実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

帰省

2008-06-02 | 母と私の現在
実家に帰りたくなくなったのはいつの頃からだろうか・・・

記憶を紐解いてみた

1年に1度くらいしか帰ることのない場所だったけど、20代の頃は、それなりに楽しみだったと思う
その頃は、母もまだ若くて自分の楽しみも持っていたのだろう


だんだん苦痛になっていったのは、私に子供が産まれてからだと思う

まず、妊娠中
子供を授かったことを喜んではくれたが、うんざりすることばかりだった
母の実家があるところは、結婚、出産などに関して、ものすごくしきたりや体裁がうるさく、派手にお祝いをやる土地柄。
その頃、私は東京に住んでいて、里帰り出産をするつもりでいた

いつもの電話口撃
母の電話は産まれてくる子供を楽しみにする内容ではなく、
里帰り出産したら、娘と孫の世話をする自分がどんなに大変で苦労するかをくどくどと説く内容ばかりだった

まだ産まれてもいないのにヒステリックな口調で「大変ねんて~!!」を連発され、初めての出産でわけがわからない私はなにも言うことができなかった
私が無知なことは、母にとって都合よく、言いたい放題するのに絶好の機会だったのだと思う

それにしても母の反応は普通ではなかったと思う
かわいい孫のためにベビー用品を用意するのではなく
「これを買わないと近所のひとが見に来たときに恥ずかしい」
「この程度だと娘の嫁ぎ先からバカにされるのではないか」
「あの人たち(私の嫁ぎ先の両親)に私の苦労なんてわかるはずがない」

しまいには、婿が来たときの夕飯のメニューまで気にするしまつだった
これには呆れた。
自分は孫と娘の世話で手一杯で、婿の夕飯までちゃんと作ることはできない。簡単なものしか作らない。だから今のうちにそのことを私の夫に納得するよう言っておけとかなんとか言われたと思う
言わなかったら、私を責めた

ほとほと嫌になり、兄嫁に愚痴ったのを覚えている
彼女は母のことは悪く言わず、黙ってニコニコ聞いてくれた


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臨月が近づいたころ、私の容態が急変し、緊急入院するはめになった。
里帰り出産はできなくなり、今までかかっていた在京の病院で出産することになった


仕方がないので母は2、3週間ほどの予定で、私の家に手伝いに来ることになった。

母が手伝いに来ていた当時のことは嫌な記憶ばかりだ


家事を手伝ってくれるのはありがたいのだが
私のやることなすこと、台所用品にいたる細々としたことまで文句を言われた

耐熱性のガラスボウルが重いと言って
「この家は!年寄りに持てない重たいものばっかり!!!!」と金切り声

仲良くしていた同じマンションのひとに偶然廊下で会い、出産の祝福をうけたので
少しばかり立ち話をしたら、家の中から廊下まで響き渡るような声で
「アッちゃん!!!!!」とよびつけた。
電子レンジの使い方がわからないと言って殺気だっていた。
私が楽しく友達と話しているのが気に食わなかったのは言うまでもない


生まれたての赤ん坊の世話はそれはそれは大変で、母の言った
「大変ねんて~」の意味はよくわかった

でも、母は赤ん坊が泣き止まないと言っては怒り
自分が経験したことのないことを赤ん坊がすると
「こんな子見たことない!」と怒っていた
それはとっても些細なこと。
オムツを交換するときに、よくオシッコがピューっと出ることが数回あった。
私も兄も赤ん坊の頃、そういうことが少なかったため
「こんなことする子見たことない なんて子なんだ」になった



手伝いの間
母は本当におかしかった

赤ん坊が寝なかったり、泣き止まなかったり、大変なことがあると
「兄ちゃんが大変で 兄ちゃんが大変で」と兄の赤ん坊の頃の苦労話ばかり
目の前にいる私の息子は主語じゃない。

忙しい毎日なので、食事は私と交代で食べる状態だったが、自分が食べてるときに赤ん坊が泣いているのが我慢できない、泣かせないようにしろ!と怒った
泣き声を聞くと、しんどかった育児を思い出してしんどくてたまらなくなるのだと言っていた

今にして思えば、これはキーワードだ


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そして忘れられない事件が起こった


出産直後は母が赤ん坊を風呂に入れてくれていたのだが、
初めて私が入れてみることになった


初めての経験で緊張しながらの赤ん坊との入浴
息子はひたすら大泣きしていた


入浴後、赤ん坊を私の手からひきとった母は
プンプンしながら

「どうしてママが一生懸命入れてるってのに泣くのよ!!!!!」

そう怒鳴りながら息子の頭を叩いた



息子は生後2週間



私はやめて!!!と叫ぶんだ


「こうすれば赤ん坊だってわかるって」




翌日くらいにも、再び息子の頭を叩こうとしたとき
やめてよ!!!と私は言った
それでも母は叩いた 叩かないと気がすまなかったのだ


私はそのときに
母に帰ってくれと言うべきだった


言わなかったことを本当に本当に後悔している




「手伝いに来てやっている」
「赤ん坊のことなんてアンタはわからないだろ?」
「ほら、こうやって私がいないと赤ん坊産むことだってできないんだってば」


惑わされ、コントロールされすぎていた



母は「出産で大変な娘を助けてやっている」ことをちゃんと武器に使って、
私を牛耳ろうとしていた
私の立場が弱いとしっかり把握していたのだ

バカだった・・・・


母は生後2週間の赤ちゃんに手を上げたなんてこと、都合よく忘れている


そのときに確信した

母は私たちをこうやって虐待しながら育てたんだと。