今日こそ言うぞ!!)
私:あなたが「大事にされている」と感じられないんだって!
なにをやっても「何もしてくれない」って言うでしょ
どんなことがあっても満足しない 感謝する心がないのはそっちだ
(ちゃんと言えたぞ!)
ここまでは冷静に言えて、やった!と思ったのだが、その後、詳細は忘れたけど、
お互いエキサイトしてしまった
そして、いつもの
「お父さんは短大でいいって言ったのに、4年制に行かせてやったのは私だ!!」
出た~~~
形勢悪くなると、この話を持ち出してきて、服従させようとする
しかもなんの脈略なし!大学って一体何年前の話だよっ!!!
この手口、卒業して20年以上、何度使われたことか!
「大学に行かせてもらった」
子供を二人、大学に出すのが大変なことは私だって理解している
なので「負い目」のように感じていたのだけど
いつも父が反対してたと言い張る母
今日こそ真実を言うぞ!
まずは私が大学進学する経緯を説明しよう
私が高校3年のとき、父が東京から地方へと転勤になった
なんと間の悪い!
受験生なのに!
私を置いていく案もあったが通っていた公立高校は寮もない
アパートで独り暮らしも危ない 受験べんきょうにも差し支える!
ということで、翌年には必ず東京の大学を受験させるという条件のもと、泣く泣く両親にくっついて転校させられた
そして、高3の夏休み。
我が家に一大事が起こった
たまたま帰省していた兄に、重篤な病気が見つかった
一時は「余命半年」とまで宣告されてしまった
幸い、良性なものだったので命に別状はなかったが、大手術をし、半年入院
母は病院につきっきりで、ほとんど家に帰ってこなかった
私は受験勉強と家事に追われていた
しかも、転校したおかげで、勉強のスケジュールは大幅に変更せざるを得なくなっていた
そういう状況の中、父は私を手元において置きたくなったのだろう
「地元の短大へ行け」と突然言ったのだった
その場ですぐ、私は
「話が違う!」「なんのために転校したんだ!」と抗議した
母も私の肩をもって、父を責めた
父はそのときがぎり、「短大にしろ」とは言わなかった
手術は成功したが、障害が残ってしまった兄
命はとりとめたものの、両親の落胆はひどかった
私も美味しいものを食べさせてあげようと、ちょくちょく食事を病院に運んでいた
それはそれは毎日忙しかった
*大学は推薦をもらって、秋の終わりに決定した
~~~~
私:その話だけどさ~
確かに、進路決めるときにお父さん「短大でいい!」って言い出したんだよね
お母さんも「何言ってるのよ!」って味方してくれた
でもね それ一回きりだよ
私が推薦決まったとき 翌朝、お父さんから置き手紙をもらったよ
手紙にはね
「アッちゃん 合格おめでとう。合格を知った昨日よりも、今日のほうがもっ と喜びがこみあげてます。お父さんは本当に嬉しい」
って書いてあった。お父さんは私が○○大へ行くことをすごく喜んでくれたよ
反対したのは一回だけ!お父さんは喜んでくれてました!!
母:手紙?え??(動揺)
大学出すの大変やってんよ!お父さん、買いたいもなんにも買えなかったん よ!
私:そうよ!だからお父さんのおかげよ
高い私大の授業料出してくれたのもお父さん!
アンタの言い方だと、まるでお父さんが4年間ずーーーっと「短大にしたらい いのに」って文句言ってたみたいじゃないのよ!!
ここでまだ「私のおかげだ」と叫ぶ母
私:私のおかげ 私のおかげってさーー!
稼いでたのはお父さんや!!!!
~母ものすごく悔しそうにする~
母:アンタね!お父さんと私に感謝しなくちゃいけないのよ!!!
私:話変わってるじゃないの
今までお父さんの「お」の字も聞いたことないよっ!!!!
母:そうかな?
ガクっ・・・・
でもまあ
かなり満足
おりしも、この日は父の命日前日
父の名誉のため!
という気持ちも強かった
痴話げんかみたいだけど、言えてよかった
いや、なぜちゃんと今まで言えなかったのだろう
大学出してもらったのは両親のおかげだから、強く出れなかった
その「負い目」をいいように利用されてきた
言ったら母が怒るから・・・
それが理由だ くだらない
母もまったくバカだ
こんな風に偉業を利用しなければ、一生感謝されるのに
こっそり持って帰ってきた父の遺骨にお香をあげ、報告した
「お父さんのおかげなのに。今まで言えなくてごめん」
それは伏線だったのです
「大事にしないと(娘の私が)さびしいよ」
不愉快で仕方なかったその翌日
思ったような反応をしない私に一発見舞いたかったのか、またまた電話が来た
母:アンタねぇ なんでそんななん?なんかあるの?
(不安になったな)
私:え?なにをすればいいの?
