昨日の父の思い出話は私にとっては殆ど伝説みたいなものですが、他の兄弟たちにとっては多分記憶の隅の方にあるか無いかわからないくらいの話だろうと思う。
同じ兄弟でも年齢差だけ父との付き合いの時間が違うだろうし、父とかかわった時代とかお互いの年齢によって起こり得るエピソードにも違いがあるかも知れない。
そういう意味では私にとって思い出の一枚と言える写真がありました。
私がエプロン姿でゴム付きの白いロングパンツみたいなものを穿いて写っている写真(歩き始めた頃)ですが、その背景に家の薄暗い勝手口で父が剃刀を振り上げている姿が写っている・・・。
まさか本気で威嚇?で剃刀を振り回しているわけではないでしょう・・・多分写真の背景に髭そり中の姿が写ることに気がついてストップをかけた瞬間だったとは想像は出来るけれど、この写真だけを見せて父に吹き出しをつけて台詞を考えたら結構面白い場面だとは思う。
さて自分だけの伝説、伝説になりそこなった伝説
72時間連続麻雀などと言う馬鹿な記録は伝説にならなくて良かったようです。
でも当時は大学周辺の学生相手の雀荘では結構有名人だったようで、メンツが足りないところに自己紹介無しで誘われていた。
マアあまり負けないけれど、馬鹿勝ちもしないところが「殆ど無害」と言う事で雀荘のマスターや婆様などから「要注意」では無かった筈です。
今は麻雀で遊ぶ人はかなり少なくなったらしく、学生街に雀荘が無くなっていました・・・従って麻雀キチの伝説を語り継ぐ人はいないでしょう。
私だって熟練の技を一つ持っているのですが、それを話す相手もいないし・・・一度娘に話したけれど意味が通じなかった。
そういう学生時代・・・麻雀だけでなく囲碁らしきものも打っていました。
私自身級位のはずですが、(植物)クラブの部室で植物図鑑でも見ていればマジメな先輩ですが、囲碁を打てる後輩を捕まえては打つ「お山の大将」。
その日も後輩のT君を捕まえて部室で碁。
部室は旧軍隊の厩舎らしいバラック建て、その角部屋でガラス窓越しに上半身だけは見える形でした。
従って囲碁を打つスタイルは、男二人が前かがみで向き合っているスタイル。
さて丁度講義が終わって部室に来た後輩(当時はお嬢さん)が、部室に入ってくるなり「○○さん、何か大変なことでもあったのですか?」と真剣に訊く。
私:「何か起きたかって?」
「だって、二人で深刻な顔をして向き合っているでしょう」と、言いながら、二人の間にある碁盤を見た・・・「なーんだ」
彼女のお父さんは強かったらしいので、直ぐに察したようですが・・・
私が真剣な顔をしているのは初めて見たのだそうです。
つまりいつもはいい加減な顔をしていたという事ですし、遊びの時でしか真面目な顔をしないとも言える。
これは私にとっては伝説的な出来事ですが、彼女にとってはあっさり忘れ去られたかもしれませんね。
先に父の話をしましたが、そのまた父(祖父)母(祖母)にも伝説的出来事はあります(尤も祖父は私が生まれた時には亡くなっていたので、会ったことは無いし写真も無いので、絵としてのイメージは全くありません)。
この人は大チョンボで家屋敷・周りの畑などを失った人ですから、必ずしも評判は好くないのですが、それでもひとに騙される人ですから人は好かったらしい。
失った土地が小学校になっていて私など親戚の子供は皆ここに通っていたし、伯父(父の兄)などは小学校の教員になって赴任していたから複雑な心境だった筈です。
祖父の本職・神主の話です。
毎年決まった時期に伊豆七島のどこかの島に渡っていたという。
おそらく島の神社の祭礼に合わせて渡っていたのだろうと推測は出来るのですが、誰に頼まれたのか、どの島のどの神社なのか、あるいはどんな役目なのか一切不明なのです・・・まさか祭りを口実に遊びに行っていたとは思いませんが。
それにしても、連絡先とか一切告げずに行くなんて・・・訊かない方も訊かない方ですが。
今となっては私みたいな詮索好きな孫が調べたくても手掛かりが無さすぎ。
多分小さな島の小さな神社だとは思うのだが・・・
ところで祖母もしっかり者であるけれど、多少は伝説的なところはある。
自身は多分江戸時代は大名の家臣の家の娘ですが御姫様的な育ち方をしたらしい。
それが明治維新で、離れた土地の郷士の家に嫁いで・・・初めは若奥様だった筈で夫婦仲も良かった筈(子供を11人も生んだのですから)、没落後は祖父が早く亡くなったことも有り、小さな体で大黒柱にならざるを得なかった。
まさに「おしん」の時代の働くおかみさんのイメージ・・・あの体で米問屋で米俵を担いで子供を育てたという話が残っています。
それが晩年は長男が家を建て直したことも有り、悠々自適な生活。
うちにも良く泊まりに来ましたが、祖母の印象は・・・湯上りで、鏡の前に座った形です。
ああいう座り形と言うか、ぴたりと決まった姿は今でもめったに見れないと思う・・・私もリアルで座敷で碁を打つ時にああいう形で座れればかなり決まっている筈ですが
