伝説と言えば先日大リーグ新記録を達成したイチロー選手ですね・・・生きている伝説と言うか、将来必ず伝説の人になるハズ。
いや、イチローに関しては勝手に「伝説の場面」を経験している。
それはまだ家の息子が小学生で、当時は野球少年だった時代。
地元のプロチームの少年向けのサービスみたいなもので、野球場の入場料が割引(子供だけ)だったり、今日場内のお店でのサービス券があったので、よくマリンスタジアムに観戦に行ったものです。
自転車で30分ですから、ナイターは夕涼み代わりですね・・・事実外野スタンドなどは近くの会社のサラリーマン・OL等のビアガーデンみたいな事も有りました。
私たち親子は、地元チームの応援でもなく特定のチームの応援もしないので、単に空いているという理由でたいていはレフトの外野席でした。
でも、イチローが来るオリックス戦だけは別。
彼の守備位置に近いライト側に移動します。
さて、そこでミニ伝説的な場面に出会いました。
「普通、ライト側はホームチームの応援団が占めていますから、ここでビジターの応援など出来る筈がありません。もししたければそれなりの覚悟が必要かと思います。ところがイチローだけは特別でした。マア言ってみればミーハーでしょうが、若い女の子たちがライト側の応援席に居て、黄色い声で”イチロー”コール。全く応援団など眼中にない・・・無知と言うか、人のことなど気にしない。
これには普段ならコワイ応援団の叔父さんもお兄さんも呆れ顔・諦め顔。「しょうがんない娘っ子」だと笑って見逃すしかなかったようです。」
こういうのも小さな伝説的シーンだと思うのです。
世界のイチローが日本でプレイしていた時代の伝説です。
ところで、伝説と言えば私だって伝説の人になる筈だった・・・かも知れない。
かなりローカルな世界ですが・・・
ある冬の日・・・所謂インディアンサマーみたいに穏やかな日に下宿から裸足にサンダル、Yシャツにカーデガンスタイルでいつもの店に行きました。
マア、いつもの雀荘ですが・・・
当時は麻雀人口が多かった筈で学生も愛好家が多かった・・・これには大きく分けて二つのグループがありました。
一つは同じ学科とかクラブの仲間同士でしか遊ばないグループで、もう一つはそういう垣根を越えて顔見知りの4人が集まれば遊ぶ感じ・・・私は後ろのグループでしたので、ともかく暇な時は一人でブラッと雀荘に行くのです。
さてその日も丁度4人集まったので直ぐに試合開始・・・これが、誰か用事で抜けるとすぐに誰かが代わりに入るので試合に切れ目が出来ない。
途中経過は省くとして、試合時間はトータル72時間・・・つまり3昼夜眠らずに・・・
最後は背中を冷や汗が流れる自覚・・・何故か涙が止まらないので目じりがただれて来る・・・顔色が蒼くなっているのが自分でもわかる。
ドクターストップならぬ雀荘の婆のストップがかかりました「アンタ死ぬよ!」
歩いて15分の下宿への道のりが長かった。
来る時は小春日和だったのが、帰り道には雪が積もっていました・・・そこを裸足にサンダル。
麻雀の腕はともかく、でたらめな性格と無茶苦茶な行動では当時伝説的な学生になりかかっていましたが(?)・・・麻雀はすっかり廃れ、今ではその学生街に雀荘は一軒も見当たりません。
「ムムッ!これでは伝説を語り継ぐ人が居ない!」
そこがイチローとは決定的に違う。
いや、イチローに関しては勝手に「伝説の場面」を経験している。
それはまだ家の息子が小学生で、当時は野球少年だった時代。
地元のプロチームの少年向けのサービスみたいなもので、野球場の入場料が割引(子供だけ)だったり、今日場内のお店でのサービス券があったので、よくマリンスタジアムに観戦に行ったものです。
自転車で30分ですから、ナイターは夕涼み代わりですね・・・事実外野スタンドなどは近くの会社のサラリーマン・OL等のビアガーデンみたいな事も有りました。
私たち親子は、地元チームの応援でもなく特定のチームの応援もしないので、単に空いているという理由でたいていはレフトの外野席でした。
でも、イチローが来るオリックス戦だけは別。
彼の守備位置に近いライト側に移動します。
さて、そこでミニ伝説的な場面に出会いました。
「普通、ライト側はホームチームの応援団が占めていますから、ここでビジターの応援など出来る筈がありません。もししたければそれなりの覚悟が必要かと思います。ところがイチローだけは特別でした。マア言ってみればミーハーでしょうが、若い女の子たちがライト側の応援席に居て、黄色い声で”イチロー”コール。全く応援団など眼中にない・・・無知と言うか、人のことなど気にしない。
これには普段ならコワイ応援団の叔父さんもお兄さんも呆れ顔・諦め顔。「しょうがんない娘っ子」だと笑って見逃すしかなかったようです。」
こういうのも小さな伝説的シーンだと思うのです。
世界のイチローが日本でプレイしていた時代の伝説です。
ところで、伝説と言えば私だって伝説の人になる筈だった・・・かも知れない。
かなりローカルな世界ですが・・・
ある冬の日・・・所謂インディアンサマーみたいに穏やかな日に下宿から裸足にサンダル、Yシャツにカーデガンスタイルでいつもの店に行きました。
マア、いつもの雀荘ですが・・・
当時は麻雀人口が多かった筈で学生も愛好家が多かった・・・これには大きく分けて二つのグループがありました。
一つは同じ学科とかクラブの仲間同士でしか遊ばないグループで、もう一つはそういう垣根を越えて顔見知りの4人が集まれば遊ぶ感じ・・・私は後ろのグループでしたので、ともかく暇な時は一人でブラッと雀荘に行くのです。
さてその日も丁度4人集まったので直ぐに試合開始・・・これが、誰か用事で抜けるとすぐに誰かが代わりに入るので試合に切れ目が出来ない。
途中経過は省くとして、試合時間はトータル72時間・・・つまり3昼夜眠らずに・・・
最後は背中を冷や汗が流れる自覚・・・何故か涙が止まらないので目じりがただれて来る・・・顔色が蒼くなっているのが自分でもわかる。
ドクターストップならぬ雀荘の婆のストップがかかりました「アンタ死ぬよ!」
歩いて15分の下宿への道のりが長かった。
来る時は小春日和だったのが、帰り道には雪が積もっていました・・・そこを裸足にサンダル。
麻雀の腕はともかく、でたらめな性格と無茶苦茶な行動では当時伝説的な学生になりかかっていましたが(?)・・・麻雀はすっかり廃れ、今ではその学生街に雀荘は一軒も見当たりません。
「ムムッ!これでは伝説を語り継ぐ人が居ない!」
そこがイチローとは決定的に違う。