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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

父の思い出

2009-09-18 01:39:12 | Weblog
 テレビの中継で彼岸直前に「”ヒガンバナ”が一斉に咲きました」という映像がありました。
 それは確か北海道か東北方面だったと思いますが、住民が山林の手入れをしながらヒガンバナの球根を植えて行った結果だそうです。
 赤い花が一面に咲く光景は印象的。
  そう言えば埼玉にもこういうところがあった筈。
 規模は全く違いますが、私の住んでいる町の歩道の街路樹の根元にもヒガンバナの球根が植えてあったらしい。
 それがこの時期に一斉に花開いていました。
  土曜日にもそこを通ったのに全く気がつきませんでしたが、ほんの数日の間に一斉に花茎が伸びて、花が開いたようです。
 まさにお彼岸の時期に花開く。
  供養の花のようでもあり、お彼岸を忘れないように咲くようでもあります。

 お彼岸を忘れないようにというサインは私にとって大事です・・・両親についてお盆の墓参りなど頭から飛んでしまう”親不孝者”です。
 尤も憶えていれば必ず墓参すると言うことも言えないかも・・・
  まあ「行く行かないでは無くて、思い出など、個人をしのぶことが大事」だと開き直っていますが、兄弟たちも「末っ子はそんなもの」「5人も子供がいれば、一人くらい少なくても大丈夫」くらいに思われています。
  マア、そう言う感じと言うか、家族・家庭に仏事的行事が無かったということも影響がありますねきっと。
 それは母方の親戚とか、知り合いのところでのお葬式や仏事的な事はあるにしても、自分の育った家の中では一切無かったのですから。
 お盆にしても近所の友達の家の仏壇のお供えなどにお菓子や果物があると羨ましかったくらいですから・・・
 神棚しかない家でした。
 父は次男でもあるし家族で全員健康でしたから仏壇も位牌も無い。
 ですから両親が亡くなって初めて肉親の葬儀でお寺に行った。
  それはお墓の場所を借りるためには、そうせざるを得ないという事で、檀家でも仏教信徒でもないのに仏式のお葬式でした・・・私にとっては何だか違和感があったのですが、他の兄弟たちは「そういうもの」くらいに考えていたようです。

 方便としての葬儀にはなんとなく反発を感じたのですが、どうやら心理的に心の底の方では未だに尾を引いている感じがします。
 「自分の時」は絶対に近所の神社でお願いするように遺言を残さなくては・・・そこは「浅間」さん系なので、マア好いでしょう。
 もし無理ならば完全に無宗教形式の「さよならパーティ」だけで十分。
  などとお彼岸・お盆の時期は自分に再確認します。

 ところでTVで西伊豆の海に潜る番組がありました。
  戸田(ヘタ)って今では沼津市なんですね・・・高校生の頃ヒッチハイクで伊豆での第一夜、ここの海岸に放置されていた廃船の中で一晩泊ったことがありますが、今でも戸田町だと思っていました。
 それはともかく、駿河湾の深海ネタの寿司が番組に出て来ました。
  きっとおいしいだろうなと映像を見ましたが・・伊豆西海岸」というキーワードで亡くなった父を思い出しました。
 マア、父の時代はタカアシガニが深海系と言うことは分かっていても、深海魚は寿司ネタにはしなかったでしょうが。
 でもきっとここには来ている筈なんです。
  駿河湾を挟んで清水から伊豆西海岸には一日3,4便の定期船があったので、時折、日曜日で天気が良いと父が突然「ちょっと出かけて来る」と言って出掛けたのが西伊豆でした。
 具体的な地名などは言ったことはありませんが、普通に考えれば「戸田」「土肥」「松崎」の何処かの筈。
 月に一度かふた月に一度くらいでしたが、家族・知人は誰も連れて行きませんからそこで何をしていたのかは本人も言わないし誰も分かりません。
 でも想像では、どこか名所旧跡は見るにせよ必ず「海の近くの海鮮料理の店で一杯やっている」筈だとは思ってはいました。
  マア、カウンター越しにお酌をしてもらうような店があったかどうか?・・・そこは謎ですが、謎があっても面白いですね。
 きっとこのTV番組に出て来るような店に寄っていたのでしょう。
  家に帰ってきた時の父はいつもお酒の匂いがしたし・・・
 片道1、2時間の船での小旅行でリフレッシュしていたのかも知れません。

  こういう謎・ミニ伝説を大事にして時々父を思い出しているのは親不孝代表の末っ子の私だけみたい・・・勝手に楽しんでいるようなものですが、さて、お彼岸に父の事を思い出す「供養」になったかならないか・・・。