そういう意味ではマイ・リトル伝説・・・但し共有する人がいません。
私も伝える相手が・・・。
同じ兄弟でも年齢差だけ父との付き合いの時間が違うだろうし、父とかかわった時代とかお互いの年齢によって起こり得るエピソードにも違いがあるかも知れない。
そういう意味では私にとって思い出の一枚と言える写真がありました。
私がエプロン姿でゴム付きの白いロングパンツみたいなものを穿いて写っている写真(歩き始めた頃)ですが、その背景に家の薄暗い勝手口で父が剃刀を振り上げている姿が写っている・・・。
まさか本気で威嚇?で剃刀を振り回しているわけではないでしょう・・・多分写真の背景に髭そり中の姿が写ることに気がついてストップをかけた瞬間だったとは想像は出来るけれど、この写真だけを見せて父に吹き出しをつけて台詞を考えたら結構面白い場面だとは思う。
さて自分だけの伝説、伝説になりそこなった伝説
72時間連続麻雀などと言う馬鹿な記録は伝説にならなくて良かったようです。
でも当時は大学周辺の学生相手の雀荘では結構有名人だったようで、メンツが足りないところに自己紹介無しで誘われていた。
マアあまり負けないけれど、馬鹿勝ちもしないところが「殆ど無害」と言う事で雀荘のマスターや婆様などから「要注意」では無かった筈です。
今は麻雀で遊ぶ人はかなり少なくなったらしく、学生街に雀荘が無くなっていました・・・従って麻雀キチの伝説を語り継ぐ人はいないでしょう。
私だって熟練の技を一つ持っているのですが、それを話す相手もいないし・・・一度娘に話したけれど意味が通じなかった。
そういう学生時代・・・麻雀だけでなく囲碁らしきものも打っていました。
私自身級位のはずですが、(植物)クラブの部室で植物図鑑でも見ていればマジメな先輩ですが、囲碁を打てる後輩を捕まえては打つ「お山の大将」。
その日も後輩のT君を捕まえて部室で碁。
部室は旧軍隊の厩舎らしいバラック建て、その角部屋でガラス窓越しに上半身だけは見える形でした。
従って囲碁を打つスタイルは、男二人が前かがみで向き合っているスタイル。
さて丁度講義が終わって部室に来た後輩(当時はお嬢さん)が、部室に入ってくるなり「○○さん、何か大変なことでもあったのですか?」と真剣に訊く。
私:「何か起きたかって?」
「だって、二人で深刻な顔をして向き合っているでしょう」と、言いながら、二人の間にある碁盤を見た・・・「なーんだ」
彼女のお父さんは強かったらしいので、直ぐに察したようですが・・・
私が真剣な顔をしているのは初めて見たのだそうです。
つまりいつもはいい加減な顔をしていたという事ですし、遊びの時でしか真面目な顔をしないとも言える。
これは私にとっては伝説的な出来事ですが、彼女にとってはあっさり忘れ去られたかもしれませんね。
先に父の話をしましたが、そのまた父(祖父)母(祖母)にも伝説的出来事はあります(尤も祖父は私が生まれた時には亡くなっていたので、会ったことは無いし写真も無いので、絵としてのイメージは全くありません)。
この人は大チョンボで家屋敷・周りの畑などを失った人ですから、必ずしも評判は好くないのですが、それでもひとに騙される人ですから人は好かったらしい。
失った土地が小学校になっていて私など親戚の子供は皆ここに通っていたし、伯父(父の兄)などは小学校の教員になって赴任していたから複雑な心境だった筈です。
祖父の本職・神主の話です。
毎年決まった時期に伊豆七島のどこかの島に渡っていたという。
おそらく島の神社の祭礼に合わせて渡っていたのだろうと推測は出来るのですが、誰に頼まれたのか、どの島のどの神社なのか、あるいはどんな役目なのか一切不明なのです・・・まさか祭りを口実に遊びに行っていたとは思いませんが。
それにしても、連絡先とか一切告げずに行くなんて・・・訊かない方も訊かない方ですが。
今となっては私みたいな詮索好きな孫が調べたくても手掛かりが無さすぎ。
多分小さな島の小さな神社だとは思うのだが・・・
ところで祖母もしっかり者であるけれど、多少は伝説的なところはある。
自身は多分江戸時代は大名の家臣の家の娘ですが御姫様的な育ち方をしたらしい。
それが明治維新で、離れた土地の郷士の家に嫁いで・・・初めは若奥様だった筈で夫婦仲も良かった筈(子供を11人も生んだのですから)、没落後は祖父が早く亡くなったことも有り、小さな体で大黒柱にならざるを得なかった。
まさに「おしん」の時代の働くおかみさんのイメージ・・・あの体で米問屋で米俵を担いで子供を育てたという話が残っています。
それが晩年は長男が家を建て直したことも有り、悠々自適な生活。
うちにも良く泊まりに来ましたが、祖母の印象は・・・湯上りで、鏡の前に座った形です。
ああいう座り形と言うか、ぴたりと決まった姿は今でもめったに見れないと思う・・・私もリアルで座敷で碁を打つ時にああいう形で座れればかなり決まっている筈ですが
そういう意味ではマイ・リトル伝説・・・但し共有する人がいません。
私も伝える相手が・・・。