(23日の朝のこと)秋の連休最終日の朝の筈?なんですが、朝早くから炊事やら洗濯の気配がして目が覚めました。
朝5時半なのに女房殿が働いているので、思わず「今日から仕事?」と訊いてしまいました。
私なら一日間違えて出勤することもあるかも知れないですから、自分の基準で考えてしまいます。
「眼が覚めたので、起きてしまいました」
これなら、お互いそういう年令なわけで、目が覚めたのに無理に布団の中に居るのはかえって苦痛であるかもしれないし、お互い子供時代も結婚後も日曜だからと言って寝坊する習慣は無いし、いつものように家事をするというのは理解できる・・・しかしこれは全く上手い詐欺的な手口のようなものでした。
確かにその時間に目が覚めて家事をするのが日課ではあるけれど、本当は計画した通りの予定の行動だった筈です・・・そのすぐあとに「今日はお昼は妹のところで食べるから・・・」これが朝起きてすぐの思いつきとは思えない・・・結論として、つまり隣の市に住む妹の家に行くので、”昼ご飯は各自調達せよ”と言う宣言である。
全く女房も古くなるとなかなかタヌキと言うか、いろんな芸を見せてくれます。
マア、息子もアルバイトで出かけるということだし、自分ひとりならなんとかなるでしょう・・・それにコチトラはどうせネットで碁を打つくらいです。
いや、午前中に本屋さんに行くくらいは考えていますが。
ところで今日の囲碁観戦は、いろいろ考えさせてくれる面白い碁でした。
白番の方は私の先か2子の間くらいの人で黒番の人はほぼ私と同じくらいなので、だいたい私と同じ条件で、黒の先・白からコミ2目半出しと言う条件。
白の人は強いという印象・・・私にはそう刷り込まれている。
多分私はこれまで3局くらい先で打って一局も入っていないと思います。
もしかしたら力関係以外にも原因があるかもしれません・・・棋風が近いところがあって、しかも相手の方が猛烈に地に辛いのでこちらとしては普段ですと地を先行して相手の大模様を制限する作戦を取るのに、相手にそれをやられてしまうのです。
つまり自分の得意パターンを取り上げられた形ですからそれだけでもフラストレーションが発生します。
無理やり好みでは無い役柄を演じさせられる感じですから、画面を眺めながら『相手の石を持ちたいな』と思いながら打ったりする。
自分が地を先行した場合、相手が無理に模様を生かそうとするならそれを阻止する作戦になる筈のところが、この方が相手ですと自分が無理をしなくてはいけない立場になるのです。
自分で「無理気味」だと自覚しながら無理押しせざるを得ないのですから、この時『罪悪感を抱きながら悪事を働くみたい」で、すでに気持ちは負けているに違いない。
さて観戦の方は・・・まるで自分が打っているかのような展開。
白は序盤で3隅は確保して、残り1隅はイーブン・・・見返りとして中は黒が厚いのですが、裾は開いてたりするわけでまとめるのは大変そう。
結局はこの厚みをめぐっての戦いで決着がつくだろうと予想は出来るし、その通りになって行きました。
ところで、持ち時間は各45分なんですがここから中盤での争いが本格化するという時点で(この碁では90手くらい)黒残り10分、白残り30分くらい。
これは時間との戦いも黒は大変だなと見ていたら・・・110手くらいで持ち時間を使い果たしました。
ここから後は1手30秒以内で打つのですが・・・アマの”早打ち”から行けば出来ないこともないけれど、ここまでに時間を使い果たした人ですから大変には違いないと想像できる。
最後まで時間切れにならずに打ったという事は黒もサスガかもしれません。
但し肝心な闘いの場面で時間が足りなかったり、形勢を確認できずにやや差があるの碁を最後まで打ったということは悔しかったかも知れません(想像ですが)。
ところで時間の問題。
学生時代の試験ですと、テクニックとして直ぐに解ける問題を一通り回答しておいて、難解な問題を後で取り組む・・・みたいな事はあります。
欠点としては配点の低いものを優先でやるみたいなところもありますが。
囲碁ではこういうテクは許されない。
