最近は母から電話がないので彼女に惑わされることがなく、平和な日が続いている(苦笑)
落ち着いて母を分析する時間もあるというものだ(苦笑×2)
自己投影
本からざっと得た知識だが、自分悪いところ、嫌なところを他人を利用して映し出す行為のこと
たとえば
ボーダーが「オマエはすぐに嘘をつく」と言ったとすると、それは本人がすぐに嘘をつくという自分の悪癖に向き合えず、他者に押し付けて自分を救うというやり方
これは何度もやられたことがある
私がまだ幼かった頃さえも、母は自己投影を私にしていた
たとえば、母からいつも言われていたのが、
「アッちゃんは勝気だから!」
その程度なら、どこの家庭にもあるだろう
○○はおとなしいから ○○は気が小さいから など。
ところが、母の場合は、出来事を他者(たとえば父)に説明するときに
「アッちゃんは勝気だから」を入れるのだ
たとえば、近所で揉め事があって、母自身が悔しい思いをしたときに
父に
「アッちゃん 勝気やし、○○さんのこと怒ってた。もっと××したらいいのにお母さん!って言ってた」
というやり方。
実際、ちょっとばかし怒っていたかもしれないが、後半は作り話である
こんな話は数え切れないほどあった。
「アっちゃん 勝気やし○○さんのこと××って言ってた」
「アッちゃん 勝気やし△△さんに××したいって」
なんのことはない。
「アッちゃん」のところを「ワタシ」に変えればいいわけ。
怒って、仕返ししたいのはアッちゃんではなく、母なのだから
これを言われると、私はいつも怒っていた
すると、また言うのだ
「ほ~ら そんなに怒って。やっぱ勝気やし!」
このやり方は私が一番多く使われたと思うが、時には兄の名前も出てきた
「○○さんのこと、オニイチャン、珍しく興奮して怒ってる」
と、私に。
見えないところ、聞いてないところでやられてると思うとぞっとする。
第三者の名前を使ったりしていることだろう
正々堂々と自分が怒っている理由を述べればいいものを。
こういうことになると、逃げたくなるのだろうか
以前、大バトルのとき
私が母のことを批判し、かなり核心をついたら、金きり声で反論してきた
アンタもするじゃない!
アンタも言うじゃない!
なにか言うたびに「アンタも」「アンタも」「アンタも」
じゃなにか?
私がしてたら、自分もしていい
光栄にも私は母の行動を決めるバイブルにでもなっているのか?笑
しかも「も」ってことは自分は過ちを犯していると自覚があるってこと?
母の「アンタも!」は無視してしゃべり続けたが、次回はちゃんと言わなければならないと思っている
「私もしているかどうかは、後で。今はアナタのことを話しています。矛先を変えないでください。」
これまでだと
「アンタも!」といわれたら
「え?私はやってないよ」
「い~や やってる!」
「いつやったっていうのよ」
とループにはまって行き、ただの痴話ケンカになってしまっていたから。
自分と向き合えない、向き合うのが恐怖ですらあるモラ
母のパニックぶりをみると、自分がモラハラしていることに、全く自覚がないわけではないのだと思えるのだ
これでまた母は私を警戒したようでもある
落ち着いて母を分析する時間もあるというものだ(苦笑×2)
自己投影
本からざっと得た知識だが、自分悪いところ、嫌なところを他人を利用して映し出す行為のこと
たとえば
ボーダーが「オマエはすぐに嘘をつく」と言ったとすると、それは本人がすぐに嘘をつくという自分の悪癖に向き合えず、他者に押し付けて自分を救うというやり方
これは何度もやられたことがある
私がまだ幼かった頃さえも、母は自己投影を私にしていた
たとえば、母からいつも言われていたのが、
「アッちゃんは勝気だから!」
その程度なら、どこの家庭にもあるだろう
○○はおとなしいから ○○は気が小さいから など。
ところが、母の場合は、出来事を他者(たとえば父)に説明するときに
「アッちゃんは勝気だから」を入れるのだ
たとえば、近所で揉め事があって、母自身が悔しい思いをしたときに
父に
「アッちゃん 勝気やし、○○さんのこと怒ってた。もっと××したらいいのにお母さん!って言ってた」
というやり方。
実際、ちょっとばかし怒っていたかもしれないが、後半は作り話である
こんな話は数え切れないほどあった。
「アっちゃん 勝気やし○○さんのこと××って言ってた」
「アッちゃん 勝気やし△△さんに××したいって」
なんのことはない。
「アッちゃん」のところを「ワタシ」に変えればいいわけ。
怒って、仕返ししたいのはアッちゃんではなく、母なのだから
これを言われると、私はいつも怒っていた
すると、また言うのだ
「ほ~ら そんなに怒って。やっぱ勝気やし!」
このやり方は私が一番多く使われたと思うが、時には兄の名前も出てきた
「○○さんのこと、オニイチャン、珍しく興奮して怒ってる」
と、私に。
見えないところ、聞いてないところでやられてると思うとぞっとする。
第三者の名前を使ったりしていることだろう
正々堂々と自分が怒っている理由を述べればいいものを。
こういうことになると、逃げたくなるのだろうか
以前、大バトルのとき
私が母のことを批判し、かなり核心をついたら、金きり声で反論してきた
アンタもするじゃない!
アンタも言うじゃない!
なにか言うたびに「アンタも」「アンタも」「アンタも」
じゃなにか?
私がしてたら、自分もしていい
光栄にも私は母の行動を決めるバイブルにでもなっているのか?笑
しかも「も」ってことは自分は過ちを犯していると自覚があるってこと?
母の「アンタも!」は無視してしゃべり続けたが、次回はちゃんと言わなければならないと思っている
「私もしているかどうかは、後で。今はアナタのことを話しています。矛先を変えないでください。」
これまでだと
「アンタも!」といわれたら
「え?私はやってないよ」
「い~や やってる!」
「いつやったっていうのよ」
とループにはまって行き、ただの痴話ケンカになってしまっていたから。
自分と向き合えない、向き合うのが恐怖ですらあるモラ
母のパニックぶりをみると、自分がモラハラしていることに、全く自覚がないわけではないのだと思えるのだ
これでまた母は私を警戒したようでもある