なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「本」の定義

2010-07-03 01:08:46 | Weblog
 本来こういう分類が必要かどうかは分からないのですが、出版物が溢れていて、本屋さんの店頭には新刊本だけでもたくさん並んでいます。
 その割には「これを読みたい」と言う本は少ないみたいな気はします・・・イヤ余りに本が多いので把握仕切れないのだとは思うが、一方で何でもかんでも「本」と呼ばれるのも少し変だとも思うのです。
 私の学生時代そういう定義がウルサイ時代だったのか、あるいは言葉の定義がやかましい時代・・・マア今よりは細かい事は確かです。
 先輩に教わったことが記憶に残っている。
 いろんな運動が盛んな時代でしたから、議論が始まると白熱するわけで、そういう時に些細な言葉の定義もおろそかにはできない。
 議論の際には共通認識が必要でもあるし、あるいは用法を誤れば議論の論点では無くてもそこを突かれる。
  従って隙が無いように努める必要がある。
 一般的な会話で話すような感じとは少し構え方が違う。
  例えば曖昧な事を「抽象的な・・・」と言う様に表現すると×。
   抽象画=訳が分からない絵と言う事で抽象的は曖昧な事・・・はダメ。
  抽象化=エッセンスを見つけ出すとか一般化の意味で用いるのが○

 マアそんなわけで当時「本」についても使い方によってはかなり突っ込まれた。
  一般的には、紙とか羊皮紙とかを綴じて有れば本という感じ・・・物としてこれは本。
 古代の竹とか木の札は竹札とか木札でそれを紐で綴じて巻いて有れば竹巻・木巻
  要するに材質と形状で本かどうかを指していると思っていた・・・が。
 内容によっても「本」であるかどうかの違いがあるのだそうです。
  その場合「書籍」的な見方が入って来るようです。
  先ず「雑誌」「漫画」「パンフレット」などは体裁は本でも本では無い。
   多分保存する事が第一義では無い事とか、思想性と言うか学問的と言うかその辺りの問題なんでしょう。
 と、言う事で小説も「本」では無くて「小説本」と言うのが正しいのだそうです。
  漫画も「漫画本」・・・要するに漫画が描いてある本形式の出版物。

 従って毎週発行される芸能人ネタなどの週刊誌の殆どに目を通す人も「読書家」とは言わない・・・これは分かる。
 似たような意味で碁の本をたくさん読んでも、多分これも読書家には入らないでしょう。
  そういう意味で哲学書などは間違いなく「書」でしょうが「歴史書」「地誌」とかはどうなんでしょうね。
 余り細かな定義をするとこんがらがって来ます。
  マア、雑誌・漫画・実用書は本では無いと言うことぐらいでしょうか。

 「だからどうだ?」と言う事も無いが、最近「本」を読む事が少なくなっているように感じる。
  活字を目で追う事は苦痛では無いけれど、それでも気持ちの向かう方向が・・・。
   気楽に読める物の比率が高くなっている・・・こういうところにも年令が表れているのでしょうね。