2004年7月9日(金) 晴れ
いよいよ東京に帰る日になってしまった。いつも山旅の終わりはあっけなくやってくる。朝方雨が少し残っていたが、宿を出る頃には、雲も切れ、明るくなっている。
8:00礼文の宿をチェックアウトした。土産物屋さんを覗いて、フェリーに乗船する。10:30頃には稚内に舞い戻った。天候は完全に回復し、晴れ。山の神とロープウエイで稚内公園に上がり、氷雪の門、9人の乙女の碑を見る。戦時中樺太の悲劇を刻んだ碑だ。飛行機の時間までは、観光に徹していた。
時間が12:00を回って慌しくなった。昼食をとって、空港行きのバスの時間に間に合わせなければと、フェリー乗り場あたりの定食屋で¥800くらいの定食を頼んだのだが、これが大失敗だった。ただの幕の内で、しかもまずかった。最後の北海道のメシがこれとはね。慌しく食べて、バス停に行くと、フェリーの中で見た時刻表とは違っていた。これぞ田舎。出発時間は20分も後だった。なあんだと山の神と愚痴の嵐となる。それなら、駅裏の市場とか、もうちょっとお店を吟味して、おいしいものを探したのにねえと。
島内で使ったガスカートリッジは、飛行機には持ち込めないので処分し、空港へと向かう。稚内発15:05のANAに乗りこみ、あっという間に羽田に着いてしまった。行きの寝台列車北斗星は旅情たっぷりだったが、飛行機はあまりにあっけない。
利尻・礼文の島旅を振り返ってみると、まず天候に泣かされたことが一番印象に残っている。なにせ最も期待していた利尻山山頂は雨の中だったから、展望ゼロ。晴れていれば、周囲360度が海の大展望が見られたわけだ。また行かなくちゃと思うのだが、山の神のテンションは低い。
しかし、再訪するにしても、この島の宿のサービスはどうにかならんのかと思う。サービス精神は限りなくゼロに近い。宿にチェックインし、部屋に入ると、いきなり窓を修理に来ましたと地元の業者の方がずかずかと部屋の中に入ってきて、がちゃがちゃと何か取り付けていったし(客を入れる前にやるものではないのか)、食事中にビールを頼むと、ビンを目の前に置いていくだけ。栓抜きもらえますかと訊くと、どっかその辺にあるよと言われる。明日の弁当を作ってもらえますかとお願いすると、できませんと即答。お弁当なんて作ったことないわといわれる。でも、だれかのブログで弁当をつくってもらったと読んだよなと、おにぎり程度でいいんですけどと改めてお願いすると、ああ、おにぎりねと。あっさりOKが出た。例はこのくらいにするけど、とにかく接客しているという感覚が欠落している。営業努力なしで、いくらでもお客が来るからだろうね。それだけ、ここの島は自然の魅力を抱えているということだ。でも、訪問者は皆、もっと快適に過ごしたいはずなんだよねえ。
参考:稚内観光協会
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