昔駄菓子屋で売っていたり子供雑誌の付録についていた(名前は知りませんが)巻物のゲームみたいなもの・・・巻物をほどきながら道路を進むのですが、これが所々で3択となる・・・間違うと道路工事中とか、落とし穴とか、崖だったり、クマとかヘビが待ち受けたりする。
要するに、どこかで致命的な間違いをするとそこでゲームオーバーなわけです。
何かの問題を棚上げにしておいて、別の問題を先に解くと言う高級テクニックもあるけれど、まずは順番通り起きた事件順に考える筈(あるいは対処しなくてはいけない)。
そこのところはテストの要領の良い対処方法テクとは違う。
考える時間のバランスについても考えさせられる一局でした。
序盤で時間をつぎ込んで打つ・・・まるでプロみたい(からかいではなく)なんですが、結局は序盤で時間を使い果たしてしまうと中盤以降の戦いがつらい。
初めが無ければ後は無いという分けで、序盤で思慮不足の手を打って形勢を損じるとその後が大変なことは分かる。
家に例えれば序盤は土台なわけで、そこをおろそかには出来ない・・・さりとて戦いが本格的になる中盤で時間が無いのも致命傷になりかねない。
結局巻紙のゲームと同じで、どこで決定的なミスをしても結果は同じ。
ではバランスよく時間を使うということはプラス思考では「上手に消費時間をコントロール」することですが、裏面から見れば(特にアマは)「ほどほどに手を抜く」「どうせ考えても正しい結論に行きつくかどうか分から無いし、相手が先に間違うかも知れないし・・・」みたいなことで、ほどほどに見切り発車する習慣とも繋がりそうです。
アマの公式戦では「持ち時間45分切れ負け」が殆どでしたが、このネットではそこに1手30秒の秒読み付きなので相当余裕がありそうに思うのですが、実際には大変そうです。
時間が無い場合、私なら終盤で地合い計算など、損の無いところを5,6手打ちながらやっと計算できるかどうか・・・計算を途中で忘れたり・・・幾らネット碁でもメモ用紙に鉛筆と言うわけにはいきませんし。
今気がついたのですが、もしかしてこういう時にパソコンの地合い計算機能を使うのでしょうか?
棋譜の並べ直しで、結果計算の時しか使っていませんが・・・。
朝5時半なのに女房殿が働いているので、思わず「今日から仕事?」と訊いてしまいました。
私なら一日間違えて出勤することもあるかも知れないですから、自分の基準で考えてしまいます。
「眼が覚めたので、起きてしまいました」
これなら、お互いそういう年令なわけで、目が覚めたのに無理に布団の中に居るのはかえって苦痛であるかもしれないし、お互い子供時代も結婚後も日曜だからと言って寝坊する習慣は無いし、いつものように家事をするというのは理解できる・・・しかしこれは全く上手い詐欺的な手口のようなものでした。
確かにその時間に目が覚めて家事をするのが日課ではあるけれど、本当は計画した通りの予定の行動だった筈です・・・そのすぐあとに「今日はお昼は妹のところで食べるから・・・」これが朝起きてすぐの思いつきとは思えない・・・結論として、つまり隣の市に住む妹の家に行くので、”昼ご飯は各自調達せよ”と言う宣言である。
全く女房も古くなるとなかなかタヌキと言うか、いろんな芸を見せてくれます。
マア、息子もアルバイトで出かけるということだし、自分ひとりならなんとかなるでしょう・・・それにコチトラはどうせネットで碁を打つくらいです。
いや、午前中に本屋さんに行くくらいは考えていますが。
ところで今日の囲碁観戦は、いろいろ考えさせてくれる面白い碁でした。
白番の方は私の先か2子の間くらいの人で黒番の人はほぼ私と同じくらいなので、だいたい私と同じ条件で、黒の先・白からコミ2目半出しと言う条件。
白の人は強いという印象・・・私にはそう刷り込まれている。
多分私はこれまで3局くらい先で打って一局も入っていないと思います。
もしかしたら力関係以外にも原因があるかもしれません・・・棋風が近いところがあって、しかも相手の方が猛烈に地に辛いのでこちらとしては普段ですと地を先行して相手の大模様を制限する作戦を取るのに、相手にそれをやられてしまうのです。
つまり自分の得意パターンを取り上げられた形ですからそれだけでもフラストレーションが発生します。
