寝釈迦 標高約1,200m 群馬県
2015年5月4日(月・祝) 晴れ
メンバー 山の神と私
コースタイム 7:20塔ノ沢登山口駐車場7:33--8:30寝釈迦8:57--9:33塔ノ沢登山口駐車場
昨晩は、疲れと水割りが効いたのか早々と寝入ってしまった。そして翌朝5:00にはもう目がぱっちり開いてしまって起き出したのだが、山の中のテント場とは違って、ここ銀山平キャンプ場は、ゆっくりと時間が流れている。外に出ている人はまだちらほらだった。そのうちどんよりとした雲から急にポツポツと雨が落ちてきた。もしやずっと? 予報では曇りだったはずなのに。参ったなといいながらテントにもぐりこみ、山の神と私は朝食の準備にとりかかった。
昨日コンビニで調達していた惣菜パンをスープで胃の腑に流し込んだ。人心地ついてテントをたたむ段になると、雨は完全に上がって雲は切れ、なんとか今日はもちそうな気配になる。よかった、よかった。
左:塔ノ沢登山口の駐車場。さらに手前に4台くらいのスペースがある 右:塔ノ沢登山口
6:50銀山平キャンプ場を後にした。国道に出るまでの林道で野生のニホンザルの群れに出くわし、この辺りは日光なみに多いのかと思っていると、国道122号ではもっとすごいのを見てしまった。渡良瀬渓谷を横切るように張られた電話線と電線、その上をニホンザルのお母さんが小さな子どもを背負って、こちら岸に向かって歩いて来るではないか。いつも渡ってますふうで、車で通過するわれわれにまったく動じることもなく、一瞥をくれただけだった。
ニホンザルの綱渡りを見たあと、国道122号をそのまま南下。昨夕下ってきた林道へと入り、分岐を塔ノ沢登山口へと右折した。7:20駐車場に着いてみると、がらんとしていた。やはりこちらのコースは、距離が長いので、敬遠されているようだ。というよりも今日の天気予報が曇りのせいだろうか。トイレに寄って、山の神とともに出発する。銀山平で雨を降らせていた雲が嘘のように切れ切れになり、日が差してきた。
急傾斜の林道を進み、巨岩が聳え立つ広い空間に出た。行く手の沢には橋が渡してあり、寝釈迦入口とデカデカと標示されている。いよいよ本格的な登山道に入っていく。切り立った巨石を左右に見ながらの登高が始まった。
左:寝釈迦像のいわれを書いた案内板 右:寝釈迦のご尊顔
木漏れ日がきれいな沢沿いの登山道を進んでいく。寝釈迦まで1時間ほどだと知っていると、そのたった1時間がなかなか進まないもので、まだか、まだかと山の神と連呼しながら歩いていた。
8:30ようやく目的地の寝釈迦に着いた。これだけ有名な割には、いつの時代に誰がつくったかは不明だという。江戸時代、足尾銅山で亡くなった人の供養のために彫られたというのが有力な説らしい。
頭部から足元までを切り取ってみました
山の神は、巨大な寝釈迦を想像していたらしく、こんなに小さいのかと落胆していたようだったが、私は最初からこんなものだろうとは予想していた。何事にも過剰な期待はよろしからぬようで、、、
左:これからもう一輪咲くニリンソウ?(笑) 右:ミヤマキンバイ
25分くらいは寝釈迦付近で休憩して過ごし、そののち下山に入る。空を見上げると青空が覗き、もう天気の心配は無用のようだ。復路は、お花の撮影に精を出した。登り時に花弁を閉じていて、パッと見でスミレかと勘違いしたニリンソウ(に見えるが1輪しか咲いていない)は、元気よく花を開いていた(左上)。時折黄色い花が出てきて、何だろうとよく見るとキンバイ(右上)だった。タチツボスミレ(左下)もあちこちで花を咲かせていた。
左:タチツボスミレ 右:木漏れ日がきれいな渓谷沿いの道
下山中、こちらの塔ノ沢コースは袈裟丸山頂まで長いので、誰にも会わないだろうと山の神と話していたのだが、まったくそんなことはなかった。単独行の若者、2人組の年配者、そして家族連れと年配の夫婦らとすれ違った。登山口近くですれ違った人たちは、われわれ同様、寝釈迦見物が目的だった。われわれ以外にもそんな方がいるとは、想像していなかった。
9:33下山。駐車場にはオフロードバイクの方々がいた。そしてこれから登ろうという単独行の方。それぞれがそれぞれの目的でここに来ている。もしかしたら、渓流釣りの人もいたのかもしれない。
帰途富弘美術館横の旅の駅で一服する。そこからどこにも寄らずにまっすぐ家路を急いだのだが、北関東道で事故渋滞に巻き込まれてしまった。渋滞にはまらずに帰る予定だったのに、そうそう思うようにはいかないものだ。