母:いつも話し方きつい。「しんどいんでしょ!」とか。何か送ろうか?って言っても「いらない」とか
私:私たちが帰省するといつも「しんどい」「殺される」って言うのはお母さんじ ゃない 初めて荷物送ってもらったときだって、「重かった」「暑かった」「も う二度と送らない!」って言ったのはそっちよ
母:だってしんどいもん!
私:だからいらないって言ってるんですけど
母:もっと優しくね してくれたらいいのに
(出た!今日こそ言うぞ!!)
私:あなたが「大事にされている」と感じられないんだって!
なにをやっても「何もしてくれない」って言うでしょ
どんなことがあっても満足しない 感謝する心がないのはそっちだ
(ちゃんと言えたぞ!)
ここまでは冷静に言えて、やった!と思ったのだが、その後、詳細は忘れたけど、
お互いエキサイトしてしまった
そして、いつもの
「お父さんは短大でいいって言ったのに、4年制に行かせてやったのは私だ!!」
出た~~~
形勢悪くなると、この話を持ち出してきて、服従させようとする
しかもなんの脈略なし!大学って一体何年前の話だよっ!!!
この手口、卒業して20年以上、何度使われたことか!
「大学に行かせてもらった」
子供を二人、大学に出すのが大変なことは私だって理解している
なので「負い目」のように感じていたのだけど
いつも父が反対してたと言い張る母
今日こそ真実を言うぞ!
まずは私が大学進学する経緯を説明しよう
私が高校3年のとき、父が東京から地方へと転勤になった
なんと間の悪い!
受験生なのに!
私を置いていく案もあったが通っていた公立高校は寮もない
アパートで独り暮らしも危ない 受験べんきょうにも差し支える!
ということで、翌年には必ず東京の大学を受験させるという条件のもと、泣く泣く両親にくっついて転校させられた
そして、高3の夏休み。
我が家に一大事が起こった
たまたま帰省していた兄に、重篤な病気が見つかった
一時は「余命半年」とまで宣告されてしまった
幸い、良性なものだったので命に別状はなかったが、大手術をし、半年入院
母は病院につきっきりで、ほとんど家に帰ってこなかった
私は受験勉強と家事に追われていた
しかも、転校したおかげで、勉強のスケジュールは大幅に変更せざるを得なくなっていた
そういう状況の中、父は私を手元において置きたくなったのだろう
「地元の短大へ行け」と突然言ったのだった
その場ですぐ、私は
「話が違う!」「なんのために転校したんだ!」と抗議した
母も私の肩をもって、父を責めた
父はそのときがぎり、「短大にしろ」とは言わなかった
手術は成功したが、障害が残ってしまった兄
命はとりとめたものの、両親の落胆はひどかった
私も美味しいものを食べさせてあげようと、ちょくちょく食事を病院に運んでいた
それはそれは毎日忙しかった
*大学は推薦をもらって、秋の終わりに決定した
~~~~
私:その話だけどさ~
確かに、進路決めるときにお父さん「短大でいい!」って言い出したんだよね
お母さんも「何言ってるのよ!」って味方してくれた
でもね それ一回きりだよ
私が推薦決まったとき 翌朝、お父さんから置き手紙をもらったよ
手紙にはね
「アッちゃん 合格おめでとう。合格を知った昨日よりも、今日のほうがもっ と喜びがこみあげてます。お父さんは本当に嬉しい」
って書いてあった。お父さんは私が○○大へ行くことをすごく喜んでくれたよ
反対したのは一回だけ!お父さんは喜んでくれてました!!
母:手紙?え??(動揺)
大学出すの大変やってんよ!お父さん、買いたいもなんにも買えなかったん よ!
私:そうよ!だからお父さんのおかげよ
高い私大の授業料出してくれたのもお父さん!
アンタの言い方だと、まるでお父さんが4年間ずーーーっと「短大にしたらい いのに」って文句言ってたみたいじゃないのよ!!
ここでまだ「私のおかげだ」と叫ぶ母
私:私のおかげ 私のおかげってさーー!
稼いでたのはお父さんや!!!!
~母ものすごく悔しそうにする~
母:アンタね!お父さんと私に感謝しなくちゃいけないのよ!!!
私:話変わってるじゃないの
今までお父さんの「お」の字も聞いたことないよっ!!!!
母:そうかな?
ガクっ・・・・
でもまあ
かなり満足
おりしも、この日は父の命日前日
父の名誉のため!
という気持ちも強かった
痴話げんかみたいだけど、言えてよかった
いや、なぜちゃんと今まで言えなかったのだろう
大学出してもらったのは両親のおかげだから、強く出れなかった
その「負い目」をいいように利用されてきた
言ったら母が怒るから・・・
それが理由だ くだらない
母もまったくバカだ
こんな風に偉業を利用しなければ、一生感謝されるのに
こっそり持って帰ってきた父の遺骨にお香をあげ、報告した
「お父さんのおかげなのに。今まで言えなくてごめん」