無理やり好みでは無い役柄を演じさせられる感じですから、画面を眺めながら『相手の石を持ちたいな』と思いながら打ったりする。
自分が地を先行した場合、相手が無理に模様を生かそうとするならそれを阻止する作戦になる筈のところが、この方が相手ですと自分が無理をしなくてはいけない立場になるのです。
自分で「無理気味」だと自覚しながら無理押しせざるを得ないのですから、この時『罪悪感を抱きながら悪事を働くみたい」で、すでに気持ちは負けているに違いない。
さて観戦の方は・・・まるで自分が打っているかのような展開。
白は序盤で3隅は確保して、残り1隅はイーブン・・・見返りとして中は黒が厚いのですが、裾は開いてたりするわけでまとめるのは大変そう。
結局はこの厚みをめぐっての戦いで決着がつくだろうと予想は出来るし、その通りになって行きました。
ところで、持ち時間は各45分なんですがここから中盤での争いが本格化するという時点で(この碁では90手くらい)黒残り10分、白残り30分くらい。
これは時間との戦いも黒は大変だなと見ていたら・・・110手くらいで持ち時間を使い果たしました。
ここから後は1手30秒以内で打つのですが・・・アマの”早打ち”から行けば出来ないこともないけれど、ここまでに時間を使い果たした人ですから大変には違いないと想像できる。
最後まで時間切れにならずに打ったという事は黒もサスガかもしれません。
但し肝心な闘いの場面で時間が足りなかったり、形勢を確認できずにやや差があるの碁を最後まで打ったということは悔しかったかも知れません(想像ですが)。
ところで時間の問題。
学生時代の試験ですと、テクニックとして直ぐに解ける問題を一通り回答しておいて、難解な問題を後で取り組む・・・みたいな事はあります。
欠点としては配点の低いものを優先でやるみたいなところもありますが。
囲碁ではこういうテクは許されない。
昔駄菓子屋で売っていたり子供雑誌の付録についていた(名前は知りませんが)巻物のゲームみたいなもの・・・巻物をほどきながら道路を進むのですが、これが所々で3択となる・・・間違うと道路工事中とか、落とし穴とか、崖だったり、クマとかヘビが待ち受けたりする。
要するに、どこかで致命的な間違いをするとそこでゲームオーバーなわけです。
何かの問題を棚上げにしておいて、別の問題を先に解くと言う高級テクニックもあるけれど、まずは順番通り起きた事件順に考える筈(あるいは対処しなくてはいけない)。
そこのところはテストの要領の良い対処方法テクとは違う。
考える時間のバランスについても考えさせられる一局でした。
序盤で時間をつぎ込んで打つ・・・まるでプロみたい(からかいではなく)なんですが、結局は序盤で時間を使い果たしてしまうと中盤以降の戦いがつらい。
初めが無ければ後は無いという分けで、序盤で思慮不足の手を打って形勢を損じるとその後が大変なことは分かる。
家に例えれば序盤は土台なわけで、そこをおろそかには出来ない・・・さりとて戦いが本格的になる中盤で時間が無いのも致命傷になりかねない。
結局巻紙のゲームと同じで、どこで決定的なミスをしても結果は同じ。
ではバランスよく時間を使うということはプラス思考では「上手に消費時間をコントロール」することですが、裏面から見れば(特にアマは)「ほどほどに手を抜く」「どうせ考えても正しい結論に行きつくかどうか分から無いし、相手が先に間違うかも知れないし・・・」みたいなことで、ほどほどに見切り発車する習慣とも繋がりそうです。
アマの公式戦では「持ち時間45分切れ負け」が殆どでしたが、このネットではそこに1手30秒の秒読み付きなので相当余裕がありそうに思うのですが、実際には大変そうです。
時間が無い場合、私なら終盤で地合い計算など、損の無いところを5,6手打ちながらやっと計算できるかどうか・・・計算を途中で忘れたり・・・幾らネット碁でもメモ用紙に鉛筆と言うわけにはいきませんし。
今気がついたのですが、もしかしてこういう時にパソコンの地合い計算機能を使うのでしょうか?
棋譜の並べ直しで、結果計算の時しか使っていませんが・・・。